利己的な聖人候補~とりあえず異世界でワガママさせてもらいます

やまなぎ

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6 謎の事件と聖人候補

975 〝ドーナッツの歌〟

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975

その日、イス凱旋広場には朝から多くの人々が詰めかけていた。

表門近くにあるこの場所はイスで最も大きな広場で、過去に大軍がこの街に攻め込もうとしたとき戦った兵士たちが、それを打ち滅ぼし退けたあと、この広場で勝鬨を上げたことから〝凱旋広場〟と呼ばれるようになったそうだ。

いまでは公園としても親しまれているこの場所が、ある日突然大きな布と板で囲まれ、その内側で工事らしきものが始まった。それだけでも噂になるには十分だったが、さらに噂を大きくしたのは、その布に描かれた〝イスの美食の女神〟の横顔のシルエットだった。

特に告知はなかったが、それでなくとも噂好きのイスの人々の話題になるよう、この場所にさらにある仕掛けがされていた。

布の前に数字を書いた大きな板が置かれたのだ。その数字は十から九、八、七と一日ごとに減っていき、人々はそれがこの覆いが外され起こる日なのではないかと囁き始める。

その期待はさらなる噂を呼び、イスの街はこの噂一色に染まっていった。

そして十日目の朝、囲いの取り払われた内側に、人々はたくさんの屋台と大きな舞台を発見する。

広い舞台には見たことのない輪っかのような丸い装飾が色とりどりにたくさん施され、見るだけで楽しそうな気分を醸し出している。さらに、ステージ以外にも大道芸人がたくさん配置され、もうすでに押し寄せてきている広場にやってきた人々を楽しませている。

公園を訪れる人の数は時間とともにさらに膨れ上がっていった。大人も子供もこれをなにか〝祭り〟のような催しなのだと思い始め、それぞれに楽しんでいると、突然舞台の上から楽しげな音楽が響き始める。一流音楽家で構成された楽団の演奏は見事なもので、舞台の前はあっという間に黒山の人だかりとなった。

人々の注目が集まったその舞台に、美しい緑の髪をなびかせた美しい少女がふたりの少年を従えて登場すると、人々はそれだけで大きな歓声を上げ始めた。

「あれは……メイロードさまだわ!」
「おお、あれがメイロード・マリス‼︎」
「ホンモノ、本物よね⁈」
「あんな美しい緑の髪、メイロードさましかいないよ!」

イスの有名人、メイロード・マリスの突然の登場に会場は騒然となった。
有名でありながら姿は見せず、半ば伝説化して、いまではその実在さえ怪しむ人がいるほど目撃のなかった〝美食の女神〟メイロード・マリスが舞台上でにこやかに微笑んでいるのだ。それは人々を狂喜させるのに十分すぎる驚きの光景だった。

「みなさーん、こんにちは!」

舞台の上からの第一声に会場は息を呑んだ。
その声は高く澄み渡り、広い凱旋公園の隅々にまで届いていながら、決して大きすぎることがなく、すべての人々へと正確に言葉を運んでいった。

「今日は来てくれてありがとうございます。この催しは、実はを紹介するためのものです」

メイロードがにこやかに微笑みながらドーナッツを手に持つと同時に、会場のあちこちで無料のドーナッツ配布が始まった。

「なんだ、これ不思議な形だな」
「菓子かい?」
「なんだよ、うめえじゃねえか!」
「甘くてふわふわ、ああ幸せ」

食べた人たちは、初めての食感とドーナッツの形に驚きの声をあげている。われもわれもと配布する人たちの周りには、たくさんの人たちが押し寄せる。

「これは〝ドーナッツ〟というお菓子です。出来立てホヤホヤの新しいイスのお菓子なんですよ。今日はたーくさん準備してきましたから、みなさん食べてみてくださいね。いろいろな飲み物とも相性がいいので、屋台のお茶や他の飲み物も召し上がってくださいね」

その言葉とともにそこから、またゆったりとした音楽が演奏され、人々は初めて食べる〝ドーナッツ〟という菓子を楽しみ始めた。

しばらくそんな状態が続いたところで、舞台の音楽が切り替わった。

ゆったりとした曲から早いリズムへ、人々が音の変化に気づいてまた舞台へ目をやると、再びメイロード・マリスが舞台中央に立っていた。するとすぐに後ろの少年たちが軽快に踊り始め、それに驚くまもなく、明るく爽やかな声の歌が会場に響き渡った。

楽しい日には ドーナッツ
悲しい日にも ドーナッツ
食べれば幸せ ドーナッツ
召しませ幸せ ドーナッツ

イスで生まれた まあるいお菓子
ふしぎな輪っかのその向こう
見えるよみんなの輝く笑顔
ふわっと甘い はじめての
かわいいおやつを さあどうぞ

あなたにも あなたにも
あなたにも あなたにも

この幸せを届けましょう!

楽しい日には ドーナッツ
悲しい日にも ドーナッツ
食べれば幸せ ドーナッツ
召しませ幸せ ドーナッツ

美味しいよ!

軽快な音楽と美しい声があっという間に人々を魅了していく。
すぐに子供たちが、そして大人も巻き込んでコール・アンド・レスポンスの大合唱が始まり会場が一体になっていった。

「楽しい日には」
「ドーナッツ!」
「悲しい日にも」
「ドーナッツ!」
「食べれば幸せ」
「ドーナッツ!」
「召しませ幸せ」
「ドーナッツ‼︎」

会場が盛り上がったところで、メイロードが話し出す。

「ありがとう。会場ではこれから、ドーナッツづくりの実演や催しものもあるので、どうぞ楽しんで行ったくださいねー!」

メイロードの言葉と連動して、会場ではマルコやロッコのいる屋台が登場。ドーナッツづくりの実演が始まった。こちらは出来立てのドーナッツのちょっとお高め設定の有料試食としたが、それでも長蛇の列となっている。

他にもドーナッツに見立てた輪投げでドーナッツ型のクッションやドーナッツを持ったぬいぐるみ、ドーナッツの刺繍の入ったハンカチといった景品が当たる屋台、いろいろな飲み物の無料提供、軽食の屋台などお祭り感のある出し物が繰り広げられ、一流ミュージシャンによる楽しげな音楽が、ずっと会場を盛り上げていた。

ステージでは何度も〝ドーナッツの歌〟が披露され、人々の記憶にこの曲は楽しいイベントの記憶とともに強く残ったのだった。

このイベントは大成功で、翌日からサイデム商会で売り出された〝ドーナッツ〟はあまりの人気ぶりに、すぐ別店舗が作られドーナッツ専門店〝メイロード・ドーナッツ〟での販売となった。

その凄まじい売れ行きをみて、当然真似てくる者たちが数多く現れたが、すでに〝メイロード・ドーナッツ〟の味を知る人々には、その味の差は明らかで、どこも〝メイロード・ドーナッツ〟の味を超えることはなかった。

結局商売敵になるような店はすぐには現れず、どれもすぐ消えていき、それもまた〝メイロード・ドーナッツ〟の名声を高めることになった。

あの大試食会イベントの日から、天才楽師ミゼル作曲、歌姫メイロード歌唱の〝ドーナッツの歌〟もまた、最高のインパクトでしっかり人々の頭に刻み込まれた。歌はイスだけでなく広くシド中に広まり、それから長く子供たちの愛唱歌としてうたわれ続けた。そして

「イスで生まれた まあるいお菓子♪」

この歌詞のおかげで〝ドーナッツ〟は、完全に〝イス銘菓〟として定着したのだった。
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