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4 聖人候補の領地経営

609 透き通ったスープ

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609

私としたことが、なんという失態だ!

そういえば、クラバが何度か土産がどうのという話をしてきていた気もするが、そういったことはあれが気を利かせてやっておけばいいことだ。うちの使用人はどうも気働きが足りなくていかん。まぁ、確かに間に合わないないから訪問をもう少し先に変更しろとか、数日時間が欲しいとか言っていたのを振り切ったのは私だが……私もこんな格式の高いもてなしをされるとは思っていなかったのだ。

そもそも、最近までただの村人だったあの小さな娘に、ここまでしっかりと王侯貴族に対するもてなしをすることなどできるとは思わないのが当たり前だろう……やはりあの娘は、小さくともヴァイス・アーサー叔父上の娘、少し軽く見過ぎていたようだ。

私は少し気持ちを引き締め、案内されるまま晩餐会の会場へと向かった。

晩餐会の会場は、思ったよりずっとすっきりとした設えだった。建物そのものも、木材が多用されて豪華さには欠ける。だがそれなりに細工はしてあり、これも地方の味と言えなくもない。

「当地は木材の生産が盛んな土地でございまして、こういった美しい木目の木々がたくさん採れるのです。この土地の建造物はほとんど木製なのですよ。それに今日は使用人たちが頑張って、飾り付けてくれました」

メイロードの言う通り、ここにも美しい花がたくさん飾り付けられて、華やかに食卓を彩っている。もちろん“シルベスターローズ”も、そこかしこにさりげなく飾られ、公爵への歓迎の意を示すよう配置されていた。その品よく過不足ない見事な〝歓迎晩餐会仕様〟の飾り付けに、先ほど大恥をかいた私が文句をつける隙などなく、ただただ鷹揚な雰囲気に見えるよう、薄く引くつらぬよう笑みを浮かべて席へつくしかなかった。

着席して、少し落ち着くと、姿は見えないが、会場を覆う美しい調べにも気がついた。

(これは竪琴か……控えめだがなんという響きをしているのだろう。しかし見事な腕だな。このような名手がこんな田舎にいるとは……)

私はその竪琴のあまりに美しい音色に暫し魅了され、少し心が落ち着いてきた。その様子をメイロードは微笑んで見ている。

「公爵様は帝都パレスで、普段から美味しいものを食されていらっしゃることでしょう。そこで、この晩餐の食事では、あまりパレスでは食べられていない、少し変わったものをお出ししてみようと思っております」

そう言って、まず最初に供されたのは、薄茶色の液体。

そこにはなんの具もなく、ただ水っぽい茶色の液体だけが入っている。

「これは……食べ物なのか?」

私の問いにメイロードはうなずきながら、とても美味しい飲み物だというので、不思議な気持ちで恐る恐るスプーンを持ち口へと運んだ。

(なんだ、なんだこれは?!)

私はそのなにひとつ具が入っていないただの汁物を、夢中で口に運んでいた。なにもはずのその茶色の汁を飲む度に口中に広がる鮮やかな味に、飲み終わるまでスプーンを置くことができなかった。

飲み終わって暫し恍惚としていた私に、メイロードが微笑みかける。

「お気に召していただけたようで、嬉しいですわ、公爵様」
「あ、ああ。大変美味であった。これは一体なんだ。この味はどうしたら……」

私の問いに、メイロードが答える。

「見た目には何も入っていないように見えますが、お肉と野菜がたっぷり入っております。とても滋養があるお料理です。〝コンソメ・スープ〟と呼んでいるのですが、それ以上の製法はお教えできません」

「秘伝ということか……」

現在のシド帝国の貴族の間では、お互いの文化度の高さを競い合うようになっている。領地の職人たちに美しい置物を金のあかせて作らせたり、お抱えの芸術家に描かせた立派な風景画などを家中に飾ったり、あらゆる手段でいかに自分たちが芸術に理解があり、美意識が高いかをアピールすることに躍起だ。料理に関しても新しい流行や斬新な美味を社交界に提供することで、高い評価を得ることにつながるようになっている。

最近ではドール侯爵家から発信された〝塩ラーメン〟という料理が一大ブームを巻き起こし、このところ上り調子のドール家の名前をさらに強めることになっていた。

(確かにあの〝塩ラーメン〟は美味だった。もし、この汁物をシルベスター公爵家から発表できれば、わが家の名もドール侯爵家のように上がるに違いないのだが……)

「では、この〝こんそめ〟とかいう汁物は、マリス家の味として発表されるおつもりなのだろうな」

振興の貴族が名を上げるには最高だと思われる素晴らしい美味だ。きっと発表の前に、試しに私に供してみせたに違いない。

「そうですね……いまのところそれは考えていません。公爵様にこの作り方をお教えしないのは、私の商人としての判断なのです。私の師匠というか後見人から〝お金になるものはモノだろうと情報だろうと絶対に軽々しく見せてはいけない〟ときつく言われておりますので……」

「商……人?」

私は、弟から聞いたメイロードの出自とこれまでの生活についての話を思い出していた。アーシアンもその全貌は掴めなかったと言っていたが、確か田舎で瓶詰を売って、生活費を稼いていたとか……

「私は六歳で両親を亡くしてから、商人として雑貨店を営み暮してまいりました。おかげさまでその仕事は大きくなり、その後は宝飾店やお菓子のお店などもパレスに開かせていただいております」

メイロードの言葉に私は別荘に並べられていた軽食を思い出してはハッとした。

「まさか、あのチョコレート……」

「ええ〝カカオの誘惑〟は私の店です」

(まさか、あの正妃リアーナ様命名のシド帝国、いやこの世界で唯一のチョコレート専門店をこの娘が!)

次に運ばれてきた20種以上の野菜をメインとした具材が緑のグラデーションを作る食べるのが惜しいほど美しい〝てりーぬ〟という料理を前に、私はこの娘の底力を完全に見誤っていたことを認めざるを得なくなっていた。

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