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生贄ではなく、花嫁です
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「んもう、動かないでってば」
「……すみません。擽ったくて、つい」
細やかな毛先の筆などが顔を撫でる。硬質の異なる様々な筆が、目を閉じている状態で顔のあちらこちらに何かを塗っていく。
目に入ってはいけないからと、閉じるようアランに言われたまま、大人しく座っているのだ。いつ顔を触られるのか読めない状況の上、その筆の擽ったさに時折身体が動いてしまう。
その度に今のように咎められている。
「擽ったいのは分かるわ~。でもね、鈴音ちゃん。今日は貴女を綺麗に着飾るのよ? 動かれちゃったら、手元狂っちゃうわ」
目元、口元と慣れた手つきでアランによって化粧が施される。
「晴れて良かったわね」
「はい。皆さんも無事来てくれたので、良かったです。……実は、少し不安だったので。魔獣のいるここへ、無傷でたどり着いてくれるかって。本当は、街でやるのがいいんでしょうけれど……私がここでやりたいって、我儘を」
「あら。そんなの我儘のうちに入らないわよ。……それにね、私達魔獣に殺られちゃうほど弱くないから平気よ。なんの為にこの筋肉があると思ってるのかしら?」
ほら、と派手なふりふりの袖をまくり、腕の立派な筋肉を見せてくれた。
力を込めて、逞しい力こぶも。
「ふふふ。そうですね。確かに、立派な力こぶ……。これなら魔獣も適わないですね」
「でしょ? だから、主役の鈴音ちゃんはゆっくり座って動かない事が今の仕事よ。ほら、あたしに任せてちょうだい。うんと、綺麗にしてあげる」
「はい、お願いします」
緊張していた心がゆるゆると解けた。身体からも余計な力が抜けて、そこから先は特に問題なく準備を進めることが出来た。
彼にはお見通しだったようで、緊張を解してくれたおかげだ。
今日は待ちに待った婚姻の日。
あの日の騒動の翌日からは何事もなく--山翔が突撃してきたりと賑やかではあったが--平和に日々が過ぎた。順調にみんなを迎える準備も進み、会場も振る舞う料理も二人で整えた。
山翔も誘ってみたが、断られてしまった。
唯一無二の奥さんと二人で過ごして、遠くからお祝いしてるからとのこと。
「……よし、出来上がり。あ、触っちゃだめよ? 崩れちゃったらまたやり直しだから」
長い髪は上で纏めている。
正直、この手のことには疎いうえ、不器用で自分ではできない為アランにおまかせした。
もちろん 鐐 から貰った髪飾りは付けてもらった。
「やっぱりこの髪飾り鈴音ちゃんに良く似合うわね。流石 鐐 。良い腕してるわ。……髪もお化粧も、着付けも全部出来たからあたしは一足先に行ってるわね」
「はい、ありがとうございます!」
身体が大きい割には小さいアランの足音が徐々に遠ざかり、静寂に包まれる。
木々の葉が擦れる音だけが聞こえる。
数ヶ月前、似たような静寂の中に居た。たった数ヶ月前の事だとは思えないほど、遠い記憶。既に思い出す必要のないほどに今が幸せなのだ。
「鈴音。アランから準備出来たと聞いたんだが……」
静かに入ってきた山吹へ振り返り--息を呑んだ。
いつもいつも格好いいと思っていた。もともと美形な山吹。今日は一段と華やかさが増している。サラリとした金糸のような髪がいつもよりつやつやとしており、婚姻の衣装をきっちりと纏っている姿は神様のよう。いや、元から神様なのだが、より神々しさが増している。
花嫁よりも華やかなのではないだろうかと思う程だ。
そんな山吹はしばらく固まっていたかと思うと、ぐりんと首を痛めんばかりに顔ごと視線をずらした。
口元を覆った手から除く頬や首……というか手の甲ですら真っ赤になっている。
「……山吹さん? あの、どこか変なのでしょうか?」
「いや、変ではない! むしろ、その……綺麗過ぎて、見惚れた」
「……」
かあっと、頬を染め恥ずかしげに視線が混ざる。目の縁まで赤くなった山吹に、つられて顔の温度が上がっていく。
「ほんとに、綺麗だ鈴音」
「山吹さんはいつも素敵ですけど、今日はいつも以上に格好いいです」
「え? あ。そ、そうなのか。……いつも素敵、か。嬉しい事を言ってくれる。それで、だ。鈴音に今更ではあるんだが伝えたい事があってな」
「……伝えたい事? なんでしょうか」
「ちゃんと伝えてなかったなと思ってな。……鈴音、俺の妻になってくれ。俺はもう、お前をこれから先何があっても手放せない。……まあ、今日言うことではないんだけどな」
「……私も、です。居場所のなかった私の、初めて私だけの居場所になってくれた山吹さんから離れる事は考えられません。どうしても私が先に逝く事になることも、その時貴方が悲しむであろうということもわかり切ってます。ですが……どうしても、貴方のそばに居たいんです。自分勝手だって、分かってます」
ぽろぽろと涙が溢れる。
せっかく施してもらった化粧が台無しになるかもしれないが、今更溢れ出たものは止められなかった。
「……泣くな、鈴音。俺は嬉しいんだ。それにせっかくの化粧が崩れてしまう。……ああ、ほら、擦るな擦るな」
「うう、だって……」
「鈴音。俺の花嫁。……お前はそれでいいんだ。もっともっと甘えていいんだ。もっと、もっと、貪欲に求めたって罰は当たらない。何せ神の花嫁になるんだぞ。な、鈴音……泣き止んでくれ。これでは俺が泣かせたと怒られてしまうだろう」
はらはらと落ちる雫を懐から取り出した布で優しく拭ってくれる。擦らず、優しく布を目元にあてて水分だけを染み込ませていく。
思わず、 鐐 に怒鳴られ詰め寄られる山吹を想像してしまい吹き出してしまった。
確かに彼女ならやりかねない。
アランにはきっと、化粧が崩れてると怒られてしまうだろう。
「……な? 安易に想像つくだろう? こんな日にまで俺は怒鳴られたくないからな。鈴音、泣き止んだなら行くぞ。今日はめでたい日なんだから、もっと笑ってくれ」
「……はい!」
目の前に出された彼の手を掴む。
そっと握られた手を握り返し、二人で一緒に皆が待つ部屋へ向かう。
数ヶ月前。父であった男に手を引かれ、連れられた先で身代わりの生贄として泉に落とされた。
今日私は夫となる神様に手を引かれ、彼に望まれて花嫁となる。
身代わりの生贄だった私は、花嫁として彼の愛に--溺れそうなくらいの愛に--包まれ幸せを知った。
「……すみません。擽ったくて、つい」
細やかな毛先の筆などが顔を撫でる。硬質の異なる様々な筆が、目を閉じている状態で顔のあちらこちらに何かを塗っていく。
目に入ってはいけないからと、閉じるようアランに言われたまま、大人しく座っているのだ。いつ顔を触られるのか読めない状況の上、その筆の擽ったさに時折身体が動いてしまう。
その度に今のように咎められている。
「擽ったいのは分かるわ~。でもね、鈴音ちゃん。今日は貴女を綺麗に着飾るのよ? 動かれちゃったら、手元狂っちゃうわ」
目元、口元と慣れた手つきでアランによって化粧が施される。
「晴れて良かったわね」
「はい。皆さんも無事来てくれたので、良かったです。……実は、少し不安だったので。魔獣のいるここへ、無傷でたどり着いてくれるかって。本当は、街でやるのがいいんでしょうけれど……私がここでやりたいって、我儘を」
「あら。そんなの我儘のうちに入らないわよ。……それにね、私達魔獣に殺られちゃうほど弱くないから平気よ。なんの為にこの筋肉があると思ってるのかしら?」
ほら、と派手なふりふりの袖をまくり、腕の立派な筋肉を見せてくれた。
力を込めて、逞しい力こぶも。
「ふふふ。そうですね。確かに、立派な力こぶ……。これなら魔獣も適わないですね」
「でしょ? だから、主役の鈴音ちゃんはゆっくり座って動かない事が今の仕事よ。ほら、あたしに任せてちょうだい。うんと、綺麗にしてあげる」
「はい、お願いします」
緊張していた心がゆるゆると解けた。身体からも余計な力が抜けて、そこから先は特に問題なく準備を進めることが出来た。
彼にはお見通しだったようで、緊張を解してくれたおかげだ。
今日は待ちに待った婚姻の日。
あの日の騒動の翌日からは何事もなく--山翔が突撃してきたりと賑やかではあったが--平和に日々が過ぎた。順調にみんなを迎える準備も進み、会場も振る舞う料理も二人で整えた。
山翔も誘ってみたが、断られてしまった。
唯一無二の奥さんと二人で過ごして、遠くからお祝いしてるからとのこと。
「……よし、出来上がり。あ、触っちゃだめよ? 崩れちゃったらまたやり直しだから」
長い髪は上で纏めている。
正直、この手のことには疎いうえ、不器用で自分ではできない為アランにおまかせした。
もちろん 鐐 から貰った髪飾りは付けてもらった。
「やっぱりこの髪飾り鈴音ちゃんに良く似合うわね。流石 鐐 。良い腕してるわ。……髪もお化粧も、着付けも全部出来たからあたしは一足先に行ってるわね」
「はい、ありがとうございます!」
身体が大きい割には小さいアランの足音が徐々に遠ざかり、静寂に包まれる。
木々の葉が擦れる音だけが聞こえる。
数ヶ月前、似たような静寂の中に居た。たった数ヶ月前の事だとは思えないほど、遠い記憶。既に思い出す必要のないほどに今が幸せなのだ。
「鈴音。アランから準備出来たと聞いたんだが……」
静かに入ってきた山吹へ振り返り--息を呑んだ。
いつもいつも格好いいと思っていた。もともと美形な山吹。今日は一段と華やかさが増している。サラリとした金糸のような髪がいつもよりつやつやとしており、婚姻の衣装をきっちりと纏っている姿は神様のよう。いや、元から神様なのだが、より神々しさが増している。
花嫁よりも華やかなのではないだろうかと思う程だ。
そんな山吹はしばらく固まっていたかと思うと、ぐりんと首を痛めんばかりに顔ごと視線をずらした。
口元を覆った手から除く頬や首……というか手の甲ですら真っ赤になっている。
「……山吹さん? あの、どこか変なのでしょうか?」
「いや、変ではない! むしろ、その……綺麗過ぎて、見惚れた」
「……」
かあっと、頬を染め恥ずかしげに視線が混ざる。目の縁まで赤くなった山吹に、つられて顔の温度が上がっていく。
「ほんとに、綺麗だ鈴音」
「山吹さんはいつも素敵ですけど、今日はいつも以上に格好いいです」
「え? あ。そ、そうなのか。……いつも素敵、か。嬉しい事を言ってくれる。それで、だ。鈴音に今更ではあるんだが伝えたい事があってな」
「……伝えたい事? なんでしょうか」
「ちゃんと伝えてなかったなと思ってな。……鈴音、俺の妻になってくれ。俺はもう、お前をこれから先何があっても手放せない。……まあ、今日言うことではないんだけどな」
「……私も、です。居場所のなかった私の、初めて私だけの居場所になってくれた山吹さんから離れる事は考えられません。どうしても私が先に逝く事になることも、その時貴方が悲しむであろうということもわかり切ってます。ですが……どうしても、貴方のそばに居たいんです。自分勝手だって、分かってます」
ぽろぽろと涙が溢れる。
せっかく施してもらった化粧が台無しになるかもしれないが、今更溢れ出たものは止められなかった。
「……泣くな、鈴音。俺は嬉しいんだ。それにせっかくの化粧が崩れてしまう。……ああ、ほら、擦るな擦るな」
「うう、だって……」
「鈴音。俺の花嫁。……お前はそれでいいんだ。もっともっと甘えていいんだ。もっと、もっと、貪欲に求めたって罰は当たらない。何せ神の花嫁になるんだぞ。な、鈴音……泣き止んでくれ。これでは俺が泣かせたと怒られてしまうだろう」
はらはらと落ちる雫を懐から取り出した布で優しく拭ってくれる。擦らず、優しく布を目元にあてて水分だけを染み込ませていく。
思わず、 鐐 に怒鳴られ詰め寄られる山吹を想像してしまい吹き出してしまった。
確かに彼女ならやりかねない。
アランにはきっと、化粧が崩れてると怒られてしまうだろう。
「……な? 安易に想像つくだろう? こんな日にまで俺は怒鳴られたくないからな。鈴音、泣き止んだなら行くぞ。今日はめでたい日なんだから、もっと笑ってくれ」
「……はい!」
目の前に出された彼の手を掴む。
そっと握られた手を握り返し、二人で一緒に皆が待つ部屋へ向かう。
数ヶ月前。父であった男に手を引かれ、連れられた先で身代わりの生贄として泉に落とされた。
今日私は夫となる神様に手を引かれ、彼に望まれて花嫁となる。
身代わりの生贄だった私は、花嫁として彼の愛に--溺れそうなくらいの愛に--包まれ幸せを知った。
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