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5森に住む聖人候補
816 怪我人あらわる
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186
彼の怪我は重症ではあるが、命に直接関わるようなものではなかった。
これならば、使ったらこの平穏な生活が即終了してしまう一発アウトの魔法や絶対にこんな場所では手に入らないはずのお薬を使わずとも治療を施せる……と思う。
(よし、まずやれるだけの普通の治療をしてみよう。それでダメなら、覚悟を決めるわ!)
もしものときは人命優先で行動するが、いまはヤバい系のモロモロに極力頼らずに、できる限りの処置を、と決めた私はすぐに行動を始めた。
まずは清潔な状態にしなければ処置は始められない。何度も転んだり崩れ落ちたりしながらここへ辿り着いたことが伺われるふたりの手足は泥だらけなのだ。
このままでは傷の悪化を招いてしまうので、ともかく患部の洗浄をと、タライとバケツを運んで、用意してあった水を使い手足を洗い流し、汚れがなくなったことを確認してから患部の確認をし始めた。
やんちゃな双子の弟たちの子育てをしてきた私は、擦り傷や切り傷は見慣れたものだし、血を見ることにも耐性がついていて、さして怖くはない。そんな前世での子育て経験のおかげで、私は至って冷静に血だらけの躰の状態を観察していった。
男性の右足の怪我は狼の鋭い爪で引っ掻かれたらしい縦長の大きい傷だが、幸い複数箇所の切り傷ではなかった。
複数箇所を並行に切られてしまうとあちこちの皮膚が引っ張られてしまい治りにくいのだが、この状態ならばその心配はなさそうだ。出血のわりに深くはないので、血が止まるまでは軽く布を当て包帯を巻いておくことにした。
足に比べると腕の方はかなり傷が深く、右手の傷は骨までには至っていないもののかなりの激痛を伴うはずだ。
だが、彼らは逃げるときに一旦身を隠す機会があったらしく、そのときに出血のひどかった腕だけは止血できたと少年から聞いた。この応急処置がなければ、彼らがここまで辿り着けたかわからない。逃げる過程で出血が増え続ければ、追手に痕跡を残し続けることになり、やがて貧血により動けなくなることをきっと知識として知っていたのだろう。
そのおかげで洗浄した患部の血は、いまはほぼ止まっており手当てはできる状態だが、かといって私に縫い針での縫合は無理だ。針と糸だけあれば……ってここは野戦病院じゃないんだし、縫合にはそれ相応の技術と道具が必要なのだ。
(まぁ、最近は傷の処置法も変わってきたけど……あっ!)
私はある原始的で最先端な方法が使える可能性を思いつき、ソーヤに《伝令》を飛ばした。
〔ソーヤ、確かこの森には〝オオアゴアリ〟がいるのよね〕
〔はい、おりますよ。あれは食べるとちょっと酸味がございましてね……〕
〔いや、味はいいから! それ、名前の通り顎が大きいのよね?〕
〔はい。なかなか頑丈な顎なので、食べるときはこれをむしりまして……〕
〔わかった! お願いがあるの〝オオアゴアリ〟を二十匹ほど捕まえてきてくれない?〕
〔それぐらいでしたらすぐにお持ちできますよ。でも食べるならもっと多いほうが……〕
〔いや、食べないから! ともかく早めにお願いね〕
ソーヤの帰りを待つ間、手当ては続けておこう。
私はハルリリさんから薬の調合の指導を受けており、その過程で粘着性のある湿布の作り方を教わっていた。そこで、それを傷口をぴっちり塞ぐようにして貼り付けて、さらに添え木をしなんとか動かないように固定するという方法を使うことにした。
躰の大きな男性を動かすのに手こずりはしたが、息子さんにも手伝ってもらい、処置はテキパキとできたと思う。
(あ、ふたりが親子だということだけはこの手当ての間に聞けた)
お父さんはとても我慢強かったので、躰を抑えたりする必要もなく手早く処置は進み、ともかく水分は取っておいた方がいいからと、湯冷しのぬるい薬草茶を飲ませて横にならせた。よく見れば、手足には他にも大小の古傷があり、こうした怪我をすることも多い仕事のようだ。
「薬草茶が効いたのかな。どうやら眠れているみたいね」
実はこの薬草茶には〝眠り草〟や〝夢見草〟を始めとする安眠作用がある薬草と〝ポーション〟が入っている。薬草の香りと色でごまかしているので、〝ポーション〟のことには気づかれないはずだ。これが自己修復能力を高めてくれれば、傷の治りは格段に速くなる。でも上級の回復薬とは違い劇的な効果が目に見えはしないので許容範囲……だと思う。
(かといって庶民が常備できるほど安い魔法薬じゃないから、表立っては使えないけどね)
「これで、傷は治っていくはずよ。右腕の傷はかなり深いから、できればもうひとつ治療を試してみようと思うけど、それがうまくいくかはわからないの。ともかく、いまは様子を見守りましょう……」
私はここまでの処置のために出た汚れ物の片付けをしつつ、つぎの方法を試すための用意に動き始めた。そして、居間を離れる前に、心配そうにソファーの側で立っている少年に微笑みかけた。少年は私の微笑みに気がついてドギマギしていたが、すぐに何度も頭を下げ始めた。
「あ、ありがとうございました。こんな丁寧に怪我の手当てをしてもらって、なんてお礼を言っていいのか……本当に助かりました。でも、まさかこんなところに家があるなんて……」
私は少年に席をすすめ、落ち着けるようお茶を出しながら、軽くここに私が住んでいる理由を説明した。
(まぁ、ただの設定なんですけどね)
「私の一族は薬草の採取と研究を、それに薬師の仕事もしています。私は修行中の身で、ここにはいい薬草が多かったためやってきたのです。この家だけは一族の者が建ててくれましたが、あとは従者と共にここで自給自足で過ごしながら薬草の研究をしているんですよ」
「ああ、薬師様だったのですね!」
少年は納得したという表情だ。私のテキパキとした動きは彼らがくることを事前に知っていたからなのだが、彼はそれを〝薬師〟だからだといいように納得してくれた。
「まだまだ修行中……ですけどね」
一応、修行中の身なので大したことはできないんだという言い訳などもしつつ、ここに至るまでの状況の聞き取りをしているうちにソーヤが戻ってきた。手には私の望みのものが入った布袋を掲げて。
「ありがとうソーヤ! よし、処置の続きをしましょう!」
彼の怪我は重症ではあるが、命に直接関わるようなものではなかった。
これならば、使ったらこの平穏な生活が即終了してしまう一発アウトの魔法や絶対にこんな場所では手に入らないはずのお薬を使わずとも治療を施せる……と思う。
(よし、まずやれるだけの普通の治療をしてみよう。それでダメなら、覚悟を決めるわ!)
もしものときは人命優先で行動するが、いまはヤバい系のモロモロに極力頼らずに、できる限りの処置を、と決めた私はすぐに行動を始めた。
まずは清潔な状態にしなければ処置は始められない。何度も転んだり崩れ落ちたりしながらここへ辿り着いたことが伺われるふたりの手足は泥だらけなのだ。
このままでは傷の悪化を招いてしまうので、ともかく患部の洗浄をと、タライとバケツを運んで、用意してあった水を使い手足を洗い流し、汚れがなくなったことを確認してから患部の確認をし始めた。
やんちゃな双子の弟たちの子育てをしてきた私は、擦り傷や切り傷は見慣れたものだし、血を見ることにも耐性がついていて、さして怖くはない。そんな前世での子育て経験のおかげで、私は至って冷静に血だらけの躰の状態を観察していった。
男性の右足の怪我は狼の鋭い爪で引っ掻かれたらしい縦長の大きい傷だが、幸い複数箇所の切り傷ではなかった。
複数箇所を並行に切られてしまうとあちこちの皮膚が引っ張られてしまい治りにくいのだが、この状態ならばその心配はなさそうだ。出血のわりに深くはないので、血が止まるまでは軽く布を当て包帯を巻いておくことにした。
足に比べると腕の方はかなり傷が深く、右手の傷は骨までには至っていないもののかなりの激痛を伴うはずだ。
だが、彼らは逃げるときに一旦身を隠す機会があったらしく、そのときに出血のひどかった腕だけは止血できたと少年から聞いた。この応急処置がなければ、彼らがここまで辿り着けたかわからない。逃げる過程で出血が増え続ければ、追手に痕跡を残し続けることになり、やがて貧血により動けなくなることをきっと知識として知っていたのだろう。
そのおかげで洗浄した患部の血は、いまはほぼ止まっており手当てはできる状態だが、かといって私に縫い針での縫合は無理だ。針と糸だけあれば……ってここは野戦病院じゃないんだし、縫合にはそれ相応の技術と道具が必要なのだ。
(まぁ、最近は傷の処置法も変わってきたけど……あっ!)
私はある原始的で最先端な方法が使える可能性を思いつき、ソーヤに《伝令》を飛ばした。
〔ソーヤ、確かこの森には〝オオアゴアリ〟がいるのよね〕
〔はい、おりますよ。あれは食べるとちょっと酸味がございましてね……〕
〔いや、味はいいから! それ、名前の通り顎が大きいのよね?〕
〔はい。なかなか頑丈な顎なので、食べるときはこれをむしりまして……〕
〔わかった! お願いがあるの〝オオアゴアリ〟を二十匹ほど捕まえてきてくれない?〕
〔それぐらいでしたらすぐにお持ちできますよ。でも食べるならもっと多いほうが……〕
〔いや、食べないから! ともかく早めにお願いね〕
ソーヤの帰りを待つ間、手当ては続けておこう。
私はハルリリさんから薬の調合の指導を受けており、その過程で粘着性のある湿布の作り方を教わっていた。そこで、それを傷口をぴっちり塞ぐようにして貼り付けて、さらに添え木をしなんとか動かないように固定するという方法を使うことにした。
躰の大きな男性を動かすのに手こずりはしたが、息子さんにも手伝ってもらい、処置はテキパキとできたと思う。
(あ、ふたりが親子だということだけはこの手当ての間に聞けた)
お父さんはとても我慢強かったので、躰を抑えたりする必要もなく手早く処置は進み、ともかく水分は取っておいた方がいいからと、湯冷しのぬるい薬草茶を飲ませて横にならせた。よく見れば、手足には他にも大小の古傷があり、こうした怪我をすることも多い仕事のようだ。
「薬草茶が効いたのかな。どうやら眠れているみたいね」
実はこの薬草茶には〝眠り草〟や〝夢見草〟を始めとする安眠作用がある薬草と〝ポーション〟が入っている。薬草の香りと色でごまかしているので、〝ポーション〟のことには気づかれないはずだ。これが自己修復能力を高めてくれれば、傷の治りは格段に速くなる。でも上級の回復薬とは違い劇的な効果が目に見えはしないので許容範囲……だと思う。
(かといって庶民が常備できるほど安い魔法薬じゃないから、表立っては使えないけどね)
「これで、傷は治っていくはずよ。右腕の傷はかなり深いから、できればもうひとつ治療を試してみようと思うけど、それがうまくいくかはわからないの。ともかく、いまは様子を見守りましょう……」
私はここまでの処置のために出た汚れ物の片付けをしつつ、つぎの方法を試すための用意に動き始めた。そして、居間を離れる前に、心配そうにソファーの側で立っている少年に微笑みかけた。少年は私の微笑みに気がついてドギマギしていたが、すぐに何度も頭を下げ始めた。
「あ、ありがとうございました。こんな丁寧に怪我の手当てをしてもらって、なんてお礼を言っていいのか……本当に助かりました。でも、まさかこんなところに家があるなんて……」
私は少年に席をすすめ、落ち着けるようお茶を出しながら、軽くここに私が住んでいる理由を説明した。
(まぁ、ただの設定なんですけどね)
「私の一族は薬草の採取と研究を、それに薬師の仕事もしています。私は修行中の身で、ここにはいい薬草が多かったためやってきたのです。この家だけは一族の者が建ててくれましたが、あとは従者と共にここで自給自足で過ごしながら薬草の研究をしているんですよ」
「ああ、薬師様だったのですね!」
少年は納得したという表情だ。私のテキパキとした動きは彼らがくることを事前に知っていたからなのだが、彼はそれを〝薬師〟だからだといいように納得してくれた。
「まだまだ修行中……ですけどね」
一応、修行中の身なので大したことはできないんだという言い訳などもしつつ、ここに至るまでの状況の聞き取りをしているうちにソーヤが戻ってきた。手には私の望みのものが入った布袋を掲げて。
「ありがとうソーヤ! よし、処置の続きをしましょう!」
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