1 / 14
プロローグ
しおりを挟む
お酒はとても美味しいものだ。
特に陽の高いうちから飲むそれは、お酒そのものの美味しさに加え、隠れていけないことをしているみたいな背徳感なんかも相まって、たまらなく贅沢に感じられる。
それはまるで、日常から切り離された非現実的な時間――
なんて言ったら少し大袈裟かもしれないけれども。
とにかくこの私、宵宮環は、夜中に飲むお酒ももちろん好きではあるけど、たまの昼飲みにはまた格別な趣きがあるのだと確信していた。
……まぁ自らを客観視した場合、二十六歳というぎりぎりうら若き乙女で押し通せなくもない年齢で、こんな飲兵衛のおじさんみたいな持論を唱えるのもどうかと思わなくもない。
「えっと」
ちらりと壁掛け時計を確認する。
現在時刻は十四時を少し回ったところ。
腰がぜんぶ沈みそうなくらいに柔らかな空港ラウンジのソファにゆったり身体を預けた私は、本日田舎から上京してくる妹の到着をお酒を飲みながら待っていた。
「……どうしようか。もう一杯いっちゃおうかな」
もう少しであの子の乗った飛行機が到着する時間になる。
あと二十分ほどだ。
けれども考えようによってはまだ二十分もあるわけで、それなら生ビールをもう一杯頼むくらいの余裕はあるだろう。
そう判断した私は早速追加でビールを注文した。
◇
「お待たせ致しました。ごゆっくりお寛ぎ下さい」
ビールを持ってきてくれたラウンジスタッフの女性が、丁寧にお辞儀をしてくる。
「あ、これはどうも。ありがとう」
私も軽く頭を下げ返してから、テーブルに置かれたビールグラスに手を伸ばした。
少し結露した水滴を指先に感じつつ、冷えたグラスを持ち上げる。
先ほど1杯目のビールを飲み干したばかりなせいで少し火照った手のひらに、この冷たさが心地よい。
なみなみと注がれた蠱惑的な琥珀色の液体と真っ白な泡のコントラストを、まずは目で楽しんでからそっと鼻先を近づける。
ふんわり漂ってきた微かな麦芽の香りを嗅ぎつつ、グラスの縁へと唇を添えた。
最初に感じたのは泡のクリーミィさだ。
とてもきめ細やか。
その上質な泡の感触を唇や舌先でたっぷり堪能してからグラスを傾けると、奥に潜んでいたビールが口内へと流れ込んできた。
次に感じたのはシュワシュワして心地よい発泡感とホップのほろ苦さ。
それらを同時に楽しみ、ごくりと飲みこむ。
嚥下した際の爽快な喉越しが、また堪らない。
「ぷはぁ……。美味し」
私は周囲に聞こえないくらいの小さな声で呟いてから、もう一度グラスに口をつけた。
やっぱりお酒は最高だ。
とくに生ビールは良い。
それにこの空港ラウンジの生ビールはとても新鮮で、古くなって発酵の進み過ぎたビールの変な雑味や酸っぱさなんかをまったく感じない。
きっとビールサーバーのメンテナンスもしっかりとされているのだろう。
「んく、んく……」
グラスを傾けて、今度は初めよりも勢いよく、ごくごくとビールを飲む。
爽やかな苦味が口内を洗いながら、次から次へと喉の奥に流し込まれていく。
この喉越しはキリンかな?
それともアサヒだろうか。
たぶんモルツやサッポロ、エビスあたりではないと思うんだけど、いずれにせよ美味しいことには違いない。
そんな風に銘柄なんかに想いを馳せながら飲んでいると、やがて2杯目のビールも空になってしまった。
「ぷはぁ。ごちそうさまでした」
空いたグラスをテーブルに置く。
「……っと」
ほんの少し、ふわふわしてきた。
でもまだたったの二杯しか飲んでいないのだし、顔は赤くなっていないはず。
「んー……」
あごに指を添えて唸る。
正直なところ、もう少し飲みたいなぁなんて欲求を感じてはいる。
とは言えこの後、あの子との待ち合わせが控えているのだし、やめておくのが無難だろう。
酒は飲んでも飲まれるな、というやつだ。
深酒はせずに自重するのがお酒好き女子としての嗜みなのである。
◇
テーブルに置いておいたスマートフォンがブルブルと振動した。
着信画面にはあの子の名前が表示されている。
ラウンジの壁掛け時計を見遣ると、先ほどビールを追加注文してから、すでに三十分ばかりが経過していた。
スマートフォンを手に取り、耳に当てる。
「もしもし、いのり?」
『あ、お姉ちゃん? さっき飛行機降りたよ。いまどこにいるのー?』
「ラウンジで待ってたんだけど、私からそっちに向かうからいのりは動かずに待ってて。いまいる場所教えてくれる?」
『はぁい。こっちの場所はねぇ――』
通話を終える。
さて、お迎えにあがりますか。
「……よっと」
すっかり重くなった腰を、座り心地のよいソファから上げた。
うん、大丈夫だ。
ちょっと頭はふわふわしているけど、足取りにはなんの問題もない。
しっかりと一歩を踏み出す。
そういえばいのりの顔を見るのも久しぶりだ。
最後に会ったのは私が前に里帰りしたときだから、かれこれもう3年ぶりになるか。
あの子、いまはたしか二十歳になったんだっけ。
さっき聞いた元気で可愛らしい声は記憶にあるままだったけど、見た目の方は少しくらい成長してるのかしら。
再会を楽しみに思いながら、私は待ち合わせの場所に向かった。
特に陽の高いうちから飲むそれは、お酒そのものの美味しさに加え、隠れていけないことをしているみたいな背徳感なんかも相まって、たまらなく贅沢に感じられる。
それはまるで、日常から切り離された非現実的な時間――
なんて言ったら少し大袈裟かもしれないけれども。
とにかくこの私、宵宮環は、夜中に飲むお酒ももちろん好きではあるけど、たまの昼飲みにはまた格別な趣きがあるのだと確信していた。
……まぁ自らを客観視した場合、二十六歳というぎりぎりうら若き乙女で押し通せなくもない年齢で、こんな飲兵衛のおじさんみたいな持論を唱えるのもどうかと思わなくもない。
「えっと」
ちらりと壁掛け時計を確認する。
現在時刻は十四時を少し回ったところ。
腰がぜんぶ沈みそうなくらいに柔らかな空港ラウンジのソファにゆったり身体を預けた私は、本日田舎から上京してくる妹の到着をお酒を飲みながら待っていた。
「……どうしようか。もう一杯いっちゃおうかな」
もう少しであの子の乗った飛行機が到着する時間になる。
あと二十分ほどだ。
けれども考えようによってはまだ二十分もあるわけで、それなら生ビールをもう一杯頼むくらいの余裕はあるだろう。
そう判断した私は早速追加でビールを注文した。
◇
「お待たせ致しました。ごゆっくりお寛ぎ下さい」
ビールを持ってきてくれたラウンジスタッフの女性が、丁寧にお辞儀をしてくる。
「あ、これはどうも。ありがとう」
私も軽く頭を下げ返してから、テーブルに置かれたビールグラスに手を伸ばした。
少し結露した水滴を指先に感じつつ、冷えたグラスを持ち上げる。
先ほど1杯目のビールを飲み干したばかりなせいで少し火照った手のひらに、この冷たさが心地よい。
なみなみと注がれた蠱惑的な琥珀色の液体と真っ白な泡のコントラストを、まずは目で楽しんでからそっと鼻先を近づける。
ふんわり漂ってきた微かな麦芽の香りを嗅ぎつつ、グラスの縁へと唇を添えた。
最初に感じたのは泡のクリーミィさだ。
とてもきめ細やか。
その上質な泡の感触を唇や舌先でたっぷり堪能してからグラスを傾けると、奥に潜んでいたビールが口内へと流れ込んできた。
次に感じたのはシュワシュワして心地よい発泡感とホップのほろ苦さ。
それらを同時に楽しみ、ごくりと飲みこむ。
嚥下した際の爽快な喉越しが、また堪らない。
「ぷはぁ……。美味し」
私は周囲に聞こえないくらいの小さな声で呟いてから、もう一度グラスに口をつけた。
やっぱりお酒は最高だ。
とくに生ビールは良い。
それにこの空港ラウンジの生ビールはとても新鮮で、古くなって発酵の進み過ぎたビールの変な雑味や酸っぱさなんかをまったく感じない。
きっとビールサーバーのメンテナンスもしっかりとされているのだろう。
「んく、んく……」
グラスを傾けて、今度は初めよりも勢いよく、ごくごくとビールを飲む。
爽やかな苦味が口内を洗いながら、次から次へと喉の奥に流し込まれていく。
この喉越しはキリンかな?
それともアサヒだろうか。
たぶんモルツやサッポロ、エビスあたりではないと思うんだけど、いずれにせよ美味しいことには違いない。
そんな風に銘柄なんかに想いを馳せながら飲んでいると、やがて2杯目のビールも空になってしまった。
「ぷはぁ。ごちそうさまでした」
空いたグラスをテーブルに置く。
「……っと」
ほんの少し、ふわふわしてきた。
でもまだたったの二杯しか飲んでいないのだし、顔は赤くなっていないはず。
「んー……」
あごに指を添えて唸る。
正直なところ、もう少し飲みたいなぁなんて欲求を感じてはいる。
とは言えこの後、あの子との待ち合わせが控えているのだし、やめておくのが無難だろう。
酒は飲んでも飲まれるな、というやつだ。
深酒はせずに自重するのがお酒好き女子としての嗜みなのである。
◇
テーブルに置いておいたスマートフォンがブルブルと振動した。
着信画面にはあの子の名前が表示されている。
ラウンジの壁掛け時計を見遣ると、先ほどビールを追加注文してから、すでに三十分ばかりが経過していた。
スマートフォンを手に取り、耳に当てる。
「もしもし、いのり?」
『あ、お姉ちゃん? さっき飛行機降りたよ。いまどこにいるのー?』
「ラウンジで待ってたんだけど、私からそっちに向かうからいのりは動かずに待ってて。いまいる場所教えてくれる?」
『はぁい。こっちの場所はねぇ――』
通話を終える。
さて、お迎えにあがりますか。
「……よっと」
すっかり重くなった腰を、座り心地のよいソファから上げた。
うん、大丈夫だ。
ちょっと頭はふわふわしているけど、足取りにはなんの問題もない。
しっかりと一歩を踏み出す。
そういえばいのりの顔を見るのも久しぶりだ。
最後に会ったのは私が前に里帰りしたときだから、かれこれもう3年ぶりになるか。
あの子、いまはたしか二十歳になったんだっけ。
さっき聞いた元気で可愛らしい声は記憶にあるままだったけど、見た目の方は少しくらい成長してるのかしら。
再会を楽しみに思いながら、私は待ち合わせの場所に向かった。
0
お気に入りに追加
85
あなたにおすすめの小説
推理小説家の今日の献立
東 万里央(あずま まりお)
キャラ文芸
永夢(えむ 24)は子どもっぽいことがコンプレックスの、出版社青雲館の小説編集者二年目。ある日大学時代から三年付き合った恋人・悠人に自然消滅を狙った形で振られてしまう。
その後悠人に新たな恋人ができたと知り、傷付いてバーで慣れない酒を飲んでいたのだが、途中質の悪い男にナンパされ絡まれた。危ういところを助けてくれたのは、なんと偶然同じバーで飲んでいた、担当の小説家・湊(みなと 34)。湊は嘔吐し、足取りの覚束ない永夢を連れ帰り、世話してくれた上にベッドに寝かせてくれた。
翌朝、永夢はいい香りで目が覚める。昨夜のことを思い出し、とんでもないことをしたと青ざめるのだが、香りに誘われそろそろとキッチンに向かう。そこでは湊が手作りの豚汁を温め、炊きたてのご飯をよそっていて?
「ちょうどよかった。朝食です。一度誰かに味見してもらいたかったんです」
ある理由から「普通に美味しいご飯」を作って食べたいイケメン小説家と、私生活ポンコツ女性編集者のほのぼのおうちご飯日記&時々恋愛。
.。*゚+.*.。 献立表 ゚+..。*゚+
第一話『豚汁』
第二話『小鮎の天ぷらと二種のかき揚げ』
第三話『みんな大好きなお弁当』
第四話『餡かけチャーハンと焼き餃子』
第五話『コンソメ仕立てのロールキャベツ』
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
そのメイドは振り向かない
藤原アオイ
恋愛
日本で普通の高校生活を送っていた紺野あずさは、突然異世界に召喚される。召喚された国の名はシリウス王国。「闇の魔物」によって多くの国民が害を被っており、それに対抗出来るのは聖女の力だけということらしい。
王国で彼女が出会ったのは、三人の王子。
国のことを一番に思う王の器ウィリアム、計り知れない欲の持ち主であるルーカス。そして優しさだけが取り柄のエルヴィン。年齢も近いからか、あずさはすぐにエルヴィンと仲良くなった。
ウィリアムの命令で、エルヴィンの元専属メイドのエステルがあずさの専属メイドとなる。あずさはエステルと関わっていくうちに、彼女が普通の人ではないと思い始める。
一体謎多き彼女の正体とは――――?
(約35000字で完結)
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる