利己的な聖人候補~とりあえず異世界でワガママさせてもらいます

やまなぎ

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6 謎の事件と聖人候補

872 《雷帝》

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872

グッケンス博士の魔法詠唱はとてつもなく早い。ほとんどの場合、無詠唱かと思うほどの速度で魔法が繰り出されていく。

これは博士が日々研究し改良していった成果で、一部の簡単な魔法についてはその術式も著書で公開しているのだが、残念ながら実際にできる魔法使いは多くない。

(詠唱短縮の訓練には、かなりの反復練習が必要だからなぁ。地味で魔法力ばっかり減るこうした訓練って後回しにされるんだよね。でも、できるようになれば有効な場面は多いはずなんだけど……)

そういうわけで、こうした高速魔法詠唱の使い手は少ないため、相手の想像をはるかに超えるスピードの魔法が繰り出せ、特に実戦の場では相手の意表をつきやすい。しかも博士は研究により、連結させた複数の魔法に応用するという、とんでもない技術も持っているのだ。

「うまい具合に隊列も乱れておるし……ふむ……アレで行こうかの」

博士が杖を持った手を前に押し出すと、砦の前には水が現れた。これは《水出アクア》という初級も初級、基礎魔法の授業でも最初に習う魔法だ。だが、その量がとんでもない。
博士が一回の魔法発動で維持できる《水出アクア》の最大量は五トン近くもあるのだ。しかも、今回は連結魔法で《水出アクア》を三個連結しているので、一回の詠唱で十五トン分、さらにそれが五つほぼ一瞬で砦の前に積み上げられた。

「ほれ、いけ!」

博士がそう言うと、大量の水は勢いよく丘を下に向かって流れていく。しかも水の進行方向には指向性を持たせるという念の入れ方なので、大量の水は左右に流れることなく真っ直ぐ兵士たちに向かっていった。

「激流ですねぇ……」
「あと二、三回やっておくかの」
「……容赦ないですね」

博士は激しい濁流を相変わらず素晴らしい速度で出現させていく。下の方からは、ぎゃーとかうわーとかいろいろな声がしているが、博士は完全無視だ。

「どうやらかなりの兵士が流されて後退してますね。これ、隊列を立て直せますかね?」
「メイロードの作ったイバラの檻に入っているような状態では、魔術師は自由に動けんじゃろうな。この状況でもすぐに魔法で反撃、もしくは抵抗できるようなら、かえって見込みがあってむしろ良いがのぉ」

あちらも魔法で壁を作り出したり、防御魔法を展開したりと対策を始めているが、泥だらけの大量の兵士たちと何度も襲いくる大量の水、足場が確保できないイバラだらけの道という状況に、対応は遅々として進んでおらず、隊列は崩れっぱなしのままだ。

「いつまでも茶番をするのも面倒じゃ。少し派手にいくから、メイロードは下がっていなさい」
「はい、でも自国の方々なんですから、あんまりやりすぎないでくださいね」
「ふん! なら早々に奴らがこの茶番を止めれば良いさ」

塔の上で、グッケンス博士は詠唱を始める。今度はゆっくりと大きな魔法を作っているようだ。しばらくすると上空には暗雲が広がり始め、ゴロゴロと音がし始めた。いかにも不穏な雰囲気が戦場全体にまで広がり、兵士たちも不安げに空を見ている。その空に向かって、グッケンス博士はゆっくりと杖を向けた。

「《雷帝》」

その言葉が発せられた瞬間、暗くなっていた空は強い光に包まれ、とてつもない爆音とともに巨大な雷が空に向かって立ち上り、空を引き裂いた。

(さすがグッケンス博士、ものすごい威力だわ)

「さて次は、これを水浸しの連中にお見舞いするとしようかの」

博士が魔法で増幅した大きな声でそう言って、モーションを開始したところで、敵軍背後に陣取っていた大将から白旗が上がった。

「もう十分です。完敗です。ありがとうございました、グッケンス博士!」

砦の前に飛んできた敵軍からの《伝令》には、慌てた声で敵軍からの降伏メッセージが入っており、慌てた様子が伝わってきた。

見れば、敵軍の様子はすでに見るも無惨だ。馬も人も泥だらけ、水とイバラでぐちゃぐちゃな地面に足を取られて、簡単には逃げることも進むこともできない状態だ。だが、直前まで《雷帝》で攻撃される恐怖にさらされていた兵士たちは、ホッとした安堵の表情を浮かべている。

「この状況で雷の大魔法が打ち込まれれば、彼らにはかなりの死傷者が出たでしょうね」
「その前にアレだけ見せてやったんじゃから、さすがに降伏してくるじゃろうよ。そこまで指揮官は馬鹿ではあるまい」
「ああ、それで、あのド派手な《雷帝》を上空に打ったんですね」

グッケンス博士は《雷帝》を彼らに向けるつもりは最初からなかったようだ。

(あのとんでもない音と光。脅しだけでも博士の《雷帝》の迫力は相手を恐怖させるには十分すぎる威力だわ)

敵軍も、水流による攻撃での怪我人はいるようだが、泥だらけになっている以外は、それほど大きな被害はなさそうだ。

「では帰るか、メイロード」
「え? ご挨拶はしないのですか?」
「わしが怒っていることは伝わるじゃろうし、皇子の願いは叶えた。文句はあるまい」
「そうですか……それじゃちょっと待ってくださいね」

私は《無限回廊の扉》を開くためのドアを準備し、兵士の皆さんに《清浄クリーン》の魔法をかけた。

「これで兵士の方々も風邪を引いたりしないでしょう。ずっと水浸しじゃ、かわいそうですから。それに疲れ切っているところで、泥だらけの鎧や服のお洗濯をするのは重労働ですからね」

「ふふ、メイロードらしいの。では、わしもねぎらってもらおうかの」
「ええ、もちろんですよ。あ、〝雷コンニャク〟っていうピリ辛でお酒のおつまみにいい料理があるんですよ。これで辛口の日本酒はいかがですか?」
「ははは、それはウマそうだ」

私たちはそんなことを話しながら戦場をあとにした。





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