利己的な聖人候補~とりあえず異世界でワガママさせてもらいます

やまなぎ

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2巻

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     プロローグ


「メイロードさま、ぬか漬けはこちらのお皿でいいですか?」
「うん、ありがとソーヤ。じゃあ、博士とセイリュウに声をかけてくれる?」
「了解です!」

 具材たっぷりのお味噌汁にチーズ・オムレツ、ぬか漬けと二十品目サラダ、それにたっぷりフルーツという和洋折衷わようせっちゅうの朝食を作りながら、ここに至るまでの日々を思い出す。
 私は別の世界からここシド帝国にある辺境の小さな村へとやってきた。
 前世で子供時代から家族を支え家事育児に明け暮れた上、二十二歳で未来の重要人物をかばって事故死した私。神さまはそんな私に〝聖人〟になって自分たちを手伝わないかとリクルートしてきたが、自分のためだけに生きる人生をおくりたいと拒否したところ、異世界への転生を勧められたのだ。

「あ、お醤油がないや」

 私は《異世界召喚の陣》を開き、空になった壺を光る輪の中へと入れ、醤油が欲しいと念じると壺の中が重くなった。輪の中から壺を取り出せば、そこには元の世界から取り寄せた醤油が入っている。
 これは私の固有スキル。対価は必要だが、元の世界のものを買うことができるという能力だ。いろいろと制限はあるが、便利に使わせてもらっている。
 もうひとつ、この世界で自分で作った経験があるものなら無制限に複製できる《生産の陣》というスキルと合わせ、私の異世界生活には欠かせない力だ。

「おはよう、メイロード。コーヒーを淹れてくれるかの?」
「おはようございます、グッケンス博士。また夜遅くまで研究ですか?」

 キッチンカウンターのいつもの席に座るのは、私の魔法の師匠でもあるグッケンス博士。世界一の魔法使いと言われているのに、ついこの間まで隠遁いんとん生活をしていた変わった人だ。

「おはよ、メイロード。とりあえず水をくれる?」

 眠そうにやってきたのはセイリュウ。山の聖域で偶然私が助けた神の眷属けんぞくだ。その経緯からか私を守護してくれているが、毎日のようにうちで晩酌をし、大酒を飲んでいる。

「お酒はほどほどにしてくださいね。ソーヤ、セーヤもご飯にしましょう」
「はい、今日の朝ご飯もおいしそうです!」
「ではお召し上がりになる前に三角巾を外して、御髪おぐしを整えさせていただきます」

 私のふたりの従者、妖精のソーヤとセーヤ。大食漢の悪食と髪フェチという変わった子たちだが、大事な私の仲間だ。
 最初にこの世界に送られた時、私は六歳になったばかりの幼児だった。しかも両親を魔物に惨殺ざんさつされ、自らもこと切れた少女の躰に転生させられていた。

(ひとりぼっちで最初はどうなるかと思ったけど、前世での料理や家事の腕前と固有スキルを生かして〝メイロード・ソース〟を立ち上げて、なんとか収入が確保できてのんびり生活できる目処めどが立ったんだけど……)

 複雑な味の調味料のなかったこの世界の人たちに、〝メイロード・ソース〟は大いにウケてしまい、事業は急拡大。
 なんだか有名になっちゃうし、遂には私の後見人でもある大商人サガン・サイデムおじさまに協力してもらい、この世界では不可能とされた民間主導の牧場経営まで手がけることになってしまった。

(成り行きだったんだけど、料理をしていたらやっぱり乳製品が欲しくなっちゃんたんだよねぇ)
「メイロードさま、このチーズ・オムレツ最高ですね。おかわりいいでしょうか?」
「はいはい、ソーヤ。作ってあるわよ」

 こうやって台所に立ちながらバタバタしている日常が私は大好きなんだけど、住んでいる辺境の村が私の事業のせいで人口が大幅に増加したり、狙われたりと(もちろんみんなの力を借りて撃退したけど)、私の出現の結果、いろいろな変化が起きている。
 でも、せっかく自由に生きられる世界に来たのだ。遠慮なんかしない。やってみたいことはなんでもやってみよう。魔法でも商売でも、なんでもこいだ。
 私はソーヤに、さらにチーズ・オムレツを焼くためフライパンを握った。まだまだ躰の小さい私だけど、割烹着かっぽうぎと三角巾で力一杯フライパンを振る。
 みんなとおいしいご飯を食べるために、今日も頑張ろう。



   第一章 外国人市場の少年たちと聖人候補


「ああ、今日のタガローサ様は一段とご機嫌がお悪いようですね」

 書類を握りしめ、青ざめた顔でため息交じりにそう言ったのは、商人ギルドの職員だった。
 ここは帝都パレスの一等地にある建物の中でも豪華絢爛けんらんな装飾で有名な〝パレス商人ギルド〟内。幹事エスライ・タガローサが直接関与する仕事を担当する者たちが詰めている部屋だ。幹事執務室のすぐ隣にあるこの部屋には、今日もまた朝から怒号どごうと聞くに耐えない罵詈雑言ばりぞうごんが響き渡っている。このギルドで働く者たちにとっては、心が病みそうな光景も毎度見慣れたものだが、それにしても今日の罵声ばせいは一段と大きくひどいものだった。


 帝都〝パレス〟は、シド帝国一の人口を誇り、魔術師と軍隊による二重の防御に守られた上、高い壁が張り巡らされた城塞じょうさい都市だ。皇帝の居城があり、多くの貴族も住むこの街は整備が行き届いている。皇帝の居城へと滑らかに続く整えられた石畳はまっすぐに伸び、シド帝国の威光を隅々にまで放つ。
 シド帝国の政治は安定し、商業も発達。この国最大の冒険者ギルドもまた、ここパレスにある。パレスの街は、高額な税金を納め市民権を持つ〝帝国市民〟の住む地区と、彼らの生活を支える〝一般居住者〟の住む地区とにわかれている。
 一般居住者の生活水準も地方都市と比べてかなり高いため、この街に職を求めてやって来る者も多いが、この街への移住審査はとても厳しく、現在では有力者の紹介のない者が居住許可を新たに得て、きちんとした賃金で働くことは難しい。
 また、帝都には、皇族が振興・支援した産業からなる〝帝都でしか手に入らない〟貴重品が数多くある。乳製品、陶磁器、武具、宝飾品、織物など、洗練された価値の高い商品が手に入るため、国中さらには世界中から商人が集う。商人ギルドの権威も非常に強い。
 今日もいつものように活気あふれる商人ギルド内は、様々な許可を得るために多くの商人たちが施設の中を右往左往し、騒々しい。だがそんな活気あふれる騒々しさとは別に、一際騒々しい男がいた。先ほどからの怒号どごうの主、エスライ・タガローサ、パレス商人ギルド統括幹事だ。
 彼はほかの商人ギルド統括とは違い、自分の名前を冠した商店を持たない。皇族の直轄地で産出される特産品の取り引きが、彼のそして彼の一族の正業なりわいである。彼の販売する商品にはすべて〝皇宮御下賜品ごかしひん〟というマークがしるされ、庶民にはまったく手の届かない金額で取り引きされるのだ。
 タガローサ家は商取引を通じて黎明期れいめいきのシド帝国を支えたとして貴族の地位を賜った先祖代々からの皇宮専属商人であり、パレスの商人ギルドもその一族が長く牛耳ぎゅうじってきた。本来ならば、地方の商人ギルドなど歯牙にも掛けない、シド帝国商人ギルドの頂点であるはずだ。だが、いまは風向きが変わったことをヒシヒシと感じ、苛立ちを募らせている。
 エスライ・タガローサは、自分の手が痛くなることも気にせず、素晴らしい作りの豪華絢爛けんらんな机を何度も叩きながら、現状を憂いていた。


 すべてはあの男、サガン・サイデムがイスを牛耳ぎゅうじったことが発端だった。
 あの目端の利く男は、あっという間に中央政府の高官を取り込み、潤沢じゅんたくな資金を使って素早く官僚たちに行動を起こさせた。それまでパレスでの商いに都合よく作ってあった規制を次々に解除させ、またたく間にイスの貿易を肥大化させたのだ。
 イスからの税収と献金が無視できない額に達し、それからは奴の発言権は増す一方。いまでは取り立ててミスのないパレスのギルドが、まるで努力不足のような印象を持たれ、勢いがないとまで風評が立っている。

「まったくもって不愉快だ‼ ああ、腹の立つ‼」

 怒り心頭に発する毎日が続き、叩き壊した高価な椅子や机もひとつやふたつではない。

「さすがのサイデムも、一時は懐刀ふところがたなの男が急逝きゅうせいして勢いが落ちていたのに、気がつけばあのとき以上の勢いを取り戻しているとは! あのまま、ダメになっていれば可愛げもあったものを……」
(そして今日、皇宮に届けられたこれはなんだ⁉)

〝かれんだー〟と名付けられたそれは、羊皮紙ではありえなかった大きさを継ぎ目もなく実現していた。それだけでも驚くべき新技術だ。しかも信じがたいほど美しい白地で、文字はどこまでもくっきりと見やすい。飾り文字にも最高の職人技を使い、ほれぼれするような仕上がりだ。
 その上、憎らしいほどに気の利いたことに、帝国の重要な祝祭や催事の日には印がつき、皇族の誕生日まで記されている。腹が立つが、この上なく皇族方に好感を持って受け入れられるよう、実に念入りに作り込まれたものだ。
 しかもこれを、羊皮紙の二割の値段で売るという。

「奴め、〝これをもちまして帝国のご威光を、国中の人民に余すところなく広めたいと存じます〟などとぬかしおって、皇宮印をつける許可まで得おった!」

 あれは売れる。間違いなく、国中で売れる。
 あれは〝皇宮御下賜品ごかしひん〟を扱う我が一族にこそふさわしい品だ。できることなら、奴より先に売り出してしまいたい。だが、あれがどうやって何で作られているのかさえわからないいま、後追いは難しい。羊皮紙で真似することさえ無理だ。
 たとえ可能だとしても、羊皮紙では大きさでも価格でもあれにはまったく太刀打ちできん。まったく商売にならん。
 イスは危険だ。密偵の数を早急に増やそう。
 なんとしても、あの〝かれんだー〟の技術を我がモノにしなければならない。奴なら、すぐにも次のを仕掛けてくるに違いないのだ。今度こそ先手を打たねば。

「帝国の商人の頂点は〝パレス〟であらねばならぬ! ならぬのだ‼」

 タガローサはバンバン机を叩きながら、イスとサイデムに対する思いつく限りの悪態をつき続け、側近たちはれ物に触るようにしながら、怒鳴り声の合間に仕事の指示を仰ぐ。

「なんとしてもイスの商人ギルドとサイデム商会に、うちの息のかかった者を送り込んで内部の様子を詳しく知らねばならん。何か方法はないのか!」

 ギロリと周りの側近をにらむが、言葉はない。

「じゃ、私が行っておじさまがお望みの、イスの秘密を取ってきますよ」

 部屋に入って来たのは公爵家の四男、オットー・シルヴァン。公爵家に嫁したエスライ・タガローサの妹の子だ。公爵家の男子といっても第二夫人の四男ともなれば、爵位を継ぐ機会はない。オットーは商人を志すと言って、貴族階級に顔の利く商人を目指し、十五歳になったのを機に叔父のもとに寄宿している。

「なるほど、公爵家の紹介状を持つ者を、さすがのサイデムも無下むげにはできまい。いいだろう、しばらくイスの様子を探ってこい。お前にもいい修業になるだろう」

    ◆ ◆ ◆


「本当ですね。ほんとーにあるんですね」
「お、おう。かなり似てると思うぞ」

 イスの商人ギルドの幹事執務室。
 詰め寄られてたじろぐのは、泣く子も黙るイスの首領ドンサガン・サイデム。

「確かにお前のところで食べた〝味噌〟の味に近かった。沿海州辺りの海洋民族の保存食とかで、輸入申請に来たときに味見したんだ。そのときは塩辛いだけでウマイとは思わなかったがな」

 おじさまの言葉に、私の頭の中ではファンファーレが鳴り響いていた。

(なんという吉報。おじさまに、異世界ご飯をご馳走したかいがあった!)

 イスには外国人が多く住んでいる。彼らの多くは〝外国人街〟と呼ばれる場所に住み、独特の文化を守って暮らしているそうだ。彼らの多くは貿易のために国を行き来しているうちに定住状態になった、もともとは大都市イスでの成功を求めてやってきた人々だ。
 おじさまによれば、その中にいろいろな発酵はっこう食品を持ち込んでいる人々がいるらしい。そしてどうやら検品のために以前サイデムおじさまが味見をした輸入品の中に、かなり味噌に近い味のものがあったというのだ。

(これは絶対、買いに行くしかない!)

 私はいますぐにでもという勢いで街へ出ようとしたのだが、そこでハタと気がついた。実は私はまだ、この大都市イスの中をほとんど出歩いたことがない。
 最初は忙しくてそれどころではなかったし、その後も拠点のシラン村でイロイロあったので、結局名所観光すらしていない。その上、イスで〝メイロード〟の名前が悪目立ちしていると聞いてしまったいまは、なおさら出歩きづらくなっている。

(でも、味噌が欲しい。ものすごく欲しい!)

 長い逡巡しゅんじゅんの末、私はソーヤを伴って、外国人街へ潜入することを決めた。
 そこに味噌があるならば、行かなければならないのだ。
 とにかく変装だけはしようと、髪はまとめてふっくらしたキャスケットタイプの帽子の中に入れ、服装は小学校の制服のために作ったシャツブラウスに綺麗すぎない七分丈パンツ。お使いの子供っぽい感じに仕上げてみた。
 外国人街は、商業地区の裏手だ。そこでは店舗を持てるほどの余裕はない、小さな商いをする人たちが集まり、青空市が常に行われている。厳しく法に照らせば彼らの行為は違法だが、イスでは商いをすることが尊ばれる気風があり、たくましく商いをする彼らをむやみに排除したりしない寛容性がある。
 ただ、度を越えた違法な取引が蔓延はびこったり、闇市化することは好ましくないため、常に警備隊が巡回しているし、ギルドが雇った私服の警備員も目を光らせているそうだ。
 少しドキドキしながら、薄暗い市場に入る。商品を直射日光から守るため、左右から長い布製のひさしを作った露店が並ぶ。その瞬間から、あらゆる香辛料スパイスの混じったような独特の香りと、色とりどりの見たことのない、海外の商品が目に飛び込んできた。

(これは味噌だけじゃなく、スパイス関係もかなり期待大!)

 私はいい買い物ができそうな予感に心を躍らせながら、手当たり次第《鑑定》する。知識を増やしつつ気になる香辛料スパイスやハーブを目についたそばから買っていく。
 すでにターメリックらしきものとクミンらしきものを発見した。ターメリックとおぼしき黄色い粉末は染料として売られているようだが、《鑑定》によると食用可なので問題なし。クミンらしきものは、薬扱いだった。この調子でスパイスが見つかれば完全異世界製カレーも夢ではない気がする。
 私がカレーパウダーの配合に想いを馳せながら《鑑定》&ショッピングを続けていると、なんだか懐かしい香りの漂う店があった。
 いぶした魚の香り、まさに鰹節だ。よく見ると乾燥はしておらず、生節なまぶしといったところ。日本の鰹節は、さらに水分を抜くためにカビづけして寝かせるが、燻製くんせい状態にするだけでも保存が利くし、ダシとして使える。当然がっつり購入。
 やっと見つけた豆味噌も味見。私の知っているものとは製法が違うようだが、香りは確かに味噌だ。ほかにも味噌と思われるものは全部買いまくった。この日のために、新たに購入したマジックバッグが大活躍だ。
 買い物をしながらお店の方からいろいろ話を聞き出してはみたが、残念ながらイスでは製造しておらず、完成品の輸入のみだった。でも、これで味噌ラーメンも完全異世界産で作れそうで嬉しい。

(それにしても……こんなにいろいろな食文化が集まっているのに、どうしてこちらの世界の食卓ではこの多様性が取り入れられないんだろう?)

 食に関してはまったく節操なく、なんでも取り入れる日本人の私からすると、この世界の食文化の停滞は、とてもかたくなな印象を受ける。とはいえ、誰かが事情に合わせてブラッシュアップしてから紹介していかないと、食べたことのない未知の味はなかなか受け入れられないものなのかもしれない。
 また考え込む私をソーヤがつつく。

「メ……お嬢さま、おいしそうな匂いがいたしませんか」

 今日は、メイロードと呼ばないように言ってあるのでしゃべりにくそうだ。ソーヤの言う通り、確かに油と香辛料スパイスの混じった香ばしい匂いが漂っている。
 匂いのする方へ近づくと、どの露店より小さい〝隙間〟と言った方がいい大きさの敷地で、木枠と大きな葉を使った蒸し器を使い、小ぶりの肉まんのようなものが売られていた。蒸した後に、焼き目をつけて香ばしく仕上げている様子を見ると、やき小籠包しょうろんぽうに近いかもしれない。
 外国から来たのだろう、たどたどしい感じの言葉で盛んに呼び込みをしている兄とそれを手伝う弟という雰囲気の少年たち。どちらも十代前半で、この国の人より肌は浅黒く、体型はとてもほっそりしている。
 ソーヤはすぐにでもたくさん食べたそうだったが、その前に味見をしたい。試しにふたりでひとつずつ買って食べてみることにした。この辺りではあまり取れない希少種である〝メッカル〟という羊のような魔物の肉を使っているらしい。でも、香辛料スパイスの香りと塩気が強くて、その味はよくわからない。というか、これ本当に肉?
 〔メイロードさま〕
 ソーヤから念話がきた。
 〔これはメッカルどころか、肉ですらないと思います。おそらくこの辺りに自生する〝グルグの実〟を蒸して細かくしたものに、香辛料スパイスと油を加えたのではないかと〕
《鑑定》して見ると――
 〉蒸し饅頭まんじゅう――材料はグルグの実、フェルの葉、塩、コン豆油、ハッカ草、コダ草
 確かに、この辺りでは見ない香辛料スパイスとグルグだけだ。
 〔ひとつ五十カルで売ってますからね。かなりの暴利っていうか、詐欺さぎですね。パトロールに見つかれば即、捕まります〕
 五十カルといえば五百円相当、なかなか高価な饅頭まんじゅうだ。別にまずいわけではないが、ソーヤによればメッカルの肉はジューシーで脂がほどよくのって大変美味なので、その味を知る者が買ったらすぐ違いに気づく、という。このレシピのグルグ饅頭まんじゅうは本来五~十カル、つまり高くても百円程度の安価なおやつらしいので、これは明らかな不当表示だ。
 ソーヤとふたりで顔を見合わせていると、混雑する市場の人混みをかき分け、巡回中の警備隊を連れた冒険者風の男が屋台の前で怒鳴り始めた。それに言い返そうとする少年の言葉はイスの言葉ではなく、男にはまったく通じない。激昂げきこうした男は、遂には店の少年の胸ぐらを掴み、思いっきり殴りつけた。

「ふざけやがって、メッカルの肉なんざ、ひとつも入ってねぇじゃないか! いくらイスにメッカルの肉を食べつけてるやつが少ないからって、そうそう騙せると思うなよ!」

 男はたくさん買ってしまったらしく、饅頭まんじゅうが入っている葉っぱを巻いて作った大きな袋を、殴った男の子の顔に投げつけた。葉っぱの袋は破れ、辺りに饅頭まんじゅうが散らばる。地面に倒れたまま、少年は懸命に男に話しかけるが、男は無視して怒鳴り散らし、さらに殴ろうとしている。

「その子は『なぜ殴る。親方に言われた通り、売っているだけだ』と言っているわ」

 私はつい割って入ってしまった。
 男には異邦人である少年の言葉はわからないが、私は神さまたちから授かった加護の力で、この世界の言葉のを理解できる。

「あなたもお忙しい方とお見受けいたします。私が通訳して、あなたがお支払いになったお金をこの子から返してもらいます。その後は、警備隊の方にお任せしてはどうでしょう」


 私は男の返事を待たず、少年に声をかけた。

「どうやら親方という人は、あなた方に嘘を教えたようね。あなたの売っていた饅頭まんじゅうは、メッカルの肉を使っていない、安物です。このまま捕まれば大事になるでしょう。この人にもらったお金はいますぐ返さなければダメよ」

 少年は黙って五ポルを出した。

「あなたのお支払いになった十個分五ポルです。お腹立ちだと思いますが、これで収めてはいただけませんか」

 私は帽子を取り、頭を下げる。

「あ、メイロードさま」

 サイデム商会で会ったことがあったのか、警備隊のひとりに気づかれた。
 怒っていた男も、自分に頭を下げているのが、サガン・サイデムが後見人だというメイロード・マリスと知って、毒気を抜かれたようだ。

「おう、金が戻ってくるなら、今回はこれで収めてやる。あんたの顔を潰しちゃ気の毒だからな」

 私はさらに低姿勢を保ち、丁寧に対応する。

「この者たちにつきましては、巡回警備の方々にしっかりとお説教してもらいます。いくら子供のやったこととはいえ、商売は商売です。このような不正は見逃せません。もし、ご不審な点がございましたら、商人ギルドをお訪ねください。今後の経過についても、ご説明いたします」

 冒険者らしい大男は、私の低姿勢な態度にだんだん冷静さを取り戻した。いくら腹が立ったとはいえ、見るからに貧しくやせ細った少年を一方的に殴りつけ、怪我をさせてしまっているいまの状況をまずいと思ったようだ。男は慌ててそれには及ばないと告げ、警備隊の人たちに頭を下げて雑踏に消えた。

(話がこじれなくて何よりだけど、サイデムおじさまの御威光を使ってしまったわね)

 切れた唇を手で押さえ、まだ立ち上がれない少年の後ろには、男が投げつけた饅頭まんじゅうをひとつひとつのろのろと拾う小さな男の子がいる。私はその手のか細さと手の甲のひどい火傷痕にハッとする。よく見れば饅頭まんじゅうを商っているというのに、ふたりとも気の毒なほど痩せ細っていて生気がない。

「蒸してしまった分はいくつあるのかしら?」

 少年に問うと、三十個だという。

「ひとつ十五カルでよければ三十個買うわ。どうする?」
「お、お願いします」

 少年にうなずき、傍に控えていたソーヤに《念話》で話しかける。
 〔ソーヤ、これグルグ饅頭まんじゅうとしては悪くない味よね〕
 〔そうですね。十五カルはちょっと高めですが……〕
 〔まあ、そう言わないで。周りのお店にご迷惑をかけたから、これを配ってきてちょうだい。ついでに、この子たちの情報を知っている人がいたら聞いてきてね〕
 〔かしこまりました〕
 ソーヤは三十個の饅頭まんじゅうを数個ずつ葉っぱに包むと、一気に抱えて走り去った。やっと立ち上がった少年が呆気にとられる間もないすばやさだ。
 私はソーヤのせっかちを詫び、少年に四ポル五十カルを渡した。少年たちは店をたたみ、警備隊に連れられていくことになったが、彼らの言葉を話せる者が詰所にいない。もし時間があれば通訳をしてほしい、と隊員に頼まれ、私も商人ギルドの警備隊詰所まで同行することになった。
 再びソーヤに《念話》を送る。
 〔ソーヤ、ギルドに先に行くから、後から来てね〕
 〔了解です。どうやら、大きい方の少年は今日初めて来たようです。入れ替わり立ち替わり、毎日違う子が売っていたようですね〕
 〔いい情報助かるわ。引き続きよろしく〕
 〔かしこまりました!〕
 どうやら、これは子供の小遣い稼ぎ、というような話ではなさそうだ。
 薄暗い外国人街の市場から表通りへ出ると、辺りはまだまぶしいほどの明るさだ。
 腰に縄を巻かれても、手に持った泥だらけの饅頭まんじゅうを手放さない小さな少年と、それを気遣いながらうつむいて歩くれた頬の少年。活気にあふれた商人ギルドに近づくにつれ、私はその対照的な様子に胸がチリチリするのを感じていた。


 商人ギルドの左手にある建物は、警察の役割を持つイス警備隊の詰所になっている。街の治安維持から要人警護まで、大都市を守る警備隊は、腕自慢の冒険者たちの就職先としても人気の仕事であり、〝イスの守護者〟と人々から頼られる誇り高い職業だ。
 いま私はその警備隊の建物にある一階の取調室で、饅頭まんじゅうの中身を偽り、暴利で売った罪で捕まったふたりの少年の通訳をしている。
 まずは型通り、名前と年齢、出身地、保護者の情報を聞く。十五歳だという殴られた少年はタイチといった。沿海州と呼ばれるこの大陸の西南方向に点在する島国のひとつ、海洋国家アキツの出身。イスに来てからずっと外国人街で暮らしていたため、ほとんど大陸の言葉は話せない。
 兄弟かと思ったもうひとりも、アキツもしくはその周辺国の出身らしいが、この子は一言も話してくれない。骨が浮くほど細い腕で、先ほど拾った泥つき饅頭まんじゅうを握りしめ、ずっとうつむいたままだ。タイチから聞き取ったところでは、この小さい少年は八歳で名はキッペイというそうだ。

(私と同じ年なのね。でもそれにしては発育が悪すぎる。五、六歳かと思った……)

 ふたりは〝親方〟と呼ばれる男のところで出会ったそうだ。
 タイチは、アキツの海産物商人の家で召使いとして勤めていた母と共にイスにやってきたが、主人が商いに失敗し、失踪してしまった。彼らは国へ帰ることもままならず、その後はイスの街で小さな仕事を請け負い、貧しいながらもなんとか暮らしてきたそうだ。
 だが、その母も最近の流行病で亡くしたという。親方と呼ばれる男のもとに、先にいたのはキッペイだが、似たような身の上で同じ地方の出身ということから、躰が小さく言葉も話せないキッペイの面倒をタイチがみるようになっていったらしい。
 親方のところには、タイチのような子供がたくさん暮らしており、親方から与えられた仕事を日々こなせば、寝る場所と食事が与えられたという。見たところ、とても十分な食事を与えられていたとは思えないが、それでも親も知り合いもない彼らは、ほかに行くところもなかったのだろう。
 彼らは毎朝、ほかの少年たちと馬車に乗せられ、市場で降ろされる。躰の大きなタイチは力仕事が多く、饅頭まんじゅう売りは今日が初めてだったそうだ。
 区画の隙間に店を出してその日渡されたモノを売り、市場が終わったら、また馬車が迎えにきて親方の家に戻る。道具と金は毎日回収され、少年たちは自分が住んでいた場所も、親方の名前もまったくわからないという。言葉も売り買いに必要な最低限のもの以外は教えられないので、イスの人間とは話せず、親方たち大人のしている会話もわからない。


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