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第2話 愛しい彼女

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 俺がいたのは大地の遥か上にある、天空界と呼ばれる場所だ。

 空の上にある世界で、いわゆる人という存在はここにはおらず、神だけが住む世界。

 綺麗な青空と白い雲の鮮やかな色調が織りなす絶景があり、いつ見ても素晴らしい。それはまさに楽園と呼ばれるに相応しい装いであった。

 それらの美しい景色は時と共にその姿を変え、夜の帳に覆われると、昼とはまた別の顔となる。

 紺色のキャンバスに宝石をちりばめた様な光景がどこまでも広がるのだ。

 大小様々な輝きは見る者の心に感嘆と安らぎを与える。

 時が更に進み、より深く静寂が広がる時間帯へ遷《うつ》ろうと、温かな白昼と違い冷たさが増す空気となるのだが、昼の賑やかな空気よりも、大気が清らかで綺麗な気がする。

 この静かで澄んだ雰囲気を心地よく感じ、俺は胸いっぱいに息を吸いこんだ。

 太陽神と呼ばれる俺は、昼の暖かさと生命力に満ち溢れた空気が好きなのだが、最近は夜のこの雰囲気も悪くないと感じている。

(彼女が司るものだから好きになったのかもな)

 愛しい彼女は月の神だ。

 夜を司り、月の化身と呼ばれる彼女は滅多に神殿の外に出ない。

 その為に会うにはこちらから出向く必要があるのだが、彼女は強固な守りに包まれた神殿の奥にいる為に、普通に出向いても門前払いされるものが多いのだ。

 楽園、とは言っても時折神々を脅かす存在が攻めてくる為に、天界にて最高位にある天上神が彼女を守る為に彼女の住む神殿には常に強い結界が張ったのが原因だ。

 彼女を守らんと天上神が用意した手厚すぎる加護は、皮肉にも彼女の孤立を促進し、そうして彼女は孤独に苛まされる事となった。

 あれがあるせいで彼女の元へと訪れる者はおらず、というか近づけず、また彼女自身も外へ出ないようにと厳重に言いつけられているので、出る事がない。

 真面目な彼女はその言いつけを言われたとおりにずっと守っている。

 俺の仕事は時折出るその外敵を倒す事だ。その為に有事の際にはルナリアを助けるようにと言いつけられており、特別に天上神の結界をすり抜けられる。

 それ以外だと兄か、もしくは彼女の身の回りをするごく一部の女神見習いだけだ。

 女神見習いは神力を持つが神にはまだ為れないくらいの力しかないので、人のように未熟という意味で、神でも人でもないという事で神人とも呼ばれている。

 彼女らも不必要にルナリアに近付かないように言われているために、親しい関係性にはない。

 そんな神人達に見つからないようにと、俺は外から彼女の部屋へと向かった。

(普通の兄妹であれば、このような隠れて会うような事をしなくてもいいのにな)

 疚しい関係でなかったならばと考え、思わず自嘲してしまった。

 天空界に住む者には最低限空を飛べる力が備わっているが、自在に、そして素早く動ける者は限られている。

 俺のように戦いに特化したものならばともかく、普通の暮らしをするだけであればそこまでその力を鍛えたりはしない。

 神人ならば尚更遅く、それ故に見つかる事はないだろうが、ルナリアに迷惑をかけるわけにはいかないからな。

 既に慣れたもので灯りの少ないこの時間でも、彼女の元へ行くのにも迷う事はない。高い所にある彼女の部屋へとそっと近づいた。

 窓を叩く前に開けられる。

「ソレイユ!」

 俺の姿を確認した彼女は満面の笑みを向けてきた。そしてそのまま落ちるのではないかとばかりの勢いで身を乗り出してきた。

「危ない」

 俺は両手を伸ばし抱きついてくる彼女の体を支え、そのまま部屋に入らせてもらった。

「不用意に開けちゃ駄目だろ、俺以外の誰かだったらどうするんだ」

「あなた以外に窓から来る者はいないもの、絶対に間違えないわ」

 不用心にも程があるが、確かにそうだろうな。

 ここに来るまでにも幾重に張られた結界があるのだから、それら全てに引っかからずにここまで来られるなんて者は、普通いない。

 少し落ち着き改めて部屋の中を見る。

(特に前回と変わった様子はないな)

 いつも通り広くよく掃除の行き届いた綺麗な部屋なのだが、極端に物が少なく、どことなく寂しさが感じられる。

 初めて入った時にルナリアはこう言った。

「特に欲しいものがないんですの」

 誰とも会わず、外にも出ず、監禁に近い形で過ごしてきたルナリアにとって興味を持つようなものはなかったそうだ。

 それ故に笑顔もなく、人形のようであった。

「今夜も来てもらえて嬉しいわ」

 そう云うとルナリアは俺の首に手を回し、頬に口づけをしてくれる。

 今ではこうして笑みを見せてくれたり、表情や言葉で自分の気持ちを表現してくれる。

 やや大胆な愛情表現だが、それを教えたのは俺だと思えば悪い気はしない。

「俺も、会えて嬉しい」

 俺も彼女の頬へと同じ事をしてから、そっとベッドへと下ろした。

 上質で肌触りの良いシーツや柔らかな沈み心地のマット、普段自分が使うものとはまるで違うと毎回感動してしまう。

 それだけルナリアは大切にされている存在なのだと再認識する。

「今日は何をしていたんだ?」

 頬に触れながらそんな事を聞けば、彼女はくすぐったそうにしながらも答えてくれる。

「今日はですね、お庭に咲くお花達を眺めしたり歌をうたっておりましたの。あっ、外には出てませんよ、室内でこっそりとです」

 本当は外に出たいだろうに、健気にも約束を守っている彼女がやや不憫ではあるが、この事について天上神に進言しても頑として受け付けてくれない。

 なので今のところ何の力にもなれないのだが、歯痒いものだ。

「いつか外へと連れて行ってあげるから」

 そう言えば彼女は嬉しそうに笑う。

「それならばぜひソレイユがよく聞かせてくれる、地上界へと行ってみたいです。そこにはここと違う、大地に咲く花々があるのでしょう?」

「あぁ。ルナリアが望むならどこへでも連れて行くよ」

「それと大きな木も見てみたいわ、天空界にはそこまで大きなものはないと聞きますから」

「あぁ、いつかな」

 何気ない会話を交わし、話がひと段落した頃合いで距離を詰める。

「ソレイユ……」

 何かを言いかけた唇を塞ぐが、抵抗は見られない。

 頬を染め、体の力を抜いて俺の事を受け入れてくれる。

 やがてその声が甘やかになるのを嬉しく思い、一生大事にすると心の中で誓った。

 許されざることでも、誰からも祝福されずとも、この誓いを覆す気はない。
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