たまき酒

猫正宗

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プロローグ

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 お酒はとても美味しいものだ。

 特に陽の高いうちから飲むそれは、お酒そのものの美味しさに加え、隠れていけないことをしているみたいな背徳感なんかも相まって、たまらなく贅沢に感じられる。

 それはまるで、日常から切り離された非現実的な時間――

 なんて言ったら少し大袈裟かもしれないけれども。

 とにかくこの私、宵宮よいみやたまきは、夜中に飲むお酒ももちろん好きではあるけど、たまの昼飲みにはまた格別な趣きがあるのだと確信していた。

 ……まぁ自らを客観視した場合、二十六歳というぎりぎりうら若き乙女で押し通せなくもない年齢で、こんな飲兵衛のおじさんみたいな持論を唱えるのもどうかと思わなくもない。

「えっと」

 ちらりと壁掛け時計を確認する。

 現在時刻は十四時を少し回ったところ。

 腰がぜんぶ沈みそうなくらいに柔らかな空港ラウンジのソファにゆったり身体を預けた私は、本日田舎から上京してくる妹の到着をお酒を飲みながら待っていた。

「……どうしようか。もう一杯いっちゃおうかな」

 もう少しであの子の乗った飛行機が到着する時間になる。

 あと二十分ほどだ。

 けれども考えようによってはまだ二十分もあるわけで、それなら生ビールをもう一杯頼むくらいの余裕はあるだろう。

 そう判断した私は早速追加でビールを注文した。

 ◇

「お待たせ致しました。ごゆっくりお寛ぎ下さい」

 ビールを持ってきてくれたラウンジスタッフの女性が、丁寧にお辞儀をしてくる。

「あ、これはどうも。ありがとう」

 私も軽く頭を下げ返してから、テーブルに置かれたビールグラスに手を伸ばした。

 少し結露した水滴を指先に感じつつ、冷えたグラスを持ち上げる。

 先ほど1杯目のビールを飲み干したばかりなせいで少し火照った手のひらに、この冷たさが心地よい。

 なみなみと注がれた蠱惑的な琥珀色の液体と真っ白な泡のコントラストを、まずは目で楽しんでからそっと鼻先を近づける。

 ふんわり漂ってきた微かな麦芽の香りを嗅ぎつつ、グラスの縁へと唇を添えた。

 最初に感じたのは泡のクリーミィさだ。

 とてもきめ細やか。

 その上質な泡の感触を唇や舌先でたっぷり堪能してからグラスを傾けると、奥に潜んでいたビールが口内へと流れ込んできた。

 次に感じたのはシュワシュワして心地よい発泡感とホップのほろ苦さ。

 それらを同時に楽しみ、ごくりと飲みこむ。

 嚥下した際の爽快な喉越しが、また堪らない。

「ぷはぁ……。美味し」

 私は周囲に聞こえないくらいの小さな声で呟いてから、もう一度グラスに口をつけた。

 やっぱりお酒は最高だ。

 とくに生ビールは良い。

 それにこの空港ラウンジの生ビールはとても新鮮で、古くなって発酵の進み過ぎたビールの変な雑味や酸っぱさなんかをまったく感じない。

 きっとビールサーバーのメンテナンスもしっかりとされているのだろう。

「んく、んく……」

 グラスを傾けて、今度は初めよりも勢いよく、ごくごくとビールを飲む。

 爽やかな苦味が口内を洗いながら、次から次へと喉の奥に流し込まれていく。

 この喉越しはキリンかな?

 それともアサヒだろうか。

 たぶんモルツやサッポロ、エビスあたりではないと思うんだけど、いずれにせよ美味しいことには違いない。

 そんな風に銘柄なんかに想いを馳せながら飲んでいると、やがて2杯目のビールも空になってしまった。

「ぷはぁ。ごちそうさまでした」

 空いたグラスをテーブルに置く。

「……っと」

 ほんの少し、ふわふわしてきた。

 でもまだたったの二杯しか飲んでいないのだし、顔は赤くなっていないはず。

「んー……」

 あごに指を添えて唸る。

 正直なところ、もう少し飲みたいなぁなんて欲求を感じてはいる。

 とは言えこの後、あの子との待ち合わせが控えているのだし、やめておくのが無難だろう。

 酒は飲んでも飲まれるな、というやつだ。

 深酒はせずに自重するのがお酒好き女子としての嗜みなのである。

 ◇

 テーブルに置いておいたスマートフォンがブルブルと振動した。

 着信画面にはあの子の名前が表示されている。

 ラウンジの壁掛け時計を見遣ると、先ほどビールを追加注文してから、すでに三十分ばかりが経過していた。

 スマートフォンを手に取り、耳に当てる。

「もしもし、いのり?」

『あ、お姉ちゃん? さっき飛行機降りたよ。いまどこにいるのー?』

「ラウンジで待ってたんだけど、私からそっちに向かうからいのりは動かずに待ってて。いまいる場所教えてくれる?」

『はぁい。こっちの場所はねぇ――』

 通話を終える。

 さて、お迎えにあがりますか。

「……よっと」

 すっかり重くなった腰を、座り心地のよいソファから上げた。

 うん、大丈夫だ。

 ちょっと頭はふわふわしているけど、足取りにはなんの問題もない。

 しっかりと一歩を踏み出す。

 そういえばいのりの顔を見るのも久しぶりだ。

 最後に会ったのは私が前に里帰りしたときだから、かれこれもう3年ぶりになるか。

 あの子、いまはたしか二十歳はたちになったんだっけ。

 さっき聞いた元気で可愛らしい声は記憶にあるままだったけど、見た目の方は少しくらい成長してるのかしら。

 再会を楽しみに思いながら、私は待ち合わせの場所に向かった。
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