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第一章 夢見る少女、幻滅する

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「あっぶねぇ……なんとか、はぁ、逃げ切れたっ……」
《ですがマスター、あれは無茶しすぎですよ》
 全力で街を駆けて建物の隅に身を隠したツルカは、肩で息をしながら汗を拭い、必死に襟元をばたつかせていた。
「にしてもあっつ……久しぶりにこんなに走ったよ」
《あの男、きっと放っておいても、勝手に逃げ出してましたよ。面倒事が嫌いだというのに、何故わざわざその原因を作るようなことを》
「だ、だって……平気で暴力をする野蛮人は、直接痛みを思い知らせてやらないと分かってもらえないし?」
《変なところで律儀な紳士ですね……。仮にもマスターは『世界最強レベル』の力を保有していることを肝に銘じてください? さもなければ危険視されてしまいますよ》
 珍しく真剣なアイナの忠告だったが、ツルカは夜郎自大そうに垂れかかる前髪を優雅に払うと、権高な笑みを浮かべた。
「分かっているさっ。わたくしは克明で謳われるべき天才少女ですからねっ。君の助言がなくとも重々承知しているよっ! あっはん」
 威風堂々と拳を胸の前に形作ると、ツルカは鼻を高くしてふふんと笑う。
《自分で言っている時点で吐き気を催すほど不愉快ですし、面倒事には巻き込まれたくないくせに有名になって謳われたいのですか……。意味分かんないですよ》
「ほどほどに有名ならいいかなー。町人にこんにちはって言われるぐらいの知名度なら面倒事は増えないでしょ」
《いっそ清々しいですね。なら、やっぱり冒険者目指したらいいんじゃないですか。どんな難易度であれ、マスターがクエストに貢献されるなら、少々有名にはなるかと》
「だから冒険者とかはなしって言ったじゃん?」
《もう、頑固ですね。マスターの力を使えば、許可なく接触を許されていない危険種やら超高難度クエストでも秒で終わるのに。一度我慢してクエストをすれば、一年ぐったり暮らせるお金が一瞬でもらえるかもですよ?》
 そんな魅力的な話に目もくれず、ツルカはぬっと立ち上がる。体を軽く捻って大きく背伸びをすると、何事もなかったかのように建物の隅から姿を現した。
「ま、まあ。お前がせっかく提案してくれているし考えはしとくわ。いざとなったらな」
《心拍数の上昇から、嘘をついてると判明しましたが》
「いやぁ~まだ疲れてるのかもな~? 心臓がすごくドクンドクンしてるぅ~ん」
 図星なのか、ツルカは拙劣な口笛を気軽そうに吹いた後に、一本調子で笑い始める。
「いやぁ、にしてもいい国ですよね、アイナさん。アイナさーん? んーあれ、マジで……あの、お願いします。反応してくれませんか……?」
 しかし、ツルカが再三尋ねてもアイナは返事をすることはなかった。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
「ご、ごめんって。アイナ。俺が悪かったから……」
 露骨に弱りきった表情を浮かべてツルカは頭を悩ませる。
 いつもアイナに頼りっきりのツルカだ。もし、アイナが主であるツルカに叛意を抱くならば、ツルカは間違いなく生きていけない────もちろん、『社会的』という意味で。
「ああ神よ、我が懺悔をお聞きください……」
 突然、ツルカは道のど真ん中で両膝を突いて、蒼穹の彼方を眺めた。まるで聖女が神仏に向かって許しを乞うように胸元で両手を組み、ゆっくりと目を閉じる。
 一見、神聖な儀式かのように見えたがそれも束の間。ツルカは見るに堪えない崩壊しきった顔で泣き叫び、鼻水を垂らした。
「ちょ、ホントにこれからちゃんと言う事聞きますからぁ~! 冒険者も候補に入れておきます、クエストも絶対します! なのでどうか機嫌直してくださいお願いしますっ!」
 どうにか損ねてしまったアイナを宥め賺そうと、ツルカは必死だった。
《……ふっ》
 不意に、不気味な笑みを連想させるかのようにアイナは鼻を鳴らした。
《……言ったな、ふっ、言いおったな?》
「……なに、なんなの。どうした───ッ⁉」
 ツルカはその時、非常に浅墓な言動をしてしまったことに深く後悔した。
 そもそもアイナはこれまで機嫌を損ねたことがない。主であるツルカに牙を剥くなど、むしろあり得ないのだ。だが、離反することはなくても主を嘲笑することは日常茶飯時らしく、いつもしがない言い争いをしているそうだが、ツルカは気にしていない模様。
 そんな固有能力であるアイナならこのような状況の時、黙り込んでツルカの命令を聞かないわけがないだろう。普段なら煽動して好き勝手に物を言うはずだ。
「お、お前ぇぇぇ───ッ! ハメやがったなクズ野郎めッ!」
《へぇーん? なんのことでしょう。変な言いがかりはよしてもらいたい》
 人間は一度言葉に出して『やる』と宣言した以上、確実に成さなければいけないという『責任感』が生まれる。アイナ曰く、ツルカはこれでも責任感が強いらしいので、『やる』と吐かせることさえできれば、簡単にツルカは人の傀儡になるそうな……。
 人が一番素直になる瞬間は恐怖、不安、あらゆる負の感情。自分はアイナを頼れない、そんな不安の窮地に追いやることでツルカは人間の性質上、素直になる。それを活用し、
アイナは自分にとって都合の良いことをツルカに見事吐かせたのだ。
「お前……! 俺の口でクエストをやりますって言葉を言わせるためだけにっ!」
《とりあえずー? まあーその口からはちゃぁーんと言ったので? 流石に~ねえ? マスターは言いました! 神に許しを乞うように、『尊大な女神、アイナ様っ! どうかクズでバカでどうしようもない僕を許してください! クエストでも何でもやりますからぁぁぁぁっ』って》
「変な妄想こじらせんな気持ちわりい! 俺はお前を女神として崇めたことねえよ!」
《んん? でも、クエストはやりますからって言ったのでー。まさか少女ガイに二言はありませんよね? よね? はぁーん?》
 完膚なきまでにツルカはアイナに叩きのめされ、仏頂面も自然と崩壊する。
「ううっ分かりました……っ。ぐすん。近いうちに魔物討伐とかやってみます……はい」
《頑張ってくださいねっ!》
 血涙を絞るツルカに、さも嬉しそうにアイナは言い放った。新たに面倒事が増えてしまい、とうとうツルカは倒れそうだ。
「あ、あの君。大丈夫? もしかして迷子かな」
 そんなツルカの元に一人の女性が近づき、優しく肩を叩く。
「え……?」
 そこで初めて、ツルカは周囲を見渡した。自分は道の中心で泣き崩れていたり怒ったりと、情緒不安定な変人として注目を浴びていることに、たった今気づいたのだ。
《ぶっ、いや、笑ってませんよ? ええ、笑って……ぶっ……》
 ツルカの頬は夕陽のように赤く燃え盛り、思わず手で顔を覆った。
「だ、大丈夫……?」
「あっ、あっ……」
 女性はツルカの様子を拘泥しているが、むしろ逆に心疾しい。
「あ、すいません……あの……さようなら」
「え、ええ?」
 ツルカは跳ねるように立ち上がると、そこから静かに立ち去った。
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