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3 魔法学校の聖人候補
520 打ちひしがれた妃
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ロームバルトの宮廷は、腹芸が得意でないストレートな性格の人間にはなかなか辛いところだった。
ベラミ妃様と共にこの国へやってきたものの、私はいまだにこの国の人々の、チクチクと人のアラを探し刺すような言葉に慣れることができずにいる。もちろんどこの国でも貴族というものは噂話や遠回しな悪口や嘲笑を好む者が多いのだが、この国のそれは私の理解を超えている。しかも私は武門の出の無骨者で、ほとんど男性のように育ってしまったため、どうにも女性特有の感情の機微をうまく理解することが難しく、まだまだうまく対応できない。
私がローエングリム伯爵家へ輿入れした時、共に大切な主人を守ろうと夫と誓い合ったものの、やはり夫には女の世界であるベラミ妃様をはじめとする王家の女性たちの住む離宮のことは伝わりにくいし、ロームバルト育ちの夫にとっては、遠回しなイヤミの応酬のような会話も耐性のついている日常会話なので、それがベラミ妃様に与える深刻な影響についてあまり真剣には取り合ってもらえていない気がする。
幸いなことにベラミ妃様はご夫婦仲が良く、それが救いにはなっているが、ご懐妊を機にご公務から距離を取られたことが良くない方へ転んでしまった。王太子様から離れる時間が長くなり、その分王宮の女性たちやお見舞いやご機嫌伺いと称して訪ねてくる貴族の女性たちに日々囲まれることになってしまったのだ。毎日続く彼女たちとの、その言葉に針を隠した物言いの応酬に、ベラミ妃様はどんどん気持ちがささくれていってしまわれた。
「ねえ、マリリア! そんなにシドはひどいところ? 私がシドから持ってきたものに一から十までケチをつけずにはいられないの、あの方たちは! はぁ……あれを笑顔で打ち返し続けるのって疲れるわ……」
才気に溢れたベラミ妃様は、普段ならば決してそのような輩に遅れをとるような方ではないのだが、つわりに苦しみ体調が思わしくないいま、そういった押し付けられた社交が大きな負担となってしまっている。
「マリリア……お母様が送ってくださった、あの素晴らしい子供用の家具が派手すぎて品がないっていうの? あの美しい赤ちゃん用の布製品が、そんなに見苦しい?」
疲れたので躰を休めたいとベラミ妃様がおっしゃり、気が休まらないからと部屋から侍女たちをすべて下がらせた後、ふたりきりになると、お妃様は目に涙を浮かべて悲しげにつぶやかれた。
「お妃様、そんなことがあるわけがないと、ご存知でございましょう? シド帝国の職人たちがお妃様と誕生される御子のために丹精込めて作り上げたお品物ばかりなのでございますよ。どれも、どこへ出しても恥ずかしくない逸品ですとも」
私の言葉にベラミ妃様は、少しだけ笑顔を見せてくれた。
「そうよね。それにあの方たちも今回のことを喜んでくれていないわけじゃないこともわかっているの。それでも、お母様のお心遣いを貶されるのは、とてもつらいわ……」
ロームバルト王国はシド帝国に負い目を持っている。停戦前の状況は、実際はほぼ敗戦に近い状況であったし、現在も国力の差が開くばかりの状態だ。貴族たちにもシド帝国の貴族たちのような余裕はなく、体面を保つために四苦八苦している貴族も多い。いまの彼らを支えているのは、新興のシド帝国には持ち得ないこの国の長い歴史と伝統だけであり、シドは下品で新しすぎ、彼らの趣味に合わないというのが、シドを貶める際の常套句だ。
「まぁ、よくもあれだけ色々な言い方で遠回しに貶すものでございますね。主人によれば、あれでもあの方たちはけなしているつもりもないそうですが……」
「そうね。いつもなら、うまくかわせるのにここのところどうにも気持ちが落ち着かなくて……こんなことではいけないわね」
彼らはシドからの贈り物が素晴らしければ素晴らしいほどケチをつけたくなるのだから困ったものだ。彼らの財力では決して作り得ない素晴らしい素材を使っていることを認めたくないのだろう。そのくせ、下賜されれば我先にと持って帰ろうとするのだから浅ましいのはどちらだと言いたくもなる。それでも嫁がれてからいままで、ベラミ妃様は鷹揚に構えて彼らをかわし、その魅力と才気で徐々にこの王宮内で支持者を集めつつあったのだ。
(ご懐妊による体調の悪化と、夫である王太子様と引き離されたことが、お妃様の才気と気力を鈍らせてしまっている……だがどうしたら良いのか)
せめてもの慰めにと、私の用意した薔薇の紅茶の入った美しいガラスのティーカップを差し出すと、ベラミ妃様は目を細めて、その香りを吸い込み微笑んでくれた。
「いい香りね。〝皇女の薔薇〟私の紅茶……ああ、メイロードの美味しいお菓子が食べたいわ。あの日は本当に楽しい一日だった。お母様がいてマリリアがいて、素敵なお菓子とこの紅茶があって……」
「そうでございましたね。どうしているでしょうね、あの可愛らしい商人は」
私たちがしんみりと、懐かしい故郷での楽しかった日々を思い返していると、ドアがノックされた。
「なんです? お静かになさいませ。ベラミ妃様がお休みになっているというのに……」
私がそういいながらドアの外に出てみると、ベラミ妃様付きの筆頭侍従が恭しく頭を下げてこう言った。
「恐れながら申し上げます。シド帝国よりお妃様への御目通りを願いたいという使者が来ております。なんでもご懐妊の祝いの品の追加分を献上したいとのことで……」
「追加? 妙なことですね。して、その使者の名は?」
「それが、シド帝国皇帝陛下の正妃であられるリアーナ様の書状を携えた子供なのでございます」
(おお、まさか!)
私はお妃様がお休みになるのを待ち、謁見室まで走り出した。それは、かつて騎士と呼ばれた私らしい全速力の走りだった。
ロームバルトの宮廷は、腹芸が得意でないストレートな性格の人間にはなかなか辛いところだった。
ベラミ妃様と共にこの国へやってきたものの、私はいまだにこの国の人々の、チクチクと人のアラを探し刺すような言葉に慣れることができずにいる。もちろんどこの国でも貴族というものは噂話や遠回しな悪口や嘲笑を好む者が多いのだが、この国のそれは私の理解を超えている。しかも私は武門の出の無骨者で、ほとんど男性のように育ってしまったため、どうにも女性特有の感情の機微をうまく理解することが難しく、まだまだうまく対応できない。
私がローエングリム伯爵家へ輿入れした時、共に大切な主人を守ろうと夫と誓い合ったものの、やはり夫には女の世界であるベラミ妃様をはじめとする王家の女性たちの住む離宮のことは伝わりにくいし、ロームバルト育ちの夫にとっては、遠回しなイヤミの応酬のような会話も耐性のついている日常会話なので、それがベラミ妃様に与える深刻な影響についてあまり真剣には取り合ってもらえていない気がする。
幸いなことにベラミ妃様はご夫婦仲が良く、それが救いにはなっているが、ご懐妊を機にご公務から距離を取られたことが良くない方へ転んでしまった。王太子様から離れる時間が長くなり、その分王宮の女性たちやお見舞いやご機嫌伺いと称して訪ねてくる貴族の女性たちに日々囲まれることになってしまったのだ。毎日続く彼女たちとの、その言葉に針を隠した物言いの応酬に、ベラミ妃様はどんどん気持ちがささくれていってしまわれた。
「ねえ、マリリア! そんなにシドはひどいところ? 私がシドから持ってきたものに一から十までケチをつけずにはいられないの、あの方たちは! はぁ……あれを笑顔で打ち返し続けるのって疲れるわ……」
才気に溢れたベラミ妃様は、普段ならば決してそのような輩に遅れをとるような方ではないのだが、つわりに苦しみ体調が思わしくないいま、そういった押し付けられた社交が大きな負担となってしまっている。
「マリリア……お母様が送ってくださった、あの素晴らしい子供用の家具が派手すぎて品がないっていうの? あの美しい赤ちゃん用の布製品が、そんなに見苦しい?」
疲れたので躰を休めたいとベラミ妃様がおっしゃり、気が休まらないからと部屋から侍女たちをすべて下がらせた後、ふたりきりになると、お妃様は目に涙を浮かべて悲しげにつぶやかれた。
「お妃様、そんなことがあるわけがないと、ご存知でございましょう? シド帝国の職人たちがお妃様と誕生される御子のために丹精込めて作り上げたお品物ばかりなのでございますよ。どれも、どこへ出しても恥ずかしくない逸品ですとも」
私の言葉にベラミ妃様は、少しだけ笑顔を見せてくれた。
「そうよね。それにあの方たちも今回のことを喜んでくれていないわけじゃないこともわかっているの。それでも、お母様のお心遣いを貶されるのは、とてもつらいわ……」
ロームバルト王国はシド帝国に負い目を持っている。停戦前の状況は、実際はほぼ敗戦に近い状況であったし、現在も国力の差が開くばかりの状態だ。貴族たちにもシド帝国の貴族たちのような余裕はなく、体面を保つために四苦八苦している貴族も多い。いまの彼らを支えているのは、新興のシド帝国には持ち得ないこの国の長い歴史と伝統だけであり、シドは下品で新しすぎ、彼らの趣味に合わないというのが、シドを貶める際の常套句だ。
「まぁ、よくもあれだけ色々な言い方で遠回しに貶すものでございますね。主人によれば、あれでもあの方たちはけなしているつもりもないそうですが……」
「そうね。いつもなら、うまくかわせるのにここのところどうにも気持ちが落ち着かなくて……こんなことではいけないわね」
彼らはシドからの贈り物が素晴らしければ素晴らしいほどケチをつけたくなるのだから困ったものだ。彼らの財力では決して作り得ない素晴らしい素材を使っていることを認めたくないのだろう。そのくせ、下賜されれば我先にと持って帰ろうとするのだから浅ましいのはどちらだと言いたくもなる。それでも嫁がれてからいままで、ベラミ妃様は鷹揚に構えて彼らをかわし、その魅力と才気で徐々にこの王宮内で支持者を集めつつあったのだ。
(ご懐妊による体調の悪化と、夫である王太子様と引き離されたことが、お妃様の才気と気力を鈍らせてしまっている……だがどうしたら良いのか)
せめてもの慰めにと、私の用意した薔薇の紅茶の入った美しいガラスのティーカップを差し出すと、ベラミ妃様は目を細めて、その香りを吸い込み微笑んでくれた。
「いい香りね。〝皇女の薔薇〟私の紅茶……ああ、メイロードの美味しいお菓子が食べたいわ。あの日は本当に楽しい一日だった。お母様がいてマリリアがいて、素敵なお菓子とこの紅茶があって……」
「そうでございましたね。どうしているでしょうね、あの可愛らしい商人は」
私たちがしんみりと、懐かしい故郷での楽しかった日々を思い返していると、ドアがノックされた。
「なんです? お静かになさいませ。ベラミ妃様がお休みになっているというのに……」
私がそういいながらドアの外に出てみると、ベラミ妃様付きの筆頭侍従が恭しく頭を下げてこう言った。
「恐れながら申し上げます。シド帝国よりお妃様への御目通りを願いたいという使者が来ております。なんでもご懐妊の祝いの品の追加分を献上したいとのことで……」
「追加? 妙なことですね。して、その使者の名は?」
「それが、シド帝国皇帝陛下の正妃であられるリアーナ様の書状を携えた子供なのでございます」
(おお、まさか!)
私はお妃様がお休みになるのを待ち、謁見室まで走り出した。それは、かつて騎士と呼ばれた私らしい全速力の走りだった。
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