102 / 837
2 海の国の聖人候補
291 伝説の織姫
しおりを挟む
291
まだこの地がハーラーという国でさえなかったほど昔。
土地は貧しく、漁場を巡り争いの絶えない漁業と痩せた農地での収穫しか産業のなかった時代。
政治は混沌とし安定しない土地で、戦の中、親を失い、年老いた祖母とふたり、食べるものにも事欠く暮らしをする娘があった。
娘には、もう身体の利かぬ祖母から教わった機織の技術はあったが、使える材料は限られ、一生懸命織り上げても、高く買い取ってもらえるような高品質な織物は作ることが叶わなかった。
それでも娘は鋭い葉に手を傷つけながら沼地の植物から繊維を取り、それを織ることでなんとか生計を立てていた。
ある日、娘が山で染色に使う植物を探していると、突然、目の前に一羽のみすぼらしい灰色の鳥が天から落ちてきた。
鳥は羽に矢を受けたらしく、バタバタと苦しげに羽ばたいていた。
目の前で徐々に弱っていくその鳥の姿を気の毒に思った娘は、身に付けていた粗末な服を切り裂き、血止めの効果のある野草を探して包むと、手近な木の枝を鉈で整え添え木にして大きな鳥の羽に巻きつけた。
そして、もういまはぐったりと首を垂れたままの鳥を、羽を射抜いた者に見つからぬよう草花を積むために持ってきた大きな背負い籠に入れ、そっと家へと運んだ。
幸い子供の頃に小鳥を育てたことがあった娘は、手早く鳥のための草の寝床を作り、自分の食べる分の木の実や穀物を丁寧に潰して鳥のための食事を整え与え続けた。
鳥は娘の手厚い看護を受けながら、三日三晩眠り続けた。
そして四日目の夜、娘が鳥の様子を見にいくと弱っていたはずの鳥は起き上がっていた。
その時、驚く娘の頭の中に声が響き渡った。
〔賢く心優しい娘よ。私の大事な〝神宣鳳〟を救ってくれてありがとう。
これは私の言葉を大事な人々に届けるための依代として、地に遣わされた神獣である〕
その言葉とともに、灰色にくすんでいたはずの鳥の羽は徐々に光を帯び始め、美しく光り輝き始めた。
〔この礼に、そなたの望みを叶えよう。なんなりというが良い〕
どんなものでも与えると言う神に娘が願ったのは、もっと質の良い材料でいい布を作り、祖母に楽をさせたいというものだった。
娘の心の美しさに感心した神は、娘にこの地に住む動植物から採ることのできる珍しい素材とその採取方法の詳細を授け、いくつかの貴重な生物の在り処も授けた。
〔これらのものから織られる布のいくつかは、他では決して作ることのできないこの地の仕事となろう。
これから、心やさしきお前の住むこの地は私が守護する。安心して励むが良い。
そして、このことを忘れぬ限り、この地の織り物を未来永劫絶えぬように導こう〕
〝神宣鳳〟は、その身から大きな羽を一枚抜き取り、その金色の羽を娘に渡した。
不思議なことに、灰色だったはずの羽は、今は抜いてもその輝きを失わず光り輝いていた。
そして、ゆっくりとその美しく輝く羽を広げ、一声高く鳴いて天高く舞い上がり、天へと戻っていった。
やがて娘の作り出す不思議な布は評判となり、娘は神の尊き御心とその技術を伝えていった。
これが〝布の都〟の起源。
娘の名は、沼で泥にまみれながら引き抜いた葦で布を織る娘〝ヌノビキ〟と言った。
やがてヌノビキの名は国中に広がり、多くの弟子を持つこととなった。
彼女によってもたらされた新しい布の製法は、この街に新しい産業の礎を築き、遂には〝生き神さま〟とまで呼ばれるようになる。
そして、彼女と彼女に恩寵を与えた神を讃える〝ヌノビキ大社〟が建立された。その最初の巫女となった〝ヌノビキヒメ〟は〝神宣鳳〟から賜った黄金の羽を織り込んで、奉納舞のための衣を作り上げた。
これが〝神の衣〟
それから毎年、〝神の衣〟にその年新たに作られた布をひと針ひと針心を込めて縫い込め、この季節の満月の日、娘は神に感謝の舞を捧げ続けた。
そして、いよいよ娘の命が尽きようとするその年、彼女が死を覚悟して舞終わると〝神宣鳳〟が頭上より現れた。
「また会えた……」
そう優しく語りかけながら、もう老境に差し掛かった〝ヌノビキヒメ〟が舞い降りてきた〝神宣鳳〟に触れた瞬間、彼女の姿は若さを取り戻し、そして〝神宣鳳〟と共に〝神の衣〟だけを残し忽然と消えたという。
その後、毎年選ばれた〝ヌノビキヒメ〟が、舞を捧げることとなり、今の祭りとなっている。
伝説では、彼女はこの地を守る大神の妻になったとも、天界の織姫になったとも伝えられている。
ラーヤさんが語ってくれたこの物語と絵からこの布に描くべき図案は決まった。
「最高の絵師に図案を書かせます。期待してくださいね、メイロードさま!」
私はにっこり笑って頷くと、もう一度、頭上から美しく舞い降りてくる〝神宣鳳〟と見つめ合う優しい表情の女性の絵に目を落とした。
なんとなく〝ヌノビキヒメ〟にシンパシーを感じながら……
まだこの地がハーラーという国でさえなかったほど昔。
土地は貧しく、漁場を巡り争いの絶えない漁業と痩せた農地での収穫しか産業のなかった時代。
政治は混沌とし安定しない土地で、戦の中、親を失い、年老いた祖母とふたり、食べるものにも事欠く暮らしをする娘があった。
娘には、もう身体の利かぬ祖母から教わった機織の技術はあったが、使える材料は限られ、一生懸命織り上げても、高く買い取ってもらえるような高品質な織物は作ることが叶わなかった。
それでも娘は鋭い葉に手を傷つけながら沼地の植物から繊維を取り、それを織ることでなんとか生計を立てていた。
ある日、娘が山で染色に使う植物を探していると、突然、目の前に一羽のみすぼらしい灰色の鳥が天から落ちてきた。
鳥は羽に矢を受けたらしく、バタバタと苦しげに羽ばたいていた。
目の前で徐々に弱っていくその鳥の姿を気の毒に思った娘は、身に付けていた粗末な服を切り裂き、血止めの効果のある野草を探して包むと、手近な木の枝を鉈で整え添え木にして大きな鳥の羽に巻きつけた。
そして、もういまはぐったりと首を垂れたままの鳥を、羽を射抜いた者に見つからぬよう草花を積むために持ってきた大きな背負い籠に入れ、そっと家へと運んだ。
幸い子供の頃に小鳥を育てたことがあった娘は、手早く鳥のための草の寝床を作り、自分の食べる分の木の実や穀物を丁寧に潰して鳥のための食事を整え与え続けた。
鳥は娘の手厚い看護を受けながら、三日三晩眠り続けた。
そして四日目の夜、娘が鳥の様子を見にいくと弱っていたはずの鳥は起き上がっていた。
その時、驚く娘の頭の中に声が響き渡った。
〔賢く心優しい娘よ。私の大事な〝神宣鳳〟を救ってくれてありがとう。
これは私の言葉を大事な人々に届けるための依代として、地に遣わされた神獣である〕
その言葉とともに、灰色にくすんでいたはずの鳥の羽は徐々に光を帯び始め、美しく光り輝き始めた。
〔この礼に、そなたの望みを叶えよう。なんなりというが良い〕
どんなものでも与えると言う神に娘が願ったのは、もっと質の良い材料でいい布を作り、祖母に楽をさせたいというものだった。
娘の心の美しさに感心した神は、娘にこの地に住む動植物から採ることのできる珍しい素材とその採取方法の詳細を授け、いくつかの貴重な生物の在り処も授けた。
〔これらのものから織られる布のいくつかは、他では決して作ることのできないこの地の仕事となろう。
これから、心やさしきお前の住むこの地は私が守護する。安心して励むが良い。
そして、このことを忘れぬ限り、この地の織り物を未来永劫絶えぬように導こう〕
〝神宣鳳〟は、その身から大きな羽を一枚抜き取り、その金色の羽を娘に渡した。
不思議なことに、灰色だったはずの羽は、今は抜いてもその輝きを失わず光り輝いていた。
そして、ゆっくりとその美しく輝く羽を広げ、一声高く鳴いて天高く舞い上がり、天へと戻っていった。
やがて娘の作り出す不思議な布は評判となり、娘は神の尊き御心とその技術を伝えていった。
これが〝布の都〟の起源。
娘の名は、沼で泥にまみれながら引き抜いた葦で布を織る娘〝ヌノビキ〟と言った。
やがてヌノビキの名は国中に広がり、多くの弟子を持つこととなった。
彼女によってもたらされた新しい布の製法は、この街に新しい産業の礎を築き、遂には〝生き神さま〟とまで呼ばれるようになる。
そして、彼女と彼女に恩寵を与えた神を讃える〝ヌノビキ大社〟が建立された。その最初の巫女となった〝ヌノビキヒメ〟は〝神宣鳳〟から賜った黄金の羽を織り込んで、奉納舞のための衣を作り上げた。
これが〝神の衣〟
それから毎年、〝神の衣〟にその年新たに作られた布をひと針ひと針心を込めて縫い込め、この季節の満月の日、娘は神に感謝の舞を捧げ続けた。
そして、いよいよ娘の命が尽きようとするその年、彼女が死を覚悟して舞終わると〝神宣鳳〟が頭上より現れた。
「また会えた……」
そう優しく語りかけながら、もう老境に差し掛かった〝ヌノビキヒメ〟が舞い降りてきた〝神宣鳳〟に触れた瞬間、彼女の姿は若さを取り戻し、そして〝神宣鳳〟と共に〝神の衣〟だけを残し忽然と消えたという。
その後、毎年選ばれた〝ヌノビキヒメ〟が、舞を捧げることとなり、今の祭りとなっている。
伝説では、彼女はこの地を守る大神の妻になったとも、天界の織姫になったとも伝えられている。
ラーヤさんが語ってくれたこの物語と絵からこの布に描くべき図案は決まった。
「最高の絵師に図案を書かせます。期待してくださいね、メイロードさま!」
私はにっこり笑って頷くと、もう一度、頭上から美しく舞い降りてくる〝神宣鳳〟と見つめ合う優しい表情の女性の絵に目を落とした。
なんとなく〝ヌノビキヒメ〟にシンパシーを感じながら……
304
お気に入りに追加
13,119
あなたにおすすめの小説
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
聖女の私が追放されたらお父さんも一緒についてきちゃいました。
重田いの
ファンタジー
聖女である私が追放されたらお父さんも一緒についてきちゃいました。
あのお、私はともかくお父さんがいなくなるのは国としてマズイと思うのですが……。
よくある聖女追放ものです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
今さら言われても・・・私は趣味に生きてますので
sherry
ファンタジー
ある日森に置き去りにされた少女はひょんな事から自分が前世の記憶を持ち、この世界に生まれ変わったことを思い出す。
早々に今世の家族に見切りをつけた少女は色んな出会いもあり、周りに呆れられながらも成長していく。
なのに・・・今更そんなこと言われても・・・出来ればそのまま放置しといてくれません?私は私で気楽にやってますので。
※魔法と剣の世界です。
※所々ご都合設定かもしれません。初ジャンルなので、暖かく見守っていただけたら幸いです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
メインをはれない私は、普通に令嬢やってます
かぜかおる
ファンタジー
ヒロインが引き取られてきたことで、自分がラノベの悪役令嬢だったことに気が付いたシルヴェール
けど、メインをはれるだけの実力はないや・・・
だから、この世界での普通の令嬢になります!
↑本文と大分テンションの違う説明になってます・・・
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
あなた方はよく「平民のくせに」とおっしゃいますが…誰がいつ平民だと言ったのですか?
水姫
ファンタジー
頭の足りない王子とその婚約者はよく「これだから平民は…」「平民のくせに…」とおっしゃられるのですが…
私が平民だとどこで知ったのですか?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
妹だけを可愛がるなら私はいらないでしょう。だから消えます……。何でもねだる妹と溺愛する両親に私は見切りをつける。
しげむろ ゆうき
ファンタジー
誕生日に買ってもらったドレスを欲しがる妹
そんな妹を溺愛する両親は、笑顔であげなさいと言ってくる
もう限界がきた私はあることを決心するのだった
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。