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1巻
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《無限回廊の扉》……これも意味不明。想像するしかないが〝扉を開くと魔物が出てくる〟とかだったらやだな。どこでも行ける系のあれだったら今後生きていく上で、すごく便利かもしれないけどね。基本、この村でのんびり生きるつもりだけど、ひとり旅にも憧れてるんだよね。もしそうだったら夢が広がるな。
ユニークスキルっていうのは、私だけの能力ってことよね、たぶん。
《生産の陣》……これはなにを生産するんだろう。生産してみればわかるか。どうやって? さあ? わからないから保留します。
《異世界召喚の陣》……何かを前の世界から持ってくることができるのかな、だとしたら便利かもしれない。人を連れて来ちゃうとか? 呼べるんだったら誰がいいかな? まさかモンスターとか呼び出さないよね。ちょっと怖いけど、これも、やってみるしかないか。
加護は《生産と豊穣》の神様。この世界に来る直前の、あの事故後に出会ったふたりは生産と豊穣の神様だったのだろうか? 何かを作り出すことを助けてくれ、たくさんの成果をくれる……素晴らしい加護だよね。イイじゃない。モノづくりは大好き。
前世では、なんの苦しみもなく即死だったのに、転生する際に気絶するほどの痛みを味わうことになるなんて……最悪なシチュエーションにしてくれたあのふたりには、言いたいことがたくさんあるけど、これからに期待するよ。
字名は《護る者》……六歳児の私になにを守れと? そんなふたつ名をつけられても困る。
むしろ護られたいよね、状況的にも。
それから全属性耐性に全属性適性。
いろんなことに耐性があるのはわかった。燃えにくいとか、濡れにくいとか、汚れにくいとか、便利……な気がする。そして適性もある。もしかして、魔法が使えたりする? これはワクワクするね。ともかくできそうなことから検証していこう。時間はあるんだし。
それにしても、この表示本当にゲームっぽい。これってもしかして私がわかりやすいように神様の補正が入っているのかな。まぁ、理解しやすい表示で確かに助かったな。ありがたや。
メイロード・マリス六歳。この能力を使って、異世界でワガママ放題生きてやります!
その後、ハルリリさんの薬局を病院代わりに入院して数日。
瀕死のケガも落ち着いてきた頃、やっとこれからのことを話してくれる人が現れた。この村の村長タルクさん。鼻と耳たぶがすごく長いおじいさんだ。ハルリリさんによると、長命な鍛冶妖精がご先祖なので、ほぼ人間になったいまでもかなり長寿なのだそう。軽く百歳超えらしいけど、見た目は若々しい六十代といった雰囲気だ。ものすごく声が大きいので、長く話すと耳が痛くなるけどね。
「本当に気の毒なことになった」
メイロードの父方の両親は、遥か昔に亡くなっているらしい。だから両親は、ただひとり残っていたこの村の雑貨屋店主だった母方の父を、それは大事に思い、いつも気にかけていたのだそうだ。遠い街から帰省してくるふたりは、村でも評判の孝行者と皆感心していたという。最初に生まれたばかりのメイロードを連れて帰ってきたときには、祖父の大盤振る舞いで、祭りのような大宴会が開かれ、いまでも語り草になっているらしい。
そして今回も、いつものように帰省し、しばらく前から体調を崩していたメイロードの祖父を見舞う予定が、運悪く襲撃にあい亡くなってしまったわけだが……実は当の祖父もすでに亡くなっていた。庶民の通信手段は限られているため、このような行き違いは多いらしい。
(つまり私は両親と祖父を亡くし、孤児となったわけだね)
この世界には〝死者はできるだけ早く正しく葬るべし〟という不文律があるそうで、私の入院中に、祖父も両親もすでに埋葬されている。つまり、私〝メイロード・マリス〟の肉親は私が顔さえ知らないうちに、すでに誰もいなくなってしまったのだ。
ひとりで自由に生きたいと言った私の希望は叶えられている。新しい人生の幕開けとしては壮絶な境遇すぎて嬉しいとは思わないけれど、確かに希望通り私はひとりだ。
「メイちゃんのおじいさんとは古くからの友人だった。村にひとりきりの雑貨商で村一番の美人を嫁にして、可愛い娘と幸せに暮らしておったよ。気の毒に嫁さんを流行病で亡くしてからは、娘のライラがよく働いて支えておったな」
私が倒れている間に、イスでの事後処理や交渉、葬儀の取り仕切り、ハルリリさんへの支払いなど、すべてタルクさんがしてくれたそうだ。祖父や両親とも本当に仲の良い関係だったのだろう。
タルクさんが私をじっと見る。私の姿に祖母や母の面影を探しているのかもしれない。
(もしかして、おばあちゃんとお母さん、村の人気者だったのかな?)
「……これからの話をしなくてはな」
思うところがあったのか、タルクさんは話を変えた。
父が働いていた商店からの見舞金、当座用にと運ばれてきたメイロードの私物や衣服、祖父の残した現金と雑貨店、これが私の受け継ぐすべてだった。
私の選択肢は三つ。
少し大きな町にあるギルド運営の孤児院に行くか、どこかの工房に入るか、自分で働くか。六歳はこの世界ではギリギリ働き始める者が出始める年齢らしい。農家を継ぐ子以外は、村の子の多くが、持って生まれたスキルを磨くために弟子入りしたり、各ギルドの下働きをするのだという。学校とか寄宿舎といった選択があるのは、貴族とそれに準ずる一部の富裕層だけ。庶民の子供の選択肢は少ない。
体力なしで、この世界の知識なし、スキルもよくわからない私が、外で働けるとも思えない。団体生活も嫌だ。となれば……
「雑貨店を継ごうと思います」
私は何の迷いもなく、食い気味に宣言していた。
◆ ◆ ◆
タルクさんが身元引受人になってくれたので、話は一気に進み、私は雑貨店の二階の部屋で暮らし始めることになった。店の場所は村の中心に近く、ハルリリさんの薬屋さんは店から見える距離だった。この村の中では、かなりの好立地といえるだろう。しばらく使っていなかった店は、掃除や在庫チェックなど開店のためにいろいろと準備が必要そうなので、まだしばらくは休業のままにしておく。タルク村長から受け取ったお金を、この村での生活にかかる費用と照らし合わせてみたところ、家賃がかからないいまの状態なら、一年でも余裕で暮らせそうなので、焦らず準備を進めようと思う。
メイロードの祖父が住んでいた店舗の二階部分は、家財道具がそのまま使える状態で置かれていた。どれも古いけれどソファーやベッドの質も良く、手縫いの刺繍の入ったクッションや香りのいいポプリ、それに子供用の小さな人形もあった。それは仲のいい家族が長年大事に住んでいた気配がする、とても居心地がいい部屋だった。ちょっと埃をかぶってしまっているインテリアをきれいにしたり、リメイクしたい欲求にかられるけれど、まだ病み上がりだ。いまはほどほどにしておこう。
水回りは一階裏手。井戸完備。お風呂がないことはかなりショックだが、いずれ改善しよう。私の躰はいまのサイズなら大きめの樽か盥にでもお湯を溜めればなんとかなるし。キッチンは、電気やガスのない時代のヨーロッパ風で、火力は薪だった。薪運びが大変そうだがアンティークな雰囲気のある、なかなか素敵な設計で、私はとても気に入った。
この家の女性陣は料理上手だったらしく、道具も充実しているし、高級というわけではないが食器のセンスもかなりいい。ただ、どれも六歳の私には、重かったり、大きかったりで、使うにはなかなか骨が折れる。しかも何をするにも踏み台を移動しながらなので、ものすごく効率が悪い。いくら家事に自信がある私でも、この体格をカバーするのは簡単ではないようだ。しかも、この子は病み上がりというだけじゃなく、一際躰が小さい。
(無理はしないようにしなくちゃね……)
この家での初めての食事は、薪を使ったコンロに苦戦しながらも何とか作った鳥肉野菜炒め(塩味のみ)と野菜スープ(塩味のみ)。パンは買ってきた。
身長が足りないわ、力はないわで、全然テキパキとはいかないが、急かされもせず、文句も言われず、大きな鍋を力一杯振らなくてもいい自分のための料理は、とても楽しくて、すごく平和、幸せだ。この食材は今朝、村の人たちから買ったものだが、どれも新鮮でおいしい。
村の商店は、いまは休業中のこの店のほかに、パン屋、薬屋だけなのだが、生鮮食品を買い求める人たちのために、毎日朝市が立つ。農家の人たちを中心に、仕事の前の数時間、露店で商いをするのだ。野菜は見たことのないものも多くあったけど、芋や豆、香味野菜だと想像のつくものもあり、なかなか充実していた。
肉類はギルド運営の出店で購入する。畜産や酪農は行われておらず、野生の生き物は村人や冒険者たちが狩ってくるのだそうだ。多くの魔物の肉も貴重な食料として取引されているそうで、味もいいらしい。値段の感覚は、野菜はほぼ前の世界と同じ、肉はやや高めという印象だ。
それにしても、肉や野菜から多少の旨味は感じるとはいえ、ここには塩以外の調味料がない。いまは我慢できるけれど、これは早急に改善する必要がありそうだ。
自慢ではないが、私はぬか漬けを毎日かき回し、家族のためにお弁当を毎日手作りし、高校生になってからは味噌も毎年仕込んでいた、〝オバちゃん〟と呼ばれ続けた家事命女子。食生活の充実は私のレゾンデートル(人生の意義)。
と、気持ちが盛り上がったところで、食事を終え、ハルリリさんに貰ったカモミールの香りのハーブティーを飲みつつ、自分を再度《鑑定》してみる。
メイロード・マリス6歳
HP:20(-1)
MP:1000
スキル:鑑定・緑の手・癒しの手・無限回廊の扉
ユニークスキル:生産の陣・異世界召喚の陣
加護:生産と豊穣
字名:護る者
属性:全属性耐性・全属性適性
《生産の陣》って、何かを作れるってことだよね。
(〝陣〟ってゲームでは〝魔法陣〟のことだったような気がする。じゃ、生産の魔法陣ってどんな形かなぁ……)
そう思うと同時に、頭に複雑な魔法陣が浮かぶ。
次の瞬間、目の前に三十センチぐらいのぼんやり光る球体が現れた。
「な、に、なにこれ?」
一瞬たじろぎつつも、気を取り直し、
「おっと、こういう時に使うんだよね、《鑑定》」
球体に向かって手をかざす。
〉生産の陣――魔法陣内に、作成経験のあるものを複製し産出する
「作成経験? 作ったことのあるものってこと?」
よしやってみよう。
「自家製味噌!」
あれ? 反応なし。
「レーズン入りバターロールパン!」
よく焼いてたんだけどこれもダメか。
「鳥野菜炒め、塩味!」
声に出した瞬間、球体の光が強まって鳥野菜炒めが見えた、と思ったら、床にベシャッと落ちてきて、私は悲鳴をあげた。慌てて拾い上げ、床を掃除する。塩味だけだったので、汚れの被害が少なくて済んだし、まぁ実験成功。
(お皿は私が作ったわけじゃないから認められないのね。それにしてももったいない。でもさすがにこの床に落ちたものは、洗っても食べるのはやめておいた方がいいよね。う~、もったいない)
今度は球体の下に大きめの皿を置いて言ってみる。
「鳥野菜炒め塩味!」
再び光った球体から、今度は皿の上にドサッと肉野菜炒めが落ちた。食べてみると、さっき私が作った野菜炒めと同じ味。
(私がこの世界に来てから作ったものを再生産できるんだ。一度作ればいいわけだから、いますぐどこかに閉じ込められても、最悪お金がなくなっちゃっても飢え死にはないってことだよね。これはすごい。早くレシピを増やさなくちゃ)
まだ食べ物しか試せないけど、おそらくほかのものも一度作れば再現できると考えていいだろう。手作り大好きの私には完璧なスキルだ。ありがとう大きな神様!
嬉しすぎて祈りを捧げながら踊ってしまった。腕がピキっていったよ。まだ完治してないんだ。HPが(-1)だったし。冷静になろう、冷静に。
そうだ。もう一度自分を鑑定してみよう。
鑑定した結果、MPが1減っていた。
自分の《鑑定》には魔法力はいらないみたい。
二回生産したのにマイナス1ということは回数じゃないのね。そういえば、まだ魔法陣は消えてない。発動したら消えるまで有効なんだ、生産し放題だね。
ニヤニヤが止まらない口元を無理矢理引き締めつつ、次の検証を始めることにする。
(生活かかってますから!)
《異世界召喚の陣》の形を思い浮かべようとすると、《生産の陣》は消え、やや青みを帯びた光を放つ直径三十センチぐらいの輪が現れた。おそるおそる輪の中に手を入れてみると、どこに繋がっているのか、手は手品のように見えなくなる。手を入れた先には何もない。
「取り敢えず《鑑定》しなくてはね」
〉異世界召喚の陣――等価値のものを異世界から召喚できる・生きた動物は召喚できない・価値に補正あり・詳細は……
詳細の後の項目が読めないのは、私のスキルが未熟ってことだね、きっと。等価値のものって、お金ってことかな。等価値ならお金でなくてもいいのかな。取り敢えずお金を用意してみよう。
小銭の一カルが十円ぐらい、百カルで一ポル銅貨、十ポルで一銀貨、百ポルで一小金貨となっていくらしい。庶民が金貨を見る機会はあまりないそうだ。
さて何が欲しいかな……
「石鹸!」
この世界にも石鹸らしきものはあるのだが、泡立ちゼロで洗った気がしない。それに前世であまり肌の強くなかった私は、低刺激のものをずっと使っており、できればそれが欲しいのだ。
低刺激の石鹸のブランドと形を思い浮かべながら光る輪に手を入れると、手の上に石鹸が現れ、近くの机に置いた貨幣が点滅するように光った。十カル、ほぼ等価だと思う。光の輪から手を抜くと見慣れた石鹸がむき出しで載っており、机の十カルは消えていた。
購入方法はわかったけれど、なぜむき出しなんだろう。私の思い浮かべ方に問題があったのかもしれない。
今度はしっかりパッケージの柄や形を思い浮かべる。銅貨が点滅している。
あれ? さっきより随分多い、十、二十……五十カル! 超高級石鹸の値段だよ。さっきと同じもののはずなのに……すごく損をしそうな予感がするけど、とにかく買う! 実験だし!
思い切って手を引くと、見慣れた白と青のパッケージ。
「やっぱり同じ石鹸じゃん!」
特売品を定価で買ってしまった時のような、ものすごい脱力感。主婦的金銭感覚の私には、アリエナイ絶望的ミステイク! 机の上からは、ガッツリ五十カルが消えている。
「捨てるだけのパッケージ代が、定価の五分の四ってどういうこと!?」
小銭を失った喪失感に膝を折る。実験だとわかっていても、この虚しさは止められない。
だめだ、ダメージが大きすぎる。今日はここまでで、勘弁して。買えるはずだった四個の石鹸たちに心の底から謝る。
「ごめんなさい。二度とこんな間違いはしません!」
震える手で《鑑定》スキルを発動すると、MPが500なくなっていた。
これがHPだったら死んでるんじゃない? ワタシ。
《異世界召喚の陣》……いろんな意味でダメージが大きすぎ。
捨てるしかない野菜炒めに、無駄にしたお金、買えなかった石鹸四個の衝撃に、すっかり脱力してしまった私は、のそのそとベッドに上がり突っ伏すと、泣きぬれてそのまま眠ってしまい、もったいないおばけに追いかけられる夢にうなされた。
◆ ◆ ◆
昨日の失敗に落ち込んでばかりはいられない。
あれは私のスキルの効果を確かめるために、必要な実験だったのだ。同じ過ちを繰り返さないための、尊い犠牲だったのだ。ありがとう、私の四つの低刺激性石鹸たち! 君たちの犠牲は忘れない。
さて、気分を変えよう。
衛生面に限界がきたので、樽風呂に入ることにする。用意がなかなか大変だけど、風呂のためなら万難を排する、それが日本人。風呂のためストーブ、コンロ総動員でお湯を沸かしつつ、その間に朝と昼のご飯を用意する。
しっかりした硬めのパンを薄くスライスして、ふっくら焼いた出汁巻き玉子を載せてサンドウィッチにしてみた。ふわふわのパンはどうやら売っていないようだったので、これも頭の中の作るものリストに載せて早めに挑戦しようと思う。
出汁巻きに使ったのは、洋風出汁で、朝市で吟味した香味野菜数種類と鳥ガラ(これはタダで貰えた!)、豚肉っぽい味のビッグオークの肉を紐で縛ったものを入れ、じっくり鍋で煮てみたものだ。魔物の肉ってどうなのかと最初は思ったが、使ってみれば深みのある出汁がとれて満足。塩味のスープもコクが出て、やっと食べ物らしくなってきた……ような気がする。出汁を使う習慣があると、出汁を使っていないスープは、悲しいぐらい絶望的な味気なさなのだ。
こうやって、温かいおいしいスープを飲むと、本当に幸せな気分になれる。朝食をとりつつ、これからのことを考えてみた。
《異世界召喚の陣》のリスクは昨日色々と思い知った。一度に吸い取られる魔法力も半端ないし(寝て起きたら魔法力は戻ってはいたけど)、完全なパッケージ込みの商品を買おうとするとものすごくボられる。取り出さないかぎり料金は発生しないみたいなので、価格調査をして必要なもののリストを作ってから、再度挑戦することにしよう。
これから私がやらなければならないことはたくさんある。まず大きな目標として、店を再開するために、新しい商品を作りたい。
(一度作れさえすれば、少しの魔法力で原価タダになるのだから、これをやらない手はないよね)
それから、体力づくりと《鑑定》スキルの向上。
いまの私、下手すると簡単に死んでしまう。この躰の持ち主であるメイロードちゃんが亡くなっていることでも明らか。この虚弱な躰の改善は必須だ。とにかく基礎体力を上げないと、お店の維持も難しいだろう。でもただ運動するのって、生産性がなくてもったいない。
いい手はないかと思いながら、樽風呂で久しぶりのさっぱり感を味わう。準備の大変さには閉口するけれどやっぱりお風呂最高!
(でも髪の毛はやっぱりゴワゴワするな。この長くて細い髪、きれいなんだけどね)
この世界では鏡は貴重品らしく、自分の顔はまだ見たことがないが、髪の毛は割と長いので確認できる。深い緑だった。さすが異世界。
われながら綺麗な髪だけど細くて絡まりやすい。シャンプーとリンスは《異世界召喚の陣》で買うことにしよう。
お昼はハルリリさんにいままでのお礼を兼ねて、ランチボックスを持っていく。
朝作った出汁巻きサンドウィッチ、スープと一緒に煮込んだお肉を取り出してうすくスライスして何枚か重ねたものと葉野菜のサンドウィッチ。雑貨店の商品に酢を発見したので《鑑定》したところ、樹液らしいが食用だったので、これに塩といくつかの香りのある野菜と合わせて味付けに使った。小さめのお鍋に移し替えたスープも箱に入れ持っていく。
(う、ちょっと重い。でも近くだから大丈夫なはず)
これも少しは体力強化になるだろうか、と思いながら、私はよろめきつつ薬屋さんへ向かった。
「ストーブの上、ちょっと借ります」
お店に着くと、ストーブの上のやかんをずらしてスープの鍋を温める。
「メイちゃん、何を買ってきたの? なんだか不思議な香りがするね。楽しみ!」
ピョンピョン飛びながら箱を覗き込むハルリリさん、可愛すぎ。
「お礼と言うにはささやか過ぎますが、二種類のサンドウィッチとスープ、それに浅漬けの野菜ピクルスです」
「え! てっきり買ってきたんだと思ってた。手作りのランチ! うれしい~」
さらにピョンピョン、席についても、ピョンピョンしてる。
「まだこちらの環境に慣れていないので、たいしたものじゃないんですが、心を込めて手作りしました。ハルリリさんに治療してもらえて、感謝しています。ありがとうございました」
深々と頭を下げると、ハルリリさんは照れまくり、手をヒラヒラさせた。
スープを木製のお椀によそい、皿に料理を整えて、お手拭き用のリネンとスプーンをセットする。
「食べていい?」
「はいどうぞ。手掴みですので、お手拭き使ってくださいね」
と言ったときには、ハルリリさん、豪快に大口一杯、頬張っていた。
「何これ、おいしすぎるよ! 玉子だけなのにフワフワでジューシーで、百個でも食べられそう! きゃーもうなくなっちゃう!」
あっという間にひとつめを食べ、もうひとつに手を伸ばす。
「こっちはうす切りの肉がたっぷりで、葉っぱがシャキシャキ、酸味のある味付けがサッパリして、たまらなーい! 二百個でもいけます! ああ、もうないよ、ああ!」
耳が嬉しさと悲しさでパタパタしてる。
ハルリリさんのハイテンションに呆気にとられつつ、高評価にホッとする。おいしく食べてくれるのは、やっぱりうれしい。それにしても、気持ちのいい食べっぷり。まったく足りないようなので、私のお皿の分も差し出す。
「え! ダメだよ。メイちゃんの分がなくなっちゃうよ」
「大丈夫です。たくさん材料は持ってきていますから。ゆっくり食べていてくださいね。追加を作りますから」
材料が入っているフリで、ちょっと重そうに布がかけられた箱を持つとハルリリさんのキッチンに移動する。
《生産の陣》
言葉にしなくても、思い浮かべれば現れた。ふと思いついて、光の中にお皿を持った手を入れる。
(出汁巻きサンドウィッチ)
念じると現れたサンドウィッチは綺麗にお皿に載っている。
お皿ごと光から取り出して、サンドウィッチをキッチンにあった大皿へ移した後、また皿を持ち、
(オーク肉のスライスと野菜のサンドウィッチ、ビネガーソース)
と念じると、お皿の上には朝作ったものと寸分違わないサンドウィッチ。この作業を繰り返して、五個ずつ計十個の山盛りサンドウィッチができあがった。これ以上はさすがに不自然なので、打ち止めにし、いま組み合わせて作りました、というテイで、若干時間を置いてから、テーブルに戻る。
すでにお皿は空っぽで、ハルリリさんはスティック状に切った浅漬けの野菜を、高速でポリポリ食べている。うーん、ウサギっぽい。
「あるだけ作りましたので、お好きなだけ食べてくださいね」
ドンと置かれた山盛りサンドウィッチに、ハルリリさんの目がキラキラしている。
耳はプルプルしているし、テーブルがガタガタ揺れているところを見ると、小さくピョンピョン跳ねているようだ。わかりやすいなぁ、バニーの喜怒哀楽。
再び手を伸ばしかけて、ちょっと顔を赤らめたハルリリさんは、
「今度は落ち着いてふたりでいただきましょう。ゆっくりお話をしながら……」
と言って、私の分を取り分けてくれた。相変わらず食べっぷりは豪快だけど、今度はお話する余裕ができたようだ。
「実を言うと、忙し過ぎて、食べることが後回しになっちゃってね」
「お忙しいんですね」
「この辺りで薬が作れるのは私だけだから、ここに薬屋があることを知った人たちが、最近はかなり遠くからも買いに来るようになってきて、なんだか忙しくなっちゃったの。本当は薬の素材集めのために採取にも行かなくちゃならないんだけど、メイちゃんのこともあってそれもできてないしね。あっ、でも別にメイちゃんが悪いわけじゃないからね」
(いやそれ私のせいだと思う。ん? 採取?)
ユニークスキルっていうのは、私だけの能力ってことよね、たぶん。
《生産の陣》……これはなにを生産するんだろう。生産してみればわかるか。どうやって? さあ? わからないから保留します。
《異世界召喚の陣》……何かを前の世界から持ってくることができるのかな、だとしたら便利かもしれない。人を連れて来ちゃうとか? 呼べるんだったら誰がいいかな? まさかモンスターとか呼び出さないよね。ちょっと怖いけど、これも、やってみるしかないか。
加護は《生産と豊穣》の神様。この世界に来る直前の、あの事故後に出会ったふたりは生産と豊穣の神様だったのだろうか? 何かを作り出すことを助けてくれ、たくさんの成果をくれる……素晴らしい加護だよね。イイじゃない。モノづくりは大好き。
前世では、なんの苦しみもなく即死だったのに、転生する際に気絶するほどの痛みを味わうことになるなんて……最悪なシチュエーションにしてくれたあのふたりには、言いたいことがたくさんあるけど、これからに期待するよ。
字名は《護る者》……六歳児の私になにを守れと? そんなふたつ名をつけられても困る。
むしろ護られたいよね、状況的にも。
それから全属性耐性に全属性適性。
いろんなことに耐性があるのはわかった。燃えにくいとか、濡れにくいとか、汚れにくいとか、便利……な気がする。そして適性もある。もしかして、魔法が使えたりする? これはワクワクするね。ともかくできそうなことから検証していこう。時間はあるんだし。
それにしても、この表示本当にゲームっぽい。これってもしかして私がわかりやすいように神様の補正が入っているのかな。まぁ、理解しやすい表示で確かに助かったな。ありがたや。
メイロード・マリス六歳。この能力を使って、異世界でワガママ放題生きてやります!
その後、ハルリリさんの薬局を病院代わりに入院して数日。
瀕死のケガも落ち着いてきた頃、やっとこれからのことを話してくれる人が現れた。この村の村長タルクさん。鼻と耳たぶがすごく長いおじいさんだ。ハルリリさんによると、長命な鍛冶妖精がご先祖なので、ほぼ人間になったいまでもかなり長寿なのだそう。軽く百歳超えらしいけど、見た目は若々しい六十代といった雰囲気だ。ものすごく声が大きいので、長く話すと耳が痛くなるけどね。
「本当に気の毒なことになった」
メイロードの父方の両親は、遥か昔に亡くなっているらしい。だから両親は、ただひとり残っていたこの村の雑貨屋店主だった母方の父を、それは大事に思い、いつも気にかけていたのだそうだ。遠い街から帰省してくるふたりは、村でも評判の孝行者と皆感心していたという。最初に生まれたばかりのメイロードを連れて帰ってきたときには、祖父の大盤振る舞いで、祭りのような大宴会が開かれ、いまでも語り草になっているらしい。
そして今回も、いつものように帰省し、しばらく前から体調を崩していたメイロードの祖父を見舞う予定が、運悪く襲撃にあい亡くなってしまったわけだが……実は当の祖父もすでに亡くなっていた。庶民の通信手段は限られているため、このような行き違いは多いらしい。
(つまり私は両親と祖父を亡くし、孤児となったわけだね)
この世界には〝死者はできるだけ早く正しく葬るべし〟という不文律があるそうで、私の入院中に、祖父も両親もすでに埋葬されている。つまり、私〝メイロード・マリス〟の肉親は私が顔さえ知らないうちに、すでに誰もいなくなってしまったのだ。
ひとりで自由に生きたいと言った私の希望は叶えられている。新しい人生の幕開けとしては壮絶な境遇すぎて嬉しいとは思わないけれど、確かに希望通り私はひとりだ。
「メイちゃんのおじいさんとは古くからの友人だった。村にひとりきりの雑貨商で村一番の美人を嫁にして、可愛い娘と幸せに暮らしておったよ。気の毒に嫁さんを流行病で亡くしてからは、娘のライラがよく働いて支えておったな」
私が倒れている間に、イスでの事後処理や交渉、葬儀の取り仕切り、ハルリリさんへの支払いなど、すべてタルクさんがしてくれたそうだ。祖父や両親とも本当に仲の良い関係だったのだろう。
タルクさんが私をじっと見る。私の姿に祖母や母の面影を探しているのかもしれない。
(もしかして、おばあちゃんとお母さん、村の人気者だったのかな?)
「……これからの話をしなくてはな」
思うところがあったのか、タルクさんは話を変えた。
父が働いていた商店からの見舞金、当座用にと運ばれてきたメイロードの私物や衣服、祖父の残した現金と雑貨店、これが私の受け継ぐすべてだった。
私の選択肢は三つ。
少し大きな町にあるギルド運営の孤児院に行くか、どこかの工房に入るか、自分で働くか。六歳はこの世界ではギリギリ働き始める者が出始める年齢らしい。農家を継ぐ子以外は、村の子の多くが、持って生まれたスキルを磨くために弟子入りしたり、各ギルドの下働きをするのだという。学校とか寄宿舎といった選択があるのは、貴族とそれに準ずる一部の富裕層だけ。庶民の子供の選択肢は少ない。
体力なしで、この世界の知識なし、スキルもよくわからない私が、外で働けるとも思えない。団体生活も嫌だ。となれば……
「雑貨店を継ごうと思います」
私は何の迷いもなく、食い気味に宣言していた。
◆ ◆ ◆
タルクさんが身元引受人になってくれたので、話は一気に進み、私は雑貨店の二階の部屋で暮らし始めることになった。店の場所は村の中心に近く、ハルリリさんの薬屋さんは店から見える距離だった。この村の中では、かなりの好立地といえるだろう。しばらく使っていなかった店は、掃除や在庫チェックなど開店のためにいろいろと準備が必要そうなので、まだしばらくは休業のままにしておく。タルク村長から受け取ったお金を、この村での生活にかかる費用と照らし合わせてみたところ、家賃がかからないいまの状態なら、一年でも余裕で暮らせそうなので、焦らず準備を進めようと思う。
メイロードの祖父が住んでいた店舗の二階部分は、家財道具がそのまま使える状態で置かれていた。どれも古いけれどソファーやベッドの質も良く、手縫いの刺繍の入ったクッションや香りのいいポプリ、それに子供用の小さな人形もあった。それは仲のいい家族が長年大事に住んでいた気配がする、とても居心地がいい部屋だった。ちょっと埃をかぶってしまっているインテリアをきれいにしたり、リメイクしたい欲求にかられるけれど、まだ病み上がりだ。いまはほどほどにしておこう。
水回りは一階裏手。井戸完備。お風呂がないことはかなりショックだが、いずれ改善しよう。私の躰はいまのサイズなら大きめの樽か盥にでもお湯を溜めればなんとかなるし。キッチンは、電気やガスのない時代のヨーロッパ風で、火力は薪だった。薪運びが大変そうだがアンティークな雰囲気のある、なかなか素敵な設計で、私はとても気に入った。
この家の女性陣は料理上手だったらしく、道具も充実しているし、高級というわけではないが食器のセンスもかなりいい。ただ、どれも六歳の私には、重かったり、大きかったりで、使うにはなかなか骨が折れる。しかも何をするにも踏み台を移動しながらなので、ものすごく効率が悪い。いくら家事に自信がある私でも、この体格をカバーするのは簡単ではないようだ。しかも、この子は病み上がりというだけじゃなく、一際躰が小さい。
(無理はしないようにしなくちゃね……)
この家での初めての食事は、薪を使ったコンロに苦戦しながらも何とか作った鳥肉野菜炒め(塩味のみ)と野菜スープ(塩味のみ)。パンは買ってきた。
身長が足りないわ、力はないわで、全然テキパキとはいかないが、急かされもせず、文句も言われず、大きな鍋を力一杯振らなくてもいい自分のための料理は、とても楽しくて、すごく平和、幸せだ。この食材は今朝、村の人たちから買ったものだが、どれも新鮮でおいしい。
村の商店は、いまは休業中のこの店のほかに、パン屋、薬屋だけなのだが、生鮮食品を買い求める人たちのために、毎日朝市が立つ。農家の人たちを中心に、仕事の前の数時間、露店で商いをするのだ。野菜は見たことのないものも多くあったけど、芋や豆、香味野菜だと想像のつくものもあり、なかなか充実していた。
肉類はギルド運営の出店で購入する。畜産や酪農は行われておらず、野生の生き物は村人や冒険者たちが狩ってくるのだそうだ。多くの魔物の肉も貴重な食料として取引されているそうで、味もいいらしい。値段の感覚は、野菜はほぼ前の世界と同じ、肉はやや高めという印象だ。
それにしても、肉や野菜から多少の旨味は感じるとはいえ、ここには塩以外の調味料がない。いまは我慢できるけれど、これは早急に改善する必要がありそうだ。
自慢ではないが、私はぬか漬けを毎日かき回し、家族のためにお弁当を毎日手作りし、高校生になってからは味噌も毎年仕込んでいた、〝オバちゃん〟と呼ばれ続けた家事命女子。食生活の充実は私のレゾンデートル(人生の意義)。
と、気持ちが盛り上がったところで、食事を終え、ハルリリさんに貰ったカモミールの香りのハーブティーを飲みつつ、自分を再度《鑑定》してみる。
メイロード・マリス6歳
HP:20(-1)
MP:1000
スキル:鑑定・緑の手・癒しの手・無限回廊の扉
ユニークスキル:生産の陣・異世界召喚の陣
加護:生産と豊穣
字名:護る者
属性:全属性耐性・全属性適性
《生産の陣》って、何かを作れるってことだよね。
(〝陣〟ってゲームでは〝魔法陣〟のことだったような気がする。じゃ、生産の魔法陣ってどんな形かなぁ……)
そう思うと同時に、頭に複雑な魔法陣が浮かぶ。
次の瞬間、目の前に三十センチぐらいのぼんやり光る球体が現れた。
「な、に、なにこれ?」
一瞬たじろぎつつも、気を取り直し、
「おっと、こういう時に使うんだよね、《鑑定》」
球体に向かって手をかざす。
〉生産の陣――魔法陣内に、作成経験のあるものを複製し産出する
「作成経験? 作ったことのあるものってこと?」
よしやってみよう。
「自家製味噌!」
あれ? 反応なし。
「レーズン入りバターロールパン!」
よく焼いてたんだけどこれもダメか。
「鳥野菜炒め、塩味!」
声に出した瞬間、球体の光が強まって鳥野菜炒めが見えた、と思ったら、床にベシャッと落ちてきて、私は悲鳴をあげた。慌てて拾い上げ、床を掃除する。塩味だけだったので、汚れの被害が少なくて済んだし、まぁ実験成功。
(お皿は私が作ったわけじゃないから認められないのね。それにしてももったいない。でもさすがにこの床に落ちたものは、洗っても食べるのはやめておいた方がいいよね。う~、もったいない)
今度は球体の下に大きめの皿を置いて言ってみる。
「鳥野菜炒め塩味!」
再び光った球体から、今度は皿の上にドサッと肉野菜炒めが落ちた。食べてみると、さっき私が作った野菜炒めと同じ味。
(私がこの世界に来てから作ったものを再生産できるんだ。一度作ればいいわけだから、いますぐどこかに閉じ込められても、最悪お金がなくなっちゃっても飢え死にはないってことだよね。これはすごい。早くレシピを増やさなくちゃ)
まだ食べ物しか試せないけど、おそらくほかのものも一度作れば再現できると考えていいだろう。手作り大好きの私には完璧なスキルだ。ありがとう大きな神様!
嬉しすぎて祈りを捧げながら踊ってしまった。腕がピキっていったよ。まだ完治してないんだ。HPが(-1)だったし。冷静になろう、冷静に。
そうだ。もう一度自分を鑑定してみよう。
鑑定した結果、MPが1減っていた。
自分の《鑑定》には魔法力はいらないみたい。
二回生産したのにマイナス1ということは回数じゃないのね。そういえば、まだ魔法陣は消えてない。発動したら消えるまで有効なんだ、生産し放題だね。
ニヤニヤが止まらない口元を無理矢理引き締めつつ、次の検証を始めることにする。
(生活かかってますから!)
《異世界召喚の陣》の形を思い浮かべようとすると、《生産の陣》は消え、やや青みを帯びた光を放つ直径三十センチぐらいの輪が現れた。おそるおそる輪の中に手を入れてみると、どこに繋がっているのか、手は手品のように見えなくなる。手を入れた先には何もない。
「取り敢えず《鑑定》しなくてはね」
〉異世界召喚の陣――等価値のものを異世界から召喚できる・生きた動物は召喚できない・価値に補正あり・詳細は……
詳細の後の項目が読めないのは、私のスキルが未熟ってことだね、きっと。等価値のものって、お金ってことかな。等価値ならお金でなくてもいいのかな。取り敢えずお金を用意してみよう。
小銭の一カルが十円ぐらい、百カルで一ポル銅貨、十ポルで一銀貨、百ポルで一小金貨となっていくらしい。庶民が金貨を見る機会はあまりないそうだ。
さて何が欲しいかな……
「石鹸!」
この世界にも石鹸らしきものはあるのだが、泡立ちゼロで洗った気がしない。それに前世であまり肌の強くなかった私は、低刺激のものをずっと使っており、できればそれが欲しいのだ。
低刺激の石鹸のブランドと形を思い浮かべながら光る輪に手を入れると、手の上に石鹸が現れ、近くの机に置いた貨幣が点滅するように光った。十カル、ほぼ等価だと思う。光の輪から手を抜くと見慣れた石鹸がむき出しで載っており、机の十カルは消えていた。
購入方法はわかったけれど、なぜむき出しなんだろう。私の思い浮かべ方に問題があったのかもしれない。
今度はしっかりパッケージの柄や形を思い浮かべる。銅貨が点滅している。
あれ? さっきより随分多い、十、二十……五十カル! 超高級石鹸の値段だよ。さっきと同じもののはずなのに……すごく損をしそうな予感がするけど、とにかく買う! 実験だし!
思い切って手を引くと、見慣れた白と青のパッケージ。
「やっぱり同じ石鹸じゃん!」
特売品を定価で買ってしまった時のような、ものすごい脱力感。主婦的金銭感覚の私には、アリエナイ絶望的ミステイク! 机の上からは、ガッツリ五十カルが消えている。
「捨てるだけのパッケージ代が、定価の五分の四ってどういうこと!?」
小銭を失った喪失感に膝を折る。実験だとわかっていても、この虚しさは止められない。
だめだ、ダメージが大きすぎる。今日はここまでで、勘弁して。買えるはずだった四個の石鹸たちに心の底から謝る。
「ごめんなさい。二度とこんな間違いはしません!」
震える手で《鑑定》スキルを発動すると、MPが500なくなっていた。
これがHPだったら死んでるんじゃない? ワタシ。
《異世界召喚の陣》……いろんな意味でダメージが大きすぎ。
捨てるしかない野菜炒めに、無駄にしたお金、買えなかった石鹸四個の衝撃に、すっかり脱力してしまった私は、のそのそとベッドに上がり突っ伏すと、泣きぬれてそのまま眠ってしまい、もったいないおばけに追いかけられる夢にうなされた。
◆ ◆ ◆
昨日の失敗に落ち込んでばかりはいられない。
あれは私のスキルの効果を確かめるために、必要な実験だったのだ。同じ過ちを繰り返さないための、尊い犠牲だったのだ。ありがとう、私の四つの低刺激性石鹸たち! 君たちの犠牲は忘れない。
さて、気分を変えよう。
衛生面に限界がきたので、樽風呂に入ることにする。用意がなかなか大変だけど、風呂のためなら万難を排する、それが日本人。風呂のためストーブ、コンロ総動員でお湯を沸かしつつ、その間に朝と昼のご飯を用意する。
しっかりした硬めのパンを薄くスライスして、ふっくら焼いた出汁巻き玉子を載せてサンドウィッチにしてみた。ふわふわのパンはどうやら売っていないようだったので、これも頭の中の作るものリストに載せて早めに挑戦しようと思う。
出汁巻きに使ったのは、洋風出汁で、朝市で吟味した香味野菜数種類と鳥ガラ(これはタダで貰えた!)、豚肉っぽい味のビッグオークの肉を紐で縛ったものを入れ、じっくり鍋で煮てみたものだ。魔物の肉ってどうなのかと最初は思ったが、使ってみれば深みのある出汁がとれて満足。塩味のスープもコクが出て、やっと食べ物らしくなってきた……ような気がする。出汁を使う習慣があると、出汁を使っていないスープは、悲しいぐらい絶望的な味気なさなのだ。
こうやって、温かいおいしいスープを飲むと、本当に幸せな気分になれる。朝食をとりつつ、これからのことを考えてみた。
《異世界召喚の陣》のリスクは昨日色々と思い知った。一度に吸い取られる魔法力も半端ないし(寝て起きたら魔法力は戻ってはいたけど)、完全なパッケージ込みの商品を買おうとするとものすごくボられる。取り出さないかぎり料金は発生しないみたいなので、価格調査をして必要なもののリストを作ってから、再度挑戦することにしよう。
これから私がやらなければならないことはたくさんある。まず大きな目標として、店を再開するために、新しい商品を作りたい。
(一度作れさえすれば、少しの魔法力で原価タダになるのだから、これをやらない手はないよね)
それから、体力づくりと《鑑定》スキルの向上。
いまの私、下手すると簡単に死んでしまう。この躰の持ち主であるメイロードちゃんが亡くなっていることでも明らか。この虚弱な躰の改善は必須だ。とにかく基礎体力を上げないと、お店の維持も難しいだろう。でもただ運動するのって、生産性がなくてもったいない。
いい手はないかと思いながら、樽風呂で久しぶりのさっぱり感を味わう。準備の大変さには閉口するけれどやっぱりお風呂最高!
(でも髪の毛はやっぱりゴワゴワするな。この長くて細い髪、きれいなんだけどね)
この世界では鏡は貴重品らしく、自分の顔はまだ見たことがないが、髪の毛は割と長いので確認できる。深い緑だった。さすが異世界。
われながら綺麗な髪だけど細くて絡まりやすい。シャンプーとリンスは《異世界召喚の陣》で買うことにしよう。
お昼はハルリリさんにいままでのお礼を兼ねて、ランチボックスを持っていく。
朝作った出汁巻きサンドウィッチ、スープと一緒に煮込んだお肉を取り出してうすくスライスして何枚か重ねたものと葉野菜のサンドウィッチ。雑貨店の商品に酢を発見したので《鑑定》したところ、樹液らしいが食用だったので、これに塩といくつかの香りのある野菜と合わせて味付けに使った。小さめのお鍋に移し替えたスープも箱に入れ持っていく。
(う、ちょっと重い。でも近くだから大丈夫なはず)
これも少しは体力強化になるだろうか、と思いながら、私はよろめきつつ薬屋さんへ向かった。
「ストーブの上、ちょっと借ります」
お店に着くと、ストーブの上のやかんをずらしてスープの鍋を温める。
「メイちゃん、何を買ってきたの? なんだか不思議な香りがするね。楽しみ!」
ピョンピョン飛びながら箱を覗き込むハルリリさん、可愛すぎ。
「お礼と言うにはささやか過ぎますが、二種類のサンドウィッチとスープ、それに浅漬けの野菜ピクルスです」
「え! てっきり買ってきたんだと思ってた。手作りのランチ! うれしい~」
さらにピョンピョン、席についても、ピョンピョンしてる。
「まだこちらの環境に慣れていないので、たいしたものじゃないんですが、心を込めて手作りしました。ハルリリさんに治療してもらえて、感謝しています。ありがとうございました」
深々と頭を下げると、ハルリリさんは照れまくり、手をヒラヒラさせた。
スープを木製のお椀によそい、皿に料理を整えて、お手拭き用のリネンとスプーンをセットする。
「食べていい?」
「はいどうぞ。手掴みですので、お手拭き使ってくださいね」
と言ったときには、ハルリリさん、豪快に大口一杯、頬張っていた。
「何これ、おいしすぎるよ! 玉子だけなのにフワフワでジューシーで、百個でも食べられそう! きゃーもうなくなっちゃう!」
あっという間にひとつめを食べ、もうひとつに手を伸ばす。
「こっちはうす切りの肉がたっぷりで、葉っぱがシャキシャキ、酸味のある味付けがサッパリして、たまらなーい! 二百個でもいけます! ああ、もうないよ、ああ!」
耳が嬉しさと悲しさでパタパタしてる。
ハルリリさんのハイテンションに呆気にとられつつ、高評価にホッとする。おいしく食べてくれるのは、やっぱりうれしい。それにしても、気持ちのいい食べっぷり。まったく足りないようなので、私のお皿の分も差し出す。
「え! ダメだよ。メイちゃんの分がなくなっちゃうよ」
「大丈夫です。たくさん材料は持ってきていますから。ゆっくり食べていてくださいね。追加を作りますから」
材料が入っているフリで、ちょっと重そうに布がかけられた箱を持つとハルリリさんのキッチンに移動する。
《生産の陣》
言葉にしなくても、思い浮かべれば現れた。ふと思いついて、光の中にお皿を持った手を入れる。
(出汁巻きサンドウィッチ)
念じると現れたサンドウィッチは綺麗にお皿に載っている。
お皿ごと光から取り出して、サンドウィッチをキッチンにあった大皿へ移した後、また皿を持ち、
(オーク肉のスライスと野菜のサンドウィッチ、ビネガーソース)
と念じると、お皿の上には朝作ったものと寸分違わないサンドウィッチ。この作業を繰り返して、五個ずつ計十個の山盛りサンドウィッチができあがった。これ以上はさすがに不自然なので、打ち止めにし、いま組み合わせて作りました、というテイで、若干時間を置いてから、テーブルに戻る。
すでにお皿は空っぽで、ハルリリさんはスティック状に切った浅漬けの野菜を、高速でポリポリ食べている。うーん、ウサギっぽい。
「あるだけ作りましたので、お好きなだけ食べてくださいね」
ドンと置かれた山盛りサンドウィッチに、ハルリリさんの目がキラキラしている。
耳はプルプルしているし、テーブルがガタガタ揺れているところを見ると、小さくピョンピョン跳ねているようだ。わかりやすいなぁ、バニーの喜怒哀楽。
再び手を伸ばしかけて、ちょっと顔を赤らめたハルリリさんは、
「今度は落ち着いてふたりでいただきましょう。ゆっくりお話をしながら……」
と言って、私の分を取り分けてくれた。相変わらず食べっぷりは豪快だけど、今度はお話する余裕ができたようだ。
「実を言うと、忙し過ぎて、食べることが後回しになっちゃってね」
「お忙しいんですね」
「この辺りで薬が作れるのは私だけだから、ここに薬屋があることを知った人たちが、最近はかなり遠くからも買いに来るようになってきて、なんだか忙しくなっちゃったの。本当は薬の素材集めのために採取にも行かなくちゃならないんだけど、メイちゃんのこともあってそれもできてないしね。あっ、でも別にメイちゃんが悪いわけじゃないからね」
(いやそれ私のせいだと思う。ん? 採取?)
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