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退院

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 今日、じいちゃんが退院してきた。

けえったぞぉ!」

 雫に付き添われて戻ってきたふたりを迎えに、玄関まで赴く。

 じいちゃんはもう、すっかり元の顔色に回復していた。

「よぅ、じいちゃん。
 お帰り!」

「…………」

 じいちゃんは出迎えの挨拶には反応せずに、俺の顔をじっと眺めている。

「……?
 なんだよ、じいちゃん」

「……おう。
 見舞いに来た竜二から、話は全部聞いたぞ」

「親父から……」

 親父は今日も会社だ。

 毎日朝早くから働きに出かけて、夜は遅くに帰ってくるくせに、よく見舞いにいく時間が取れたもんだ。

 少し感心する。

「なぁ、大輔」

 物思いから我に帰ると、じいちゃんが真剣な表情で俺を見つめていた。

 鋭い目つきで、俺の目を射抜くみたいだ。

「……なんだよ?」

「え、えっと……。
 おじいちゃんも、お兄ちゃんも。
 そんな怖そうな顔で、ど、どうしたの……?」

 じいちゃんに寄り添っている雫が、俺たちの顔を交互に眺めてオロオロし始めた。

「念のために聞いておくぞ?
 いくら嬢ちゃんを助ける為とはいえ、お前のやったことはまるで褒められたことじゃねぇ。
 ……それは理解してるな?」

 田中の野郎をぶちのめして、アリスの窮地を救った件についてだろう。

 俺は黙ってじいちゃんの言葉に耳を傾ける。

「どんな理由があっても暴力は暴力だ。
 良いことだからと、正当化されるもんじゃねえ。
 それはわかるな?」

「……ああ」

 神妙に頷いた。

 相手が悪事を働いたからって、それがイコール殴っていい理由にはならない。

 そんなことは理解している。

 ただあのときの俺は、アリスを襲ったクソ野郎にムカついて、頭に血がのぼるままに殴りつけただけだ。

「わかってるよ。
 俺が振るったのは暴力だ。
 褒められるわけがない」

「……そうか。
 分かってんならいい」

 きっとじいちゃんは、俺が勘違いしていないか心配だったんだろう。

 もし俺があの暴力について、良い行いをしたつもりにでもなっていたのなら、この場で一喝されていたに違いない。

「……大輔ぇ。
 ほら、こっちこい」

 靴を脱いで玄関に上がったじいちゃんが、俺を手招きした。

「んだよ?」

「いいから来いつってんだろ」

 黙って従う。

 すると俺より少し背の低いじいちゃんが、無理やり俺を屈ませて、ぽすんと頭に手を乗せてきた。

「……?
 な、なんだってんだよ⁉︎」

「黙ってな。
 いいから撫でられてろ!」

 そのままぐりぐりと頭を撫で回される。

 訳がわからない。

「……大輔よぉ。
 お前のやったことは決して褒められたことじゃねぇ。
 それが事実だ。
 けどよ。
 俺だきゃあどんなことがあっても、おめぇの味方だ。
 へっ……。
 これでも俺ぁ、お前みたいな孫が持てたことを、誇りに思ってんだぜ?」

 引き続き頭を撫でられる。

 じいちゃんにこんな風にされるのはいつ以来だろう。

 気恥ずかしい反面、なんだか嬉しくも感じられた。

「やっちまったもんはもうとやかく言わねぇ。
 あとな。
 親同士のあれこれは、俺や竜二に任せとけ。
 お前はこれからも、嬢ちゃんを大切にしてやればそれでいい」

「じいちゃん……」

 きっと物凄い迷惑をかけてしまったんだろう。

 俺は胸の内で真摯に詫びるとともに、深く感謝した。

 ◇

 じいちゃんが俺の頭から手を離す。

 ちょうどそのタイミングで、廊下の向こう側から騒がしい声が聞こえてきた。

「じいちゃんお帰りー!」

「ひゃっほぉーい!
 マジでじいちゃんだ!
 ちゃんと生きて帰ってきたんだな!」

 ドタバタと廊下を走りながら明希と拓海がやってきた。

「んだぁ、拓海!
 俺が生きて帰ってきたのが、そんなに意外かぁ?」

「んなわけないって!
 お帰りじいちゃん!」

「おう、ただいま!
 それより酒だ酒。
 おぅ、明希。
 酒の準備してくれ」

「はぁい。
 了解ー。
 ほら、いくよ拓海!」

「待てよアッキー!」

 年少組のふたりが台所に向かった。

 その後ろ姿を見送りながら、じいちゃんがニカっと笑う。

「いやぁやっぱり家がいいな!
 病院ってところは酒の一滴も飲めねぇし、健康的すぎて逆に寿命が縮むかと思ったぜ。
 っと、雫は肴を頼まぁ」

「もう。
 おじいちゃんってば、退院してすぐお酒だなんて身体に悪いよ?」

「なぁに。
 ちょっとだけだ、ちょっとだけ!」

「ほんとにもう。
 仕方ないなぁ」

「カカカカ!
 心配すんな。
 軽く一杯飲むだけだからよ!」

 家族のみんなが騒がしくしながら、家の奥へと消えていく。

 玄関にひとり残った俺は、じいちゃんの手のひらの感触を反芻してから、みんなに続いて歩き出した。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 その日の夕方、俺は街までやってきていた。

 無期停学中の俺は、いま学校にはいっていない。

 私服姿で繁華街へと繰り出した俺は、ひとしきり街をぶらついてから大型の書店に立ち寄り、店内を見回って目的の本を探しているところだった。

「お。
 あったあった」

 目当ての本を見つけて、本棚に手を伸ばす。

 背表紙に『高卒認定試験』と書かれたその参考書に指を掛けたそのとき――

「大輔くん」

 背後から服の裾をちょいちょいと引かれた。

 誰だろう。

「……大輔くん。
 こんにちは」

 振り返るとアリスが立っていた。

「ん?
 おお、アリスか。
 奇遇だな」

「……奇遇ではないのです。
 お昼に交わしたメッセージで、大輔くんが夕方にここの本屋さんに来る予定だって言っていたので、待っていました」

「そうか。
 でもどうして待っていたんだ?」

「……それは、その……」

 珍しくアリスが口ごもる。

 心なしか、少し顔が赤い。

「……どうした?」

「それはその……。
 だって学校には大輔くんがいなくて。
 このところお昼もずっと、一緒に食べていましたし……」

 アリスの顔がますます赤くなっていく。

「ああ、そうだな。
 でもそれがどうして、本屋で待ってることに繋がるんだ?」

 改めて問いかけるとアリスが押し黙った。

 ジト目を向けてくる。

 表情の変化はわずかだが、これは若干ムッとしているのだろうか。

「……大輔くんは鈍いです」

「はぁ?」

「だ、だから、わたしは学校に大輔くんがいなくて、寂しかったのです。
 それで本屋さんに寄るって言ってたから、こうして……!」

「ぐぉっ……」

 思わずうめいた。

 なんかアリスがめちゃくちゃ可愛くなっている。

 俺は無意識に手を伸ばして、彼女の金色の頭を撫でた。

「……そ、そうか。
 そりゃあ寂しい想いをさせたな」

「はい……。
 そうなのです。
 だから責任を取って、ちゃんと構ってください……」

「お、おぅ」

 なんとなく会話がぎこちない。

 俺は照れを誤魔化すみたいに、無言でアリスの頭をぽんぽんした。

 そういえば俺も、この間じいちゃんに頭を撫でられたばかりだなぁ。

 そんなことを思い出しながらアリスの頭を撫でる。

「大輔くんの手、おっきいです……」

「そうか?」

「はい。
 それにあったかいです」

「そっか。
 ならもうちょい……。
 よっと」

 空いた左手でアリスの細い腰を抱き寄せる。

「きゃ」

「ははは。
 悪い悪い。
 びっくりしたか?」

「は、はい。
 でも嫌ではないです……」

 アリスをすっぽりと胸に抱いて、頭を撫で続ける。

 彼女の形のよい耳が押し付けられた俺の胸板から、とくんとくんと心音が伝わっていく。

「……ふわぁ」

 見ればアリスは瞳をとろんと蕩けさせていた。

 見方によってはなんだか色っぽいようにも思えるその表情に、さっきまで落ち着いていた俺の鼓動が早鐘を打ち出した。

「……大輔くん。
 心臓の音が、すごいのです……。
 とくんとくん、とくんとくん、って」

「そ、そうか?
 気のせいだろ」

「……き、気のせいじゃないのですよ」

 ちょっと大胆過ぎたかもしれない。

 顔を赤くしてそっぽを向いた俺と、顔を伏せて俯いてしまったアリスの睦み合いは、近くを通った書店員が咳払いをするまで続いた。
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