理想と魔法と冒険譚と

ジキルとハイド

文字の大きさ
上 下
11 / 13

君の世界は敬愛で

しおりを挟む
 万物が息を殺し、漆黒の闇に紛れて蠢く夜。エナの家のソファーに体を預けていた俺は、どうも眠りに入れずに居た。

 枕が変わると眠れない、そう言う人が少なからず居るとよく聞く。例に漏れず、俺もその類の人間だった。どうにも、落ち着かない。夜風にでも当たってこようか。

 そう思い立ち、倒れていた背中を起こす。すると、甘く、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。それと同時に透き通るような声が背中を叩く。

「あ、フェオ、起きてたんだ」

 エナが袖を手のひらまで伸ばし、湯気が立ち上るカップを両手で抱えていた。この香りの根源は恐らくあのカップだろう。

「ああ。ん? お前もティアと寝たんじゃなかったのか?」

「どうも寝付けなくてね……。フェオも僕と同じだろ? ————あちち、ふーっ、ふーっ」

 口をカップから離し、さも熱げに息を吹きかけて冷まそうとする。そんな様子を、音も無く見つめる俺にエナが気付くとこう言った。

「ただのココアだけど…………飲む?」

「ああ……」

 間髪入れずに即答する。実のところ、ちょうど口が寂しいところだった。そう、適度な甘味を体が欲している、そんな状態。こんな深夜に取る糖分は、いかんせん体調を整えるには優れない。だが、まあ、良いだろう。たまには欲求に従うのも悪くない。

「はは……じゃあ、どうぞ」

 目線を左右に泳がせながら、エナがおずおずと自らのカップを差し出した。何の気なしに受け取り、口を付けて少しだけ口に含む。

 刹那、破壊的な甘味が俺の味蕾を深く抉った。どろりとした感触が舌全体を撫で回し、その度に痛みとも取れる味が脳髄を突き刺す。そんな毒物を簡単に飲み込める筈もなく、俺は勢いよく前方に口の中で蔓延る異物を吐き出した。

「ブハッ!!!」

「わあっ!! な、何するんだよ!!」

「飲めるかこんなもん!! 砂糖入れ過ぎなんだよ!!」

 目の前で、茶色く濁った液体を全身に纏ったエナが怒りを露わにする。全て俺が盛大に振り撒いた、ココアによるものだ。純白の肌も、漆黒の髪も全て清々しいほどに黄土色だ。

「あーあ……べたべたじゃないか……」
  
「ご、ごめんな……」

「…………お風呂入ってくるよ」

 そう言って、エナが浴室に入って行った。胡桃の雫が足跡のように落ちている。近くにあったタオルを手に取り、一心不乱に床を拭いていると、不意に浴室のドアがかちゃりと動いた。その隙間からエナが顔を出す。

「ねえ、フェオ」

「な、なんだよ。風邪引くぞ」

「僕がわざわざ入り直す事になったのはさ。殆どフェオの所為だよね?」

「いや……まあ……」

 そう俺が答えると、見えているエナの顔が不気味に微笑んだ。まるで、獲物を捕らえた蛇のように。

「じゃあ、責任取ってさ、僕の体を洗ってよ」

「はあっ?!」

「良いじゃないか。減るものでもあるまいしっ!」

 咄嗟に腕を掴まれ、おおよそ少女の息を超えている膂力で中へと引きずり込まれた。叫び声を上げる暇すら無い。中で転がされると、鼻息を荒くしたエナが眼前に立ち塞がった。原始的な恐怖を身近に感じる。

「ま、待て。落ち着け」

「僕は至って落ち着いているよ?」

 そう言いながら、頰が紅く高揚させたエナが俺の服の襟に細指を掛けた。彼女が少し指を動かすだけで、容易く床に服が落ちる。拒まなければいけない、と強く考える俺の意思とは正反対に、体内ではいつもより数段強く脈打っていた。

「へえ……結構、逞しいんだね……」

 悩ましげな声を口端から漏らし、俺の腹筋を人差し指でゆっくりなぞる。肌と肌とが接した部分が、敏感に冷たい刺激を感じ取った。

「うあっ……。エ、エナ、頼むからやめてくれ……」

 絞り出した俺の懇願を聞き、エナがくすくすと笑みを零した。妙に黝ずんだ瞳で囁く。

「何をかなぁ……? 早く全部脱いでよ。洗ってもらわなくちゃならないんだから」

 掴まれた俺の右腕が、痛みで叫び始めた。千切られんばかりに拘束され、顔が僅かに歪む。強引に服を剥ぎ取られ、これまた強引に浴室に引っ張りこまれた。

 通常では考えられない力。恐らく、レベル差に関係しているのだろう。

「なあ、エナ。お前レベル幾つだ?」

「僕? うーんとね……ちょっと前なんだけど、確か68はあったと思うよ」

 68…………。こんな少女でさえ68……。

 そんな不条理な現実を肌で感じ、虚空を除いたような心境になった。エナと言いティアと言い……どいつもこいつも俺に劣等感を苛ませる奴らばかりだ。

「じゃあ、はい。これ、石鹸だよ」

「あ、ああ……。何かタオルのようなものは……?」

「うちにそんなものないよ?」

「いや、そ————」

「ないよ?」

 渋々引き下がり、石鹸を両手に馴染ませる。すると、たちまちのうちに良い香りが漂い、ぬるぬると手が潤沢に覆われた。目の前で、椅子に腰掛けるエナの背中に手のひらを押し当てる。

「あ…………」

 エナの扇情的なため息が、静かに鼓膜に届く。鼓動がより一層迅るのを感じた。そのまま、ゆっくりと舐めるように手のひらを擦り付け、博麗なその背中を泡で彩っていく。やがて、腰辺りに差し掛かった時、横斜めに走る傷跡に気がついた。荒く響いていたエナの吐息が、そこでぴたりと止まる。薄紅色になっており、非常に痛々しい事この上ない。

「……昔、ちょっといざこざがあってね。気にしないで、続けてよ」

 微かに肩を震わせ、エナが振り返らずにそう言った。

「治せないのか……? これは」

「うん……。どうも……ね」

 エナの明るい調子だった声から、暗く、物々しい声に様変わりした。余程の事があったのだろう。気の毒だ。

「そうか…………。まあ、気にするな。いつかは治るさ。俺が保証する」

「……本当に? 」

「ああ。治るさ。最悪、俺が責任持って治してやるよ。残念ながらレベルは11ぽっちだがな」

 俺がそう言うと、エナの沈んだ顔が、ぱっと元の明るい表情に変化した。燦爛な笑みで俺に笑いかける。

「治らなかったら、一生掛けてでも治してくれる?」

「あ、ああ」

「その言葉、忘れないよ」

 エナが顔いっぱいに笑みを広げ、裸で俺に抱き付いてくる。その光景を見て、何故か、俺は、後悔の念を抱いてしまうのだった。

 ♦︎

「私が寝ている間に、二人で何をしていたんですかね……」

 ティアが嫌味ったらしく文句を垂れる。朝、寝ぼけ眼で起きてきたティアに、ソファーで一緒になって眠る俺とティアが見つかったのだ。正直なところ、殺されるかと思った。

 殆ど見ず知らずの異性と、自らの大切な友人が一緒に寝ていたのだ。まあ、俺ならば生暖かく見守るが。

「お前はいつまで言っているんだ……」

「そうだよ! 喉元過ぎればなんとやらって言うしね」

「お前それ多分それ使い方間違えてるぞ」

「だって……挙句の果てにエナまで付いてくるって聞かないですし……」

 俺たちの冒険譚探しに、エナも着いてくる事になった。まあ、戦力が増えるのは良い事なんだが……。

 昨日から俺に引っ付いて離れない。
 今も俺の腕に自分の右腕を絡めてくる。

 獣道が段々と険しくなってきた。そろそろだ。そろそろあのダンジョンの入り口が見えてくる筈だ。

 そうだ。あそこだ————

 茂みを掻き分けると、とても信じがたい光景が広がっていた。絶句し、立ち尽くす。

 眼前では、地面に横たわり、血の海を広げる無数のオークと、その内の一体の側に座り込み、一心不乱に腹から臓物を引きずり出し、貪る一つの『影』が居た。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

最強無敗の少年は影を従え全てを制す

ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。 産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。 カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。 しかし彼の力は生まれながらにして最強。 そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

とあるおっさんのVRMMO活動記

椎名ほわほわ
ファンタジー
VRMMORPGが普及した世界。 念のため申し上げますが戦闘も生産もあります。 戦闘は生々しい表現も含みます。 のんびりする時もあるし、えぐい戦闘もあります。 また一話一話が3000文字ぐらいの日記帳ぐらいの分量であり 一人の冒険者の一日の活動記録を覗く、ぐらいの感覚が お好みではない場合は読まれないほうがよろしいと思われます。 また、このお話の舞台となっているVRMMOはクリアする事や 無双する事が目的ではなく、冒険し生きていくもう1つの人生が テーマとなっているVRMMOですので、極端に戦闘続きという 事もございません。 また、転生物やデスゲームなどに変化することもございませんので、そのようなお話がお好みの方は読まれないほうが良いと思われます。

ハズレ職業の料理人で始まった俺のVR冒険記、気づけば最強アタッカーに!ついでに、女の子とVチューバー始めました

グミ食べたい
ファンタジー
 疲れ切った現実から逃れるため、VRMMORPG「アナザーワールド・オンライン」に没頭する俺。自由度の高いこのゲームで憧れの料理人を選んだものの、気づけばゲーム内でも完全に負け組。戦闘職ではないこの料理人は、ゲームの中で目立つこともなく、ただ地味に日々を過ごしていた。  そんなある日、フレンドの誘いで参加したレベル上げ中に、運悪く出現したネームドモンスター「猛き猪」に遭遇。通常、戦うには3パーティ18人が必要な強敵で、俺たちのパーティはわずか6人。絶望的な状況で、肝心のアタッカーたちは早々に強制ログアウトし、残されたのは熊型獣人のタンク役クマサンとヒーラーのミコトさん、そして料理人の俺だけ。  逃げるよう促されるも、フレンドを見捨てられず、死を覚悟で猛き猪に包丁を振るうことに。すると、驚くべきことに料理スキルが猛き猪に通用し、しかも与えるダメージは並のアタッカーを遥かに超えていた。これを機に、負け組だった俺の新たな冒険が始まる。  猛き猪との戦いを経て、俺はクマサンとミコトさんと共にギルドを結成。さらに、ある出来事をきっかけにクマサンの正体を知り、その秘密に触れる。そして、クマサンとミコトさんと共にVチューバー活動を始めることになり、ゲーム内外で奇跡の連続が繰り広げられる。  リアルでは無職、ゲームでは負け組職業だった俺が、リアルでもゲームでも自らの力で奇跡を起こす――そんな物語がここに始まる。

孤児院で育った俺、ある日目覚めたスキル、万物を見通す目と共に最強へと成りあがる

シア07
ファンタジー
主人公、ファクトは親の顔も知らない孤児だった。 そんな彼は孤児院で育って10年が経った頃、突如として能力が目覚める。 なんでも見通せるという万物を見通す目だった。 目で見れば材料や相手の能力がわかるというものだった。 これは、この――能力は一体……なんなんだぁぁぁぁぁぁぁ!? その能力に振り回されながらも孤児院が魔獣の到来によってなくなり、同じ孤児院育ちで幼馴染であるミクと共に旅に出ることにした。 魔法、スキルなんでもあるこの世界で今、孤児院で育った彼が個性豊かな仲間と共に最強へと成りあがる物語が今、幕を開ける。 ※他サイトでも連載しています。  大体21:30分ごろに更新してます。

処理中です...