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6 謎の事件と聖人候補
996 異変の予兆
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996
〝聖なる壁〟は、そこにあることがわからないほどの透明度で、でも確かにそこにあり、確実にこの世界をふたつに隔てていた。
この不思議な壁に近づいていくと、深い霧のようなものに覆われた状態がしばらく続く。この視界を奪われる特殊な状況に、大海の真っ只中でここに近づいてきても、方向を見失うことを恐れ早々に退散することになるそうだ。
(確かに、私みたいにはっきり進む方向の〝目印〟が見えている状態じゃなかったら、ここを進むのは怖すぎるよね。絶対撤退するわ)
「それにここはまさに神が宿る〝聖域〟だからね。人にも魔物にも無意識の怖さや気味の悪さを感じさせるんだ。それもあって、ここに近づこうとするものはまずいないんだよ」
セイリュウによると、そうした感覚だけでなく、この〝聖域〟の発する〝気〟が強力すぎて実際に躰が変調をきたすこともあるという。それはめまいや悪寒といった体調不良が起こるだけでなく、状況によっては倒れたり原因不明の高熱が出たり、火傷のような症状が起こった例もあったそうだ。
「僕やメイロードみたいに聖性が強く、しかも〝聖域〟で長く過ごせるものでないと、ここはなかなかきつい場所だよね。ああ、いまは僕がアタタガごと《聖の結界》っていう〝聖性〟の影響を一時的に弱める聖魔法で包んでいるし、元々ここにいるみんなは僕の住む〝聖域〟で慣れているから、この結界に守られていればしばらくは何事もなく過ごせるはずだよ」
セイリュウの住む高山の〝聖域〟は、ここに比べればずっと〝聖域〟の作り出す〝気〟は弱いそうだ……というよりここが特殊ということなのだろう。それでも、そこに頻繁に出入りしている私たちの耐性がなければ近づくのがつらい場所のようだ。
「それじゃあちらも、近づくのは大変でしょうね」
「そうだね、僕も驚いてるよ。呆れた執念だ。魔族がこの〝聖域〟に近づくためには相当な魔力がいるはずのに……魔王の恐ろしさを初めて感じたよ。あれを見てね」
上空の高い位置にあるそれを見ながら、セイリュウは珍しくその美しい顔を歪め眉間に皺を寄せた。
そこに見える一筋の赤い〝糸〟を中心とする〝世界の裂け目〟では、魔王エピゾフォールによる〝聖なる壁〟の破壊工作がいまも続いている。
さらに〝糸〟の出ている場所を目指して近づくと、そこでは数百メートルにわたって異変が起きていた。微かな振動とともに、私たちの目の前に不気味な色をしたシミが広がり、やがて消えていく……それが無限に繰り返される光景は、とても不気味なだけでなく強い不快感も感じさせる。
(まるで自分にあの気味の悪いシミを浴びせかけられている気分だわ)
「壁に現れるあの黒紫の滲みはエピゾフォールの攻撃だ。それを〝聖なる壁〟は瞬時に浄化し打ち消しているよね。でも〝糸〟はあの向こうからこの世界へと続いている……つまりこの鉄壁の結界は破られつつあるってことだ。いまはまだとても小さいけれど、確かに〝世界の裂け目〟はもうでき初めているんだ」
「あんな細い糸しか出せないような裂け目なのに、エピゾフォールはあれだけさまざまな悪事ができるのね」
私はこれまでエピゾフォールが仕掛けてきた様々な事象を思い返し、それをこんな小さな亀裂が引き起こしていたことに驚きを隠せなかった。
「ああ、奴はあらゆるものを自らの傀儡にできる。人でも魔獣でも悪意のあるものに干渉するのがお得意でね。厄介な存在だよ。とはいえまだその力はそれほど強くはないはず、いまならまだ結界を再生できるさ」
そういうセイリュウの顔は相変わらず厳しい。
「簡単ではないんですよね。あの小さな穴を開けるのにエピゾフォールは長い長い年月を費やしてきているんですから、それを修復するためにはきっと……」
「そうだね……膨大な力が必要になるよ。それにね、この〝聖なる壁〟の修復を神は助けない」
「どういうことですか?」
「それが神と人との契約なんだ。
この〝聖なる壁〟そのものが、ひと柱の神がその身を捧げて作り出した特別なものなんだ。神々はこの世界へのこの大きすぎる干渉と犠牲を容認されてはいないんだ」
「ここらから先は、この世界のモノだけで決めろ……ということですか」
「そうだね、この世界が再び魔族との戦いに巻き込まれるかどうか。それは人の子に委ねられている。厳しいよね……でも希望はある」
セイリュウは状況を整理してくれた。
「まだ魔王は人がこの場所を知ったことに気づいていない。それに亀裂も大きくない。おそらく〝聖性〟を持つ魔法使いが五百人もいれば、この〝裂け目〟は修復できるよ。この壁に穴を穿つために必要な力はとてつもないが、壁と馴染む聖魔法を使えれば修復はずっと簡単になるからね」
「でも、五百人ですか……しかも聖魔法使い……」
この世界で聖魔法が特殊な立ち位置にいることは、治癒魔法の件で私にもわかっている。教会のしかもごく一部の人々、それに世界に散っている魔法使いたち、その中から有志を集めなければならない。
しかも、いまそれにさける人材の大多数は、〝巨大暴走〟制圧のため必死に戦っている。
「すぐにグッケンス博士に連絡をして、世界中から聖魔法が使える人たちを集めるにしても、どれぐらい時間がかかるかわかりませんよね。それに、魔法が使える多くの人がすでに〝巨大暴走〟の現場です。あそこを離れるわけには……」
「なんにせよ、すぐ動かなきゃね。時間が気になる。とにかく急ごう」
「はい」
私は《無限回廊の扉》を開こうとしたが、扉を開けてもそこには壁があるだけだった。
「え! なんで?」
「この場所は、聖魔法以外のあらゆる魔法を打ち消してしまうらしいね。スキルも同様だ。一旦下がって影響がないところまで撤退するしかない」
「わかりました」
私は連絡のために一旦その場を離脱しようと、アタタガに指示を出そうとした。
だがそのとき、私たちは衝撃的な異変が起こるのを見てしまった。
「嘘でしょう……〝糸〟が増えてる!」
〝聖なる壁〟は、そこにあることがわからないほどの透明度で、でも確かにそこにあり、確実にこの世界をふたつに隔てていた。
この不思議な壁に近づいていくと、深い霧のようなものに覆われた状態がしばらく続く。この視界を奪われる特殊な状況に、大海の真っ只中でここに近づいてきても、方向を見失うことを恐れ早々に退散することになるそうだ。
(確かに、私みたいにはっきり進む方向の〝目印〟が見えている状態じゃなかったら、ここを進むのは怖すぎるよね。絶対撤退するわ)
「それにここはまさに神が宿る〝聖域〟だからね。人にも魔物にも無意識の怖さや気味の悪さを感じさせるんだ。それもあって、ここに近づこうとするものはまずいないんだよ」
セイリュウによると、そうした感覚だけでなく、この〝聖域〟の発する〝気〟が強力すぎて実際に躰が変調をきたすこともあるという。それはめまいや悪寒といった体調不良が起こるだけでなく、状況によっては倒れたり原因不明の高熱が出たり、火傷のような症状が起こった例もあったそうだ。
「僕やメイロードみたいに聖性が強く、しかも〝聖域〟で長く過ごせるものでないと、ここはなかなかきつい場所だよね。ああ、いまは僕がアタタガごと《聖の結界》っていう〝聖性〟の影響を一時的に弱める聖魔法で包んでいるし、元々ここにいるみんなは僕の住む〝聖域〟で慣れているから、この結界に守られていればしばらくは何事もなく過ごせるはずだよ」
セイリュウの住む高山の〝聖域〟は、ここに比べればずっと〝聖域〟の作り出す〝気〟は弱いそうだ……というよりここが特殊ということなのだろう。それでも、そこに頻繁に出入りしている私たちの耐性がなければ近づくのがつらい場所のようだ。
「それじゃあちらも、近づくのは大変でしょうね」
「そうだね、僕も驚いてるよ。呆れた執念だ。魔族がこの〝聖域〟に近づくためには相当な魔力がいるはずのに……魔王の恐ろしさを初めて感じたよ。あれを見てね」
上空の高い位置にあるそれを見ながら、セイリュウは珍しくその美しい顔を歪め眉間に皺を寄せた。
そこに見える一筋の赤い〝糸〟を中心とする〝世界の裂け目〟では、魔王エピゾフォールによる〝聖なる壁〟の破壊工作がいまも続いている。
さらに〝糸〟の出ている場所を目指して近づくと、そこでは数百メートルにわたって異変が起きていた。微かな振動とともに、私たちの目の前に不気味な色をしたシミが広がり、やがて消えていく……それが無限に繰り返される光景は、とても不気味なだけでなく強い不快感も感じさせる。
(まるで自分にあの気味の悪いシミを浴びせかけられている気分だわ)
「壁に現れるあの黒紫の滲みはエピゾフォールの攻撃だ。それを〝聖なる壁〟は瞬時に浄化し打ち消しているよね。でも〝糸〟はあの向こうからこの世界へと続いている……つまりこの鉄壁の結界は破られつつあるってことだ。いまはまだとても小さいけれど、確かに〝世界の裂け目〟はもうでき初めているんだ」
「あんな細い糸しか出せないような裂け目なのに、エピゾフォールはあれだけさまざまな悪事ができるのね」
私はこれまでエピゾフォールが仕掛けてきた様々な事象を思い返し、それをこんな小さな亀裂が引き起こしていたことに驚きを隠せなかった。
「ああ、奴はあらゆるものを自らの傀儡にできる。人でも魔獣でも悪意のあるものに干渉するのがお得意でね。厄介な存在だよ。とはいえまだその力はそれほど強くはないはず、いまならまだ結界を再生できるさ」
そういうセイリュウの顔は相変わらず厳しい。
「簡単ではないんですよね。あの小さな穴を開けるのにエピゾフォールは長い長い年月を費やしてきているんですから、それを修復するためにはきっと……」
「そうだね……膨大な力が必要になるよ。それにね、この〝聖なる壁〟の修復を神は助けない」
「どういうことですか?」
「それが神と人との契約なんだ。
この〝聖なる壁〟そのものが、ひと柱の神がその身を捧げて作り出した特別なものなんだ。神々はこの世界へのこの大きすぎる干渉と犠牲を容認されてはいないんだ」
「ここらから先は、この世界のモノだけで決めろ……ということですか」
「そうだね、この世界が再び魔族との戦いに巻き込まれるかどうか。それは人の子に委ねられている。厳しいよね……でも希望はある」
セイリュウは状況を整理してくれた。
「まだ魔王は人がこの場所を知ったことに気づいていない。それに亀裂も大きくない。おそらく〝聖性〟を持つ魔法使いが五百人もいれば、この〝裂け目〟は修復できるよ。この壁に穴を穿つために必要な力はとてつもないが、壁と馴染む聖魔法を使えれば修復はずっと簡単になるからね」
「でも、五百人ですか……しかも聖魔法使い……」
この世界で聖魔法が特殊な立ち位置にいることは、治癒魔法の件で私にもわかっている。教会のしかもごく一部の人々、それに世界に散っている魔法使いたち、その中から有志を集めなければならない。
しかも、いまそれにさける人材の大多数は、〝巨大暴走〟制圧のため必死に戦っている。
「すぐにグッケンス博士に連絡をして、世界中から聖魔法が使える人たちを集めるにしても、どれぐらい時間がかかるかわかりませんよね。それに、魔法が使える多くの人がすでに〝巨大暴走〟の現場です。あそこを離れるわけには……」
「なんにせよ、すぐ動かなきゃね。時間が気になる。とにかく急ごう」
「はい」
私は《無限回廊の扉》を開こうとしたが、扉を開けてもそこには壁があるだけだった。
「え! なんで?」
「この場所は、聖魔法以外のあらゆる魔法を打ち消してしまうらしいね。スキルも同様だ。一旦下がって影響がないところまで撤退するしかない」
「わかりました」
私は連絡のために一旦その場を離脱しようと、アタタガに指示を出そうとした。
だがそのとき、私たちは衝撃的な異変が起こるのを見てしまった。
「嘘でしょう……〝糸〟が増えてる!」
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