利己的な聖人候補~とりあえず異世界でワガママさせてもらいます

やまなぎ

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3 魔法学校の聖人候補

576 いつか……

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576

私の提案はシンプルなものだ。この研究の執筆者であることを諦めることにした。

「実は、この論文はハンス・グッケンス博士の研究を私が代筆したものです。アイディアが出なくて困っていた私に、“こんな研究をしてみてはどうか”と提案してくださったもので……私はそれを元に実験を行ったに過ぎません。ですから、これ以上は博士にご相談なさってください。私にはこれ以上の研究は……」

もちろんお互いそれが真実ではないことはわかっているが、私にはこの件を穏便に済ませる方法がこれしか思いつけなかった。まだ幼い不肖の弟子、という雰囲気を出してはみたが、きっと効果はなかっただろう。

「それでは、君はなんの報酬も名誉も得られない! これだけの研究をして!」

ドール参謀は初めて声を荒げた。私が一生懸命書いた論文を読んだドール参謀は、私の努力を知っている。それを私が放棄しようとしていることが、あまりにも不憫だったのだろう。

だが、悲しいけれどこれ以外に私がいまの生活を維持し、尚且つ研究員になることから逃れられる道はない。

「お心遣い有り難く存じます。ドール様……私は名誉もお金もいりません。そんなことのための研究ではないことは、すでに論文をお読みいただいているあなた様にはおわかりでしょう? でも、この研究はまだ人々の間には出せないと判断されたのであれば、それに従うしかありません。私は、ただの博士の代理をしただけ……それでいいのです」

私の立場は弱い。貴族でもない子供ひとりの人生など、軍部の思惑の前にはチリにも等しいだろう。だからこそ、いま内々にコトを収めようと動いてくれたドール参謀にすべてを託すしか、道はないのだ。

「この研究は〝ハンス・グッケンス博士〟の研究です」

帝国で最も強大な力を持つ魔術師にして、いまは〝魔術師ギルド〟の事実上のトップでもある(最高顧問ということにはなっているが)グッケンス博士ならば、軍部も皇帝も決して敵にはまわせないし、何も強制はできないだろう。

いままで数々の画期的な魔法研究をして帝国に貢献してきたグッケンス博士の最新の研究を提供してもらったということならば、ドール参謀の手柄となるだろうし、顔も立つはずだ。

「グッケンス博士にはできる限りの褒賞を出すよう働きかける。せめて、それを博士から受け取っておくれ」

「お心遣いありがとうございます。閣下のご配慮のおかげで大事になる前に解決できました」

私は笑顔でそう言うと、机の上に置かれた論文の表紙の紙を引き抜いた。

そこには〝魔法による食品の長期保存法に関する研究〟 研究者: メイロード・マリス、と書かれている。私は火の魔法を使い、その表紙の紙を手のひらの上で灰にした。

「新しい表紙は、どうぞそちらで準備してください。今日はありがとうございました……」

なぜか涙が出てきそうになったが、私は耐えて笑顔のまま挨拶をして退出した。ドアの外では忙しいだろうに、シルベスター 生徒会長が待っていてくれた。

「君の進む道は決まったのかな?」

少し憂いを帯びた表情でそう言う彼に、私はつとめて笑顔でこう返した。

「何も変わりません。ただ、メイロード・マリスという研究者は今回の論文発表会には存在しません。そのようにすべてお取り計らいください」

「そうか……わかった。では明日はゆっくり休むといい」
「ありがとうございます。それでは……」

私はどうにもぎこちない笑顔のまま挨拶をして研究棟へと戻っていった。

部屋に戻ると心配そうな顔のセーヤとソーヤ、そしてグッケンス博士も待っていてくれた。私は、みんなの顔を見た途端、笑顔のままボロボロと涙がこぼれてきて、止まらなくなっていた。

こんなこともあるかもしれないと、想定はしていたはずなのに、いまは明日の〝研究発表会〟に出られないことが、ただ悲しくて仕方がない。

(ああ、私はこんなにも明日を楽しみにしていたんだなぁ……)

思えば前世では学校行事に参加する時間がなく、親しい仲間と何かを成し遂げたり、自分だけの研究に没頭するといったことはなにひとつできなかった。だから、私は本当に楽しかったのだ。忙しくても寝不足になっても本当に楽しかった。

リビングの椅子に座らされ、セーヤとソーヤが少しでも私が落ち着けるようにと用意してくれた温かいミルクや紅茶、私の好みのハーブティー、それに合いそうなたくさんのお菓子に囲まれて、私はふたりの心遣いがうれしくて微笑みながらも、やはりなかなか涙を引かせることができずにいた。

「残念だったな、メイロード。ドールの間諜が極秘扱いだった〝研究発表概要集〟を軍部の力を使って持ち出し、ドールへ届けたらしい。すぐにこの研究の重要性を見抜いたドールは、この研究を内々のうちに提供させることで、お前の意思を確認し、お前も守ってくれようとしたのだ」

「わかっています。庶民の学生が魔法学校の研究職に抜擢されることは、素晴らしい名誉です。誰も拒否なんかされるとは考えていないでしょうし、軍部の偉い方々の間で協議されるような事態に至っていたら、研究職を拒否すること自体、絶対許されないでしょう。

だから、私はあきらめました。こうなるかもしれないとわかってもいました。でも、でも、明日の〝研究発表会〟……出たかったなぁ」

セーヤが肩にかけてくれたショールにくるまって、私は自分の研究にサヨナラを告げた。

(いつか、この研究がみんなの役に立つ日がきますように……)

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