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2 海の国の聖人候補
275 森の仙人
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275
多くの人々を絶望の淵に落としたその罪のせいなのだろうか。彼のその躰には雷による無残な刻印が残された。
逐電した元領主、いまは家名さえ失った無一文のただのルーインは頬から首、背中、足にまで及ぶ赤と黒のまだらの火傷跡と引き換えに、その一命を取り留め、苦しみながらも、バンダッタ山中の山小屋で徐々に回復していった。
「多分、好きな人に会いに行ったんだと思う……」
メイロードさまがそう教えてくれていたので、あの後、サビーナ嬢のいる領地へ向かったのだろうと予想はついていた。
そして、そこで一顧だにされることなく、ルーインにとって最も耐え難く酷い扱いを受けただろうことも、簡単に推測できた。
なぜそれが分かるかを説明するには、まず〝アカツキ山の奇跡〟直後からの、領内の動きについて話した方がいいだろう。
流通とギルド機能の回復を最優先と考えた我々は、先代領主の蓄財の一部と冒険者ギルドからの借り入れで、まず税金の未払い分を清算した。
一度〝休眠地〟指定された土地が、すぐにそれを解除され、更にその後、驚異的な勢いで復興した例は極めて稀で、それだけでもかなりバンダッタは注目された。
その上、漁をする以外に取り柄がないと思われていたバンダッタが、それ以外の方法で、徐々にではあったが確実に勢いを取り戻していく様は、マホロ中の噂となった。
(おかげでバンダッタ産の昆布にも〝縁起がいい〟と付加価値が付き、更に高値で売れるようになり、いまも財政上とても助かっている)
そしてこの驚異的な復興で以前以上に豊かになっているという噂が実しやかに広まり始めた頃(実情はまだ借金もありカツカツの頃だ)、あの領地から
〝新領主とサビーナ姫との結婚はいつ頃のご予定か〟
という連絡が来た。
彼らは、自分たちの領地のために役に立ちそうであれば、結婚相手の首がすげ変わろうと関係ないらしい。それは、極めてドライな、ある一面から見れば極めて貴族的な変わり身の速さだった。
サビーナ嬢からも、美しい字の〝早くタイチ様のお側で暮らしたい〟という趣旨の書簡が添えられていた。
それを読んだ時の背筋に走った寒気は、私が貴族出身でないせいかとも思ったが、センリも眉間に皺を寄せて、わたしの反応は〝極めて正常〟と言ってくれたので、とても安心した。
オカシイのは私じゃない、あの人たちなのだ。
(しかもこの字、どう見ても若い女性の書く字じゃない。私でも分かるのに、この文字を直筆だと信じていたルーインは本当に目がくらんでいたんだとしか思えない。この具体性のない定型文からすると、きっとルーインの送った大量の書簡もほとんど読んでもいない気がした)
そのあまりに定型通りの、会ったこともない私への〝心〟が全く感じられない愛の言葉の羅列に、私は乾いた笑いさえ出てくるほどだった。
結局、サビーナ嬢は、ルーイン個人には一切興味はなく、親に言われるままルーインに優しく接し、親に言われるまま、今度は新領主に嫁ぐ気らしい。
(勘弁願いたいよ)
私はきっちりとした公文書として、
〝貴家による度重なる愚行により、先代領主の代で、既に貴家と当家との関係は破綻しており、現領主である私は、貴家との関係を完全に断つことを決めた。これに一切の交渉の余地はない。
念のため言い添えるが、元々私はサビーナ嬢の婚約者ではなく、よってサビーナ嬢と結婚する意思は全くない〟
と書き送り、これ以降公式の書簡以外は一切受け取らないと明記した。
それからも五月雨のように〝自称サビーナ〟からのバカバカしい代筆書簡が届き続けているが、宣言通り、そのまま封も切らずに送り返している。
あの人たちもサビーナも、この領地の評判が上がれば上がるほど〝バンダッタ領主夫人〟の座が惜しくて仕方がないのだろう。
(早く別のターゲットを見つけてもらいたいもんだよ)
ーーーーー
「あ、あはは!そうだったんだ……」
こんなことでいらぬ疑惑は産みたくないので、状況をはっきりさせた方がいいと思い、私が受け取った手紙は全てルーインにも見せ、完全に絶縁を言い渡した経緯も説明した。
ルーインによれば、尾羽うち枯らしたナリで現れた彼に対し、過去何度もバッダッタの領主からの借金を踏み倒した上、あれだけ今まで先代領主たちに世話になったにも関わらず、全くそれを忘れたかのような態度で、茶の一杯どころか、門すら開けないという対応だったそうだ。
そして、サビーナと話せなければ決してここを動かない、というルーインに業を煮やして、やっと顔を出した遠いベランダ越しの彼女から発せられた唯一の言葉は
〝私にそんな貧しい身なりの婚約者が許されるはずがないでしょう?
お帰りください。再びここへ現れれば命はありませんよ〟
という、にべもないものだった。
「君が愛したのは裕福な土地の次期領主だったルーイン・ガウラムだけか……
いや、裕福な領主なら誰でもいいのか!
私でも!他の男でも!誰でも!! そうなんだな!サビーナ!!」
声帯まで半分焼けてガラガラになった声で、ルーインは血を吐きながら絶叫し嗚咽し続け、その声は長く止むことはなかった。
ーーーーーー
それから数週間、魂が抜けたように暮らしたルーインは、ある日、ふらりと領主の館に現れた。
顔にもやけどの跡が残る、竹のように節くれだったやせ細った姿に、半分白髪になった髪、その姿にかつての面影はなく領民たちも誰一人彼が忌まわしき〝ルーイン・ガウラム〟だと気づく者はなかった。
定まらぬ足取りの彼の目の前に広がる光景は、かつて自分がいた場所だとは思えない光に満ちていた。
綺麗に整えられた庭では、子供たちの青空教室が行われており、楽しそうに勉強している。
納品に来た村人たちが、そこかしこで談笑し、楽しげに働いている。
館の正面扉は開けられたままで、そこは常に人々が忙しそうに出入りしていた。
その顔は、どの人も明るく生き生きとして見えた。
自分がいた時の陰鬱な雰囲気との違いに戸惑いながらも、館に足を踏み入れると、さすがに家令のセンリは〝元の主人〟にすぐ気づいたが、何も言わずに領主の執務室へ彼を通した。
執務室では、多くの人たちに囲まれながら、議論をし、裁定を下し、世間話をする余裕まで見せる、新領主の姿があった。
(ああ、まるで父上を見るようだ。そうだ、領主になるべきはこういう人物なのだ……)
センリに促され座った隅の椅子で、タイチの猛烈な仕事ぶりを晴れぬ頭でぼんやりと見ながら、この土地の復興事業が決して〝奇跡〟だけによるものではないのだとルーインは感じていた。
(強く信頼される有能なリーダーと、それを支える街の人々の協力。
それにより、以前以上の活気がこの街には満ちている。
この明るく眩しい世界は、たとえ愚かな恋に狂っていなくとも、私には決して築き得なかった。
私は領主の器ではなかったのだ。せめてそれを認め、次世代に渡す努力をしていれば違ったのだろう。
だが、私は幻想でしかなかった狂恋のために、領主としてしてはならない過ちを犯し、それから逃げようとして全てを失ったのだ……愚かな……何という愚かな……)
ルーインは椅子に座ったまま、静かに涙していた。
(サビーナに拒否され、行くあてなく彷徨い〝死〟を考えた時、せめてバンダッタで、私を愛してくれた父と母の元で死にたいと思った。
それは、契約によって縛られた、許されない帰郷だと解ってはいたが、それで死ぬのなら本望だった。
だが、懐かしい土地に足を踏み入れた瞬間、覚悟していた雷に撃たれ全身を焼かれても、私の中の罪の意識は全く消えなかったのだ。
領地を傷つけ、領民を窮地に追い込み、父を絶望させたその罪は、死しても贖えないのか!!
では、これから私は地獄の業火の中で永遠にこの罪に苛まれるのだろうか……
あの時、目の前に迫った〝死〟の中で、私は己の罪の重さに絶望した。
だが、その時フッと体の痛みが和らぎ、耳元で声がした)
「呪いは一時的に解除しました。こんなこともあるかもしれないと、教えて下さっていたのですよ。
お優しいあの方に感謝して下さいね」
ーーーーー
「家具は全部変わっていますから、だいぶ雰囲気が違うでしょう?」
休憩になったのか、いつの間にか、部屋にはタイチと私しかいなかった。
「恥ずかしさで死にそうだ……先祖伝来の領主の仕事場を荒らすなんて、私はなんてことを……」
「それに気がつかれたということは、完全に恋の呪いは解けたようですね。
で、今日はなんのお話ですか?」
少し前まで漁師をしていたとは思えない、堂々としたタイチの態度に唸りつつ、ルーインは切り出した。
「私に、新しい名前をくれないか。
私は、自分のダメにした木を癒したい。私は樹医になりたいと思うんだ。いや、思うのです」
「ほう?」
「私は、森や山を守る意味すら理解せず生きてきました。だから、自分のやっていることの悲惨な結果を想像すらできずに、領地を危険に晒してしまいました……」
「森への贖罪ですか……」
「それももちろんあります。それに私はこの領の人たちに合わせる顔がありません。できれば、生涯、深い森で生きていきたいのです。
私は、死にさえすれば全てが許されると思っていました。でも、そうではなかった。私に残された道は、生涯をかけて、この罪を贖うこと。
お許し頂けるなら、この国の森をずっと守って生きたい……そう思っております。
どうか、お許し頂けないでしょうか!
決して、ご迷惑はおかけ致しません!
お願いです!」
少し考えたタイチは、にっこり笑って頷いた。
「貴方の身柄はエダイさんにお預けします。そこで修行されると良いでしょう。決して楽な仕事ではないはずですが、あなたの決意が本物であれば、きっと、いい仕事ができるでしょう」
タイチは魔法契約の書類に再び一文を添えた。
〝ルーインは名をシンラと改め、その名の者として生きる間は、契約を凍結する〟
やがて〝森の仙人〟と称されることになる伝説の山守〝シンラ〟は、こうして誕生した。
彼は生涯にわたり、多くの森の動植物の生態を明らかにし、バンダッタの森を宝箱のような〝採取〟の場所に変え、豊かに守っていくこととなったのだった。
そして、その森の奥には小さな神社が作られた。
領主だけが参拝を許されるその神社には、美しい少女の姿をした女神像が祀られているという噂だが、その女神の正体は誰も語らない。
多くの人々を絶望の淵に落としたその罪のせいなのだろうか。彼のその躰には雷による無残な刻印が残された。
逐電した元領主、いまは家名さえ失った無一文のただのルーインは頬から首、背中、足にまで及ぶ赤と黒のまだらの火傷跡と引き換えに、その一命を取り留め、苦しみながらも、バンダッタ山中の山小屋で徐々に回復していった。
「多分、好きな人に会いに行ったんだと思う……」
メイロードさまがそう教えてくれていたので、あの後、サビーナ嬢のいる領地へ向かったのだろうと予想はついていた。
そして、そこで一顧だにされることなく、ルーインにとって最も耐え難く酷い扱いを受けただろうことも、簡単に推測できた。
なぜそれが分かるかを説明するには、まず〝アカツキ山の奇跡〟直後からの、領内の動きについて話した方がいいだろう。
流通とギルド機能の回復を最優先と考えた我々は、先代領主の蓄財の一部と冒険者ギルドからの借り入れで、まず税金の未払い分を清算した。
一度〝休眠地〟指定された土地が、すぐにそれを解除され、更にその後、驚異的な勢いで復興した例は極めて稀で、それだけでもかなりバンダッタは注目された。
その上、漁をする以外に取り柄がないと思われていたバンダッタが、それ以外の方法で、徐々にではあったが確実に勢いを取り戻していく様は、マホロ中の噂となった。
(おかげでバンダッタ産の昆布にも〝縁起がいい〟と付加価値が付き、更に高値で売れるようになり、いまも財政上とても助かっている)
そしてこの驚異的な復興で以前以上に豊かになっているという噂が実しやかに広まり始めた頃(実情はまだ借金もありカツカツの頃だ)、あの領地から
〝新領主とサビーナ姫との結婚はいつ頃のご予定か〟
という連絡が来た。
彼らは、自分たちの領地のために役に立ちそうであれば、結婚相手の首がすげ変わろうと関係ないらしい。それは、極めてドライな、ある一面から見れば極めて貴族的な変わり身の速さだった。
サビーナ嬢からも、美しい字の〝早くタイチ様のお側で暮らしたい〟という趣旨の書簡が添えられていた。
それを読んだ時の背筋に走った寒気は、私が貴族出身でないせいかとも思ったが、センリも眉間に皺を寄せて、わたしの反応は〝極めて正常〟と言ってくれたので、とても安心した。
オカシイのは私じゃない、あの人たちなのだ。
(しかもこの字、どう見ても若い女性の書く字じゃない。私でも分かるのに、この文字を直筆だと信じていたルーインは本当に目がくらんでいたんだとしか思えない。この具体性のない定型文からすると、きっとルーインの送った大量の書簡もほとんど読んでもいない気がした)
そのあまりに定型通りの、会ったこともない私への〝心〟が全く感じられない愛の言葉の羅列に、私は乾いた笑いさえ出てくるほどだった。
結局、サビーナ嬢は、ルーイン個人には一切興味はなく、親に言われるままルーインに優しく接し、親に言われるまま、今度は新領主に嫁ぐ気らしい。
(勘弁願いたいよ)
私はきっちりとした公文書として、
〝貴家による度重なる愚行により、先代領主の代で、既に貴家と当家との関係は破綻しており、現領主である私は、貴家との関係を完全に断つことを決めた。これに一切の交渉の余地はない。
念のため言い添えるが、元々私はサビーナ嬢の婚約者ではなく、よってサビーナ嬢と結婚する意思は全くない〟
と書き送り、これ以降公式の書簡以外は一切受け取らないと明記した。
それからも五月雨のように〝自称サビーナ〟からのバカバカしい代筆書簡が届き続けているが、宣言通り、そのまま封も切らずに送り返している。
あの人たちもサビーナも、この領地の評判が上がれば上がるほど〝バンダッタ領主夫人〟の座が惜しくて仕方がないのだろう。
(早く別のターゲットを見つけてもらいたいもんだよ)
ーーーーー
「あ、あはは!そうだったんだ……」
こんなことでいらぬ疑惑は産みたくないので、状況をはっきりさせた方がいいと思い、私が受け取った手紙は全てルーインにも見せ、完全に絶縁を言い渡した経緯も説明した。
ルーインによれば、尾羽うち枯らしたナリで現れた彼に対し、過去何度もバッダッタの領主からの借金を踏み倒した上、あれだけ今まで先代領主たちに世話になったにも関わらず、全くそれを忘れたかのような態度で、茶の一杯どころか、門すら開けないという対応だったそうだ。
そして、サビーナと話せなければ決してここを動かない、というルーインに業を煮やして、やっと顔を出した遠いベランダ越しの彼女から発せられた唯一の言葉は
〝私にそんな貧しい身なりの婚約者が許されるはずがないでしょう?
お帰りください。再びここへ現れれば命はありませんよ〟
という、にべもないものだった。
「君が愛したのは裕福な土地の次期領主だったルーイン・ガウラムだけか……
いや、裕福な領主なら誰でもいいのか!
私でも!他の男でも!誰でも!! そうなんだな!サビーナ!!」
声帯まで半分焼けてガラガラになった声で、ルーインは血を吐きながら絶叫し嗚咽し続け、その声は長く止むことはなかった。
ーーーーーー
それから数週間、魂が抜けたように暮らしたルーインは、ある日、ふらりと領主の館に現れた。
顔にもやけどの跡が残る、竹のように節くれだったやせ細った姿に、半分白髪になった髪、その姿にかつての面影はなく領民たちも誰一人彼が忌まわしき〝ルーイン・ガウラム〟だと気づく者はなかった。
定まらぬ足取りの彼の目の前に広がる光景は、かつて自分がいた場所だとは思えない光に満ちていた。
綺麗に整えられた庭では、子供たちの青空教室が行われており、楽しそうに勉強している。
納品に来た村人たちが、そこかしこで談笑し、楽しげに働いている。
館の正面扉は開けられたままで、そこは常に人々が忙しそうに出入りしていた。
その顔は、どの人も明るく生き生きとして見えた。
自分がいた時の陰鬱な雰囲気との違いに戸惑いながらも、館に足を踏み入れると、さすがに家令のセンリは〝元の主人〟にすぐ気づいたが、何も言わずに領主の執務室へ彼を通した。
執務室では、多くの人たちに囲まれながら、議論をし、裁定を下し、世間話をする余裕まで見せる、新領主の姿があった。
(ああ、まるで父上を見るようだ。そうだ、領主になるべきはこういう人物なのだ……)
センリに促され座った隅の椅子で、タイチの猛烈な仕事ぶりを晴れぬ頭でぼんやりと見ながら、この土地の復興事業が決して〝奇跡〟だけによるものではないのだとルーインは感じていた。
(強く信頼される有能なリーダーと、それを支える街の人々の協力。
それにより、以前以上の活気がこの街には満ちている。
この明るく眩しい世界は、たとえ愚かな恋に狂っていなくとも、私には決して築き得なかった。
私は領主の器ではなかったのだ。せめてそれを認め、次世代に渡す努力をしていれば違ったのだろう。
だが、私は幻想でしかなかった狂恋のために、領主としてしてはならない過ちを犯し、それから逃げようとして全てを失ったのだ……愚かな……何という愚かな……)
ルーインは椅子に座ったまま、静かに涙していた。
(サビーナに拒否され、行くあてなく彷徨い〝死〟を考えた時、せめてバンダッタで、私を愛してくれた父と母の元で死にたいと思った。
それは、契約によって縛られた、許されない帰郷だと解ってはいたが、それで死ぬのなら本望だった。
だが、懐かしい土地に足を踏み入れた瞬間、覚悟していた雷に撃たれ全身を焼かれても、私の中の罪の意識は全く消えなかったのだ。
領地を傷つけ、領民を窮地に追い込み、父を絶望させたその罪は、死しても贖えないのか!!
では、これから私は地獄の業火の中で永遠にこの罪に苛まれるのだろうか……
あの時、目の前に迫った〝死〟の中で、私は己の罪の重さに絶望した。
だが、その時フッと体の痛みが和らぎ、耳元で声がした)
「呪いは一時的に解除しました。こんなこともあるかもしれないと、教えて下さっていたのですよ。
お優しいあの方に感謝して下さいね」
ーーーーー
「家具は全部変わっていますから、だいぶ雰囲気が違うでしょう?」
休憩になったのか、いつの間にか、部屋にはタイチと私しかいなかった。
「恥ずかしさで死にそうだ……先祖伝来の領主の仕事場を荒らすなんて、私はなんてことを……」
「それに気がつかれたということは、完全に恋の呪いは解けたようですね。
で、今日はなんのお話ですか?」
少し前まで漁師をしていたとは思えない、堂々としたタイチの態度に唸りつつ、ルーインは切り出した。
「私に、新しい名前をくれないか。
私は、自分のダメにした木を癒したい。私は樹医になりたいと思うんだ。いや、思うのです」
「ほう?」
「私は、森や山を守る意味すら理解せず生きてきました。だから、自分のやっていることの悲惨な結果を想像すらできずに、領地を危険に晒してしまいました……」
「森への贖罪ですか……」
「それももちろんあります。それに私はこの領の人たちに合わせる顔がありません。できれば、生涯、深い森で生きていきたいのです。
私は、死にさえすれば全てが許されると思っていました。でも、そうではなかった。私に残された道は、生涯をかけて、この罪を贖うこと。
お許し頂けるなら、この国の森をずっと守って生きたい……そう思っております。
どうか、お許し頂けないでしょうか!
決して、ご迷惑はおかけ致しません!
お願いです!」
少し考えたタイチは、にっこり笑って頷いた。
「貴方の身柄はエダイさんにお預けします。そこで修行されると良いでしょう。決して楽な仕事ではないはずですが、あなたの決意が本物であれば、きっと、いい仕事ができるでしょう」
タイチは魔法契約の書類に再び一文を添えた。
〝ルーインは名をシンラと改め、その名の者として生きる間は、契約を凍結する〟
やがて〝森の仙人〟と称されることになる伝説の山守〝シンラ〟は、こうして誕生した。
彼は生涯にわたり、多くの森の動植物の生態を明らかにし、バンダッタの森を宝箱のような〝採取〟の場所に変え、豊かに守っていくこととなったのだった。
そして、その森の奥には小さな神社が作られた。
領主だけが参拝を許されるその神社には、美しい少女の姿をした女神像が祀られているという噂だが、その女神の正体は誰も語らない。
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