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4 聖人候補の領地経営
809 ふたりの皇子たちの〝午後の茶会〟
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809
ついこの間メイロードが僕たちに紹介した茶会の新しい様式は、その斬新なしつらえと共に瞬く間に皇宮内に広まった。
そして、メイロードはこの流行の発信者として正妃である母リアーナを選んだ。
これだけ魅力的な様式を思いついたのなら、メイロード女伯爵として公開すれば、どんだけの注目を集められ、一気に社交界での評価を上げられるに違いないにも関わらず、メイロードは実にあっさりと発案者の栄誉を放棄した。
さすがにまだ特別に作らせているという最高級の茶器一式は届いていないが、先にメイロードから贈られた三段の皿を使った食器は毎日のように皇宮内で使われている。
あの日から早速、皇宮ではあの茶会を模した〝午後の茶会〟がよく開かれるようになり、今日はダイン兄上に呼ばれて兄の私邸に来ている。
「ユリシル! ははは、やられた! やられたよ、一歩遅かったな!」
もう見慣れた〝午後の茶会〟様式の茶器を前に、言葉とは裏腹に、やけに上機嫌なダイン兄上の様子に戸惑いながら、僕は席に着く。
「随分と楽しそうですね。一体何のお話ですか、兄上?」
(この人がここまで楽しそうにしているなんて、なんだか気味が悪いな……)
少し嫌味を含んだ僕の言葉もまったく気にするそぶりさえ見せず、面白そうな笑みを浮かべて兄上は言った。
「メイロード・マリス伯爵の婚約がどうやら確定だ」
僕は皇族らしく極めて上品に口をつけたティーカップを、次の瞬間取り落としそうになるのを何とか抑えるので精一杯で、表情には驚きを隠しきれなかったが、それでも慎重にカップを置きながら兄を見る。
兄の顔が実に楽しそうなのは、恐らくあの日メイロードに僕が婚約を申し入れる用意があると伝えた会話を、どこからか仕入れて知っているせいに違いない。あのときはそれでもいいと思っていたが、こうしてあからさまにからかわれるとさすがに気まずいが……
だが、いまはそんなことよりも、どうしても話の詳細を聞かずにはいられなかった僕は、ひっくり返ってしまいそうな声を必死に抑えながら、兄に問う。
「そ……それは大層急なお話に聞こえますが、一体どちらからの情報なのでございましょう?」
僕の動揺ぶりにあからさまに楽しげな表情を増した兄が、ティースプーンをタクトのように振りながら歌うように話す。
「もちろん〝貴族庁〟からの情報さ。貴族の婚約や婚姻はここに届け出ることが義務だからね。貴族同士の結びつきの変化は社会に大きな影響を与えることもあるから、ここに届け出をして、認められなければ正式な婚約はできないだろう?」
「ああ、な、なるほど。それは確実な情報源でございますね」
(確かにそれはそうだが、それだけに〝貴族庁〟の秘密主義は徹底しているはずだ。まだ審査段階の処理中の案件について、そう簡単に外部に情報を漏らすとは考えられないが……また兄上の側室たちが暗躍しているのだろうか……)
兄の側室たちは皇宮中に子飼いの者を配置し、あらゆる情報を兄の下へ集めているとは聞いていたが、それは本来は隠されていなければならない情報にまで及んでいるようだ。加えて女性特有の情報網もあるらしく、知り得る情報の範囲も非常に多彩だという。そうしてダイン兄上の元に集められる情報量は、他の皇子たちに比して桁外れなのだと改めて驚かされた。
「そのようなことを僕に話すのは危険ではないですか? それはまだ外に出してはいけない情報ですよ、兄上」
少し嗜めるようにそう言うと、兄は少しつまらなそうな顔になる。
「なんだよ、せっかくメイロードに振られた者同士、慰め合おうと思って呼んだのに、つれないなぁ」
「ふ、振られたって、なんですか!」
どうも僕はメイロードの話になると感情の制御がうまくいかない。情けないことに、会話もしどろもどろだ。
(ああ、そうか、僕はメイロードに振られたのか……)
その事実に、背中に重いものが乗ったような気分になってきた僕に、兄は少し優しげな顔になって兄の見解を話してくれた。
「まぁ、そう落ち込むな弟よ! この婚約はおそらく皇子たちから逃げるための緊急避難だろうからね。なにせ婚約した相手は〝帝国の代理人〟サガン・サイデム男爵だ。メイロードの後見人、メイロードの父親と同年配だぞ。そしてこの婚約の証人のサインはハンス・グッケンス博士ときている。
〝どうだ、文句をつける気があるなら言ってみろ〟
という圧を感じさせるよ、この証人の人選は!」
兄上はお手上げという仕草をしている。確かにその通りで、この婚約申請書に文句をつけられる者など、ここシド帝国にはいない。
「サイデムの爵位をもっと早くに上げておくべきだったとは思うが後の祭りだ。メイロードたちが動く前にサイデムをこちら側の〝使者役〟として拘束してしまえば防げた展開なのだがな……相手の動きがあまりにも早い。こんなことをこの速さで決められるその〝絆〟に完敗だよ」
僕は兄の側室になることも拒否しているメイロードに少しホッともしていた。
「あの茶会の発案者をあっさり譲ってみせたことでも明らかではあったが、メイロードは貴族であるよりも商人で、名誉よりも実利を取る者だとはっきりとわかったよ。自分の婚姻さえ、あの若さで計算尽くでできるとは恐れ入ったな……いや、面白い子だ。ますます気に入ったよ」
兄はますますメイロードを気に入った様子だが、いまはその時期でないと考えているらしい。
(別に僕を嫌いだと言われたわけではないのだし……全員休戦ならば、いまはそれで良しとするしかないな……メイロードが二十歳になる頃に僕はもう一度彼女に尋ねることにしよう。それまでに、もっと強い男になるんだ。兄にも負けない、心も身体も強い男に!)
ついこの間メイロードが僕たちに紹介した茶会の新しい様式は、その斬新なしつらえと共に瞬く間に皇宮内に広まった。
そして、メイロードはこの流行の発信者として正妃である母リアーナを選んだ。
これだけ魅力的な様式を思いついたのなら、メイロード女伯爵として公開すれば、どんだけの注目を集められ、一気に社交界での評価を上げられるに違いないにも関わらず、メイロードは実にあっさりと発案者の栄誉を放棄した。
さすがにまだ特別に作らせているという最高級の茶器一式は届いていないが、先にメイロードから贈られた三段の皿を使った食器は毎日のように皇宮内で使われている。
あの日から早速、皇宮ではあの茶会を模した〝午後の茶会〟がよく開かれるようになり、今日はダイン兄上に呼ばれて兄の私邸に来ている。
「ユリシル! ははは、やられた! やられたよ、一歩遅かったな!」
もう見慣れた〝午後の茶会〟様式の茶器を前に、言葉とは裏腹に、やけに上機嫌なダイン兄上の様子に戸惑いながら、僕は席に着く。
「随分と楽しそうですね。一体何のお話ですか、兄上?」
(この人がここまで楽しそうにしているなんて、なんだか気味が悪いな……)
少し嫌味を含んだ僕の言葉もまったく気にするそぶりさえ見せず、面白そうな笑みを浮かべて兄上は言った。
「メイロード・マリス伯爵の婚約がどうやら確定だ」
僕は皇族らしく極めて上品に口をつけたティーカップを、次の瞬間取り落としそうになるのを何とか抑えるので精一杯で、表情には驚きを隠しきれなかったが、それでも慎重にカップを置きながら兄を見る。
兄の顔が実に楽しそうなのは、恐らくあの日メイロードに僕が婚約を申し入れる用意があると伝えた会話を、どこからか仕入れて知っているせいに違いない。あのときはそれでもいいと思っていたが、こうしてあからさまにからかわれるとさすがに気まずいが……
だが、いまはそんなことよりも、どうしても話の詳細を聞かずにはいられなかった僕は、ひっくり返ってしまいそうな声を必死に抑えながら、兄に問う。
「そ……それは大層急なお話に聞こえますが、一体どちらからの情報なのでございましょう?」
僕の動揺ぶりにあからさまに楽しげな表情を増した兄が、ティースプーンをタクトのように振りながら歌うように話す。
「もちろん〝貴族庁〟からの情報さ。貴族の婚約や婚姻はここに届け出ることが義務だからね。貴族同士の結びつきの変化は社会に大きな影響を与えることもあるから、ここに届け出をして、認められなければ正式な婚約はできないだろう?」
「ああ、な、なるほど。それは確実な情報源でございますね」
(確かにそれはそうだが、それだけに〝貴族庁〟の秘密主義は徹底しているはずだ。まだ審査段階の処理中の案件について、そう簡単に外部に情報を漏らすとは考えられないが……また兄上の側室たちが暗躍しているのだろうか……)
兄の側室たちは皇宮中に子飼いの者を配置し、あらゆる情報を兄の下へ集めているとは聞いていたが、それは本来は隠されていなければならない情報にまで及んでいるようだ。加えて女性特有の情報網もあるらしく、知り得る情報の範囲も非常に多彩だという。そうしてダイン兄上の元に集められる情報量は、他の皇子たちに比して桁外れなのだと改めて驚かされた。
「そのようなことを僕に話すのは危険ではないですか? それはまだ外に出してはいけない情報ですよ、兄上」
少し嗜めるようにそう言うと、兄は少しつまらなそうな顔になる。
「なんだよ、せっかくメイロードに振られた者同士、慰め合おうと思って呼んだのに、つれないなぁ」
「ふ、振られたって、なんですか!」
どうも僕はメイロードの話になると感情の制御がうまくいかない。情けないことに、会話もしどろもどろだ。
(ああ、そうか、僕はメイロードに振られたのか……)
その事実に、背中に重いものが乗ったような気分になってきた僕に、兄は少し優しげな顔になって兄の見解を話してくれた。
「まぁ、そう落ち込むな弟よ! この婚約はおそらく皇子たちから逃げるための緊急避難だろうからね。なにせ婚約した相手は〝帝国の代理人〟サガン・サイデム男爵だ。メイロードの後見人、メイロードの父親と同年配だぞ。そしてこの婚約の証人のサインはハンス・グッケンス博士ときている。
〝どうだ、文句をつける気があるなら言ってみろ〟
という圧を感じさせるよ、この証人の人選は!」
兄上はお手上げという仕草をしている。確かにその通りで、この婚約申請書に文句をつけられる者など、ここシド帝国にはいない。
「サイデムの爵位をもっと早くに上げておくべきだったとは思うが後の祭りだ。メイロードたちが動く前にサイデムをこちら側の〝使者役〟として拘束してしまえば防げた展開なのだがな……相手の動きがあまりにも早い。こんなことをこの速さで決められるその〝絆〟に完敗だよ」
僕は兄の側室になることも拒否しているメイロードに少しホッともしていた。
「あの茶会の発案者をあっさり譲ってみせたことでも明らかではあったが、メイロードは貴族であるよりも商人で、名誉よりも実利を取る者だとはっきりとわかったよ。自分の婚姻さえ、あの若さで計算尽くでできるとは恐れ入ったな……いや、面白い子だ。ますます気に入ったよ」
兄はますますメイロードを気に入った様子だが、いまはその時期でないと考えているらしい。
(別に僕を嫌いだと言われたわけではないのだし……全員休戦ならば、いまはそれで良しとするしかないな……メイロードが二十歳になる頃に僕はもう一度彼女に尋ねることにしよう。それまでに、もっと強い男になるんだ。兄にも負けない、心も身体も強い男に!)
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