ものぐさ降魔士奇譚

玖凪 由

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【陥穽篇】2.星廻る輩

星廻る輩 ☆拾壱 【完】

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たかむら!」
「わかってる!」

 ゆらを襲おうとしていた疑似鬼ぎじきが、竜之介りゅうのすけが築いた障壁に激突する。それを見て、梨々花りりかが響に向かって声を張り上げた。

「今!」
「──縛れ。これは見えざる神力じんりきの縄、あらゆる動きを封ずるものなり!」

 合図を受けて響が即座に唱えると、疑似鬼の動きが止まる。そこへ、竜之介と梨々花がそれぞれ術を発動する。

流水波りゅうすいは!」
いなずま一閃いっせん!」

 両脇から放たれた術が、動けない疑似鬼に直撃する。

 竜之介が放った水が疑似鬼にかかり、その直後に梨々花の雷が命中する。水の効果で雷の威力が倍増し、疑似鬼に大ダメージを与えた。

 それでダメージが一定に達したらしく、疑似鬼が召喚核しょうかんかくへと戻り、コロンと地面に転がった。

「そこまで!」

 それを受けて一ヵ所に集まった三人のもとに、鵜飼うかいが歩み寄ってくる。

 硬い面持ちで目の前までやってきた担任の顔を見て、梨々花と竜之介は肩を強張こわばらせる。倒したが、何かダメだったのだろうか。

 三人の顔を順繰じゅんぐりに見た鵜飼は、ふっと相好そうごうを崩した。

「よくやった。文句なしの合格だ」
「……! やった――!」
「驚かせないでくださいよ……」

 飛び跳ねて大喜びする梨々花の横で、ほっとしたように息を吐いた竜之介が不満そうに眉根を寄せる。鵜飼は苦笑をこぼした。

「いやぁ悪い悪い。先日とは見違えるほど連携れんけいが取れていたから驚いてね」

 雷獣らいじゅう襲来から二日が経った、週明けの月曜日。

 六限が終わって放課後の修練場しゅうれんじょうにて、響、梨々花、竜之介の三人は再テストを受けていた。

 鵜飼の立ち合いのもと、疑似鬼と相対し、そして今ようやく合格をもらうことができたのだ。

「三人とも、いい動きだった」

 土曜日の一件は、当然鵜飼の耳にも入っていた。雷獣を調伏ちょうぶくしたのがこの三人であると聞いた時、それはもう驚いたものだ。

 響はそのあと倒れたが、力を使い果たしただけであり、全員たいした怪我もなかったというのだから奇跡に近い。

 雷獣ほどの脅威きょういを三人で協力して退けたのだ。再試はもうやる必要はないか、という考えも一瞬脳裏をよぎった。

 だが、窮地きゅうちおちいってたまたまできたという可能性も無きにしもあらず。そんなことでは困る。

 それになによりも、単純に鵜飼が天災レベルの妖異を倒したという三人の連携を見てみたかった。だから、予定通りに再試を行うことにしたのだ。

 結論から言うと、鵜飼の心配は杞憂きゆうだった。三人は再試もきちんと連携を取って疑似鬼を追い詰め、見事撃破してみせたのだ。

 梨々花は冷静に戦況を見極め、的確な指示を飛ばせるようになった。

 竜之介は自分勝手な行動をとることなく、指示を聞いて動くようになった。

 響も連携というものがわかってきたようで、集団戦での動きが俄然がぜん良くなった。

 各々おのおの持ち前の力を以前よりもぐっと発揮できている。先日のバラバラさが嘘のようだ。

 しかし、これでやっと並程度。まだまだ粗削あらけずりで未熟な部分も随所ずいしょに見られ、以前に比べていい動きをするようになったというレベルでしかない。

 とはいえ、現時点では十分及第点。あの一件を通して、一皮ひとかわけたようだった。

 恐ろしい成長速度だ。やはり自分が思った通り、この三人の潜在せんざい能力は飛び抜けている。

 最初、鵜飼は今回の再試も上手くいかないと思っていた。梨々花はともかく他二人のくせが強いため、一週間やそこらで連携が取れるようになるはずがないと思い込んでいたのだ。

 だからそれを見越して、次にさせることを考えていた、のだが。

 思わぬところでそれが無駄になってしまった。無論いい意味で、だ。瓢箪ひょうたんから駒とはまさにこのことを言うのだろう。

 それ自体は喜ばしいことだと鵜飼は思っていた。まぁあくまで教師としてではなく、一個人の感想としては、だが。

「で、統括会からはなんだって?」

 担任がそう切り出した途端、三人の動きがぴたりと止まった。

「昼、呼び出されていただろう。この間の件についてだと思うが」

 生徒たちがそろいも揃ってばつの悪い顔をしているのを見て、予想通りの反応に鵜飼は思わず苦笑を漏らす。

 響は昼休みのことを思い出した。


   △    △


 響、竜之介、梨々花がドアを背にし、三人横並びになって統括会室に屹立きつりつしていた。

 目の前には高級そうな長机があり、そこに統括会メンバーが勢揃いしている。

 左右に三人ずつ着座し、真正面にすのは嘉神学園が誇るトップの実力を持つ統括会長である幸徳井こうとくい玲子れいこだ。

 響たち三人は呼び出しを受け、統括会室に足を運んだのだ。

 その内容はずばり、一昨日にあった雷獣事件について。

 三人の活躍によって雷獣の調伏に見事成功し、市街の被害も最小限で済んだことを称してお褒めの言葉を――というわけではなく。

「なぜ、交戦したのですか?」

 玲子の表情は厳しく、語調も冷ややかだ。そこに褒める、などという空気は微塵もない。

 右端の竜之介が気まずそうな顔をし、中央の梨々花は沈鬱ちんうつな表情で委縮いしゅくしている。

 そして左端にいる響に至っては、虚無きょむの境地にいた。

 妖気を一掃したせいで力尽きて昏倒こんとうしたあと、そこから次の日の日曜夕方まで響は丸々一日眠りについていたのだ。

 目覚めたあと軽く検査をし、異常がないことを確認された。たいした怪我などもなく心身ともに健康そのものだと判断されたが、空腹感がひどく、また倒れそうになったぐらいだ。

 夕飯で空腹を満たし、再び朝までぐっすり眠り今日を迎えて登校。

 そして現在に至るというわけだ。

 目が覚めたらすでに日曜の夕方とはどういうことだ。いかに響が休日だからといって特に何もせず自室に引きこもってゴロゴロしているだけだとはいっても、さすがに一日中睡眠に使ったりはしない。

 いつもだったら、響なりに心身ともにリラックスすることに使っているのだ。リラックスしすぎて休みの最終日には学校なんか滅んでしまえなどと思う始末。

 しかし、今回は力を使い果たしたせいでほぼ気絶に近いかたちで眠っていた。リラックスしていたわけではないため、気持ちが全然違う。

 ああ、貴重な休日が二日ともつぶれてしまった。特に、先週は転科の件でいろいろあって疲れ切っていたのに。

 そして今。

 休日が消えた挙句あげく、雷獣を倒したのになぜか説教を受けている。なんだこの仕打ちは。世界が自分に対して厳しすぎやしないだろうか。

 ここ数週間、いいことがひとつもない。

 響が無表情のもとで己の不幸をなげいている最中も、玲子の叱責しっせきは続く。

「天災レベルの妖異と遭遇した際は住民の避難を第一優先とし、交戦は絶対に避けること。これが鉄則だったはずですよね?」
「……はい」
「それにも関わらず、あなたたちは襲われてやむを得ずというわけでもなく、自ら攻撃を仕掛けた。これは一体どういうことですか?」
「…………」
「勝手な行動は、統率とうそつを乱す。集団で調伏にあたる現場において、これがどれほど致命的なことであるかはわかっているはず」

 こめかみを指で押さえ、軽く首を振りながら玲子は深々と息を吐いた。

「今回は人的被害がなかったからよかったものの、もしこれであなたたちの軽率な行動によって死亡者が出ていたら、どうするつもりだったのですか」
「も、申し訳ありませんでした……」

 厳しい叱責に返す言葉もなく、梨々花がうなだれる。彼女自身も事態が収拾してから冷静になって、自分のとった行動のおろかさに思い至っていた。

「あ、あの、あたしが雷獣を倒そうって言ったんです! だからこの二人は悪くなくて……っ」
「それを誰も止めなかった時点で、全員同罪です」

 ぴしゃりとはねのけられ、梨々花は口をつぐむ。

「相手はあなたたちの手には余るものだった。自分の身も危険だったのよ」

 そのとき、それまで黙っていた竜之介が口を開いた。

「――それは、重々承知しています。ですが、俺たちは降魔士を志す者として、当然の行動をとったと思っています」

 毅然きぜんとした態度で主張する竜之介を、梨々花が驚いたような目で見る。

 そんな竜之介を黙って見つめていた玲子は、ふと響に視線を移した。

如月きさらぎさんは、何か言い分はありますか?」
「……別に、何も」

 言葉とは裏腹に、その顔には不満がありありと浮かんでいた。

 響の言い分としては、自分はただ巻き込まれただけ。なんかそうするような流れになってしまったため、やむなく動いたにすぎない。

 が、結局は反論も何もしなかったのは事実であり、今更何を言ったところで後の祭り。何より面倒だという思いがまさり、釈然しゃくぜんとしないながらも黙って聞いているのだった。

 そのとき、机の端にちょこんと腰を下ろしていた氷輪ひのわが口を挟んだ。

「人間とは、かくも面倒なものよの。あやかしを調伏したというのに、称賛しょうさんではなく叱責を受けようとは」
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。ですが、これが人間世界のルールなのです」

 その返答に氷輪はつまらなそうに鼻を鳴らしたあと、にやりと口端を吊り上げた。

「まぁ我もこやつらをけしかけたのだがな」
「……あまり無茶をさせないでいただきたいのですが」
「こやつら、中々にいい立ち回りであったぞ? 将来有望だ。この我が言うのだから間違いない」

 くっくっと喉の奥で笑う氷輪に、玲子は深々と息を吐いた。

「お褒めの言葉は大変光栄に存じますが、周囲に示しがつかなくなります。どうか、ご配慮はいりょいただきますよう……」
「頭の片隅かたすみには留め置いてやろう」

 尊大そんだいな返答には、本当にそうする気があるとはあまり思えないような色が含まれている。

 玲子は漏れ出そうになるため息をぐっとこらえ、頭痛でもするかのようにこめかみを抑えた。

「会長、その辺にしといてやれよー。そいつらだって頑張ったじゃないか」

 そこで、それまで黙っていた愛生あきが声を上げた。

「あの天災レベルの雷獣を、一年の段階で倒しちまったんだぞ。実際たいしたもんだろー?」

 そう言ってからからと笑う愛生。満瑠みつるも机に頬杖を突き、いつものように軽い調子で言う。

「あーあ、オレも雷獣とやり合いたかったのに、先を越されちゃったな~。ざーんねん」
「あなたたち……」

 お気楽な同期たちに毒気を抜かれ、玲子はふぅっと息を吐く。そして再び三人を見据え、微かに表情をやわらげた。

「たしかに、よくやったとは思うわ」

 ぱぁっと顔を輝かせる梨々花だったが、即座に玲子がですがと言葉を繋げた。

「規則違反は、規則違反。なので、罰則としてあなたたちには――――」


   △   △


「しばらくの間、統括会の雑務をせよ、と言い渡されました……」

 七月には学園祭もあるため、その準備に追われる。そのための雑用だそうだ。詳細はまた追って連絡するとのことだった。

「なるほど。統括会の雑務、ね」

 鵜飼は顎を撫で、目を細めた。

 彼らが罰則を受けることは、当然ながら鵜飼にも事前に統括会から知らされてはいた。

 本来であれば教師かつ担任である鵜飼も、厳重注意の上で指導をしなければならない立場だ。……ではあるのだが、統括会からこってり絞られたあとで改めて言う必要もないと判断し、あまり触れずにいたのだった。

 しかし、罰則が統括会の雑務とは。

 統括会からこき使われるという意味では、確かに罰なのだろう。けれど、それはという意味にも繋がる。

 この意味がわかっているのだろうか。

 鵜飼がふっと笑みをこぼす。そんな担任の様子に生徒たちは気づかない。

「あー怖かった……あんな思いはもうこりごり」

 統括会室での説教を思い出してがくりと気落ちしていた梨々花だったが、一転うっとりとした表情を浮かべた。

「でも、やっぱり統括会長は凛々りりしくてかっこよかったな~。あたしもいつかあんな風になれたら……」
「はっ、お前にゃ逆立ちしたって無理な話だな」
「はぁ? ちょっと、それどういう意味よ」
「そのまんまの意味に決まってんだろ」

 言い合っている梨々花と竜之介を意に介さず、一歩離れたところで響があくびをかみ殺している。そんな響を鵜飼はじっと見つめた。

 もうひとつ、鵜飼には驚いたことがある。響が妖気をはらったことだ。

 先日の百鬼夜行ひゃっきやこうの件での響の活躍は耳にしていたとはいえ、まさか邪気に満ちた街ひとつをたったひとりで浄化してのけるとは。

 想像以上だ。さすが、土御門流つちみかどりゅう古式降魔術の継承者といったところか。

 カデイ式が流布るふされる以前、古式降魔術――陰陽術おんみょうじゅつには流派があった。大小様々な流派がある中で、ひときわ異彩いさいを放っていたのが土御門流の陰陽術だった。

 土御門流はその名の通り、土御門家発祥はっしょうの流派。陰陽道おんみょうどう宗家そうけとしての始祖、安倍あべの晴明せいめいによって構築および確立したとされる呪術で、元は安部流だったのが土御門姓を名乗り出した際、それに合わせて流派名も変わったものだ。

 他流派に比べ強力な術式が特に多く、当時活躍していた陰陽師おんみょうじの大半はこの土御門流を使っていたという。

 大半が使っていたとは言っても、そのほとんどが安部氏あべしから輩出はいしゅつされた者たちばかりであったため、安部の血族以外で使っていた術者は少ない。身内以外の者が土御門流を会得えとくする場合は、必ず土御門本家の門下に入らなければならなかった。ここから、それほど独占的な流派でもあったことが伺い知れる。

 かつて、稀代きだいの術者であった安倍晴明が創生および駆使した術の数々は、呪術のすいを極めた最高峰さいこうほうの術式と名高い。それだけに、会得するのも至難しなんわざだったという。中には門外不出、一子相伝いっしそうでん秘術ひじゅつ禁術きんじゅつすらもあったとされる。

 禁術。

 たとえば、禁忌きんき中の禁忌である『反魂はんごん』――死者を蘇生そせいさせる術、とか。

 そんな術が実際にあるのかどうかは、正直なところ明かされていない。眉唾物まゆつばものの伝説としてどこからか生じたものが、今日こんにちに至るまで伝わっているだけかもしれない。

 しかし、数々の偉業を成し遂げた安倍晴明であればあるいは、と思わせるほどの説得力がかの御仁ごじんにはある。

 響がどこまで土御門流を扱えるのかはわからない。もしかしたら、土御門家直系でもない彼女が、その秘術や禁術も受け継いでいる可能性もゼロではない。

 もしこのまま響が降魔士になれば、降魔士界を震撼しんかんさせることは間違いないだろう。

 しかし、わからないことがある。

 百年以上もの間一切消息を掴ませず、断絶だんぜつしたものと思われていた土御門家が、今になって存在をちらつかせてきたその理由。

 何か、大きなたくらみがあるのではないかと、嫌でも勘ぐらざるをえない。

 響の力は凄まじい。今はやる気や体力などがいまいち欠けてはいるが、それを克服したあかつきには、必ずやを圧倒する術者になる。

 現在斯界しかいトップに君臨くんりんしている幸徳井家を、おびやかす存在になるかもしれない。

 そう考えると、やはり土御門家の目論見もくろみは、土御門家の復興なのか。

 現土御門家当主はそんな考えはないという発言をしていたと、玲子からは聞いている。しかし、だからと言ってはいそうですかと素直に納得できるわけもない。それを信じるに足るものが何ひとつないのだ。

 かつて陰陽道宗家のひとつとして栄華えいがを誇っていた名家、土御門。室町の頃にはもうひとつの宗家、賀茂かもを名乗っていた現幸徳井をも上回るほどの凄まじい権力を持っていた。

 そんな過去を持つ、他でもない土御門家ならば再び権力を得んと水面下で動いていたとしても、なんら不思議ではない。

 響を――輝血かがちの人間を使って。

 そんな考えが脳裏に浮かび、このまま響を伸ばしてしまっていいのかという迷いが生じているのも否めない。

 けれども、確たる判断材料がない今は、ひとまず静観するしかない。

 一教師としての鵜飼自身は、純粋に響の行く末を見てみたい、という思いがある。本来であれば人の使役につくことなどありえない白澤はくたくが、彼女の式神となってそばにいる気持ちが少なからずわかった。

 そこまでつらつらと考えていた鵜飼は、ふと視線を感じて顔を上げた。

 ギャラリーの欄干らんかん。そこに悠然ゆうぜんと座し、こちらを見下ろしていた氷輪と目が合う。氷輪はすっと目を細めると、にやりと口端を上げた。

 鵜飼はぱしぱしと目を瞬かせ、苦笑をこぼす。

 どうやら、氷輪には鵜飼の思考が筒抜けらしい。ううむ、さすが知識の神獣。あなどれない。

 かぶりを振った鵜飼は腕時計に視線を落とし、おっとと目を見張った。

「もうこんな時間か。悪かったな、遅くなってしまって」

 時刻は十八時を回ろうとしている。六限が終わってすぐに再試をする予定だったのだが、緊急の職員会議が入ってしまったため、こんな時間になってしまったのだ。

 日取りをずらすことも考えたのだが、それを伝えるといつになってもいいから今日中にやりたいと、やたら気合の入った言葉が返ってきたので、予定通り本日行うことにしたのだった。

「それじゃあ、今日はこれで解散だ。三人とも、今の感覚を忘れないように」
「はい!」
「ありがとうございました」

 頭を下げる生徒たちに片手を上げ、そしてギャラリーのほうに目をやって軽く会釈をしたあと、鵜飼は体育館を出て行った。

 それと入れ替わるように氷輪が欄干から降りてきて、響たちのもとに寄って来る。

「まぁ、まずまずといったところだな」

 跳躍ちょうやくして響の頭に当然のようにひょいと乗っかり、他二人を見下ろしながら氷輪が尊大に言う。

「汝らも、以後も研鑽けんさんに励むことだ」
「ちょ、ちょっと待った!」

 そこで声を上げた梨々花が、氷輪を指さして言い募った。

「色々とバタバタしててすっかり脇に置いてたけど、鵜飼先生も統括会も貴賓きひんみたいに接してるその式神は一体何者なの!? もしかして、ものすごく偉かったりするわけ?」

 ずっとずっと気になっていた。式神は、基本的に術者に打ち負かされた妖異が使役となるはずなのだ。だから、普通は式神相手にそんな態度はとらない。

 それなのに、この子犬のような妖異に対して、なぜ玲子や鵜飼が慇懃いんぎんな接し方をしているのかがわからなかった。

 梨々花の問いに、氷輪がふふんと胸を張って答える。

「さよう、我はこの上なく高貴で崇高すうこうな存在だ。こうべを垂れて敬え、わっぱども」

 梨々花はごくりと固唾かたずを飲み込んだ。

「そ、そんなに凄いの……?」
「当然。我の本性を知れば、汝らは恐れおののきひれ伏すこと間違いなしだ」
「……あれ? でも、式神なのにあんまり活躍していなかったような?」

 小首を傾げた梨々花へ、氷輪が牙を剥く。

「何を言うか、無礼者! 我の知恵を忘れたか。そもそもあのような些事さじ、この我がわざわざ動くまでもないことだったのだ」
「そ、それは、つまり!?」
「だが教えてやる義理はない」
「ええっ、今のやり取りはなんだったの!? 絶対教える流れだったでしょ!」
「知らぬ」

 そんなひとりと一体の漫才めいたやり取りをはたから聞いていて、響は思った。

 そりゃ恐れ慄くだろうなー。氷輪の真の姿は、額にひとつ、さらに胴体の左右にも三つずつ、両目も含め合計九つの目を持っている。加えて両耳の後ろと身体のあちこちに角が生える。そんな見てくれのバケモノ、普通は怖いし気持ち悪い。

 などと、氷輪が知ったら激昂げっこうすること間違いなしのことを考えている響へ、氷輪とあれやこれやと問答するもついに答えを得られることなく諦めた梨々花の視線が向く。

「っていうか、それだけじゃなくて、あなたには聞きたいことがいっぱいあるんだけど!」
「えー……」

 ずずいっと詰め寄ってくる梨々花を、響が鬱陶うっとうしそうに避ける。

「…………」

 二人の様子を、否、響を一歩離れたところから竜之介は見ていた。

 彼も梨々花同様、雷獣の一件を通して響には聞きたいことが山ほどある。

 竜之介はその際に思い知らされた。この転科生の底力を。

 実力が伴わないくせにすたれた術式をわざわざ使っていきがっているだけの奴。

 そう思っていた転科生は、反発する術を調和させ、雷獣の動きを拘束し、果ては街一体に漂う邪気をたったひとりで一掃してしまった。

 授業であんな不真面目な態度をとっている者とはとても思えないほど、動きも術も洗練されていた。

 間違いない。この如月響という生徒は、明らかに統括会相当の実力がある。

 だというのに、そんな様子は微塵も悟らせない。あれほどの術を操る力を持ちながらも、落ちこぼれのような振りをしている。

 とんだ道化だ。

 だからこそ、わからない。なぜその実力を表に出そうとしないのか。

 竜之介は一連を経て、古式降魔術というものの凄まじさを見せつけられた。今最前線で活躍している降魔士に古式をメインで扱っている者はいない。古式を交えた戦法をとる者はわずかにいるが、あくまでメインはカデイ式。古式は片手間程度でしか使われていない。

 だから、あれほどまでに古式を扱える術者を竜之介は寡聞かぶんにして知らない。古式を扱えないということは、まず教えられるほどの術者がいないということなのだから。

 では、そんな術式を一体誰が響に教えたのか。

 謎はそれだけではない。

 竜之介と梨々花は事件後、諸々もろもろが落ち着いた頃に玲子に呼び出され、響が妖気を払ったことについては他言無用だと厳命されていた。そして、それは統括会がやったことになるということもあらかじめ聞いた。

 理由はわからない。詳しいことは何も聞かされず、ただそれだけを告げられたのだ。

 合わせて、けっして手柄を横取りするわけではないということも聞かされた。響のために、そうしなければならないのだと。

 竜之介は釈然しゃくぜんとしていなかった。自分はこの目で確かに見たのだ。響が凄まじい術を使い、たったひとりであの辺り一帯を浄化したのを。

 普通ならば隠すことなくそれを公表し、賛辞を贈る。そうすれば、周囲から実力を認められ、降魔士への道がぐっと縮まる。

 だというのに、その事実を改変し、真実を知っている者には口外を禁じた。

 規則を破ったから、という理由ではないだろう。もしそうなら、自分たちが雷獣を撃破したことも隠蔽いんぺいしてしかるべきだ。

 ではなぜ、響が妖気を祓ったことだけを隠さなければならないのか。

 そもそも、最初から統括会の響に対する扱いからしておかしかった。普段であれば、響のやる気のないあの授業態度に、統括会が黙っているわけがない。それなのに、注意するどころかいやに気にかけていたような気さえする。

 ということは、統括会は響の力について知っていたということになる。統括会だけでなく、担任の鵜飼も。あの正体不明の式神との接し方にも違和感がある。

 思えば、響が転科してきたのはあの事件の直後だ。

 二週間前に起こった、嘉神学園百鬼夜行襲撃事件。

 学園にひとり残っていた統括会長と、出払っていて後から駆けつけた統括会メンバーおよび降魔士で妖異の大群を撃退し、終息しゅうそくに導いたとされる一件。

 もしかして、そこで何かがあったのではあるまいか。

 自分の知らない、何かが。

「…………」

 わからない。連れている式神のことといい、おかしな時期に転科してきたことといい、この転科生は謎に包まれすぎている。

 色々と不可解で疑念を抱くが、今は静観するほかなさそうだ。だが、彼女には絶対に何かある。いずれはその正体を突き止めてやる。

 とりあえず、如月響の実力に関しての認識は改めた。とはいえ、降魔科の授業を受けるにあたってのやる気のない姿勢だけはやはり認められない。

 どんな事情であれ、全力の人間の中にやる気がない者がいるのは、目障めざわり以外の何ものでもないのだから。

 現状、響のほうが自分より実力が上だ。それに現場での対応力も。不本意ながらも、それは認めざるを得ない事実であることを痛感している。

 しかし、だからといってこのままでいるつもりは毛頭もうとうない。絶対に追い抜いてみせる。

 竜之介が静かに闘志を燃やす。その視線に気づいた響が首を巡らせ、怪訝けげんそうに眉根を寄せた。

「……なに」
「なんでもねぇよ」

 竜之介がそっぽを向く。響はあっそと興味なさげに言って息を吐いた。

「ねぇねぇ」

 そこに梨々花が割って入った。響と竜之介の背中をぽんっと叩き、間から顔を覗かせる。

「あたしたち、なーんか上手くやれそうじゃない?」
「ああ? なに調子に乗ってんだよ。俺は別にお前らとれ合う気はねぇっつーの」

 そう言いながらも、竜之介の語気には以前ほどの険はない。多少は緩和かんわしたらしい。

「とかなんとか言って、本当はあんたも悪くないって思ってんでしょー?」

 ――鵜飼先生に交渉して別のメンツでやらせてもらう。お前らと組んでやるなんて願い下げだからな

 以前はそんなことを言っていた竜之介だったが、事件終息後は一切言い出すことはなく、今日の再試を大人しく受けていた。

 そのことを梨々花が暗に指摘すると、竜之介はふんと鼻を鳴らしてそれを一蹴いっしゅうする。

 しかし、竜之介もあの雷獣戦で確かな手ごたえを感じていた。今までに体験したことのない一体感を。

 悔しいが、このメンバーなら――と一瞬でも思ってしまうほどにはしっくりきたのだ。絶対に口には出さないが。

 竜之介はあれが本物だったのかどうかを確かめるために、もう一度このメンバーで再試を受けたのだ。

 そしてその結果は――合格したのだから、言うまでもないだろう。

「だってあたしたち三人であの雷獣をやっつけちゃったのよ? スゴイことだってわかってる?」
「……なんか罰則食らったけどね」
「はいそこ水を差さない!」

 ぼそっと呟いた響に、梨々花がつっこむ。

 竜之介の感じた手ごたえと同様のものを、梨々花もまた感じていたのだ。

「ま、再試も無事合格できたわけだし、ひとまずお疲れ様ってことで! ね、響、りゅう!」

 梨々花から弾んだ声で耳馴染みのない呼び方をされ、竜之介が眉根を寄せた。

「はぁ? なんだそりゃ」
「あんたなんか竜で十分ってことよっ」
喧嘩けんか売ってんのかテメェ……。ったく、浮かれすぎだろ」

 竜之介は嫌がるというよりは呆れたように首を振り、やにわに歩き出した。

「あ、あたしのことも梨々花でいいから」
「聞いてねぇ」

 そのあとを楽しげに梨々花が追い、最後に響も出入口を目指した。

「して、どうだったのだ」

 修練場を出て、先を進む竜之介と梨々花の後ろを少し距離を置いて歩く響に、氷輪が声をかける。その出し抜けな問いに、意味がわからず響は首を傾げた。

「はい? なんの話?」
「己以外の術者との共闘についてに決まっておろう」

 響はこれまでずっとひとりで妖異を相手にしてきた。それが、先の雷獣戦ひいては戦闘訓練の再試で、自分以外の術者と協力して敵を倒すに至った。これらを経た響の心境に、氷輪は興味があった。

「どうって……別にどうも」

 他人の意志が介在すると、自分の思う通りにいかなくなる。足並みを揃えるだとか、面倒極まりない。ましてや、使っている術式が違うのだ。誰かと一緒に、なんてやりづらいだけ。そんな思いをするくらいなら、ひとりで動いたほうが断然いい。

 ――たしかに、そう思っていたはずだ。

 けれども、いつしかそのやりづらさをそこまで感じなくなっていた、ような、気がしなくもない。

「…………」

 なんとなく、その事実を認めるのに抵抗感があり、響はなんとも形容しがたい顔をする。

 はっきりと否定的な言葉を出さず、微妙な表情をしつつも嫌悪は感じ取れない響の様子を見て、氷輪はほほうと目をすがめた。

「汝も要領を得たのではないか? 現に、雷獣をおびき出す際、あやつらの術を結合させたろう。あれは悪くなかったぞ」
「別に……タイミング合わせんのがめんどかったから、ああしただけだし」

 たしかに、カデイ式と古式では術発動の際にラグが生じてしまう。それを計算しながら術を合わせて放つのは簡単なことではないだろう。

 だからといって、術を組み合わせることとて容易ではない。本人は本当に面倒がっただけなのだろうが、あの場面でああいう術を使えるあたり、響には間違いなくセンスがある。

 とにもかくにも、響の心境の変化は窺い知れた。追及はこのぐらいにしておいてやろうと思い、氷輪はゆるりと尻尾を振った。
 
「ひとまず合格したのだ。特別によくやったと、この我が直々じきじきに褒めてつかわそう」
「氷輪に褒められてもなー……」
「白澤たる我の賛辞に如何様いかような不満があるというのだ、この罰当たりめ」

 氷輪の文句を聞き流す響の表情は浮かない。響とて喜べるはずだった。再試に合格したということより、これでやっとあの強引なクラスメートに振り回されることもなくなることに、だが。

 けれども、罰則とやらで統括会の雑用という別の面倒ごとが発生してしまったので、正直素直に喜ぶ気にはなれなかった。

 今後のことを考えると鬱屈とした気分にしかならないので、響はそれについての思考を投げ捨てる。

「っていうか、氷輪こそどういうつもり? わざと姿を見せるなんて」

 現実逃避からの質問ではあるが、気になっていたことだ。氷輪が自発的に、梨々花と竜之介の前に顕現けんげんしたのだ。あれにはさすがの響も驚いた。

「なに、気まぐれだ。我が直接あやつらに物申したほうが手っ取り早かっただけのこと。そのおかげで順調に事が運んだのだぞ、感謝せよ」
「はいはい、どーもね」

 いまひとつ誠意を感じられない響の返答に息を吐いた氷輪は、ちらと前方の二つの背中を見やる。

 雷獣を叩き落してから封じる術をかけるのは、さすがの響でもひとりでは厳しかっただろう。そしてとどめを刺すのもしかり。

 ――此度こたびの調伏、響ひとりでもやってのけたであろう

 梨々花と竜之介にはああ言ったが、この二人がいなければあそこまで順調にいかなかったに違いない。というより、そもそも響が調伏する意思を見せなかっただろう。

 響は自分が狙われているわけではないのなら、積極的に調伏しようという気概きがいを出さない。あくまで〝自分の身は自分で守る〟ためでしか動こうとしないのだ。

 あれだけの力を持っているというのに、もったいないことこの上ない。

 今回の件で、彼らは響への認識を多少なりとも改めたようだ。そして、響のほうもまた、言葉には出さないが何かを感じ取ったらしい。あの戦いは、彼女に新たな感覚を芽生えさせるものではあったというわけだ。

 氷輪は思う。これはきっと、変化を見せた響の星のめぐりが引き寄せたものだ。

 だから、この二人はこの先、響にとってかけがえのないともがらとなるだろう。

 幾星霜を生き、世界中で様々なものを見聞きしてきた白澤の勘がそう告げている。

 響に友人ができようができまいがそれ自体はどうでもいいが、仲間ができることで響のこの先がさらに面白くなるのであれば、そのほうがこちらとしては都合がいい。自分が姿を見せる気になったのも、その一端にすぎない。

 すべては、悠久ゆうきゅうの時を過ごす己の退屈しのぎのかてでしかないのだから。

「あ、そうだ!」

 そのとき、ふいに前方の梨々花が振り向き、響と竜之介を見やった。

「なんならさ、このまま打ち上げ行っとく?」
「行かねぇよ」
「えー? なんでよ、ここは絶対行くとこでしょ。ねー、響?」
「いや行かないけど……」
「もーなによあんたたち、ノリ悪いわねぇ」
「これから寮で飯だろうが。つーかそもそも外食は禁止されてんだろ」
「そんなことはわかってますぅ。でも、そこはそれ、気分の問題なの!」
「だから意味わかんねぇんだっつの」
「……てかこれ、三人で帰んなきゃいけない感じなの?」

 修練場と校舎を繋ぐ渡り廊下に微かな喧騒けんそうが響く。

 外は暮れかけており、落暉らっきが空をだいだいに染め上げていた。夏至げしを目前に控えた六月は、暗くなるのがだいぶ遅い。もう暑いとも言える気温も日中よりは下がり、この時間はほどよく生温なまぬるい空気が流れている。

 まばゆい夕日が差し込む廊下に、響たちの影が伸びていた。三つの影は日の傾きによって重なり合い、あるものを形作っている。

 背丈や歩調の違いで偶然できたそれは、まるで――大きな片翼かたよくのようで。

 歩くたびに揺れ動くその真っ黒な翼が、羽ばたいているようにも見えるのだった。




 さて。

 如月響、三船梨々花、篁竜之介。

 以上、嘉神学園降魔科Aクラス一年生三名が関わりを持つこととなった、此度の雷獣襲来事件。

 この一件は、のちに『嘉神の三羽鴉さんばがらす』と名をせるようになる三人の、最初の共闘となったのであった。


   ▼   ▼


「いやー、今年の一年は優秀じゃねーか。感心感心」

 統括会室の自席に座り、頭の後ろで手を組んだ愛生が天井を見ながら楽しそうに言う。

「別に、罰則にする必要はなかったんじゃねーの?」

 その言葉に、冷静な声音が返ってくる。

「あれを見て、あとに続く生徒が現れたら大変だもの。取り返しのつかないことになりかねないわ」
「お堅いねぇ。ま、でも言ってることは正しいわな」

 茶化すような言葉を黙殺し、玲子は手元の書類を整理していく。

「雷獣による被害は最低限に抑えられ、学園にも特に異常はなかったんだ。これで万事解決――って、思いてーところだが」

 と、ふいにトーンを落とし、愛生は組んでいた腕をほどいて机に乗せ、玲子をまっすぐ見据えた。

「なぁ、会長。なんでアタシらってことになったんだ?」
「なんの話かしら」
「とぼけんなよ。妖気を吹っ飛ばしたことに決まってんだろ?」

 挑むような視線を送られ、玲子はそっと息を吐き、手を止めないまま答える。

「そうしてほしいと言われたのよ」
「言われたって……あー、響のお師匠さんにか」

 愛生が察すると、玲子はええと頷いた。

 玲子のもとに、響に古式降魔術を教えた人物、土御門深晴みはるから以前と同じようにアゲハチョウの形をした式鬼しきが来訪した。

 そしてその式鬼を通して告げられた深晴の要件はこうだ。

〝今回の件で、響がひとりで妖気を払拭したという事実は伏せるように〟

「おかしな話だね。自分で弟子に妖気一掃を命じたのに、それを隠蔽しろとは」

 ルカが怪しむような表情で顎に手をやる。

 玲子とて、真意がわかっているわけではない。あの土御門家現当主が何を考えているかなど、わかるはずもない。

 一度だけ会ったが、海溝かいこうのごとき底知れなさしかわからなかった。

 輝血である響を守るために、だと普通なら思うだろうが、彼女の場合は果たしてどうなのだろう。弟子を案じる師としての純粋な愛情であるのならばまだいいが、そうとは思わせないような言動のせいでいまいち真意が掴めないのだ。

 何を考えてのことかはわからない。けれども。

「言われなくとも、浄化の件は表沙汰にはできなかったわ」
「? なんでだよ?」
「如月さんが輝血であることが露見する危険性があるからよ」
「あー……まぁ、な」

 広範囲に充満した妖気を消し飛ばすというのは、尋常ならざることだ。それを統括会メンバーでもない、しかも転科して来たばかりの降魔科生がひとりで行ったことが知られれば、いらぬ詮索せんさくをされる可能性が充分にあった。

 その結果、響が輝血であることが見抜かれてしまっては困るのだ。ここで露見してしまえば、なんのために響のことを隠しているのかわからなくなる。

「にしたって、あんまいい気はしねーなぁ。張本人は誰からも褒められず、その手柄が全部なんもしてないアタシらに来るわけだろ?」
「それはボクも同感だよ」

 不満そうな愛生とルカを、なだめるように要一が口を開く。

「仕方がない。本人もそれで納得していることだからな」

 一応この件について響に訊いてみたのだ。そして返ってきたのが、やりたくてやったわけじゃない。別にどうでもいいし全然構わない、むしろそうしてくれ目立ちたくないという旨だった。

 ここまで徹底して表立つことを避けていると、逆に何かやましいことがあるのではないかと疑いたくもなってくる。だが、常の響の言動を見ていると、どうにもそんな風には思えない。現に、これを訊いたときも心底うんざりしたような表情で、本気で言っているようだった。

 ともかく、そんな事情と経緯と本人の意思もあり、担任とも相談した結果、事実を改変することになったのだ。

「ま、決まっちまったもんは仕方ねーけどよー」

 納得しきってはいないが一応飲み込んだ愛生がふーっと息を吐く。

「つーかそもそも妖気の浄化なんて、ひとりでやるもんじゃないだろ。ましてや街ひとつ分の範囲だぜ?」

 妖異調伏はもちろんだが、けがれてしまった場の浄化も本来は複数人の術者でやるものだ。狭い敷地ならばともかく、街ひとつ丸々浄化ともなるとひとりでは荷が勝ちすぎる。

 それを響はたったひとりでやってのけたのだ。愛生の頬に汗が伝う。

「ったく、おっそろしいな、古式ってのは……。アタシはひとりで浄化作業なんてぜってームリ」

 だが古式には一歩間違えば全部自分に返ってくるというリスクがある。

 古式はハイリスクハイリターンの術式。成功すればとても強力な効果が得られるが、失敗すれば命の危険を伴う。

 それをカデイ式がみ出される前まで、広く使われていたというのだから驚きだ。現代では考えられない。

 まぁ、そんな術式を、自分たちと同年代の者が使いこなしているという事実のほうがもっと信じられないが。

「オレはそもそも浄化の術式使えないしね~。この中でそんなことできるの、会長とピースくんぐらいじゃない?」

 満瑠が水を向けると、ルカは首を振った。

「いいや、ひとりで街ひとつはさすがに無理だよ。せいぜいこの学園の敷地ぐらいが関の山かな。街ぐらいになるとボクが最低でも十人は必要になる」
「わーお、それでも十分すごいけどね~。会長は?」
「私にもできないわ」

 そこで、玲子が神妙しんみょうな面持ちで呟いた。

「……術の強さだけで言えば、如月さんは私より上かもしれない」

 嘉神学園降魔科トップの実力を持つ統括会長の発言に、場がどよめく。

「なんだぁ? 幸徳井家のご令嬢れいじょうが、随分弱気じゃんか」

 愛生が目を丸くすると、要一も険しい顔で言い募った。

「それはあいつを買いかぶりすぎじゃないか? いくらなんでも、会長より上ってことはないだろう」
「いいえ、私は事実を述べているだけよ」

 そう言う玲子の声音は至極落ち着いている。そうなると、それ以上何も言うことができず、統括会長以外のメンバーは各々顔を見合わせた。

 そのとき、場の空気を壊すかのようにドアが開かれた。そこから姿を現したのは、唯一この場にいなかった小柄な統括会メンバーだった。

「みな揃っておるな」

 開口一番にそう切り出した楓の表情と声音には、深刻さが滲んでいる。

 ただならぬものを感じ取り、玲子がすっと居住いずまいを正して問いかけた。

「どうしたの」
「報告じゃ」

 そして、次に放たれた言葉で場に緊張感が走った。

「五月にあった百鬼夜行襲撃についての、な──」

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