280 / 837
3 魔法学校の聖人候補
469 山の事故
しおりを挟む
469
帝国の直轄地であるセルツの全権は、もちろん軍が掌握しているが、人々を統べるため代表者としてこの町ができた時からその任についているのがマッツア子爵家だ。街の人たちからは親しげに〝御館様〟と呼ばれるマッツア家の当主は、パレスとセルツを行き来しながら、この街の統治と警備を担当している。
現在では忙しい父に変わり、行政についてはサラエの長兄アノックが、軍部の代表は次兄のエベットが、そしてサラエ・マッツアは、山岳地帯であるこの街で最も重要で機動力のある実働部隊である騎馬隊を率いている。
子供の頃から、毎日この街の周囲の野山を馬で駆け回っていたサラエは、魔法騎士になるため一年だけ魔法学校へと入り〝基礎魔法講座〟を終えると、すぐ士官学校へと編入し、攻撃魔法と剣術の腕を磨いた。細い躰ながら、敏捷性を生かした剣術と強い威力を秘めた《風魔法》による魔法攻撃で、女性ながらすぐに頭角を現した。騎馬隊長となったいまでは部下や街の人々に慕われ、颯爽とした美しさを持つ彼女を〝騎馬姫〟と呼ぶ人も多く、その人望は厚い。
休日は訓練を兼ねて、愛馬とともに山を駆ける。
「今日も山へお出かけかね、騎馬姫様」
「サラエ姫様、今日はいい天気だ。西の尾根ではリリアの花が綺麗に咲いてるよ」
「馬の好きな草は、東の原っぱに多いですよ、騎馬姫様」
街を抜けていくサラエに、人々は親しげに声をかけ、サラエも馬上から気軽にそれに応えて笑顔を向ける。サラエはこの街の顔であり、街の人たちは彼女を街の守護神と崇めていた。
「ありがとう、行ってみることにするよ!」
街の人たちはいつものように颯爽と駆け抜けていく騎馬姫を、手を振って見送った。
確かに今日の天気は良好で、空は気持ちよく晴れ、風も心地よく吹いている。軽く束ねただけの髪を翻し、サラエは山を駆けながら、崖崩れの心配される山道や魔物の目撃情報のあった場所を見回り、やがてリリアの白く可憐な花が咲き乱れる西の尾根までやってきた。
「おお、これは確かに美しい」
ちらほらと残る雪の中で伸び始めた草の中、風に吹かれる小さなリリアの花に目を細めるサラエ。
「お前の名はこの花からとったんだよ、リリア」
サラエは真っ白な愛馬の背を優しく撫でながら、しばし春の気配が濃くなってきた山の様子を眺めた。
「上の方はまだまだ雪に覆われているが、このあたりはもう春の気配だな。今年は少し春が早いようだ。雪が急速に緩むようだと雪崩にも注意が必要だな」
休日の遠乗りとはいえ、生真面目なサラエは仕事のことを完全に忘れることはない。山頂の雪の様子を少し確認しようと、まだ雪が多く残る山道を慣れた手綱捌きで駆け上がる。片側が崖になった山道だが、幅は十分で定期的に整備もされているため、危険は少ない場所だ。
だが、その特に危険のない道を駆け始めてしばらくしたところで、急に地面が揺れた。
(な、なんだ!? こんなところに雪庇が? いや、それはあり得ない!)
対応する間もなく、サラエは愛馬とともに、山の崖から放り出されるように落ちていった。
(私だけなら、《風魔法》で速度を弱めてやれば助かるだろうが、リリアは助からない。ああ、どうしよう)
愛馬が気になって仕方がないリリアは、得意の《風魔法》にすらうまく集中できぬまま〝死〟すら頭に浮かんでいた。
だが、一瞬目をつぶった彼女が再び目を開けると、彼女の躰は宙に浮かんでいた。
(こ、これは《エアバブル》?)
大きな空気の風船はサラエを、そしてもうひとつがサラエの目の前にリリアを浮かべてゆっくりと下降していった。
(こんなとんでもない強度の《エアバブル》なんて、見たことがない。しかもそれを《風魔法》を使って正確に制御している。素晴らしい技術だが……でも、一体これはどういうことだ?)
状況が飲み込めずに混乱したまま、サラエはゆっくりと崖下の雪原に着地し、同じく着地したリリア号と無事を喜び合った。
「ああ、よかったリリア! 怪我はないか!」
愛馬の無事に心からホッとしたリリアが周りを見回すと、そこに人が立っていることに気がついた。
それは、魔法使いの老婆と美しい緑の髪の少女という不思議なふたり連れで、ふたりの少年たちを従者に連れており、この山深い場所に馬も連れずやってきているようだった。
「サラエ姫さま、ご無事で何よりでございました」
老婆の声で、サラエは気づいた。
「ああ、魔術師横丁のおばばだな。魔法付与した蹄鉄がないかと相談した時以来だな。しかし、なぜおばばがこんなところにいるのだ?」
〝魔法薬師の宝箱〟店主であるエルリベット・バレリオは、それにすぐには答えず、まずは山を下りることを勧め、後で店に来て頂きたいと告げた。
「私たちもすぐに参りますので、ご心配には及びません。ここは危険です。愛馬をなくすようなことにならぬよう、お早くお帰りくださいませ」
おばばのただならぬ物言いに、背筋に寒いものを感じたサラエは、何も言わず頷き、すぐにリリア号を駆って踵を返し下山していった。
少しだけ下ったところで、おばばのいた場所を振り返ったが、そこにはもう誰の姿もなく、ただ雪をはらんだ風だけが吹いていた。
帝国の直轄地であるセルツの全権は、もちろん軍が掌握しているが、人々を統べるため代表者としてこの町ができた時からその任についているのがマッツア子爵家だ。街の人たちからは親しげに〝御館様〟と呼ばれるマッツア家の当主は、パレスとセルツを行き来しながら、この街の統治と警備を担当している。
現在では忙しい父に変わり、行政についてはサラエの長兄アノックが、軍部の代表は次兄のエベットが、そしてサラエ・マッツアは、山岳地帯であるこの街で最も重要で機動力のある実働部隊である騎馬隊を率いている。
子供の頃から、毎日この街の周囲の野山を馬で駆け回っていたサラエは、魔法騎士になるため一年だけ魔法学校へと入り〝基礎魔法講座〟を終えると、すぐ士官学校へと編入し、攻撃魔法と剣術の腕を磨いた。細い躰ながら、敏捷性を生かした剣術と強い威力を秘めた《風魔法》による魔法攻撃で、女性ながらすぐに頭角を現した。騎馬隊長となったいまでは部下や街の人々に慕われ、颯爽とした美しさを持つ彼女を〝騎馬姫〟と呼ぶ人も多く、その人望は厚い。
休日は訓練を兼ねて、愛馬とともに山を駆ける。
「今日も山へお出かけかね、騎馬姫様」
「サラエ姫様、今日はいい天気だ。西の尾根ではリリアの花が綺麗に咲いてるよ」
「馬の好きな草は、東の原っぱに多いですよ、騎馬姫様」
街を抜けていくサラエに、人々は親しげに声をかけ、サラエも馬上から気軽にそれに応えて笑顔を向ける。サラエはこの街の顔であり、街の人たちは彼女を街の守護神と崇めていた。
「ありがとう、行ってみることにするよ!」
街の人たちはいつものように颯爽と駆け抜けていく騎馬姫を、手を振って見送った。
確かに今日の天気は良好で、空は気持ちよく晴れ、風も心地よく吹いている。軽く束ねただけの髪を翻し、サラエは山を駆けながら、崖崩れの心配される山道や魔物の目撃情報のあった場所を見回り、やがてリリアの白く可憐な花が咲き乱れる西の尾根までやってきた。
「おお、これは確かに美しい」
ちらほらと残る雪の中で伸び始めた草の中、風に吹かれる小さなリリアの花に目を細めるサラエ。
「お前の名はこの花からとったんだよ、リリア」
サラエは真っ白な愛馬の背を優しく撫でながら、しばし春の気配が濃くなってきた山の様子を眺めた。
「上の方はまだまだ雪に覆われているが、このあたりはもう春の気配だな。今年は少し春が早いようだ。雪が急速に緩むようだと雪崩にも注意が必要だな」
休日の遠乗りとはいえ、生真面目なサラエは仕事のことを完全に忘れることはない。山頂の雪の様子を少し確認しようと、まだ雪が多く残る山道を慣れた手綱捌きで駆け上がる。片側が崖になった山道だが、幅は十分で定期的に整備もされているため、危険は少ない場所だ。
だが、その特に危険のない道を駆け始めてしばらくしたところで、急に地面が揺れた。
(な、なんだ!? こんなところに雪庇が? いや、それはあり得ない!)
対応する間もなく、サラエは愛馬とともに、山の崖から放り出されるように落ちていった。
(私だけなら、《風魔法》で速度を弱めてやれば助かるだろうが、リリアは助からない。ああ、どうしよう)
愛馬が気になって仕方がないリリアは、得意の《風魔法》にすらうまく集中できぬまま〝死〟すら頭に浮かんでいた。
だが、一瞬目をつぶった彼女が再び目を開けると、彼女の躰は宙に浮かんでいた。
(こ、これは《エアバブル》?)
大きな空気の風船はサラエを、そしてもうひとつがサラエの目の前にリリアを浮かべてゆっくりと下降していった。
(こんなとんでもない強度の《エアバブル》なんて、見たことがない。しかもそれを《風魔法》を使って正確に制御している。素晴らしい技術だが……でも、一体これはどういうことだ?)
状況が飲み込めずに混乱したまま、サラエはゆっくりと崖下の雪原に着地し、同じく着地したリリア号と無事を喜び合った。
「ああ、よかったリリア! 怪我はないか!」
愛馬の無事に心からホッとしたリリアが周りを見回すと、そこに人が立っていることに気がついた。
それは、魔法使いの老婆と美しい緑の髪の少女という不思議なふたり連れで、ふたりの少年たちを従者に連れており、この山深い場所に馬も連れずやってきているようだった。
「サラエ姫さま、ご無事で何よりでございました」
老婆の声で、サラエは気づいた。
「ああ、魔術師横丁のおばばだな。魔法付与した蹄鉄がないかと相談した時以来だな。しかし、なぜおばばがこんなところにいるのだ?」
〝魔法薬師の宝箱〟店主であるエルリベット・バレリオは、それにすぐには答えず、まずは山を下りることを勧め、後で店に来て頂きたいと告げた。
「私たちもすぐに参りますので、ご心配には及びません。ここは危険です。愛馬をなくすようなことにならぬよう、お早くお帰りくださいませ」
おばばのただならぬ物言いに、背筋に寒いものを感じたサラエは、何も言わず頷き、すぐにリリア号を駆って踵を返し下山していった。
少しだけ下ったところで、おばばのいた場所を振り返ったが、そこにはもう誰の姿もなく、ただ雪をはらんだ風だけが吹いていた。
262
お気に入りに追加
13,119
あなたにおすすめの小説
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております

聖女の私が追放されたらお父さんも一緒についてきちゃいました。
重田いの
ファンタジー
聖女である私が追放されたらお父さんも一緒についてきちゃいました。
あのお、私はともかくお父さんがいなくなるのは国としてマズイと思うのですが……。
よくある聖女追放ものです。

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

今さら言われても・・・私は趣味に生きてますので
sherry
ファンタジー
ある日森に置き去りにされた少女はひょんな事から自分が前世の記憶を持ち、この世界に生まれ変わったことを思い出す。
早々に今世の家族に見切りをつけた少女は色んな出会いもあり、周りに呆れられながらも成長していく。
なのに・・・今更そんなこと言われても・・・出来ればそのまま放置しといてくれません?私は私で気楽にやってますので。
※魔法と剣の世界です。
※所々ご都合設定かもしれません。初ジャンルなので、暖かく見守っていただけたら幸いです。

メインをはれない私は、普通に令嬢やってます
かぜかおる
ファンタジー
ヒロインが引き取られてきたことで、自分がラノベの悪役令嬢だったことに気が付いたシルヴェール
けど、メインをはれるだけの実力はないや・・・
だから、この世界での普通の令嬢になります!
↑本文と大分テンションの違う説明になってます・・・

あなた方はよく「平民のくせに」とおっしゃいますが…誰がいつ平民だと言ったのですか?
水姫
ファンタジー
頭の足りない王子とその婚約者はよく「これだから平民は…」「平民のくせに…」とおっしゃられるのですが…
私が平民だとどこで知ったのですか?

妹だけを可愛がるなら私はいらないでしょう。だから消えます……。何でもねだる妹と溺愛する両親に私は見切りをつける。
しげむろ ゆうき
ファンタジー
誕生日に買ってもらったドレスを欲しがる妹
そんな妹を溺愛する両親は、笑顔であげなさいと言ってくる
もう限界がきた私はあることを決心するのだった

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。