420 / 832
4 聖人候補の領地経営
609 透き通ったスープ
しおりを挟む
609
私としたことが、なんという失態だ!
そういえば、クラバが何度か土産がどうのという話をしてきていた気もするが、そういったことはあれが気を利かせてやっておけばいいことだ。うちの使用人はどうも気働きが足りなくていかん。まぁ、確かに間に合わないないから訪問をもう少し先に変更しろとか、数日時間が欲しいとか言っていたのを振り切ったのは私だが……私もこんな格式の高いもてなしをされるとは思っていなかったのだ。
そもそも、最近までただの村人だったあの小さな娘に、ここまでしっかりと王侯貴族に対するもてなしをすることなどできるとは思わないのが当たり前だろう……やはりあの娘は、小さくともヴァイス・アーサー叔父上の娘、少し軽く見過ぎていたようだ。
私は少し気持ちを引き締め、案内されるまま晩餐会の会場へと向かった。
晩餐会の会場は、思ったよりずっとすっきりとした設えだった。建物そのものも、木材が多用されて豪華さには欠ける。だがそれなりに細工はしてあり、これも地方の味と言えなくもない。
「当地は木材の生産が盛んな土地でございまして、こういった美しい木目の木々がたくさん採れるのです。この土地の建造物はほとんど木製なのですよ。それに今日は使用人たちが頑張って、飾り付けてくれました」
メイロードの言う通り、ここにも美しい花がたくさん飾り付けられて、華やかに食卓を彩っている。もちろん“シルベスターローズ”も、そこかしこにさりげなく飾られ、公爵への歓迎の意を示すよう配置されていた。その品よく過不足ない見事な〝歓迎晩餐会仕様〟の飾り付けに、先ほど大恥をかいた私が文句をつける隙などなく、ただただ鷹揚な雰囲気に見えるよう、薄く引くつらぬよう笑みを浮かべて席へつくしかなかった。
着席して、少し落ち着くと、姿は見えないが、会場を覆う美しい調べにも気がついた。
(これは竪琴か……控えめだがなんという響きをしているのだろう。しかし見事な腕だな。このような名手がこんな田舎にいるとは……)
私はその竪琴のあまりに美しい音色に暫し魅了され、少し心が落ち着いてきた。その様子をメイロードは微笑んで見ている。
「公爵様は帝都パレスで、普段から美味しいものを食されていらっしゃることでしょう。そこで、この晩餐の食事では、あまりパレスでは食べられていない、少し変わったものをお出ししてみようと思っております」
そう言って、まず最初に供されたのは、薄茶色の液体。
そこにはなんの具もなく、ただ水っぽい茶色の液体だけが入っている。
「これは……食べ物なのか?」
私の問いにメイロードはうなずきながら、とても美味しい飲み物だというので、不思議な気持ちで恐る恐るスプーンを持ち口へと運んだ。
(なんだ、なんだこれは?!)
私はそのなにひとつ具が入っていないただの汁物を、夢中で口に運んでいた。なにもないはずのその茶色の汁を飲む度に口中に広がる鮮やかな味に、飲み終わるまでスプーンを置くことができなかった。
飲み終わって暫し恍惚としていた私に、メイロードが微笑みかける。
「お気に召していただけたようで、嬉しいですわ、公爵様」
「あ、ああ。大変美味であった。これは一体なんだ。この味はどうしたら……」
私の問いに、メイロードが答える。
「見た目には何も入っていないように見えますが、お肉と野菜がたっぷり入っております。とても滋養があるお料理です。〝コンソメ・スープ〟と呼んでいるのですが、それ以上の製法はお教えできません」
「秘伝ということか……」
現在のシド帝国の貴族の間では、お互いの文化度の高さを競い合うようになっている。領地の職人たちに美しい置物を金のあかせて作らせたり、お抱えの芸術家に描かせた立派な風景画などを家中に飾ったり、あらゆる手段でいかに自分たちが芸術に理解があり、美意識が高いかをアピールすることに躍起だ。料理に関しても新しい流行や斬新な美味を社交界に提供することで、高い評価を得ることにつながるようになっている。
最近ではドール侯爵家から発信された〝塩ラーメン〟という料理が一大ブームを巻き起こし、このところ上り調子のドール家の名前をさらに強めることになっていた。
(確かにあの〝塩ラーメン〟は美味だった。もし、この汁物をシルベスター公爵家から発表できれば、わが家の名もドール侯爵家のように上がるに違いないのだが……)
「では、この〝こんそめ〟とかいう汁物は、マリス家の味として発表されるおつもりなのだろうな」
振興の貴族が名を上げるには最高だと思われる素晴らしい美味だ。きっと発表の前に、試しに私に供してみせたに違いない。
「そうですね……いまのところそれは考えていません。公爵様にこの作り方をお教えしないのは、私の商人としての判断なのです。私の師匠というか後見人から〝お金になるものはモノだろうと情報だろうと絶対に軽々しく見せてはいけない〟ときつく言われておりますので……」
「商……人?」
私は、弟から聞いたメイロードの出自とこれまでの生活についての話を思い出していた。アーシアンもその全貌は掴めなかったと言っていたが、確か田舎で瓶詰を売って、生活費を稼いていたとか……
「私は六歳で両親を亡くしてから、商人として雑貨店を営み暮してまいりました。おかげさまでその仕事は大きくなり、その後は宝飾店やお菓子のお店などもパレスに開かせていただいております」
メイロードの言葉に私は別荘に並べられていた軽食を思い出してはハッとした。
「まさか、あのチョコレート……」
「ええ〝カカオの誘惑〟は私の店です」
(まさか、あの正妃リアーナ様命名のシド帝国、いやこの世界で唯一のチョコレート専門店をこの娘が!)
次に運ばれてきた20種以上の野菜をメインとした具材が緑のグラデーションを作る食べるのが惜しいほど美しい〝てりーぬ〟という料理を前に、私はこの娘の底力を完全に見誤っていたことを認めざるを得なくなっていた。
私としたことが、なんという失態だ!
そういえば、クラバが何度か土産がどうのという話をしてきていた気もするが、そういったことはあれが気を利かせてやっておけばいいことだ。うちの使用人はどうも気働きが足りなくていかん。まぁ、確かに間に合わないないから訪問をもう少し先に変更しろとか、数日時間が欲しいとか言っていたのを振り切ったのは私だが……私もこんな格式の高いもてなしをされるとは思っていなかったのだ。
そもそも、最近までただの村人だったあの小さな娘に、ここまでしっかりと王侯貴族に対するもてなしをすることなどできるとは思わないのが当たり前だろう……やはりあの娘は、小さくともヴァイス・アーサー叔父上の娘、少し軽く見過ぎていたようだ。
私は少し気持ちを引き締め、案内されるまま晩餐会の会場へと向かった。
晩餐会の会場は、思ったよりずっとすっきりとした設えだった。建物そのものも、木材が多用されて豪華さには欠ける。だがそれなりに細工はしてあり、これも地方の味と言えなくもない。
「当地は木材の生産が盛んな土地でございまして、こういった美しい木目の木々がたくさん採れるのです。この土地の建造物はほとんど木製なのですよ。それに今日は使用人たちが頑張って、飾り付けてくれました」
メイロードの言う通り、ここにも美しい花がたくさん飾り付けられて、華やかに食卓を彩っている。もちろん“シルベスターローズ”も、そこかしこにさりげなく飾られ、公爵への歓迎の意を示すよう配置されていた。その品よく過不足ない見事な〝歓迎晩餐会仕様〟の飾り付けに、先ほど大恥をかいた私が文句をつける隙などなく、ただただ鷹揚な雰囲気に見えるよう、薄く引くつらぬよう笑みを浮かべて席へつくしかなかった。
着席して、少し落ち着くと、姿は見えないが、会場を覆う美しい調べにも気がついた。
(これは竪琴か……控えめだがなんという響きをしているのだろう。しかし見事な腕だな。このような名手がこんな田舎にいるとは……)
私はその竪琴のあまりに美しい音色に暫し魅了され、少し心が落ち着いてきた。その様子をメイロードは微笑んで見ている。
「公爵様は帝都パレスで、普段から美味しいものを食されていらっしゃることでしょう。そこで、この晩餐の食事では、あまりパレスでは食べられていない、少し変わったものをお出ししてみようと思っております」
そう言って、まず最初に供されたのは、薄茶色の液体。
そこにはなんの具もなく、ただ水っぽい茶色の液体だけが入っている。
「これは……食べ物なのか?」
私の問いにメイロードはうなずきながら、とても美味しい飲み物だというので、不思議な気持ちで恐る恐るスプーンを持ち口へと運んだ。
(なんだ、なんだこれは?!)
私はそのなにひとつ具が入っていないただの汁物を、夢中で口に運んでいた。なにもないはずのその茶色の汁を飲む度に口中に広がる鮮やかな味に、飲み終わるまでスプーンを置くことができなかった。
飲み終わって暫し恍惚としていた私に、メイロードが微笑みかける。
「お気に召していただけたようで、嬉しいですわ、公爵様」
「あ、ああ。大変美味であった。これは一体なんだ。この味はどうしたら……」
私の問いに、メイロードが答える。
「見た目には何も入っていないように見えますが、お肉と野菜がたっぷり入っております。とても滋養があるお料理です。〝コンソメ・スープ〟と呼んでいるのですが、それ以上の製法はお教えできません」
「秘伝ということか……」
現在のシド帝国の貴族の間では、お互いの文化度の高さを競い合うようになっている。領地の職人たちに美しい置物を金のあかせて作らせたり、お抱えの芸術家に描かせた立派な風景画などを家中に飾ったり、あらゆる手段でいかに自分たちが芸術に理解があり、美意識が高いかをアピールすることに躍起だ。料理に関しても新しい流行や斬新な美味を社交界に提供することで、高い評価を得ることにつながるようになっている。
最近ではドール侯爵家から発信された〝塩ラーメン〟という料理が一大ブームを巻き起こし、このところ上り調子のドール家の名前をさらに強めることになっていた。
(確かにあの〝塩ラーメン〟は美味だった。もし、この汁物をシルベスター公爵家から発表できれば、わが家の名もドール侯爵家のように上がるに違いないのだが……)
「では、この〝こんそめ〟とかいう汁物は、マリス家の味として発表されるおつもりなのだろうな」
振興の貴族が名を上げるには最高だと思われる素晴らしい美味だ。きっと発表の前に、試しに私に供してみせたに違いない。
「そうですね……いまのところそれは考えていません。公爵様にこの作り方をお教えしないのは、私の商人としての判断なのです。私の師匠というか後見人から〝お金になるものはモノだろうと情報だろうと絶対に軽々しく見せてはいけない〟ときつく言われておりますので……」
「商……人?」
私は、弟から聞いたメイロードの出自とこれまでの生活についての話を思い出していた。アーシアンもその全貌は掴めなかったと言っていたが、確か田舎で瓶詰を売って、生活費を稼いていたとか……
「私は六歳で両親を亡くしてから、商人として雑貨店を営み暮してまいりました。おかげさまでその仕事は大きくなり、その後は宝飾店やお菓子のお店などもパレスに開かせていただいております」
メイロードの言葉に私は別荘に並べられていた軽食を思い出してはハッとした。
「まさか、あのチョコレート……」
「ええ〝カカオの誘惑〟は私の店です」
(まさか、あの正妃リアーナ様命名のシド帝国、いやこの世界で唯一のチョコレート専門店をこの娘が!)
次に運ばれてきた20種以上の野菜をメインとした具材が緑のグラデーションを作る食べるのが惜しいほど美しい〝てりーぬ〟という料理を前に、私はこの娘の底力を完全に見誤っていたことを認めざるを得なくなっていた。
209
お気に入りに追加
13,089
あなたにおすすめの小説
卒業パーティーで魅了されている連中がいたから、助けてやった。えっ、どうやって?帝国真拳奥義を使ってな
しげむろ ゆうき
恋愛
卒業パーティーに呼ばれた俺はピンク頭に魅了された連中に気づく
しかも、魅了された連中は令嬢に向かって婚約破棄をするだの色々と暴言を吐いたのだ
おそらく本意ではないのだろうと思った俺はそいつらを助けることにしたのだ
スキルが農業と豊穣だったので追放されました~辺境伯令嬢はおひとり様を満喫しています~
白雪の雫
ファンタジー
「アールマティ、当主の名において穀潰しのお前を追放する!」
マッスル王国のストロング辺境伯家は【軍神】【武神】【戦神】【剣聖】【剣豪】といった戦闘に関するスキルを神より授かるからなのか、代々優れた軍人・武人を輩出してきた家柄だ。
そんな家に産まれたからなのか、ストロング家の者は【力こそ正義】と言わんばかりに見事なまでに脳筋思考の持ち主だった。
だが、この世には例外というものがある。
ストロング家の次女であるアールマティだ。
実はアールマティ、日本人として生きていた前世の記憶を持っているのだが、その事を話せば病院に送られてしまうという恐怖があるからなのか誰にも打ち明けていない。
そんなアールマティが授かったスキルは【農業】と【豊穣】
戦いに役に立たないスキルという事で、アールマティは父からストロング家追放を宣告されたのだ。
「仰せのままに」
父の言葉に頭を下げた後、屋敷を出て行こうとしているアールマティを母と兄弟姉妹、そして家令と使用人達までもが嘲笑いながら罵っている。
「食糧と食料って人間の生命活動に置いて一番大事なことなのに・・・」
脳筋に何を言っても無駄だと子供の頃から悟っていたアールマティは他国へと亡命する。
アールマティが森の奥でおひとり様を満喫している頃
ストロング領は大飢饉となっていた。
農業系のゲームをやっていた時に思い付いた話です。
主人公のスキルはゲームがベースになっているので、作物が実るのに時間を要しないし、追放された後は現代的な暮らしをしているという実にご都合主義です。
短い話という理由で色々深く考えた話ではないからツッコミどころ満載です。
最後に、お願いがあります
狂乱の傀儡師
恋愛
三年間、王妃になるためだけに尽くしてきた馬鹿王子から、即位の日の直前に婚約破棄されたエマ。
彼女の最後のお願いには、国を揺るがすほどの罠が仕掛けられていた。
【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。