ものぐさ降魔士奇譚

玖凪 由

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【陥穽篇】4.窺窬する謀略

窺窬する謀略 ☆陸

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 くっくっと喉の奥で笑う。

 もう少しで、自分の復讐が叶う。この時をどれほど待ちわびただろう。

 大きく両手を広げ、男は高らかに叫ぶ。

「さぁ、地獄へ落ちろ、嘉神!!」


      △   △


「――わかった。そっちのことは頼む」

 通話を切った鵜飼うかいは、片手で目元を覆って頭を振った。

「……なんということだ」

 そんな鵜飼を、統括会メンバーは緊張した面持ちで見ている。 

 説明会も半ばを過ぎた頃。前半に行った『妖異に遭遇した際の対処』という名のレクリエーションを終え、今は降魔科の授業風景などを収めた映像をステージに取り付けられたスクリーンに流している。説明会に来た一般客にその映像を鑑賞してもらっている最中に、ちょうど楓から連絡があったのだ。

 仮設ステージの舞台裏に鵜飼と、彼を囲むようにしてかえで満瑠みつるを抜かした統括会メンバー四人がいた。メンバー全員が不在となると万一の事態が起こった時に対応が遅れるため、満瑠には校内を見回ってもらっている。ちなみに人選は本人の立候補によるものだ。

「なぁ、どうしたんだよ、センセー。妖異は倒したんだろ?」

 愛生あきが率直に尋ねる。通話の内容が聞こえていたわけではないが、鵜飼の言葉の端々や表情からただならぬ空気は容易に感じ取れた。 

 教え子たちの眼差しを受けて、鵜飼はようやく口を開いた。

「妖異は調伏し、古河たちも無事だ。……が、それよりも大変なことになった」

 険しさの色濃く滲んだ表情で、彼は玲子れいこたちに楓からもたらされた報告を伝える。

「――学園内に、呪具じゅぐが埋め込まれている」

   メンバー全員が言葉を失った。その表情が驚愕に彩られている。

「それは、どういったものですか」

 いち早く我に返った玲子が問う。その声は若干かすれていて、絞り出したかのようなものだった。

「妖異を召喚するものだ。時限式の呪具で、時間になると発動するようになっているのだと」
「な……っ」
 
 要一よういちが息を呑む。愛生が声を荒げた。

「どういうことだよ!   なんでそんなことが……!」
「ラブ、ステイ。今重要なのはそこじゃあない」

   ルカが制止すると、愛生がうぐっと言葉を詰めて黙った。

「カエデじょうは、その呪具がどこに埋め込まれているかは言ってましたか?」
「数ヶ所に配置され、ほとんどの在り処はわからないそうだ」
「ひとつだけではないのか……!」

 要一が顔を歪め、ギリリと歯を食いしばった。

「その呪具が発動するのは、いつですか」

 硬い声音の玲子に、鵜飼が重々しく言う。

「十五時」
「……!」

   時刻は、十四時を十五分ほど過ぎようとしている。

 つまり――約四十分後だ。
 
「ただちに説明会を中止し、生徒と一般客への避難指示を――」
「いや、待て」

 指示を出しかけた玲子を鵜飼が即座に制した。

「ここで下手に知らせないほうがいいだろう。余計な被害が起こるおそれがある」

 今ここで学園内に妖異が出没する恐れがある、などといった放送をすれば、学園にいる群衆は間違いなく大パニックを起こすだろう。そうなれば、我先にと逃げようとする者同士でひしめき合い、ぶつかるなどして怪我人で溢れかえる事態になりかねない。それこそ地獄絵図だ。

 危険を排除する役割を持つ結界の中にいてどこに避難するというのか、という問題もある。強いて言うなら、この修練場。ここには霊力抑制装置という結界を張る装置があり、霊力だけでなく妖力にも有効だ。しかし、今学園内にいる人間すべてを収容することなど到底できない。

 では、何か別の理由をでっちあげて学生や来客を動かすか。否、どんな理由をつけたとしても、そもそもこれだけの群衆の移動など三十分やそこらで完了できるわけがない。呪具がどこに埋め込まれているかもわからないのに、下手に動かすのはかえって危険だ。

 それに、こちらが今大々的に動きを見せれば、けしかけた大本の犯人が行動を起こす可能性がある。

 何処にいるかはわからないが、学園の様子を伺っている可能性が高い。もしかすれば、学園内にいて人混みに紛れ込んでいるかもしれない。

 唯一の希望は、今はまだこちらが計画を知ったことには気づいていないであろうということ。佳澄たちが起こした響への襲撃は、元々計画にはなかったものだという。つまり彼女たちの独断行動であり、主犯格も知らないはずとのこと。

 そして主犯格だけでなく、降魔科には内通者がいる。佳澄とまきなのように、今回の計画に加わった降魔科生が何人かいるのだそうだ。信じ難いことに。

 こんなこと、公にできるわけがない。妖異から人々を守る降魔士を志す生徒が、自分の名誉のために妖異を召喚し人々を襲わせようとしていることなど。

 それだけではない。地方一強固な結界内に妖異の侵入を許したとあらば、学園の信用の失墜は免れない。信用だけではなく、人々の心の安寧すら脅かしてしまうことになる。

 これは学園側の自己保身のためというわけではけっしてない。嘉神学園の結界は真実、この辺りに住む人々の心の拠り所でもある。

 有事の際、この強固な結界内にいれば大丈夫だ、という絶大な信頼が寄せられている。それだけ、嘉神の結界は人々にとって大きな存在なのだ。

 だから、この事態を人々に知らせるのは絶対に避けるべきことだった。

 それらを踏まえて、鵜飼がある決断を下す。

「……ここは、隠密に解決するしかない」

 鵜飼は真剣な眼差しを、この場にいる統括会の生徒たちに向けた。

「全責任は僕が負う。きみたち統括会には、誰にも知られずにこの事態の収束に全力であたってほしい」

 無茶苦茶な要求だと、鵜飼も重々承知している。しかし、この計画はなんとしてでも阻止せねばならないのだ。

 それは統括会メンバーもわかっている。だから、異議を唱える者が一人もいないのだ。

「あったりまえだろ」
「ボクらにしかできないだろうね」
「ああ。なんとしても成し遂げてみせる」

 愛生、ルカ、要一が三者三様に威勢よく答える。

「では、私も――」
「いや、会長は残って説明会を続行しろ」

 三人に続いて声を上げかけた玲子を遮るように、要一が言葉を被せる。

 極秘裏に動かねばならないことなら、ここで玲子が動くわけにはいかない。説明会を中断してしまえば、確実におかしく思われる。降魔科生にも感づかれかねない。

 そう言われて言葉を詰めた玲子に、要一の真剣な眼差しが注がれる。

「ここは、俺たちで動く」

 要一の横で、愛生とルカが頷く。そして鵜飼も同意を示した。

不破ふわの言うとおりだ」

 幸い、人手のいるレクリエーションは終わっている。あとは映像についての補足説明や質疑応答のみなので、玲子だけでもなんとか事足りる。

 玲子には普段どおりを装ってもらわねばならない。これが、上に立つ者の宿命である。

 玲子はぐっと拳を握りしめた。

 わかってはいる。それでも。

 学園のこんな大事に、統括会長である自分が何もできないなんて。

幸徳井こうとくい、そう自分を責めるんじゃない」

 あからさまに悔しそうな表情を浮かべる玲子に、鵜飼が苦笑する。

「きみは普段からよくやってくれている。むしろ、動きすぎなくらいだ」

 百鬼夜行ひゃっきやこうの時は、破られかけた学園の結界を修復した。先月の羅刹らせつ事件でも、ゆらとともに大きな活躍を見せた。

 この二ヶ月だけでも、玲子は十分貢献している。嘉神学園降魔科統括会長として、未来の降魔士として、しっかり役目を果たしていた。

「いくら幸徳井家の息女で、降魔科統括会長であろうと、きみがすべてを背負い込む必要はない」

 鵜飼はさとすような口調で教え子に言う。

「仲間を信じて託すことも、降魔士には必要なことだ」

 まさしく正論だ。そこに要一が口を挟む。

「俺たちは会長の手足だ。会長が動けないなら、俺たちが動くだけのこと。だから、この件は俺たちに任せろ」
「……わかったわ」

 仲間たちの力強い視線を受け止め、玲子はやがて頷いた。

「私もこれが終わり次第加勢する。だから、そっちはお願い」
「おう、任せとけって」

 要一たちがきびすを返しかけたところで鵜飼が呼び止めた。

「僕も動こう」

 えっと要一は目を瞠った。

「鵜飼先生もですか?」
「こんな緊急事態に、生徒だけ動かして担任が何もしない、なんてわけにはいかないだろう? まぁ、古河に比べれば僕じゃあ頼りないかもしれないが」
 
 楓は佳澄たちにさらなる聴取を進めるとともに、巻き込まれた子どもたちの対応をするためすぐに戻れない。響と梨々花りりかもそれに付き添うとのことだった。だから、鵜飼は自ら名乗りを上げたのだ。

「とんでもありません! むしろ、なんと心強いことか……!」

 要一の熱い言葉に鵜飼は軽く笑うと、自分は玲子と今後の動きについて少し話し合うから、先に行って満瑠にこの事態を伝えるようにと言った。
 
 指示に従って身を翻した要一たちを見送り、玲子が鵜飼に向き直って頭を下げた。

「鵜飼先生、申し訳ありません。自身を見失っていました」

 けっして仲間を信用していないわけではなかった。統括会長としてどうにかしなければと、動くことが当たり前となっていたのだ。そのせいで、あやうく大事なことを忘れるところだった。

「――そういうところは昔から変わらないね、玲子くん」

 鵜飼から教師としての表情が消える。懐かしいその面持ちに、玲子はいささかばつの悪い顔になった。

「……少しは成長しているかと思っていましたが、まだまだのようです」
「そんなことはない。きみは確実に成長しているよ。もう僕の手に余るぐらいにはね」

 冗談交じりの鵜飼に苦笑した玲子は一転、心配そうに鵜飼を見た。

「差し出がましいとは思いますが、先生は、その……大丈夫なのですか」

 それの意味するところを理解し、鵜飼は笑いながら頷いた。

「この程度なら問題ないさ。心配ありがとう」

 その言葉を聞いて、玲子はそれ以上何も言わなかった。

「さ、映像も終わったようだ。行ってきなさい」

 促され、玲子は頷くと背筋を正して再び登壇していった。場内に響く玲子の声を聴きながら、鵜飼は出入り口へ向かう。

 鵜飼は、玲子のことを嘉神に入学する前よりもずっと前、小学生にもなっていない頃から知っている。

 長い付き合いだからこそわかる。先ほど本人にも言ったが、彼女は確実に成長している。降魔術の腕も、ひとりの人間としても。

 本当に大きくなったな、と感慨深い気持ちになるのも束の間、鵜飼は表情を引き締めると修練場を後にした。





「みんな、準備はどうだ?」

 愛生が小声で肩口に話しかける。すると、右肩に乗っていた白い鼠、獣式鬼じゅうしき】から声が聞こえた。

『所定の位置に着いた。ボクはいつでもいけるよ』
『ねーねー、ホントに妖異出てからじゃダメなの~?』
『ダメに決まっているだろうが!』

 満瑠の緊張感の欠片もない問いかけに、要一が怒鳴るように返す。

『この件は周囲に露見してはならず、極秘裏に遂行せねばならんことを忘れたのか?』
『もー、ジョーダンに決まってるじゃ~ん。要ちゃんってばお堅いんだからぁ』
『この……っ、お前というやつは!』
『二人とも、そこまでだ』

 鵜飼の鶴の一声で、二人のやり取りが収まる。こんな状況でも、相変わらずのやり取りに愛生は小さく笑う。

 愛生たちは今、校外に出てバラバラに散っている。これから起こす行動のために。

『改めて確認するが、我々のやるべきことは二つ。呪具の発見および排除と、仕掛けた降魔科生の捕縛だ』

 鵜飼が共有した楓から聞いた情報によると、仕掛けられた呪具は全部で五。関与した降魔科生たちが、それぞれ学園内のどこかに埋め込んだという。

 うち、ひとつはすでに排除済みだ。まきなと佳澄が配置したもので、楓が聞き出したのを伝えてくれたのだ。それは、昇降口付近の植木鉢の中にあった。

 だから、残りは四。それらを残り三十分足らずで除去しなければならない。

『呪具は発見次第、即破壊すること。これが第一優先だ』

 それから内通している降魔科生については、相手が術で抵抗してきた場合に限り、降魔術の使用を特別に許可する。ただし過剰に怪我をさせるようなことはしないように。

 そう告げた鵜飼は、そしてと続けた。

『これら一連の行動を、一般客および降魔科生を含めた嘉神生の誰にも知られることなく遂行すること。みんな、頼んだぞ』
『了解!』
『よし。時間に余裕もない、さっそく始めてくれ』
『オーケー。――始めるよ』

 一瞬の静寂のあと、弦を爪弾く音が聞こえた。まるで、大いに賑わっている嘉神祭の水面下で行われることの開幕を告げるように。

 これはルカが所持する鳴弦めいげんの音。ルカは言霊ではなく音に霊力を乗せた音霊おとだまを使って、術式を発動させる。

 術者の術を強化したり。妖異を弱らせたり。場に溜まった嫌な気を祓ったりと、様々な効果を持つ。

 しかし、今回はその音霊が乗っていない。弦を弾く乾いた音だけが微かに聞こえる程度。

 ルカはこの音の反響で、呪具の在り処を探り出そうとしていた。音が行き渡ると、不審なものに一瞬ノイズが混じるらしい。

 その反応はごくごく微かなもので、しっかりと耳を澄ませていないと聞こえない。だから何回も鳴弦を弾いて探知し、なおかつ場所を割り出すという、かなり繊細な作業をせねばならなかった。

 ――卯野うの、しっかりピースをサポートしてやってくれよ

 そう念じる愛生は、白いうさぎの姿をした獣式鬼【】一体を、ルカのそばに置いていた。

【卯】に備わっている能力は、音の探知。

 人間の耳では捉えられないほどの極々小さな音でも聞き取ることができる、見た目どおりの能力だ。

 その卯を配置することで探知の正確性を上げるのが目的だ。ルカの鳴弦と非常に相性のいい獣式鬼なのである。

 音のほかに、妖力や霊力の緻密な探知もできる。愛生の保有する獣式鬼の中で、【卯】と【いぬ】だけがこれが可能だった。

 ただし、【戌】は【卯】よりも探査範囲が狭い。限定的な範囲内であれば、逆に【卯】よりも【戌】のほうが精度が高く優秀だ。

 作戦としては、まず【卯】である程度の位置を捕捉し、【戌】で確実に探り当てるという寸法である。

 そのため、愛生は【戌】を四頭召喚し、自分と要一、満瑠、鵜飼にそれぞれつけていた。こちらはルカから発見の連絡が来た際に、その場所に向かい掘り出してもらう手筈になっている。

 そうして、愛生は意識を別に移す。

 それからもう一体、愛生は獣式鬼【とり】を放っていた。【酉】には上空から学園内を警備させており、何か異変が生じた際は速やかに主のもとに報告が来るようになっている。

 現段階で愛生が召喚している獣式鬼は、【子】が五、【卯】が一、【酉】が一、【戌】が四、計十一体。

 一見多いようだが、【子】は連絡用で無線機のような役割のため特に操作する必要はなく、酉からは報告待ちなのでこちらも今のところ放置。そのため、そこまで大変ではなかった。

 獣式鬼は半自立型だ。術者なら基本的に誰でも扱える式鬼は、予めプログラミングされた行動のとおりに動く。それは裏を返せば、プログラミングされていない行動はできないということを指す。

 対して、愛生の操る干支獣式鬼は、その場で下した主の指示どおりに動くことが可能だ。

 けれども、咄嗟の場面で自分で判断して臨機応変に対応する、ということは半自立型でもできない。それができるのは式神だけ。それも、ある程度の知能を持つ妖異を式神とした場合のみ。

 半自立型とはいえ、結局はすべて愛生の意志で動いている。式鬼を複数体自在に操る技術――式鬼操術に長けた愛生だからこそできる所業だった。

 今最優先で意識を向けなければいけないのは【卯】だ。ルカの索敵音のノイズを【卯】が聞き取れば、それをもとに一番近くにいるメンバーに伝達し、【戌】とともに現場に向かわせなければならない。

 ルカに続いて、愛生もかなりの大役だ。これだけの獣式鬼を操りながら、ひとつのミスも許されない。

 愛生がかりかりと頭を掻いてぼそっと呟いた。

「コガっちがいてくれりゃあなぁ……」

 こういう場面で一番迅速に動けるのが楓だった。

 本音を言えば、愛生は指示役に徹したいところだ。獣式鬼を操りながら、自身も動かねばならないのはさすがに骨が折れる。玲子も動けず楓も不在な今、もう一枠は自分が埋めるしかなかった。

 まぁ迅速に動けるからこそ響たちのもとに向かい、こちらへこの状況を伝えることができたのだが。他の統括会メンバーではこうはいかなかっただろう。最悪、手遅れになっていたかもしれない。

 だから、今の状態がもっともベストなのだと言える。楓あってこその現状だ。

 同期は十分に役目を果たしている。ならば、自分たちが後れを取るわけにはいかない。

 愛生は改めて気を引き締め集中すると、鋭い目で正体も分からぬ敵に向かって吐き捨てるように言った。

「アタシたちをあんま舐めんなよ」





 鵜飼は喧騒に包まれている校舎の外を歩いていた。時折すれ違って声をかけてくる嘉神生に和やかに応じる。

    一見、ただ学園祭の様子を見回っている教師にしか見えない。そういう風を装っているのだ。

 何気ない足取りで歩き、ルカからの連絡を待ちながら鵜飼は思考に耽る。

 脳裏に浮かんだのは、楓が佳澄とまきなから聞き出したという今回の件に関与している降魔科生のことだ。

 人数は彼女たちを含めて十人。残りの八人がこの校内にいる。話を聞くと、CとDクラスの生徒ばかりだそうだ。その中で、佳澄だけがBクラス。学年はバラバラ。

 この件に関与した降魔科生はみな伸び悩んでいる、もしくは自身に並々ならぬコンプレックスを抱いている者たちばかりなのだという。

 そこにつけ込まれた結果が、今の事態である。

 降魔科生たちの目論見は、妖異を呼び出す術具を使って一般人の目の前で召喚し、別の術具でその妖異を弱体化させ調伏する。そうすれば、自身の実力が評価されてクラスも上がる――そういう算段だったという。

 そして実行に移すのならば、できるだけ多くの一般人の目に触れるのがいい。

 そこで、嘉神生だけでなく一般客が多く訪れるこの嘉神祭が狙われたのだ。

 鵜飼は首を振った。

「……バカなことを」

 もしその計画が上手くいったとしても、それは本人による真の実力ではない。実力を偽ったところで、そんなものはすぐ馬脚を現すだろう。

 そんな偽りの実力では、いざという時に大怪我では済まない事態に陥ってしまうことは避けられない。自分だけならまだいいが、周りにも大きな影響が出てしまう可能性も高い。

 冷静に考えれば容易に想像がつくようなことだ。しかし、そんなことにも考えが至らないほど、自身への劣等感が強かったのだと思われる。だから、うまい条件に目が眩んでしまったのだろう。

 道具を使って召喚した妖異を弱らせて調伏するという流れだったそうだが、その道具は実際は弱体化させるのではなく、強化というか狂暴化というか、そういった弱らせることとは逆の効果が出たのだと聞いた。

 術具の不具合、とは思えない。となれば、初めからこうなるよう仕組まれていたのだろう。

 つまり、降魔科生たちは仕掛けた張本人の口車にまんまと乗せられ、騙されたのだ。その張本人に、降魔科生たちを救う気などはない。むしろ、貶めるつもりなのである。

 そんなことが実行に移されれば、冗談抜きでとんでもない被害が起こる。嘉神祭がめちゃくちゃになるどころの騒ぎでは済まされない。

 強大な結界が張り巡らされている学園内に妖異の侵入を許し、それをあろうことか降魔科生が仕組んだという事実が世に知れ渡れば、間違いなく嘉神学園の信用は一気に落ちる。

 おそらく、それが主犯格の思惑なのだろう。降魔科生を誑かし、嘉神学園を陥れようとしている。

 なんというおぞましい謀略だろうか。

 だが、一体なんのために。それがわからない。

『――見つけた!』

 その時、肩口に乗っていた式鬼から放たれた声が耳朶に突き刺さった。

 即座に思考を打ち切り、鵜飼は意識を鼠に集中させる。しかしあくまで意識だけだ。仕草は普通に校内の様子を見ているという態度を崩さない。

『校舎南側、花壇があるところに反応を検知』

 校舎南側。そこに一番近い場所にいるのは、満瑠だったはずだ。

『くらっち、戌飼と一緒に向かってくれ!』
『ハイハーイ。んじゃ行ってくるね~』

 愛生の指示に応じた満瑠は、まるでピクニックにでも行くかのように気軽で陽気だ。

『……! いいぞ、もう一個見つけた。校庭付近! センセー!』
「了解」

 続けて、自分の請け負った範囲が指示される。幸い、示された場所はさほど遠くない。ちょうど進行方向の先にある。

   いいペースだ。このままいけば、なんとか時間内に呪具の排除ができる。

 周りに不審に思われないよう、鵜飼は自然にそちらへ足を運んでいく。

 数分もしないうちに辿り着いた先は、広い校庭だった。一般開放中は特に使われることはなく、嘉神生のみで行われる後夜祭の時にキャンプファイヤーなどで使う。

 普段は普通科生が体育の授業や部活動などで使用され、そのどちらもない降魔科生にはほとんど縁がない場所である。

「この辺か」

 鵜飼はすでに呪具の気配を探っている【戌】に視線を落とした。

「頼むぞ」

 鵜飼も目を閉じて感覚を研ぎ澄ませてみる。しかし、やはり何も感じ取れなかった。

 あからさまに妖気や霊気が放たれているものならば見鬼の人間でも察知できるのだが、発動前の術具だからか一切そういった気配がない。

 だが、異質なものには必ずなんらかの気配がある。だから、見鬼でも見つけられないものを、この探査能力に長けた獣式鬼に補ってもらうのである。

「あれ、鵜飼先生……?」

 その時、ふいに背後から話しかけられた。

 振り返ると、二人の降魔科生がいた。両方とも女子生徒、それも一年生だ。

 鵜飼は不審に思われないように彼女たちをそっと観察した。

「きみたちは……」

 どこかで見たことがある。一瞬の思考ののち、思い当たった鵜飼はすべてを悟った。

 そうか、そういうことだったのか――。

「こんなところで、何してるんですか?」
「いや、少し探し物をね」
「探し物……ですか」

 鵜飼の言葉に、彼女たちはあからさまにそわそわし始めた。

 しかし、鵜飼はそ知らぬ素振りで彼女たちに尋ねる。

「きみたちこそどうしたんだ。こっちに出し物はないぞ?」
「それは、その……」
「私たちは、ちょっと通りがかっただけで……」
「そうか。まぁ今は嘉神祭真っ只中だからな。嘉神生だけでなく、一般客もいるんだ。降魔科生として、恥ずかしくない言動をより一層心掛けないといけないぞ」

 二人が微かに肩を震わせたのを、鵜飼は見逃さなかった。

 だが、やはりそこには触れず、鵜飼はにこりと笑ってみせた。

「なんてな。嘉神祭は、降魔科生が少しばかり羽目を外すことができる数少ない機会だ。もちろん普通科生も、一般のお客さんも、みんなが楽しむ時間なんだ」

 鵜飼の口調が真剣味を帯びる。

「どんな理由があっても、それが妨げられるなんてことがあってはいけないからな」
「…………」

 女子生徒たちは黙り込んだ。横目で盗み見たその表情に、うっすらと苦渋が浮かんでいる。

 と、そこで【戌】の様子が変わった。

「見つけたか」
「え? ……あっ」

 駆け出した獣式鬼を追って、鵜飼もまた地を蹴った。

【戌】がある場所の匂いをしきりに嗅いでいる。そうして、やおらそこを掘り始めた。

 十センチほど掘ったところで、とある塊が出てきた。

   それは手のひらサイズで、楕円形をしていた。平べったい皿のようなものを2枚重ねたようで、麻紐で十字で縛られている。

   この皿のようなものは、おそらく土器かわらけと呼ばれるものだ。昔の人々が水や酒などを注いで飲んでいた、いわゆるさかずきである。

   これこそが呪具。この中にはびっしりと呪文が描かれているはずだ。妖異を召喚するためのしゅが。

「よし、よくやった」

 鵜飼は屈んで獣式鬼の頭を撫でると、その呪具を手に取った。

「──凍れ」

 言下に、鵜飼の手のひらから冷気が放たれた。冷気に包まれた呪具が、やがてピシピシと音を立てながら結晶化を始める。

 そして呪具は完全に氷漬けとなり、無効化された。これでここに妖異が召喚されることはない。

「……さて」

 立ち上がった鵜飼は、おもむろに振り返った。

 二人の生徒が青ざめた顔でその場に立ち尽くしている。震える唇が、なんでと動く。

 鵜飼はこの二人を知っている。降魔科生だから、ではない。

 彼女たちは、牛鬼が出没した廃工場で響に助けられた降魔科生だったのだ。

 鵜飼は厳しい表情を作ると、漸う口を開いた。

「――話を、聞かせてもらえるな」

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