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第3話 兄弟

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「兄上が俺を呼んでいる?」

 ルナリアの元を訪れた翌日、俺は外敵の撃退の為に天空界の端にいた。

 戦闘を終えて帰ろうとした俺の元へ、兄が俺の住む神殿に来たと伝えられる。

 普段は天空界の中央にある大神殿にいる兄が、わざわざ俺のところに来るとは。

(何か緊急事態でもあったのだろうか?)

「とにかく早く来てください」

 訝しむ俺の腕を掴み、部下の一人ニックがそう急かしてきた。

 余程焦っているのだろうな。まぁ上司の更に上に言われた事なのだろうから、待たせるわけにはいかないと考えるのは良い事か。

 下手をすれば即座に命を奪われる世界だから、その判断は間違っていない。

「遅くなり申し訳ありません。兄上」

 ようやく俺が帰還した事で他の部下や神人達もホッとしたようだ。

「構わない、急に来たのはこちらだ。それよりも仕事の途中ですまないな」

 そうは言いつつも兄の表情は怒っているようにも見える。

 眉間に皺を寄せ口はややへの字だ、不機嫌そうにしか見えない。

(しかしあれが兄上の標準の顔なんだよな)

 俺のような現場で動く者とは違って、兄は下々の者の目に触れる機会などない。

 それ故皆緊張と畏怖を感じているようだ。

(まぁそれを抜いても見た目からして神々しいから近寄りがたいか)

 空を統べる力を持つ兄は俺よりも神格が高く、そしてとても美しい容姿をしている。

 金の髪に、空色の瞳。自分と兄弟と言っても初見で信じるものは少ないだろう。

 兄妹とは言いつつも異母兄なのだから仕方ないと、自分にも何度言い聞かせたかわからない程違う。

 ルナリアもそうだ。

 人形のような造詣で、真っすぐな銀髪と紫の目を持つ彼女は他の女神よりも格段に美しい。

 母親が皆違う俺達兄妹だが、ルシエル兄とルナリアの二人はとても似ていて、俺だけが系統が違う。他人と言われた方がしっくり来るな。

 二人ともまるで彫像のようなきめ細やかな美と気品を滲ませており、俺とは微塵も血の繋がりがないように思える。

 寧ろ他人と言われた方がしっくりくる。

「構いません、本日の仕事は終わりましたから」

 ほぼほぼ奴らは撃退した。今日はもう攻め入っては来ないだろう。

「そうか。ならば少し来い、二人で話したいことがある」

「はい」

 兄は自分の側近にも待つように話をし、二人で移動する。

 俺は少し戸惑っていた。

 急に来た事ではなく、兄からはあまり聞かない命令口調を向けられたからだ。

(父ならばそれが普通なんだけどな)

 長らく最高位の天上神を務める父ならば、息子だろうと誰だろうと命令を飛ばすのに躊躇いはないのだが、兄は父とは違いどこか気遣いを感じる言い回しを普段はしている。

(余程切羽詰まった話なのだろうか)

 兄について後をついていけばそこは予想外の場所だ。

「ここならば誰も近寄りはしないだろう」

「はぁ……」

 それはそうだが、まさか俺の部屋とは。

 いくら兄とはいえ、自室に遠慮なく入られるというのは何とも複雑な気持ちだ。

 これがルナリアだったらまだよかったのに。

 勝手に入り座る兄に戸惑いつつも、とりあえず向かいに座る。

 そうして切り出されたのはまたしてもよそうしていなかったものだ。

「最近ルナリアの所に入り浸っていると聞く」

 ソファに腰かけるなりそう言われ、俺は動揺を隠してにこやかな笑顔で返す。

「妹ですから。顔出しに行っているだけですよ」

 そう返すものの、兄はため息をつき苦い顔をする。

「妹扱いならばまだいい。しかしそれ以上の関係なのだろう」

 内心でどうしてバレたのかと心臓が早鐘を打つが、努めて冷静な声を出すように心掛ける。

「それ以上? どういう意味だか、俺にはさっぱりです」

 あくまで空惚けた反応をすれば、更に深いため息をつかれる。

「彼女は一応異母妹と言う存在だ、手を出していい存在ではあるまいに。まぁ確かに、いくら兄妹とは言っても会う事もなく希薄な関係ではあったが……とは言え、彼女は天上神の寵愛を受ける者だ。いくらお前がその息子であるとはいえ、知られたらどうなるか」

 誤魔化しきれないような鋭い目を向けられ、俺は観念した。

(兄は全てを知っているのだろう)

 ならばと拳を握って心情を吐露する。

「……大事ならばあのように寂しがらせる事はしないはずではありませんか」

 つい反論の言葉を連ねてしまう。

「突如娘だと連れてきて、あのような冷たい神殿に押し込み、誰にも触れさせず、外に出たいという願いも聞かぬふりだ。会話もなく生き永らえさせるだけの毎日、そんな暮らしを続けていたら。いずれ気が触れてしまう」

「……天上神の命令は聞かねばならぬ」

 空の神である兄は更に苦い顔をした。

「それは、彼女の自由や尊厳を捨てさせてでも聞かねばならないことなのですか?」

「口を慎め。どこで誰が聞いてるかわからぬぞ」

 兄の咎めに、続く言葉を一旦のみ込んだ。

「……失礼しました」

「だが、お前の言うことはわかる」

 兄はじっと俺を真っすぐに見つめてきた。その澄んだ瞳は同情や嘘のようには思えない。

「私もあのような生活をルナリアに続けさせるのは反対だ」

 意外な言葉だ。

 てっきり兄は父の言うことは全て受け入れるのだろうと思っていたのに。

「それと、私はお前とルナリアの仲を祝福している。彼女を孤独から救い出してくれてありがとう」

「いえ、そんな」

 思わぬお礼の言葉に、俺は嬉しくなり手から力を抜いた。

「本気であるならば構わない。しかし、ソレイユ。もしも私が二人の仲を反対したならば、お前は私を始末しようとしていたな?」

 拳を解放した為か兄からそう言われる。

「お見通しでしたか。兄を殺し、俺も死んで秘密を守ろうと思ったのですが」

 自分の為ではなく、ルナリアの為の決意だ。

 彼女が生きづらくなる話をむざむざと広げさせるわけにはいかないから。

「そうまでルナリアを想ってくれるのは嬉しい。さすがは私の弟だ、半分だけな」

「この半分が忌まわしいのです」

 ルナリアに表立って近づけない血が憎い。しかし、この半分のおかげで彼女に近付けたのだから、助けられた部分もあるから、複雑な思いだ。

「その点はあまり気にするな。お前とルナリアは……」

 その時ドアがノックされ、兄が口を閉ざす。

「ルシエル様、そろそろお時間ですと、お連れの方より声を掛けるように頼まれました…」

 この声は俺の腹心であるアテンだ。

 主たちの会話に割って入るのはさぞ勇気が言っただろう。声が震えている。

「もうそんな時間か。仕方ない、また話に来る」

 兄は名残惜しそうな顔をしていた。

「お前はそのままルナリアを支えるといい。手慰みにもならないだろうが、私がお前達を祝福してやる」

 それは俺とルナリアの仲を本格的に認める事か。

「それは何と嬉しい事でしょう。そう言って頂けるだけで俺は満足ですよ」

 自分よりも上位の神に仲を認められれば、本来であれば夫婦になれる。

 人とは違い面倒な手続きは要らず、仕える主に許可を得られれば共になれるのだが、
 兄は俺の直属の上司ではないので無理な話だ。

 俺とルナリアが一緒にはなれないと知りながらも、祝福すると明言してくれた。

 言葉は冷たくも優しい兄だ、俺の気持ちを汲んでくれたのだろう。

「いつかまた話をしに来る、怪我などするなよ」

「兄上もお気をつけて」

 兄がそう言ってくれたのに、この日がまさか話しをする最後の時となってしまうなんて。


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