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【陥穽篇】2.星廻る輩
星廻る輩 ☆捌
しおりを挟む「……なんで、お前がこんなとこにいやがんだ」
剣呑な竜之介の質問には答えず、梨々花は響を顧みた。
「まさかこんなとこで会うなんてね……。如月さん、篁と一緒に街の人たちを避難させよ」
「あ? 如月……?」
梨々花の発言と目線の移動で、竜之介はようやく彼女の脇に響がいることに気づき、訝しげに眉をひそめる。
「隠形、か……? なんでそんな術かけてんだよ」
もっともな疑問に、響の代わりに梨々花が答える。
「如月さん、視線恐怖症なんだって」
「は? なんだそりゃ」
剣呑な表情をさらに濃くし、竜之介は響に冷めた視線を送る。響は肩をすくめるのみ。
「つーか、なんでお前らが雁首揃えてこんなとこに……って、まさか、練習とかいうのをやるために俺を探してたんじゃねぇだろうな?」
図星をつかれ、ギクッと梨々花が肩を弾ませた。竜之介が舌打ちをする。
「あんなもん、やったところで時間を無駄に浪費するだけだ。なんの意味もねぇ」
「そ、そんな! じゃあ再試はどうするわけ!?」
「鵜飼先生に交渉して別のメンツでやらせてもらう。お前らと組んでやるなんて願い下げだからな」
「……っ、あんたねぇ!」
あまりの言い草に梨々花が眉を怒らせて詰め寄ろうとした矢先、ゴロゴロと雷鳴が頭上に響いた。
「って、そんなことはあとよ! あたしたちは降魔士が来るまで避難誘導を……って、そうだ、その前に降魔士に出動要請しなきゃ!」
そんな梨々花を見て、竜之介はうるさそうに眉を寄せる。
「チッ、いちいち騒がしい奴だな。んなもんとっくにやった……が、上手く繋がらねぇんだよ。あの鬱陶しい雷が電波を乱してやがるみたいだ」
彼は忌々しそうに上空を睨んだ。
竜之介の言葉を聞いて、ぴくりと耳を動かした氷輪がわずかに眉をひそめた。しかし何も言わず、静観に徹する。
「嘘……じゃあどうすれば……」
「こんな妖気だだ洩れの状態だ、気づいた降魔士がじきに来るだろ。それに、他にも何人か来てた降魔科生に嘉神に向かってもらってる。報告がいけば統括会も動いてくれるはずだが……」
竜之介はついと目を滑らせる。
「とにかく、俺たちは今できることをやるしかねぇ。他の降魔科生もその辺で誘導してるはずだ。おら、固まってたって仕方ねぇんだからお前らもさっさと散れ」
「な、なによその言い方!」
ぞんざいな物言いに、梨々花が憤然とする。
その時、響の背筋に冷たい何かが滑り落ちた。
刹那、稲妻が雲から放たれる。同時に、バリバリバリッ! と空を引き裂くような雷鳴が耳朶を打った。
「……っ」
三人はほぼ脊髄反射で護符と盤を引き抜き、眼前に放った。複数の術具は宙で留まると、見えない障壁を築く。
そして腕で顔を覆った直後に、雷が地上に突き刺さった。
衝撃で爆風が起こる。身を切るような爆風は近くにいた響たちを襲ったが、作り出した障壁がそれをなんとか防ぎ切った。
衝撃が収まったことを肌で感じた三人は慎重に顔を上げる。
落雷は、響たちの数メートル先にあった街路樹に直撃していた。幹が真っ二つに裂け、もうもうと黒い煙を放っている。
そしてそれは、風に煽られたせいか根元から火を生み、みるみるうちに大きくなっていく。もしこれが周辺に燃え移ってしまったら、この強風も相まって最悪街ひとつが火の海に飲み込まれることになる。
「チッ!」
竜之介が右腕を街路樹へ向けて翳した。
「流水波!」
えっと梨々花が戸惑いの声を上げる。だが、竜之介は気づかない。
校章が淡く光り、竜之介の手のひらから生まれた水が勢いよく発射され、樹木に降り注ぐ。そして、炎上寸前だった樹を消化した。
その水は響たちの足元にまで及び、辺り一帯が巨大な水溜りのような状態になる。
「いやそれダメでしょ……」
口端を引きつらせる響の頭上で、氷輪も舌打ちする。
「愚かな。雷の性質を知らぬのか」
水は電気を通しやすい。辺りが水浸しになればそれこそ危険だ。もしこれでまた落雷などあろうものなら、直接当たらずとも水を通してみな感電してしまう。いくら鎮火させるためとはいえ、この状況において水は自殺行為に等しい。
と、まさに危惧した事態が起こった。雷鳴とともに近場に閃光が落ち、そこから生じた雷電が水を伝って三人のもとに向かってきたのだ。
「……っ……」
咄嗟に動けない梨々花と竜之介は息を呑んだ。
「――カン!」
響は瞬時に両手で印を組むと、裂帛の気合で唱えた。響を中心として三人の周囲を結界が包み、放電を弾き飛ばす。
次いで、手首にかけていた数珠を外して握り、前へと突き出した。
「オン・バザラナラ・ソワカ!」
唱えた瞬間、数珠がカッと発光した。すると、足元の水から蒸気が立ち上り始め、みるみるうちに蒸発していく。
蒸気が霧散して辺り一帯が乾くと、効力を失った数珠がパリンッと音を立てて砕け散った。
「す、すごい……」
梨々花が呆然と響を見る傍らで、竜之介はようやく己の失態に思い至った。
「く……っ!」
悔しげに顔を歪め、拳をぐっと握り込む。咄嗟の事態に冷静さを欠き、火を消さなければということにしか目がいかず、普通に考えればわかるようなことを失念した。結果、自分が馬鹿にしていた人間に助けられることになってしまった。
「どうやら、やつは邪魔な術者を先に潰す気のようだ。そこの小僧の術を認めたのだろうな」
氷輪が冷静に状況分析する。しかし、全然冷静でいられるような内容ではなかった。
つまり、これからこんな雷撃がこちらに向けて降り注いでくるということか。冗談ではない。こんな攻撃、いつまでも防ぎきれるようなものでもないのだ。
三度、落雷が生じる。
それをどうにか障壁で防いだあと、梨々花と竜之介もこのままでは自分たちが危ないことを察した。
開けたところに身を晒し続けている人間など恰好の的。狙ってくださいと言っているようなものだ。
梨々花が咄嗟に響と竜之介の腕を掴む。
「二人とも、こっち!」
梨々花に手を引かれ、三人はすぐそばにあったショップに駆け込んだ。
「ここならとりあえず大丈夫でしょ」
店先の屋根の下に隠れた三人は、落雷が来ないことを確認すると、ひとまずほっと息を吐いた。
しかし、完全に安全となったわけではない。もしまた見つかって雷撃が集中すれば、さすがにただでは済まないだろう。
氷輪が視線を落とし、響に告げる。
「本体を叩かねばキリがないぞ」
「って言ったって、その本体どこよ?」
響の問いに、氷輪はすっと天を振り仰いだ。
「あの暗雲に潜んでおる」
「……ですよねー」
響も顎を上げた。上空には暗雲が重く垂れこめている。あちこちから妖気が漂ってくるせいで、本体の居場所が特定できない。
「てか、それじゃ本体叩くとか無理じゃん……」
さすがにあそこまで届く術を放つのは無理がある。本性に戻った氷輪に乗れば空を駆けることもできるが、稲妻がそこら中飛び交う空間を飛翔するのは自殺行為でしかない。
早くも諦めモードの響に、しかし氷輪は首を振った。
「いや、やつはたまに雷とともに落ちてくることがある。そこが狙い目だ」
「たまに、ねぇ」
雷獣が落ちてくるのが先か、街が焼け野原になるのが先か。
「おい、お前、さっきからなにぶつくさ言ってんだ」
竜之介が不審そうな目で見てくる。
しまった、普通に氷輪と会話していた。
響は別にと短く答えてそっぽを向く。竜之介はなおも訝しげに響を見ていたが、そんな場合ではないとすぐに視線を戻し、再び空を睨んだ。
「こんな大規模な攻撃を仕掛けてくるなんて、一体どんな妖異なの……」
梨々花が稲光の走る暗雲を見つめながら、ぼそっと呟いた。響が息を吐きつつ答える。
「雷獣っていうんだってさ」
「ら、雷獣!?」
聞いた途端、梨々花の顔が蒼白になる。竜之介も目元に険を滲ませ、焦燥を露わにしていた。
「天災レベルの妖異じゃねぇか! なんだってそんなもんがこんなときに出やがんだよ……!」
「さぁね」
肩をすくめる響を見て、竜之介は眉根を寄せた。
「……お前、なんでそんなに冷静でいられんだ」
響は先ほどから全然動じていない。妖異、それも天災レベルが現れたというのに、いつもより多少は緊張感があるようだが、それでも取り乱したりはしていないのだ。
鈍いだけなのか、それとも。
「まさか、雷獣と遭遇したことがあるのか?」
問いかけると、響はきょとんとした表情で小首を傾げた。
「いや? ないけど」
「だったら、なんでだ!」
なんでとか言われてもなーと、響はがしがし後頭部を掻く。
その頭上で氷輪が不機嫌そうに鼻を鳴らし、響にも聞こえないような小声でぼそりとこぼした。
「――汝らとは、踏んでいる場数が違うからに決まっておろう」
響は、本人からすれば不本意極まりないだろうが、実戦経験が豊富だ。輝血によってこれまで何度も妖異に命を狙われ、相対し、そしてそれを退けてきた。
言ってしまえば、響にとってこの程度のことは日常茶飯事。つまり、もう慣れたことなのだ。そこいらの一介の降魔科生より余程場慣れしている。
そして、響は常日頃から様々なことを面倒くさがっているわりには生存本能が異様に高い。その点では、響は実戦にめっぽう強いのである。
響が降魔科の授業でやる気を出さないのも、面倒だという理由以外に〝意味がない〟と思っているのがあるからだろう。
自分を輝血と知って襲ってくるわけでもない妖異の模造品に対して、なぜ戦う必要があるのか、と。
これまでずっとひとりで戦ってきたために、協調性が皆無というのも確かにある。しかし、命の危険が伴わない実技授業には、明確な理由が見出せずまったく身が入らないのだ。もうそんな段階は、とっくに終えているのだから。
そんな彼女に必要なのは、自分を引っ張ってくれる存在。
響は自発的に動くことこそ少ないが、与えられた役割はきちんとやる質だ。面倒くさがり、文句を言いつつも途中で放り出したりはせず、意外と最後までやり通す。
言うなれば、ただただ非常にもの凄くとてつもなく腰が重いというだけなのである。
そんな響が一度動けば、状況は一変する。それだけの力を、彼女は持っているのだ。
普段からまったくやる気を見せないせいで、その片鱗さえ誰にも感じさせない。それはそれですごいことではあるのだが。
あちらこちらで雷鳴が響いている。
遠くのほうで、雷が落ちるのが見えた。そのあとから、白い煙が立ち上り始める。よく見れば、他にも幾筋か煙が上がっている。落雷によって発火したのだ。
「チッ、降魔士はまだなのかよ!」
竜之介がギリリと歯噛みする。その横で不安そうな表情を浮かべていた梨々花は、ふと背後を顧みた。
梨々花たちが駆け込んだ場所は化粧品店のようで、ガラスに新作コスメのポスターがいくつも張られている。
自動ドアの向こう側の店内で、複数の女性の姿が見えた。店員と、たまたま来ていた客だろう。その表情には、一様に不安や恐怖の色が浮かんでいる。
この誰でもわかる異常事態に加えて降魔科生の呼びかけもあり、外を出歩いていた大体の人々が建物の中に入るなどして避難を終えているだろう。
となれば、一介の降魔科生でしかない自分たちの役目はもうない。あとは降魔士が到着するまで待機するのみ。
平時に妖異と遭遇した場合、降魔科生は降魔士の到着までは人民の避難誘導を優先的に行い、降魔士の指示に従って次の行動に移る、というのが鉄則となっている。
相手が自分よりも強い妖異だった場合は戦闘を避け、降魔士が来るまでは守りに徹するかその場から避難すること。
特に、自然を操って大規模な攻撃を仕かけてくる天災レベルの妖異からは『逃げることを第一に考えろ、絶対に戦うな』と降魔科生は戦闘を禁じられている。
それが許されている唯一の降魔科生は、統括会メンバーだけ。
けれども、こんな緊迫した状況の中で、自分たちはこのまま降魔士の到着を待つだけで本当にいいのだろうか。
いくら決まりとはいえ、妖異という脅威から人々を守るのが降魔士だというのに、それを志す自分がこんなところでただじっと手をこまねいていていいのか。
背後に、守るべき人間がいるというのに。
まだ力のない自分たちには、これ以上できることがないのだろうか。
……力のない?
そこで梨々花ははっとし、この場にいる他の二人を見た。
ひとりは、一年生筆頭の実力保持者。そしてもうひとりは、古式使いの転科生。
先ほどは失敗したが、本来の竜之介の力は確かなものだ。響のほうも突発的な場面であれだけの動きをみせるぐらいには、ポテンシャル自体は相当高い。こんな状況にも動じていないところも、どこか頼もしさを感じる。
このメンバーであれば、もしかしたらやれるのではないか?
そんな考えが、梨々花の脳裏に浮かび上がる。それはどんどん膨らんでいき、気づいたときには口が勝手に開いていた。
「――ねぇ。あたしたちでアイツ、調伏しない?」
「は?」
突拍子もない提案に、響と竜之介が同時に素っ頓狂な声を上げた。
「あたしたちは降魔科生。なら、できることをやらなくちゃ」
「だから避難誘導したんだろ」
「限界があるでしょ。降魔士とも連絡がつかなくていつ来るかわからない今、このままじゃ被害が出る一方。だったら、もう元凶を叩くしかない。でしょ?」
「な……っ、んな勝手なことできるか!」
竜之介にも妖異を倒したいという意志はもちろんある。しかし、馬鹿ではない。あれは明らかに自分の手に余る存在だとわかっているからこそ、下手に攻撃へと転じないのだ。
「つーか、調伏するっつったって、どうやって……」
この暗雲と落雷を引き起こしているのは雷獣だ。しかし肝心のその本体はおそらく雲の中。姿が見えない敵を倒すことなどできない。
「雷獣はたまに雷と一緒に落ちてくるんだってさ。そこを叩くしかないらしーよ」
なんの気なしに、響は先ほど氷輪から聞いたことをそのまま言うと、二人はびっくりしたように目を見開いた。
「らしい、って……」
なんだか妙な口振りだ。まるで今しがた聞いたかのような。
竜之介は訝しげだったが、しかし梨々花は気にならなかったらしい。竜之介に勝気な目を向ける。
「ほら、如月さんもやる気出してるじゃない! あんただけよビビってんの」
「はい? いややる気なんか全然出してな――」
「あ? 誰がビビってる、だ?」
響の発言は、竜之介によって遮られた。梨々花の言葉にカチンときた竜之介が、キッと響を睨む。
さっきから、なんだかこの転科生に負けっぱなしな気がする。別に勝負などしているわけではないが、気持ちの問題だ。
自分の失態からの窮地を助けられ、このような不測の事態にも慌てることなく泰然としている。
それが堪らなく悔しい。こんな奴に、絶対負けたくない。
その思いが、竜之介の心に火をつけた。
「やってやろうじゃねぇかよ……!」
「ちょ、ちょっと待って、わたしはやるなんて一言も――」
「決まりね。嘉神学園降魔科Aクラスの実力、見せてやろうじゃない!」
「フン、俺の足を引っ張んじゃねぇぞ」
「そっちこそ、下手打たないでよね」
竜之介と梨々花がなにやら盛り上がり出す。響は思わず唖然とした。
「嘘じゃん……」
響の発言はことごとく聞く耳を持たれず、あれよあれよという間に雷獣調伏の流れになってしまった。
あれ、なんだかこんな展開前にもあったな。それも、前回も今回も自分が余計なことを言ったからだったような。
思わず頭を抱えそうになる響に、氷輪がしれっと言う。
「諦めよ、汝に拒否権はないぞ」
響が恨めしげな目を上へ向ける。その視線に気づきながらも、氷輪は涼しい顔でひょんと尻尾を振るだけだ。
と、梨々花がぱんと手を叩き、仕切り直して口を開いた。
「まず情報を整理しましょう。あの妖異、雷獣の攻撃手段は雷。ってことは、木行に分類されるわけよね」
五行相剋に則れば『木剋金』の関係で、木行に有効なのは金行となる。
この三人の中で金行の術式を最も強力に発動できる人間は、金の適性を持つ響だ。しかし、響は金行の扱いに長けているわけではない。
そう考えると、雷獣を圧倒できるほどの金行の術を扱える者は、今ここにはいなかった。
「水行は……言わなくてもわかんだろ」
竜之介が吐き捨てるように言った。先ほどの失態が脳裏に浮かんだのだ。
「あたしの木行も、同じ属性だからあまり有効とは言えない……」
五行の関係において、同じ属性が重なることを『比和』という。梨々花の放った木行の術がもし飲み込まれてしまえば、逆に相手に力を与えてしまいかねなかった。
「ってことは、今回は自分の適性外の属性で戦うしかない、か……」
適性が一番強力な術式の発動ができるのだが、現状それが悪手であるならば、適正以外の属性で術を出すという選択肢しかない。
「――やつは落ちてきたとて、すぐに上空へ戻ってしまうぞ」
「そうなのね。じゃあそうさせないように誰か足止めを……って、え?」
梨々花は言葉を途中で区切った。
今のは誰の声だ。この場にいる誰の声でもない。しかし、声は響のほうから聞こえてきた。それもなんだか上のほうから聞こえたような――。
視線を上げた梨々花はぽかんと口を開けた。
「き、如月さん、頭のそれ……!」
「へ?」
響は小首を傾げた。梨々花が目を見開き、響の真上をわなわなと指さしている。その横の竜之介の表情も驚愕の色を滲ませている。
響は考える。頭上。驚く。自分の頭上には……。
「て、え? 氷輪?」
まさかと思ったが、二人の視線からして間違いない。
どうやら氷輪が二人にも姿が見えるように霊力をわずかに強めたらしい。
「ふむ、この程度であればわかるようになるか。まぁ悪くはなかろう」
竜之介がごくりと固唾を飲み込んだ。
「おい、それ、もしかして式神、なのか……?」
式鬼の持つオーラとはまるで違う。それに式鬼はまず人の言葉を話すことをしない。だから式神で間違いないだろう。
だとしても、信じられない。
式鬼ではなく、式神を扱える降魔科生はAクラスでもほとんどいない。それなのに、目の前の転科生は式神を従えている。
「お、お前、いつの間にそんなもん出しやがった!」
「出したっていうか、最初からいたけど……」
「な……っ」
では、自分たちが今まで見えていなかったということになる。
ということは先ほどから響がなにやらぶつぶつ呟いていたのは、この式神と話していたからなのか。
驚愕から抜け出せない二人を気にもせず、響は訝しげに頭上をちらと見た。
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しかし、氷輪はどこ吹く風。目を細めて、ぴしりと尾を振った。
「今は悠長に話しておる場合ではない。彼奴の手は止まぬぞ」
戸惑っている二人に構わず、氷輪が話を進めていく。
「彼奴は空を自在に飛翔することが可能だ。足止めようにも、汝ら程度の術式では相当弱らせぬと効果はなかろう」
依然混乱を拭いきれない二人だったが、それを聞いてぐっと言葉を詰まらせた。そんなことはないと言い切れるほど、さすがに過信していない。実力があるからこそ、自分の力の程度もきちんと把握している。だから、悔しい思いはあるものの、氷輪の発言が間違っていないことはわかっていた。
そんな二人とは違い、空気を読まずに響は氷輪にジト目を向ける。
「ていうか、なにナチュラルに会話に交じってんの?」
「そこで、彼奴の拘束はこやつが引き受けよう」
「無視かよ。って、なに勝手なこと……」
「そんなこと、できるの?」
響の発言を遮って梨々花がおずおずと訊ねると、氷輪はふんと鼻を鳴らした。
「できねば言わぬ」
「そ、そう。わかったわ」
「どいつもこいつも人の話を聞かないなちくしょうっ」
またしても聞く耳を持たれず、響は諦めざるをえなかった。もうこうなったら、なるようになれだ。
自暴自棄になっている響をよそに、話はどんどん進められていく。
「ただし拘束には多少の時間を要する。術の発動前に、再び雲上へ逃げられては元の木阿弥よ」
「なるほど……じゃあ、如月さんが術の準備をしている間、あたしと篁で雷獣が逃げないようにすればいいってわけね」
「ちょ、ちょっと待て!」
そこで竜之介が声を上げた。剣呑な目で梨々花を睨む。
「なんでお前が仕切ってんだよ。戦うとは言ったが、誰もお前の指図で動くとは一言も言ってねぇだろうが」
その時、響は確かに聞いた。本来聞こえるはずのない、プツン、という切れてはいけない何かが切れるような音を。
「――――あーもう、うるっっっっっさい!」
堪忍袋の緒が切れた梨々花は叫び、キッと竜之介を睨みつけた。
「あんたいい加減にしなさいよ! 誰が仕切るだのなんだの、こんなときにバッカじゃないの!?」
「な……」
「そんなくっだんないこと、いつまで言ってるわけ!? ほんっとに往生際の悪い男ね!」
「は……あ!?」
「なによ、なんか文句でもあんの!? 今のあんたは状況が読めてないただのバカだわ!」
「バ、バカ……!? テメ……」
竜之介は反論しかけたが、梨々花にもの凄い眼光で射抜かれる。あまりの気迫に呑まれ、さしもの竜之介も怯んで黙り込んだ。
「あんたも現場の降魔士見たことあるでしょ? その人たちが、お前の指示には従えないとかなんとか言ってチームの輪を乱してた?」
竜之介はぐっと言葉に詰まった。そんな彼をまっすぐ見据え、梨々花は話を続ける。
「今のあたしたちの実力じゃ、ひとりで雷獣を倒すことなんて無理なのよ。たとえあんたが一年生筆頭の実力者でもね」
「…………」
「でも、ここには三人いる。だから、力を合わせなきゃなんないわけ。それぐらいわかるでしょ?」
梨々花の顔が今度は響に向く。うーわおっかねーと一連を傍観していた響は、突然視線をこちらに向けられ、その眼光の鋭さにびくっと肩を動かした。
「如月さんもやれるわよね?」
「は、はい……」
思わず頷いてしまう。いいや、頷かざるを得なかった。これは逆らってはいけないと、本能が警告を出したのだ。
それを見ていた氷輪は、ほうと感嘆した風情で目を細めた。
今のはなかなかの言霊だ。一筋縄ではいかないこの面倒な二人を言いくるめてしまった。
そこでふと首を巡らせた氷輪の目に映ったのは、口をパクパクとさせている竜之介だった。
あれだけ言われてもなお納得がいっておらず、反駁の言葉を探しているらしい。その表情がすべてを物語っている。
やれやれ、世話が焼けると氷輪が息を吐き、そっと口を開いた。
「小僧」
呼びかけに、少年の肩がびくりと動く。向けられたその目をひたと見据え、氷輪が厳かに紡ぐ。
「今は訓練ではない。余計な意地や惑いが、文字通り命取りとなる状況だ」
そうして、氷輪はついと目を細める。
「汝は降魔士になりたいのであろう。ならば腹をくくり、己の役割を果たすことにのみ全霊を傾けよ。その他の感情など今は不要だ、捨て置け」
己が死にたくなくば、他者を死なせたくなくば。
その言葉を受けて、竜之介ははっと息を呑んだ。
この式神のことはよくわからないままだが、なぜかその言葉はすっと心に入り込んできた。
そうだ、自分は人々を救う降魔士になるのだ。尊敬する家族のように。
そのために自分は今ここにいる。自分もなすべきことをなさねば。
「……わかったよ」
地面に視線を落としていた竜之介が顔を上げる。その瞳は決意のこもった光を宿していた。
「多少は見られる面になったな、小僧」
常の竜之介であれば何か言い返しているところだが、どういうわけか言葉が出てこない。この正体不明の式神に対して、無暗な言動は身を滅ぼすと本能が告げていた。
「これ以上被害が出るのも、汝らの本意ではあるまい。であれば、あれの落下を待つよりも、引きずり下ろしたほうが手っ取り早かろう」
「でも、どうやって……」
「汝ら三人が同時に術を放ち、雲を突き破れ。さすれば彼奴は怒り、原因を排除しに姿を現すだろう」
それを聞いて何事か思案していた梨々花だったが、やがて口を開いた。
「じゃあ、その方法で雷獣をおびき寄せたあと、如月さんは術の準備。あたしと篁は雷獣がまた雲の中に引っ込まないようになんとか邪魔をする」
そこで、梨々花の目が響へと向く。
「如月さん、術を発動するのに時間がかかるってことは、その間無防備になるのよね?」
唐突な問いかけに、響はぱちくりと目をしばたたかせ答える。
「あー、まぁ……」
また何か言われるのだろうか。めんどくさいなぁ。
などと思わず身構えた響だが、梨々花の反応は予想に反するものだった。
「オッケー、如月さんに攻撃がいかないようにあたしたちがサポートする」
「え、あ……うん」
面食らって曖昧な反応をしてしまう。しかし梨々花は気に留めることなく、テキパキと指示を出していく。
「如月さんの術で雷獣を拘束できたら、調伏にあたるわけだけど――篁、あんたの術でとどめを刺して」
「俺が?」
竜之介は驚いて梨々花の顔をまじまじと見つめる。
「あたしには、あれを調伏させられるだけの術はまだ使えない。でも、あんたならできるでしょ」
真剣味を帯びた瞳で見つめられる。竜之介は表情を引き締めて頷いた。
「ああ、任せろ。絶対に仕留める」
「じゃあ、さっそく――」
「いや待て」
準備しかけた梨々花を竜之介が制した。出鼻をくじかれた梨々花が不満げな顔で竜之介を見やる。
「な、なによ。まだ文句が――」
「ちげぇよ」
竜之介は辺りを見回した。
「こんなとこでぶっ放すわけにはいかねぇだろ。場所移すぞ」
雷獣とやり合うにあたって、どんな被害が出るかわからない。周りが建物ばかりのここでは障害物が多すぎる。
「少し行ったところに公園がある。遊具はねぇから、そこなら被害も最小限に抑えられるはずだ」
ついてこいと言って走り出した竜之介のあとを追い、梨々花と響も地を蹴った。
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瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
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