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3 魔法学校の聖人候補
391 英雄王と白魔法使い
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391
神によって与えられた英雄の比類なき頑健な肉体も、老いには無力だった。
既に全ての地位を次世代の王に譲った〝英雄王〟は、王宮の更に奥にある一室に閉じこもり、今は家族の見舞いすら断って、ただ静かに最後の時を過ごしていた。
蝋燭の小さな明かりだけが揺れる室内は、王の弱くなった眼の負担を少なくするために遮光されており、まだ昼間だというのに薄暗い。
最高の職人が作ったのだろう素晴らしい細工の彫刻や装飾に埋め尽くされた巨大なベッドに横たわる年老いた王は、かつてを知る者には、あまりにも小さく弱々しく見えた。
「付き添いも皆追い出した。 誰もいないから安心しておくれ」
嗄れた声で、薄く微笑みながら呟いた〝英雄王〟の傍には、長く会うことの叶わなかった懐かしい友が立っている。
「王よ、私の長き不在をお怒りでしょうね。申し訳ありません。ですが、私は王の傍で庇護されながら安寧の中に生きる者ではなかったのですよ、最初からお分かりだったでしょう?」
未だ少年の面影さえ感じさせる〝彼〟の若々しい声に、老いた王は目を細め、懐かしげにその顔を見つめた。
「お前はまだまだ生きるのだな。人々を救うことだけに心血を注ぎながら、これからもずっと……」
「そうでございますね。それが私の終生変わらぬ望みでございますし、人を救うことにも研究にも終わりはありません。私は、粛々と自分の仕事を重ねていくだけです。
ただ、私が側におりましたら、我が王の苦しみを少しは軽くできただろうと思うと、それだけが残念です」
彼はそういうと、苦しげな咳をする老いた〝英雄王〟の胸に手をかざした。
今に至るまで〝彼〟以外の誰一人使うことが叶わない完全な《癒しの光》の暖かく白い光は、老王の躰を包み込み、王は数年来悩まされてきた痛みと苦しみから解放された。
「ああ、何という暖かな癒しの光だろう。この有難味を結局私たちは、本当には理解してやれなかったのだな。すまない、本当にすまない……」
久しぶりに感じた《癒しの光》の波動に昔を思い出すように深呼吸をした〝英雄王〟は、息が楽になったのだろう、先ほどよりしっかりとした声で、彼に詫びた。
「いえ、私こそ、今に至るまで《白魔法》を多くの人々に伝えるという大事な仕事を為し得ぬまま、ただ馬齢を重ねてしまいました。この王都にも《白魔法》を定着させること叶わず、我が王にもお辛い時を過ごさせてしまいました」
「何を言うか、それこそ我が不徳の致すところよ。
お前が心血を注ぎ、血を吐くような努力をして残してくれた《白魔法》を、結局私は守ってやれなかった。
人の心は移ろいやすく、弱く、そして疑り深い。
結局、お前の《癒しの光》を知る者たちは、その幻から逃れられなかったのだ。
自分たちにできる最高の治療をするために真摯な努力をすることを忘れ、ただ《白魔法》の力に翻弄されてしまった。
お前の最初の弟子たちも、徐々に魔法の効力を弱めていき、最後には誰一人《白魔法》をまともに使えないまま、既に皆死の床だ。孫弟子の力は更に弱まり、私の痛みを取り除くどころか、咳ひとつ止められない始末なのだよ。
この国の《白魔法》の絶える日は近い……」
〝英雄王〟の声は悲しげで、小さかった。
そんな様子を少し困った顔で見た彼は、少しだけ声を張った。
「……ですが、私はまだ暫く生かして頂けるようです。
最後の時まで、私は研究を続けて参りますよ。私にはそれしかできませんから……」
「そうだな。お前はそうやって生きるのだな……」
王は、咳き込みもせず久しぶりに気持ちよく笑い、二人は軽口を言い合い、からかい合った昔のように、これまでの話に花を咲かせた。
「お前にどうしても王都に戻って欲しいというのは、私の妄執だった。すまない。
もう、お前を追うことはせぬ。だが、助けが欲しい時はいつでもこの王国を頼ってくれ。
それだけは約束してくれ」
王はそう言うと、以前から用意していた王家の紋章の刻まれたペンダントと〝王の赦免状〟と呼ばれる〝国内で何をしようと英雄王の名をもってそれを許す〟と書かれ、王のサインがされた書状を彼に渡した。
「お前がしてくれたことを考えると心苦しいが、私にできるのはこれぐらいのことだ。どうか、最後だと思って受け取っておくれ」
王の真剣な目に、彼は何も言わずに礼を取って、この贈り物を受け取った。
そして最後に、手を取り合い、今生の別れを告げた。
「いつか、お前の《白魔法》が万民を癒す日が来ると信じているよ。さらばだ、いつも愛していたよ、サーシャ」
王の言葉に、フードで隠していた顔を露わにし、きつく結わいていた長く美しい翠の髪を解いた〝森の乙女〟サーシャは、その少年のようなきりりとした顔に涙を浮かべながら、美しく笑ってみせた。
「さようなら、私の本当の名を知るただ一人の私の王様。いつか《白魔法》が、本当に人々を救える日が来たら、あなたのところへ堂々とお伝えに参ります。待っていてね……ロック」
《白魔術》の祖が去った王の枕元のテーブルには、癒しの効果のあるハーブが美しいガラスの器で残されていた。
その香りは、遠い昔、二人で笑いあったあの草原の香りに似ていた。王はまどろみの中でその香りに包まれ、満足げな笑みを浮かべていた。
(ああ、待っているよ……いつまでも)
神によって与えられた英雄の比類なき頑健な肉体も、老いには無力だった。
既に全ての地位を次世代の王に譲った〝英雄王〟は、王宮の更に奥にある一室に閉じこもり、今は家族の見舞いすら断って、ただ静かに最後の時を過ごしていた。
蝋燭の小さな明かりだけが揺れる室内は、王の弱くなった眼の負担を少なくするために遮光されており、まだ昼間だというのに薄暗い。
最高の職人が作ったのだろう素晴らしい細工の彫刻や装飾に埋め尽くされた巨大なベッドに横たわる年老いた王は、かつてを知る者には、あまりにも小さく弱々しく見えた。
「付き添いも皆追い出した。 誰もいないから安心しておくれ」
嗄れた声で、薄く微笑みながら呟いた〝英雄王〟の傍には、長く会うことの叶わなかった懐かしい友が立っている。
「王よ、私の長き不在をお怒りでしょうね。申し訳ありません。ですが、私は王の傍で庇護されながら安寧の中に生きる者ではなかったのですよ、最初からお分かりだったでしょう?」
未だ少年の面影さえ感じさせる〝彼〟の若々しい声に、老いた王は目を細め、懐かしげにその顔を見つめた。
「お前はまだまだ生きるのだな。人々を救うことだけに心血を注ぎながら、これからもずっと……」
「そうでございますね。それが私の終生変わらぬ望みでございますし、人を救うことにも研究にも終わりはありません。私は、粛々と自分の仕事を重ねていくだけです。
ただ、私が側におりましたら、我が王の苦しみを少しは軽くできただろうと思うと、それだけが残念です」
彼はそういうと、苦しげな咳をする老いた〝英雄王〟の胸に手をかざした。
今に至るまで〝彼〟以外の誰一人使うことが叶わない完全な《癒しの光》の暖かく白い光は、老王の躰を包み込み、王は数年来悩まされてきた痛みと苦しみから解放された。
「ああ、何という暖かな癒しの光だろう。この有難味を結局私たちは、本当には理解してやれなかったのだな。すまない、本当にすまない……」
久しぶりに感じた《癒しの光》の波動に昔を思い出すように深呼吸をした〝英雄王〟は、息が楽になったのだろう、先ほどよりしっかりとした声で、彼に詫びた。
「いえ、私こそ、今に至るまで《白魔法》を多くの人々に伝えるという大事な仕事を為し得ぬまま、ただ馬齢を重ねてしまいました。この王都にも《白魔法》を定着させること叶わず、我が王にもお辛い時を過ごさせてしまいました」
「何を言うか、それこそ我が不徳の致すところよ。
お前が心血を注ぎ、血を吐くような努力をして残してくれた《白魔法》を、結局私は守ってやれなかった。
人の心は移ろいやすく、弱く、そして疑り深い。
結局、お前の《癒しの光》を知る者たちは、その幻から逃れられなかったのだ。
自分たちにできる最高の治療をするために真摯な努力をすることを忘れ、ただ《白魔法》の力に翻弄されてしまった。
お前の最初の弟子たちも、徐々に魔法の効力を弱めていき、最後には誰一人《白魔法》をまともに使えないまま、既に皆死の床だ。孫弟子の力は更に弱まり、私の痛みを取り除くどころか、咳ひとつ止められない始末なのだよ。
この国の《白魔法》の絶える日は近い……」
〝英雄王〟の声は悲しげで、小さかった。
そんな様子を少し困った顔で見た彼は、少しだけ声を張った。
「……ですが、私はまだ暫く生かして頂けるようです。
最後の時まで、私は研究を続けて参りますよ。私にはそれしかできませんから……」
「そうだな。お前はそうやって生きるのだな……」
王は、咳き込みもせず久しぶりに気持ちよく笑い、二人は軽口を言い合い、からかい合った昔のように、これまでの話に花を咲かせた。
「お前にどうしても王都に戻って欲しいというのは、私の妄執だった。すまない。
もう、お前を追うことはせぬ。だが、助けが欲しい時はいつでもこの王国を頼ってくれ。
それだけは約束してくれ」
王はそう言うと、以前から用意していた王家の紋章の刻まれたペンダントと〝王の赦免状〟と呼ばれる〝国内で何をしようと英雄王の名をもってそれを許す〟と書かれ、王のサインがされた書状を彼に渡した。
「お前がしてくれたことを考えると心苦しいが、私にできるのはこれぐらいのことだ。どうか、最後だと思って受け取っておくれ」
王の真剣な目に、彼は何も言わずに礼を取って、この贈り物を受け取った。
そして最後に、手を取り合い、今生の別れを告げた。
「いつか、お前の《白魔法》が万民を癒す日が来ると信じているよ。さらばだ、いつも愛していたよ、サーシャ」
王の言葉に、フードで隠していた顔を露わにし、きつく結わいていた長く美しい翠の髪を解いた〝森の乙女〟サーシャは、その少年のようなきりりとした顔に涙を浮かべながら、美しく笑ってみせた。
「さようなら、私の本当の名を知るただ一人の私の王様。いつか《白魔法》が、本当に人々を救える日が来たら、あなたのところへ堂々とお伝えに参ります。待っていてね……ロック」
《白魔術》の祖が去った王の枕元のテーブルには、癒しの効果のあるハーブが美しいガラスの器で残されていた。
その香りは、遠い昔、二人で笑いあったあの草原の香りに似ていた。王はまどろみの中でその香りに包まれ、満足げな笑みを浮かべていた。
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