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【陥穽篇】1.陰陽師の弟子
陰陽師の弟子 ☆捌
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「おおー」
思わず響は感嘆の声を上げる。
響の目の前には妖異がいた。響の腰程度の大きさで、犬に似た見た目をしている。
下校中に遭遇してしまったその妖異は、しかし響に近づいてこられない。玲子の式鬼が展開した結界が、妖異を食い止めているのだ。
小型のせいで頼りなく見えるため、いささか……というかだいぶ心配していたのだが、響の想像を超えて式鬼はきちんを役目を果たしている。
そうそう、使役ってのは本来こういう感じだよねー。氷輪なんかよりもよっぽど役に立つ。
「なんだと!」
氷輪が響に牙を剥いた。思っただけのつもりだったが、うっかり口から出ていたらしい。
「だって氷輪、こんな風に守ってくれたことないじゃん」
「甘ったれるでないわ。なぜ我が手ずから汝を守らねばならんのだ」
「氷輪、なんのためにいんの?」
響と氷輪が場違いな言い合いをしている間も、妖異が結界を破ろうと攻撃を続けている。
何度妖異が体当たりしてきても、結界はびくともしない。ずいぶん強靭な結界術式が組まれているようだった。さすがは幸徳井家ご令嬢の術といったところか。
もしこの結界が破られるようものなら、なりふり構っていられないので術で対抗しようと思っていたのだが、これなら心配いらなさそうだ。最初はどれほど窮屈なのだろうかと辟易していたが、これが意外とそうでもないかもしれない。
プライベートは干渉されないし、襲ってくる妖異から身を守ってくれる。こちらが術を使いさえしなければ、たいした不便はなかった。
自分は何もしなくていいのだ。ボディーガードがついたと思えば、逆に快適なのではなかろうか。
などと思うぐらいには、響のものぐさ精神が早くも味を占め始めていた。
「もう諦めなよー、往生際が悪いぞー」
響がしゃがみ込んで茶々を入れる。だが、当然というべきか妖異が攻撃を止めることはない。血走った眼は、響を捉えて離さずにいる。
「爆炎!」
ふいに声がしたかと思うと、突如妖異が燃え上がった。
「あ、統括会長さんだ」
妖異の背後に玲子の姿を認め、響はよいしょと立ち上がる。
藍い炎に包まれ、火だるまとなった妖異がのたうち回っていたが、やがて燃え尽き消失した。
妖力が消え去ったからか、式鬼が展開していた結界を解く。そして、ぱたぱたと主の方へ飛んで行った。指先に止まった式鬼とともに、響の元へ玲子が歩み寄ってくる。
「大丈夫?」
声をかけられ、はいと響は頷く。
昨日言っていたとおり、玲子の式鬼が妖力を検知したあと、主人に信号を送ったらしい。そして主人が到着する間、結界を展開して対象を保護する。うん、実に高性能だ。
「いやー、この式鬼すごいですね。うちの氷輪と交換してくれませんか?」
無邪気にそんなことを言われ、玲子は咄嗟に言葉に窮する。
「ええと……」
反応に困っている玲子の代わりに、氷輪が声を荒げて響に反論した。
「この痴れ者め! 我ほど優秀な式神はおらぬというのに、汝というやつは!」
「肝心なところで役に立たなくてなぁにが優秀な式神だよ。主人を満足に守れもしないくせに」
「なにが主人だ、だいたい我は汝に忠誠を誓ったわけではない! いつでも汝のもとを去れるのだぞ!」
「あ、そー。じゃあご勝手にどうぞ? 氷輪の大大だ~い好きなクロワッサンがもう食べられなくなっちゃうけど、それでもいいならどこにでも行けばあ?」
「…………。いつでも去れるのだから、別に今でなくともよいな、うむ」
響のしらっとした視線を、氷輪は見て見ぬふりする。
式鬼へ術の補強をしつつ、一人と一体の言い合いを、玲子は神妙な面持ちで見ていた。
これが主と式神の会話であることがいまだに信じられない。本当にどういう関係なのだろう。というかこの白澤、クロワッサンが好物なのか。
「じゃあ、わたしたちはこれで。どうもでした」
「え、ええ。気をつけて」
少し考え込んでいたところに、ふいに声をかけられる。虚を突かれて頷く玲子に、響は軽く会釈をして踵を返す。
「あなたも行きなさい」
主の命令に従って式鬼が飛び立ち、響たちについていった。
去っていく背中を見送り、玲子はそっと息を吐く。まさか、式鬼をつけた翌日にさっそく駆けつけることになるとは思わなかった。
「…………」
ぐるりと辺りを見回す。この先には嘉神学園の普通科寮がある。寮に住んでいる普通科の嘉神生が多く登下校に使うごく普通の道だ。特に変わったものはない。
「偶然、よね?」
それから三日後。
出くわした全長二メートルを超えるムカデ状の妖異から結界を張って守ってくれる鳥型の式鬼に、響はがんばれー負けるなーなどとなんとも気力のないエールを送っていた。完全に観客気分である。
通学鞄の上、いつもの定位置にいながら、氷輪はこやつもはや楽しんでおるなと主を呆れた目で見ていた。
そこへ、ふいに上空から黒いものがいくつも飛来し、ことごとく妖異の背に突き刺さった。珍しい形状をしているそれを見て、響は記憶を手繰る。テレビか何かで見たことがある気がする。たしか、苦無とかいう忍具だったか。
叫び声を上げる妖異へ、畳みかけるように始動語が放たれる。
「雷よ!」
瞬間、苦無に結びつけられた盤がカッと発光し、迸った稲妻が妖異の身体を駆け巡る。
雷撃に焼かれて黒焦げにされた妖異が跡形もなく消え去ったあと、響は苦無が飛んできた方向へ目を向ける。その先には青々と生い茂った木が林立する林があり、その中で響に一番近い木の枝上に人影があった。
響は軽く目をしばたたく。
「あれ、今日は会長さんじゃないんですね」
「玲子は手が離せなんだのでな。代わりにわしが来たんじゃ」
三メートルはあろう木の上からひらりと身軽に飛び降りた楓が答えると、へぇ、やっぱ統括会長って忙しいんだなぁと響はひとりごちた。
楓は複雑な面持ちで響を見る。他人事のように言っているが、今の玲子の忙しさには少なくともこの監視対象が関わっていたのだ。
そんな楓の心境など知る由もなく、響がふいにあっと声を上げた。
「もしかして、あの短気な人が来たりすることもあるんですか?」
響は眉をひそめ、嫌そうな顔をしている。
その表情から、楓はすぐに誰を指しているのかがわかった。要一のことを言っているのだろう。あの短気な人呼ばわりとは随分と印象が悪いようだが、あのような態度をとられればさもありなんというものだ。
「いや、あやつは……どうじゃろうな」
楓は先日のことを思い出す。響を男だと思い込んでいた要一は少なからずショックを受けたようだった。
ふむと顎に手を当て、楓は響をじっと見つめる。
髪型はショートで、制服がスラックス姿かつ起伏の乏しい体形ということもあり、たしかに中性的な見た目ではある。
ただ、声は普通に高いほうだし、背も男にしては低めだ。まぁこの辺りは個人差があるので、性別を見極めるにあたっての決め手にはならないかもしれない。
とはいえ、そんなにわからないものだろうか。よく見ればワイシャツとブレザーの合わせがレディースのそれだし、まずもって体格が女性そのものだと思うのだが。
と、考えて楓はいやと首を振った。男だらけの家庭環境で育ったあの朴念仁にはわからないかもしれない。
そのせいかここ数日、彼の様子が少々おかしいのだ。どことなく意気消沈しているというか、この世の不思議について考えこんでいるというか。
なんにせよ、あの調子では今の段階で響と会うことは、よほどのことでもない限りないように思う。
「来ない、気もするが……」
楓の返答に、響はよかったーと露骨に安堵する素振りを見せる。一応気にしている同期に憐憫の情を抱く楓であった。
妖異が消え去ったことにより完全にリラックスモードに入った響が軽く伸びをする。その鞄の上で氷輪がくわっとあくびをしていた。そんなふたりを見て、楓は若干呆れる。
「おぬしらは呑気なものじゃな」
「だって、術使うなって言われてるから、できることもないですし」
さらりと返され、楓は言葉を詰めた。たしかにそのとおりで、だからこうして自分たちが駆けつけているのだ。
とはいえ、厳重注意の監視対象人物にこうも緊張感がないと、複雑な気持ちになる。
なんとも腑に落ちない思いを抱きながらも、楓は一度頭を振って気を取り直した。
「して、おぬしはなぜこんなところにいる」
ここは通学路から外れている。学校から普通科寮に帰るにしては、明らかに遠回りになる道だったのだ。
「買い物ですよ」
響はほら、と片手に提げていたビニール袋を持ち上げて見せる。そのビニールに印字されているロゴは、ここから少し行った先にあるスーパーのものだった。
「ふむ……」
楓は辺りをきょろきょろ見渡したかと思うと首を傾げた。
「……。どうかしたんですか」
響が訊ねると、不可解そうな顔をしていた楓はいやと首を振った。
「わしはもう行く。おぬしらも、あまり遅くならんようにな」
ではの、と言い残して楓は再び木の太い枝に飛び乗ると、そのまま次々と木の上を飛び渡って行ってしまった。
おお、先ほどの苦無といい、あの身のこなしといい。格好も相まってまるでテレビや漫画で見かける忍者、いや、くノ一みたいだと思わず感嘆する響である。
妖異に遭遇したら自分が術を使わなくても式鬼が守ってくれるし、強い人たちが駆けつけてくれて妖異を調伏してくれる。とても楽だ。
――ただ。
「響よ」
ちらと見やってくる氷輪の言いたいことを察し、響は面倒そうな顔で頭を掻いた。
「さすがに、そろそろバレそーだなぁ」
▼ ▼
「おかしいわ」
統括会室で、玲子は眉間にしわを寄せて言った。そばにいた楓も神妙な面持ちで頷く。
「うむ、明らかにおかしいな」
響はこの一週間で三回も妖異に遭遇している。
妖異の出現自体は少なくはなく、一般人が妖異と出くわすのだって人生で一度きりというわけでは決してない。
しかし、響の場合はその頻度があまりにも逸しているのだ。
同じ人間が一週間で三回も妖異に遭遇するなどということはまずありえない。しかも、全部違う場所で、だ。
それも、別段おかしな場所に行っているわけではないのだ。学校から寮への帰り道、買い物帰りといったなんの変哲もないところしか彼女は行動していない。
それだけでなく、日が沈み切る前、もしくは沈んでからいくばくもしない時間帯に遭遇している。
妖異は基本夜間活発的に動き出す。日中もまるっきり動けないわけではないが、日の光で妖力が落ちてしまうため、夜間よりも妖異の出現頻度はずっと少ない。
それなのに、ここまで妖異に遭遇するのは明らかに異常だった。
玲子は嘆息した。響への対処を講じたいのだが、彼女が妖異と遭遇する度に出動しているので議論は遅々として進まず、いまだ明確な決断ができかねていた。
それに、明日は降魔科で実演講習が予定されている。専門授業の一環で、降魔士が妖異調伏における講習をしてくれるため、降魔科生が郊外に出るのだ。
今日はその準備のために役員メンバーは出払っており、今この統括会室にいるのは玲子と楓だけとなっていた。
玲子は疲れたように眉間を指でつまんだ。追い追い議論していくつもりでとりあえず監視の式鬼をつけたのだが、まさかこんなことになるとは。完璧に誤算だった。
「のう、玲子。襲ってくる妖異程度であれば、術の行使を認めてもいいのではないか?」
楓が提案するが、しかし玲子は首を振った。
「それはできないわ」
そう返ってくることはわかっていたので、楓もそれ以上は言わない。
万が一、降魔科生でもない嘉神学園の生徒が、降魔術を使っていることを他の人間に知られたらどうなるか。
まず責任を問われかねない。そして、嘉神学園の生徒管理における信用が著しく低下することは避けられないだろう。
降魔術を使っていいのはライセンスを持った降魔士、および降魔士育成機関に所属する生徒のみ。
それが降魔士界の掟。
嘉神学園降魔科主席の、それも『幸徳井家』の人間が率先してルールを破ることなど、あってはならないのだ。
となると、今まで通り響が妖異と遭遇すれば、その都度駆けつけなければならないというわけだ。
楓は眉間にしわを寄せて唸った。
「本当にどうなっておるんじゃ。あやつが何か怪しげな行動を取っているわけでもあるまいに」
もし響がなんらかの術を使って妖異を招くようなことをしていたら、それはすぐにわかる。式鬼が霊力を検知するからだ。
とすれば、響は術を使っていない。今のところ、こちらの言いつけを守っているのは確かだ。
では、本当に偶然なのだろうか。はたまた、自分たちに感づかれないなにかしらの方法で妖異を呼び寄せているとでもいうのだろうか。
妖異を、呼び寄せる――。
そこまで思考が及んだとき、楓はぴくりと肩を跳ね上げた。表情に驚愕が滲む。
「楓?」
友人の変化に気づき、玲子が首を傾げると、楓は歯切れ悪く言った。
「玲子、ひとつ思い当たったことがある、のじゃが……」
そこで言葉尻を濁した。楓はその先を言っていいのやらと悩んでいるような、微妙な表情をしている。
「なにかしら」
玲子が問いかけるも、楓は言い淀んでなかなか言葉を発しようとしない。それでも急かすことなくじっと待っていると、ようやく楓は口を開いた。
「もしや、あやつは――」
▼ ▼
気温は高いが、曇っているため日差しがない分過ごしやすい。爽やかな風が吹き抜けていく。
響はちらと目だけを左横へ向けた。
隣で、自分と肩を並べて玲子が歩いている。長い髪を揺らし、しゃんと背筋を伸ばして歩く姿も流麗だ。
「…………」
視線を正面に戻して帰路を進む響は、なんとも言えない居心地の悪さを感じていた。
どうしてこんなことになっているかというと、時は昼休みにまで遡る。
△ △
「如月さん」
いつものように、微かに吹く風を感じながら弁当を食べていた響に声がかかる。
目を向けると、そこには玲子の姿があった。つかつかとこちらへ近づいてくる。
「会長さん?」
響の横では、氷輪が上品に食事をしているところだった。すでに半分以上食べられているが、それはどう見てもクロワッサンだ。
「なんか用ですか」
訊きながらも、響は箸を動かす手を止めずに購買で買った弁当をもぐもぐと咀嚼している。
響のもとまで歩み寄った玲子は、ぐるりと辺りを見渡した。ここは校舎の裏側で、周りには人影がない。中庭の方ほうなら、まだそこで昼休みを過ごす生徒もいるだろう。
響につけた式鬼の気配を辿って来てみれば、彼女は校舎裏の軒下に座り込んでひとり……と一体で昼ご飯を食べているところだったのだ。
「いつもこんなところでお昼を食べているの?」
「? そうですけど」
なんでそんなことを訊くんだろうと不思議そうに答える響を、玲子はしばし無言で見つめていた。
「そんなことを訊きに来たんですか?」
響の怪しむような声に、玲子ははたと我に返る。そして、いいえと首を振ると早々に本題を切り出した。
「今日から一緒に帰りましょう」
「…………はい?」
さしものことに箸を止め、何を言われたのかわからないという風情で響が訝しげに聞き返す。
「一緒に帰る? どうしてですか?」
玲子は昨日話し合ったことを語った。
曰く、いつ呼び出されるかわからないから、それならいっそのこと寮に送り届けた方が手間がかからない、とのこと。
「これは統括会の決定です。従ってもらえますね?」
「……はぁ」
そう言われてしまえば返す言葉がない。こちらには拒否権などないに等しいのだから。
「放課後、何か予定は?」
「ないですけど……」
「一緒に帰る約束をしている友人がいたりとかは」
「それも、別にないですけど」
「では、授業が終わり次第寮に帰る、ということでいいかしら」
「はぁ、まぁ」
怒涛の質問ラッシュに、響は気後れしながらもなんとか答える。玲子はどこか安堵したような表情で頷いた。
「では決まりね。授業が終わったら校門で待ち合わせしましょう」
響はちらと式神を見る。視線に気づいた氷輪は顔を上げ、ぴしりと尻尾をひとつ振った。
「我は構わぬ。別段不都合なこともないのでな」
嫌がると思っていたのに、意外にも拒否しなかった。氷輪に問題がなければ、響としても断る理由は特にない。玲子の要請を不承不承の体で受け入れたのだった。
△ △
そして、今に至るというわけだ。
授業が終わって校門で落ち合ってから、たいした会話もなく黙々と歩いている。響は別に仲がいいというわけでもない統括会長と話すこともないし、玲子はなにやら考えに耽っているようだった。
それが、このなんともいえない微妙な無言空間を作り出していたのだ。
響はなんだか不思議な気持ちだった。学校の帰りに誰かと一緒に歩くなんていつぶりだろうか。
「時に、幸徳井の小娘よ」
そのなんともいえない空気を破ったのは、いつものように響の指定鞄の上にいた氷輪だった。問いかけられた玲子は、白澤へ顔を向ける。
「なんでしょうか」
「汝はなぜここにいるのだ」
玲子は目をしばたたかせる。少し困惑して言葉を探す玲子に対し、響はストレートだった。
「昼休みに話したじゃん。氷輪、ついにボケた?」
「違うわ、たわけ者!」
くわっと牙を剥いた後、氷輪は再び玲子へ視線を送る。
「今日は降魔科の講習であろう。だというのに、なぜ汝は学び舎にいるのかと訊いておるのだ。まだ帰ってくるような時間ではあるまい」
ああと得心がいった玲子は苦笑した。
「よくご存じで」
「ふん、我を誰と心得る。白澤であるこの我に知らぬことなどないわ」
居丈高に言ってのけた氷輪に、響は怪しむような目線を送る。
知らないことがないなら、その理由も知ってるんじゃないの?
そう思ったが、面倒くさかったので言わなかった。
「緊急事態に備えて、誰かが残っていないといけないのです。毎回順番で残る者を決めているのですが、その順番が今回は私だったというわけで」
「ふむ、そういうことか」
そして玲子は響を送り届けた後、また学校へと戻り、帰ってくる降魔科生たちを出迎えるつもりなのだという。
会話を聞くともなしに聞いていた響は、玲子が氷輪に対してなぜ慇懃な態度をとっているのだろうと不思議に思った。が、本来白澤は位が高く尊い神獣であるということを思い出す。
普段からはそんな雰囲気を微塵も感じないので、すっかり記憶の彼方に追いやられていた。
「ねぇ、如月さん」
唐突に水を向けられ、響は目をぱちくりとさせて玲子を見た。
「はい?」
「あなたはどうして降魔科に入らなかったの?」
問いかけの内容も唐突なものだった。
響は即座に答えず、視線を進路に据える。玲子は構わず続けた。
「それだけの実力があれば、たとえ古式術者であっても降魔士にはなれるはず。それなのにどうして普通科に行ったの? やっぱり、口封じを受けているから?」
「…………」
黙っていると、横から痛いほどの視線を感じた。ややおいて、響は億劫そうに答える。
「別に、降魔士になりたいわけじゃないからです」
玲子がさらに畳みかける。
「なら、あなたはなぜ降魔術を使うの」
再び問われ、響は嘆息した。
「じゃあ、逆に訊きますけど、会長さんはどうして降魔士になりたいんですか?」
「当然、妖異から人々を守るためよ」
一切の迷いのない毅然とした回答に、まぁそうでしょうね、と響は特に感じ入った様子もないまま言う。
「わたしにはそれがないんですよ。誰かを守るとか、そういうの。興味ないから」
「興味が、ない……?」
玲子がぴたりと立ち止まった。
「つまり、あなたは人が妖異に襲われてもいいと言うの?」
低い声に、数歩先に進んでいた響は歩みを止めて背後を顧みる。玲子がキッとこちらを睨みつけていた。しかし響は動じた様子もなく肩をすくめる。
「それは他の降魔士がどうにかしてくれるでしょ」
「だから、他人のことはどうでもいいの? それなら、あなたはなんのために降魔術を使うの? 人のために使わないのなら、そんなもの必要ないじゃない」
響の言い草が癇に障り、カーッと頭に血が上った玲子の口から糾弾するような言葉が溢れ出た。そんな玲子を響が面倒くさそうな顔で見る。
「……好き勝手言ってくれるなぁ」
ぽつりと呟き、響は若干苛立ったように頭をがりがりと掻いた。
「わたしはですね、自分のことで手一杯なんですよ。他人に構ってられるほどの余裕がない」
響は下ろした拳をぐっと握りこみ、玲子をまっすぐに見つめた。
「自分の身は自分で守るしかないんだ」
さぁっと風が吹く。いたずらに駆け抜けた風は髪をなびかせ、衣服をはためかせた。
玲子は目を見開いた。頭がすっと冷めていくのを感じながら、漸う口を開く。
「あなたは、やっぱり――」
そのとき、ピリリリッという電子音が玲子の発言を遮った。
音は玲子の腰辺りから聞こえてきた。玲子が手をやり取り出したものは携帯端末で、音はずっと鳴り続けている。電話がかかってきたらしい。
「……ごめんなさい。少しいいかしら」
響に一言断りを入れ、玲子は通話に出た。
「はい、もしもし……」
飛び込んできた第一声に、玲子は血相を変えた。
「な……っ、学園に妖異が!?」
思わず響は感嘆の声を上げる。
響の目の前には妖異がいた。響の腰程度の大きさで、犬に似た見た目をしている。
下校中に遭遇してしまったその妖異は、しかし響に近づいてこられない。玲子の式鬼が展開した結界が、妖異を食い止めているのだ。
小型のせいで頼りなく見えるため、いささか……というかだいぶ心配していたのだが、響の想像を超えて式鬼はきちんを役目を果たしている。
そうそう、使役ってのは本来こういう感じだよねー。氷輪なんかよりもよっぽど役に立つ。
「なんだと!」
氷輪が響に牙を剥いた。思っただけのつもりだったが、うっかり口から出ていたらしい。
「だって氷輪、こんな風に守ってくれたことないじゃん」
「甘ったれるでないわ。なぜ我が手ずから汝を守らねばならんのだ」
「氷輪、なんのためにいんの?」
響と氷輪が場違いな言い合いをしている間も、妖異が結界を破ろうと攻撃を続けている。
何度妖異が体当たりしてきても、結界はびくともしない。ずいぶん強靭な結界術式が組まれているようだった。さすがは幸徳井家ご令嬢の術といったところか。
もしこの結界が破られるようものなら、なりふり構っていられないので術で対抗しようと思っていたのだが、これなら心配いらなさそうだ。最初はどれほど窮屈なのだろうかと辟易していたが、これが意外とそうでもないかもしれない。
プライベートは干渉されないし、襲ってくる妖異から身を守ってくれる。こちらが術を使いさえしなければ、たいした不便はなかった。
自分は何もしなくていいのだ。ボディーガードがついたと思えば、逆に快適なのではなかろうか。
などと思うぐらいには、響のものぐさ精神が早くも味を占め始めていた。
「もう諦めなよー、往生際が悪いぞー」
響がしゃがみ込んで茶々を入れる。だが、当然というべきか妖異が攻撃を止めることはない。血走った眼は、響を捉えて離さずにいる。
「爆炎!」
ふいに声がしたかと思うと、突如妖異が燃え上がった。
「あ、統括会長さんだ」
妖異の背後に玲子の姿を認め、響はよいしょと立ち上がる。
藍い炎に包まれ、火だるまとなった妖異がのたうち回っていたが、やがて燃え尽き消失した。
妖力が消え去ったからか、式鬼が展開していた結界を解く。そして、ぱたぱたと主の方へ飛んで行った。指先に止まった式鬼とともに、響の元へ玲子が歩み寄ってくる。
「大丈夫?」
声をかけられ、はいと響は頷く。
昨日言っていたとおり、玲子の式鬼が妖力を検知したあと、主人に信号を送ったらしい。そして主人が到着する間、結界を展開して対象を保護する。うん、実に高性能だ。
「いやー、この式鬼すごいですね。うちの氷輪と交換してくれませんか?」
無邪気にそんなことを言われ、玲子は咄嗟に言葉に窮する。
「ええと……」
反応に困っている玲子の代わりに、氷輪が声を荒げて響に反論した。
「この痴れ者め! 我ほど優秀な式神はおらぬというのに、汝というやつは!」
「肝心なところで役に立たなくてなぁにが優秀な式神だよ。主人を満足に守れもしないくせに」
「なにが主人だ、だいたい我は汝に忠誠を誓ったわけではない! いつでも汝のもとを去れるのだぞ!」
「あ、そー。じゃあご勝手にどうぞ? 氷輪の大大だ~い好きなクロワッサンがもう食べられなくなっちゃうけど、それでもいいならどこにでも行けばあ?」
「…………。いつでも去れるのだから、別に今でなくともよいな、うむ」
響のしらっとした視線を、氷輪は見て見ぬふりする。
式鬼へ術の補強をしつつ、一人と一体の言い合いを、玲子は神妙な面持ちで見ていた。
これが主と式神の会話であることがいまだに信じられない。本当にどういう関係なのだろう。というかこの白澤、クロワッサンが好物なのか。
「じゃあ、わたしたちはこれで。どうもでした」
「え、ええ。気をつけて」
少し考え込んでいたところに、ふいに声をかけられる。虚を突かれて頷く玲子に、響は軽く会釈をして踵を返す。
「あなたも行きなさい」
主の命令に従って式鬼が飛び立ち、響たちについていった。
去っていく背中を見送り、玲子はそっと息を吐く。まさか、式鬼をつけた翌日にさっそく駆けつけることになるとは思わなかった。
「…………」
ぐるりと辺りを見回す。この先には嘉神学園の普通科寮がある。寮に住んでいる普通科の嘉神生が多く登下校に使うごく普通の道だ。特に変わったものはない。
「偶然、よね?」
それから三日後。
出くわした全長二メートルを超えるムカデ状の妖異から結界を張って守ってくれる鳥型の式鬼に、響はがんばれー負けるなーなどとなんとも気力のないエールを送っていた。完全に観客気分である。
通学鞄の上、いつもの定位置にいながら、氷輪はこやつもはや楽しんでおるなと主を呆れた目で見ていた。
そこへ、ふいに上空から黒いものがいくつも飛来し、ことごとく妖異の背に突き刺さった。珍しい形状をしているそれを見て、響は記憶を手繰る。テレビか何かで見たことがある気がする。たしか、苦無とかいう忍具だったか。
叫び声を上げる妖異へ、畳みかけるように始動語が放たれる。
「雷よ!」
瞬間、苦無に結びつけられた盤がカッと発光し、迸った稲妻が妖異の身体を駆け巡る。
雷撃に焼かれて黒焦げにされた妖異が跡形もなく消え去ったあと、響は苦無が飛んできた方向へ目を向ける。その先には青々と生い茂った木が林立する林があり、その中で響に一番近い木の枝上に人影があった。
響は軽く目をしばたたく。
「あれ、今日は会長さんじゃないんですね」
「玲子は手が離せなんだのでな。代わりにわしが来たんじゃ」
三メートルはあろう木の上からひらりと身軽に飛び降りた楓が答えると、へぇ、やっぱ統括会長って忙しいんだなぁと響はひとりごちた。
楓は複雑な面持ちで響を見る。他人事のように言っているが、今の玲子の忙しさには少なくともこの監視対象が関わっていたのだ。
そんな楓の心境など知る由もなく、響がふいにあっと声を上げた。
「もしかして、あの短気な人が来たりすることもあるんですか?」
響は眉をひそめ、嫌そうな顔をしている。
その表情から、楓はすぐに誰を指しているのかがわかった。要一のことを言っているのだろう。あの短気な人呼ばわりとは随分と印象が悪いようだが、あのような態度をとられればさもありなんというものだ。
「いや、あやつは……どうじゃろうな」
楓は先日のことを思い出す。響を男だと思い込んでいた要一は少なからずショックを受けたようだった。
ふむと顎に手を当て、楓は響をじっと見つめる。
髪型はショートで、制服がスラックス姿かつ起伏の乏しい体形ということもあり、たしかに中性的な見た目ではある。
ただ、声は普通に高いほうだし、背も男にしては低めだ。まぁこの辺りは個人差があるので、性別を見極めるにあたっての決め手にはならないかもしれない。
とはいえ、そんなにわからないものだろうか。よく見ればワイシャツとブレザーの合わせがレディースのそれだし、まずもって体格が女性そのものだと思うのだが。
と、考えて楓はいやと首を振った。男だらけの家庭環境で育ったあの朴念仁にはわからないかもしれない。
そのせいかここ数日、彼の様子が少々おかしいのだ。どことなく意気消沈しているというか、この世の不思議について考えこんでいるというか。
なんにせよ、あの調子では今の段階で響と会うことは、よほどのことでもない限りないように思う。
「来ない、気もするが……」
楓の返答に、響はよかったーと露骨に安堵する素振りを見せる。一応気にしている同期に憐憫の情を抱く楓であった。
妖異が消え去ったことにより完全にリラックスモードに入った響が軽く伸びをする。その鞄の上で氷輪がくわっとあくびをしていた。そんなふたりを見て、楓は若干呆れる。
「おぬしらは呑気なものじゃな」
「だって、術使うなって言われてるから、できることもないですし」
さらりと返され、楓は言葉を詰めた。たしかにそのとおりで、だからこうして自分たちが駆けつけているのだ。
とはいえ、厳重注意の監視対象人物にこうも緊張感がないと、複雑な気持ちになる。
なんとも腑に落ちない思いを抱きながらも、楓は一度頭を振って気を取り直した。
「して、おぬしはなぜこんなところにいる」
ここは通学路から外れている。学校から普通科寮に帰るにしては、明らかに遠回りになる道だったのだ。
「買い物ですよ」
響はほら、と片手に提げていたビニール袋を持ち上げて見せる。そのビニールに印字されているロゴは、ここから少し行った先にあるスーパーのものだった。
「ふむ……」
楓は辺りをきょろきょろ見渡したかと思うと首を傾げた。
「……。どうかしたんですか」
響が訊ねると、不可解そうな顔をしていた楓はいやと首を振った。
「わしはもう行く。おぬしらも、あまり遅くならんようにな」
ではの、と言い残して楓は再び木の太い枝に飛び乗ると、そのまま次々と木の上を飛び渡って行ってしまった。
おお、先ほどの苦無といい、あの身のこなしといい。格好も相まってまるでテレビや漫画で見かける忍者、いや、くノ一みたいだと思わず感嘆する響である。
妖異に遭遇したら自分が術を使わなくても式鬼が守ってくれるし、強い人たちが駆けつけてくれて妖異を調伏してくれる。とても楽だ。
――ただ。
「響よ」
ちらと見やってくる氷輪の言いたいことを察し、響は面倒そうな顔で頭を掻いた。
「さすがに、そろそろバレそーだなぁ」
▼ ▼
「おかしいわ」
統括会室で、玲子は眉間にしわを寄せて言った。そばにいた楓も神妙な面持ちで頷く。
「うむ、明らかにおかしいな」
響はこの一週間で三回も妖異に遭遇している。
妖異の出現自体は少なくはなく、一般人が妖異と出くわすのだって人生で一度きりというわけでは決してない。
しかし、響の場合はその頻度があまりにも逸しているのだ。
同じ人間が一週間で三回も妖異に遭遇するなどということはまずありえない。しかも、全部違う場所で、だ。
それも、別段おかしな場所に行っているわけではないのだ。学校から寮への帰り道、買い物帰りといったなんの変哲もないところしか彼女は行動していない。
それだけでなく、日が沈み切る前、もしくは沈んでからいくばくもしない時間帯に遭遇している。
妖異は基本夜間活発的に動き出す。日中もまるっきり動けないわけではないが、日の光で妖力が落ちてしまうため、夜間よりも妖異の出現頻度はずっと少ない。
それなのに、ここまで妖異に遭遇するのは明らかに異常だった。
玲子は嘆息した。響への対処を講じたいのだが、彼女が妖異と遭遇する度に出動しているので議論は遅々として進まず、いまだ明確な決断ができかねていた。
それに、明日は降魔科で実演講習が予定されている。専門授業の一環で、降魔士が妖異調伏における講習をしてくれるため、降魔科生が郊外に出るのだ。
今日はその準備のために役員メンバーは出払っており、今この統括会室にいるのは玲子と楓だけとなっていた。
玲子は疲れたように眉間を指でつまんだ。追い追い議論していくつもりでとりあえず監視の式鬼をつけたのだが、まさかこんなことになるとは。完璧に誤算だった。
「のう、玲子。襲ってくる妖異程度であれば、術の行使を認めてもいいのではないか?」
楓が提案するが、しかし玲子は首を振った。
「それはできないわ」
そう返ってくることはわかっていたので、楓もそれ以上は言わない。
万が一、降魔科生でもない嘉神学園の生徒が、降魔術を使っていることを他の人間に知られたらどうなるか。
まず責任を問われかねない。そして、嘉神学園の生徒管理における信用が著しく低下することは避けられないだろう。
降魔術を使っていいのはライセンスを持った降魔士、および降魔士育成機関に所属する生徒のみ。
それが降魔士界の掟。
嘉神学園降魔科主席の、それも『幸徳井家』の人間が率先してルールを破ることなど、あってはならないのだ。
となると、今まで通り響が妖異と遭遇すれば、その都度駆けつけなければならないというわけだ。
楓は眉間にしわを寄せて唸った。
「本当にどうなっておるんじゃ。あやつが何か怪しげな行動を取っているわけでもあるまいに」
もし響がなんらかの術を使って妖異を招くようなことをしていたら、それはすぐにわかる。式鬼が霊力を検知するからだ。
とすれば、響は術を使っていない。今のところ、こちらの言いつけを守っているのは確かだ。
では、本当に偶然なのだろうか。はたまた、自分たちに感づかれないなにかしらの方法で妖異を呼び寄せているとでもいうのだろうか。
妖異を、呼び寄せる――。
そこまで思考が及んだとき、楓はぴくりと肩を跳ね上げた。表情に驚愕が滲む。
「楓?」
友人の変化に気づき、玲子が首を傾げると、楓は歯切れ悪く言った。
「玲子、ひとつ思い当たったことがある、のじゃが……」
そこで言葉尻を濁した。楓はその先を言っていいのやらと悩んでいるような、微妙な表情をしている。
「なにかしら」
玲子が問いかけるも、楓は言い淀んでなかなか言葉を発しようとしない。それでも急かすことなくじっと待っていると、ようやく楓は口を開いた。
「もしや、あやつは――」
▼ ▼
気温は高いが、曇っているため日差しがない分過ごしやすい。爽やかな風が吹き抜けていく。
響はちらと目だけを左横へ向けた。
隣で、自分と肩を並べて玲子が歩いている。長い髪を揺らし、しゃんと背筋を伸ばして歩く姿も流麗だ。
「…………」
視線を正面に戻して帰路を進む響は、なんとも言えない居心地の悪さを感じていた。
どうしてこんなことになっているかというと、時は昼休みにまで遡る。
△ △
「如月さん」
いつものように、微かに吹く風を感じながら弁当を食べていた響に声がかかる。
目を向けると、そこには玲子の姿があった。つかつかとこちらへ近づいてくる。
「会長さん?」
響の横では、氷輪が上品に食事をしているところだった。すでに半分以上食べられているが、それはどう見てもクロワッサンだ。
「なんか用ですか」
訊きながらも、響は箸を動かす手を止めずに購買で買った弁当をもぐもぐと咀嚼している。
響のもとまで歩み寄った玲子は、ぐるりと辺りを見渡した。ここは校舎の裏側で、周りには人影がない。中庭の方ほうなら、まだそこで昼休みを過ごす生徒もいるだろう。
響につけた式鬼の気配を辿って来てみれば、彼女は校舎裏の軒下に座り込んでひとり……と一体で昼ご飯を食べているところだったのだ。
「いつもこんなところでお昼を食べているの?」
「? そうですけど」
なんでそんなことを訊くんだろうと不思議そうに答える響を、玲子はしばし無言で見つめていた。
「そんなことを訊きに来たんですか?」
響の怪しむような声に、玲子ははたと我に返る。そして、いいえと首を振ると早々に本題を切り出した。
「今日から一緒に帰りましょう」
「…………はい?」
さしものことに箸を止め、何を言われたのかわからないという風情で響が訝しげに聞き返す。
「一緒に帰る? どうしてですか?」
玲子は昨日話し合ったことを語った。
曰く、いつ呼び出されるかわからないから、それならいっそのこと寮に送り届けた方が手間がかからない、とのこと。
「これは統括会の決定です。従ってもらえますね?」
「……はぁ」
そう言われてしまえば返す言葉がない。こちらには拒否権などないに等しいのだから。
「放課後、何か予定は?」
「ないですけど……」
「一緒に帰る約束をしている友人がいたりとかは」
「それも、別にないですけど」
「では、授業が終わり次第寮に帰る、ということでいいかしら」
「はぁ、まぁ」
怒涛の質問ラッシュに、響は気後れしながらもなんとか答える。玲子はどこか安堵したような表情で頷いた。
「では決まりね。授業が終わったら校門で待ち合わせしましょう」
響はちらと式神を見る。視線に気づいた氷輪は顔を上げ、ぴしりと尻尾をひとつ振った。
「我は構わぬ。別段不都合なこともないのでな」
嫌がると思っていたのに、意外にも拒否しなかった。氷輪に問題がなければ、響としても断る理由は特にない。玲子の要請を不承不承の体で受け入れたのだった。
△ △
そして、今に至るというわけだ。
授業が終わって校門で落ち合ってから、たいした会話もなく黙々と歩いている。響は別に仲がいいというわけでもない統括会長と話すこともないし、玲子はなにやら考えに耽っているようだった。
それが、このなんともいえない微妙な無言空間を作り出していたのだ。
響はなんだか不思議な気持ちだった。学校の帰りに誰かと一緒に歩くなんていつぶりだろうか。
「時に、幸徳井の小娘よ」
そのなんともいえない空気を破ったのは、いつものように響の指定鞄の上にいた氷輪だった。問いかけられた玲子は、白澤へ顔を向ける。
「なんでしょうか」
「汝はなぜここにいるのだ」
玲子は目をしばたたかせる。少し困惑して言葉を探す玲子に対し、響はストレートだった。
「昼休みに話したじゃん。氷輪、ついにボケた?」
「違うわ、たわけ者!」
くわっと牙を剥いた後、氷輪は再び玲子へ視線を送る。
「今日は降魔科の講習であろう。だというのに、なぜ汝は学び舎にいるのかと訊いておるのだ。まだ帰ってくるような時間ではあるまい」
ああと得心がいった玲子は苦笑した。
「よくご存じで」
「ふん、我を誰と心得る。白澤であるこの我に知らぬことなどないわ」
居丈高に言ってのけた氷輪に、響は怪しむような目線を送る。
知らないことがないなら、その理由も知ってるんじゃないの?
そう思ったが、面倒くさかったので言わなかった。
「緊急事態に備えて、誰かが残っていないといけないのです。毎回順番で残る者を決めているのですが、その順番が今回は私だったというわけで」
「ふむ、そういうことか」
そして玲子は響を送り届けた後、また学校へと戻り、帰ってくる降魔科生たちを出迎えるつもりなのだという。
会話を聞くともなしに聞いていた響は、玲子が氷輪に対してなぜ慇懃な態度をとっているのだろうと不思議に思った。が、本来白澤は位が高く尊い神獣であるということを思い出す。
普段からはそんな雰囲気を微塵も感じないので、すっかり記憶の彼方に追いやられていた。
「ねぇ、如月さん」
唐突に水を向けられ、響は目をぱちくりとさせて玲子を見た。
「はい?」
「あなたはどうして降魔科に入らなかったの?」
問いかけの内容も唐突なものだった。
響は即座に答えず、視線を進路に据える。玲子は構わず続けた。
「それだけの実力があれば、たとえ古式術者であっても降魔士にはなれるはず。それなのにどうして普通科に行ったの? やっぱり、口封じを受けているから?」
「…………」
黙っていると、横から痛いほどの視線を感じた。ややおいて、響は億劫そうに答える。
「別に、降魔士になりたいわけじゃないからです」
玲子がさらに畳みかける。
「なら、あなたはなぜ降魔術を使うの」
再び問われ、響は嘆息した。
「じゃあ、逆に訊きますけど、会長さんはどうして降魔士になりたいんですか?」
「当然、妖異から人々を守るためよ」
一切の迷いのない毅然とした回答に、まぁそうでしょうね、と響は特に感じ入った様子もないまま言う。
「わたしにはそれがないんですよ。誰かを守るとか、そういうの。興味ないから」
「興味が、ない……?」
玲子がぴたりと立ち止まった。
「つまり、あなたは人が妖異に襲われてもいいと言うの?」
低い声に、数歩先に進んでいた響は歩みを止めて背後を顧みる。玲子がキッとこちらを睨みつけていた。しかし響は動じた様子もなく肩をすくめる。
「それは他の降魔士がどうにかしてくれるでしょ」
「だから、他人のことはどうでもいいの? それなら、あなたはなんのために降魔術を使うの? 人のために使わないのなら、そんなもの必要ないじゃない」
響の言い草が癇に障り、カーッと頭に血が上った玲子の口から糾弾するような言葉が溢れ出た。そんな玲子を響が面倒くさそうな顔で見る。
「……好き勝手言ってくれるなぁ」
ぽつりと呟き、響は若干苛立ったように頭をがりがりと掻いた。
「わたしはですね、自分のことで手一杯なんですよ。他人に構ってられるほどの余裕がない」
響は下ろした拳をぐっと握りこみ、玲子をまっすぐに見つめた。
「自分の身は自分で守るしかないんだ」
さぁっと風が吹く。いたずらに駆け抜けた風は髪をなびかせ、衣服をはためかせた。
玲子は目を見開いた。頭がすっと冷めていくのを感じながら、漸う口を開く。
「あなたは、やっぱり――」
そのとき、ピリリリッという電子音が玲子の発言を遮った。
音は玲子の腰辺りから聞こえてきた。玲子が手をやり取り出したものは携帯端末で、音はずっと鳴り続けている。電話がかかってきたらしい。
「……ごめんなさい。少しいいかしら」
響に一言断りを入れ、玲子は通話に出た。
「はい、もしもし……」
飛び込んできた第一声に、玲子は血相を変えた。
「な……っ、学園に妖異が!?」
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