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【陥穽篇】1.陰陽師の弟子
陰陽師の弟子 ☆陸
しおりを挟むガラガラッと重厚な音を立てて開かれた扉の先に、空間が広がっていた。
広さは体育館と同じぐらい。アリーナはフローリングの床ではなく、むき出しの地面。天井は高く、地面と天井のちょうど中間の位置に、室内をぐるりと囲む形でギャラリーがある。
響がぼんやりと辺りを見回していると、近くにいた楓が解説してくれた。
「ここは降魔科専用の修練場。降魔科生はここで術の訓練をするんじゃ」
降魔科生の授業には、降魔術の実技訓練がある。その授業で使う場所がこの修練場だ。
場内に施された特殊な設備『霊力抑制装置』を操作すると、場内全体を覆う結界が張られる。すると術の威力が格段に下がり、安全面に考慮したうえで模擬戦や術の訓練などを行うのだという。
玲子が颯爽とフロア中央へと向かう。響はそれを億劫な面持ちで見ていた。
場内の説明など正直どうでもいい。状況とかその他諸々が面倒くさすぎる。ただひたすらに帰りたい。
どうにか逃げられないかなと思い、響はちらと出入り口を見やる。そこには要一の姿があり、締め切られた戸の真ん前で仁王立ちをし、こちらに向けて睨みを利かせていた。
逃げるのは無理そうだと悟った響は、何事もなかったかのように視線を戻すと、肺が空になるほどの盛大なため息を吐いた。
統括会室での尋問のあと、場所を移動することになった。どこに連れていかれるのかと思えば、この修練場である。
ここで響は降魔科のトップクラスである『Aクラス』、その中でも一番の実力者たる統括会長と降魔術で戦うことになってしまったのだ。
響は頭痛を錯覚する。もうなんで、どうして、こんなことに。
「汝よ、いつまでそうしているつもりだ」
聞こえてきた声に視線を落とすと、氷輪が足元で響を見上げていた。
「なに、あやつを負かせばよいだけの話ではないか」
「他人事だと思って、ものすごく簡単に言ってくれるね氷輪さん」
響は氷輪へどんよりとした視線を送る。
「あの人に勝てると思ってんの?」
「やってみなければわからぬではないか」
さらりと返され、響は何も言う気が起こらなくなった。
あーもうなるようになれ。
響は自棄になって頭を振ると、フロア中央へ足を運び、玲子と相対した。
「心の準備はできたかしら」
「はぁ、まぁ、やるしかないみたいなんで」
まるでやる気のない返答だが、玲子は眉ひとつ動かさずに頷いた。
「では、ルールを説明します。制限時間は五分。本来であればどちらかが動けなくなるか、敗北を認めたほうの負け」
なのだけど、と玲子は言葉を続けた。
「今回は色々と特殊なので、本来のルールに開始から五分以内に私があなたを敗北に追い込めなければ、あなたの勝利というものを追加します」
それからと言って、玲子が片腕を上げて手のひらを広げた。
「こちらの攻撃は、術具を含め全部で五回までとします。そして、使う術具は盤のみ。そちらに制限はありません。これでどうかしら」
その提案に、響よりも楓と要一のほうが驚く。あまりにも不利なルールを玲子自ら申し出たのだ。
「おいおい、玲子よ。それはちと大盤振る舞いがすぎるのではないか?」
さしものことに口をはさむ楓に、玲子は毅然と言った。
「いいえ、こうでもしなければ私が本気を出せないもの」
まったく、相変わらず自分に厳しいやつだと、楓は少し呆れ気味に首を振った。
「それで、如月さん。これでは不満?」
「別にいいですよ、それで」
響は自分が侮られているわけではないことはわかっていたし、たとえそうだったとしても別に構わないと思っていた。
玲子の攻撃が五回のみとはいえ、こちらは彼女が使える術をほとんど知らない。統括会長ほどの実力者だ、きっとどれも強力な術だろう。油断できるところなど何ひとつなかった。
とはいえ、相手の攻撃の手段が限られるのは間違いない。それは響としては願ったり叶ったりだった。
それよりも重要なことがある。ここに来る前に取り決めたことについてだ。
響は念を押すように確認する。
「本当にこっちが勝ったら解放してくれるんですよね?」
「ええ。誓いましょう」
玲子はきっぱりと言い切った。言霊を操る術者の言葉だ。嘘がないことがはっきりと伝わってくる。
「けれど、私が勝ったら知っていることをすべて答えてもらった上で、然るべき処置を取らせていただきます。いいですね?」
鋭い眼光に射貫かれ、響の頬に冷たい汗が流れた。
わざわざ自分に制限をかけるということは、限られた時間、限られたものに全身全霊を注ぐということ。
玲子は最初から全力で来るつもりだ。響を逃がすつもりなど一切ない。
相手の思惑を読み取り、響の背筋がぞくりと震える。
しかし、だからとてこちらも負けるつもりなどない。勝たせてもらわないと困るのだ、色々と。
ふいに、玲子がちらと響の後方を見やった。
「そちらは式神を使わなくていいの?」
「ふん、戯言を」
それに答えたのは、響の背後にいた氷輪だ。
「我は一切手を出さぬ。人間どものくだらぬ取り決めに、この白澤を巻き込むな」
そうして氷輪は響へ顔を向けた。
「響よ、手を抜くことはまかりならん。我が主たる汝がそのような輩に屈するでないぞ」
「…………」
響は眉をしかめて、無言を通した。
ったく、ほんとに好き勝手言ってくれるなあの高慢ちき。
そのような輩という発言に周囲、というか若干一名が殺気立ったのがわかる。こちらを見る視線まで鋭くなった。そら見ろ、こちらにまで飛び火したではないか。激励のつもりなのかもしれないが、頼むから余計なことを言わないでほしい。何かがこう、ごりごりと削られていく気がする。
玲子は特に表情を崩すことなく、相変わらず落ち着いたものだった。
「白澤からずいぶんと信頼されているのね」
「や、あれは信頼っていうかただの野次……」
「まぁ、あなたの実力のほどは、これからわかること」
玲子の雰囲気ががらりと変わった。空気がぴんと張り詰める。響は知らず固唾を呑んだ。
「それと――」
玲子がやおら片手を上げる。すると、突如玲子の背後上空にボッと音を立てて火の玉が出現した。
五つ現れた火の玉。その色を見て、響は思わず目を瞬かせた。
「青い、火……?」
通常、術によって現出する火の色は赤だ。響が使う術の中にも火系統のものはいくつかあるが、総じて赤色である。
しかし、今玲子が出した火の色は青。否、よくよく見ると少し暗く深い色合いをしているため、藍色と言ったほうがいいだろう。
ゆえに、〝青い〟ではなく〝藍い〟。あんな色は初めて見た。
実に幻想的だった。一般的な火には激しく燃え上がるようなイメージを持つが、あの藍色の火はただ静かに揺らめき、見る者を魅了するようななんともいえない美しさがある。
藍い火の玉を視線で示しながら、玲子が説明する。
「私が術を一回発動するごとに、この火の玉がひとつずつ消えていくわ。そのほうがカウントしやすいし公正でしょう」
なるほど、だから突然火の玉など出したのか。ルールが明確でわかりやすい。あの統括会長は本当に正々堂々戦うつもりのようだった。
「では、始めましょうか。準備を」
玲子が指示を出すと、楓と要一は二階のギャラリーへと移動していった。アリーナには響と玲子の二人だけとなる。
氷輪もいつの間にかギャラリーの手すりの上に乗っており、悠然と尻尾をくゆらせている。完全に傍観者の姿勢である。
「わしが審判を務めよう」
ギャラリーの中央、場内のちょうど半分の部分が少し出っ張っているところまで来た楓が声を上げる。どうやらそこが審判席のようだ。
審判席の真下の壁にタイマーが設置されている。黒い文字盤に赤色で五分を示していた。
楓がすっと手を上げる。それを合図に、要一が壁にあったパネル式の機械を操作した。
すると変化が生じ、響は少し身じろぎした。室内には特に変わった様子はない。だが、明らかに霊力が弱まったのを感じ、少し妙な感覚に囚われる。
霊力抑制装置が起動し、結界が張られたのだ。
「これでよほどのことでもない限り、術での大怪我の心配はないじゃろう。じゃが、明らかに危険だと判断した際は止めに入る。双方、それでよいな?」
玲子と響はともに頷くと、それぞれ身構えた。
響は短く息を吐き、ふっと息を詰めて玲子へ真剣な眼差しを注ぐ。玲子のほうもまた、響をまっすぐ見ている。
「では――始め!」
楓が高らかに開始宣言を放ったと同時にタイマーが稼働し、制限時間が減り始める。
最初に動いたのは玲子だった。すっと右腕を掲げ、響に手のひらを向ける。
「藍火」
制服の二の腕辺りに取りつけられた、豪奢な意匠の校章がキラキラと淡く光り出す。すると、玲子の手のひらから炎が生まれた。
藍い火は球状になると、一直線に響目がけて飛んできた。それを響はすんでのところで躱す。
別に相手を倒す必要はない。五分だ、五分相手の攻撃を耐え抜けばそれでいい。もしくは、五回術を凌げればそれも勝ちに繋がる。だから、ここは守りに徹して――。
「――爆散」
そう考えた矢先、響のすぐそばで爆発が起こった。
「……っ……!」
響は慌てて護符を展開し、障壁を築いた。
避けた藍の火球が、背後で爆発したのだ。そして、その飛び散った数多の火の粉が狙いを響に定めて一斉に襲いかかる。
ちらと見やれば、上空の火の玉がひとつ消えていた。きっちりとカウントされているようだ。
とりあえず、これが一撃目。これはこのまま防ぎきれ――。
「……!?」
響は息を呑んだ。火の玉から視線を戻せば、護符が藍火に包まれていたのだ。
符が効力を失う。途端に障壁がふっと掻き消え、響に火の粉が降りかかる。
「げっ」
慌てて逃げるも、どういうわけかその火の粉が響を追尾してくる。護符を投げて壁を築くも、当たった火の粉がやはり符を燃やしてしまう。
どうなっているのだ、あの火は。これでは逃げるしかないではないか。
「ってか、昨日からこんなんばっか……!」
文句を言いながら響は逃げ惑う。息つく暇がなく、ついでに容赦も一切ない猛攻に、響は早くも翻弄されつつあった。
「――要一よ、おぬしはどう見る」
ギャラリーの審判席で観戦しながら、楓はいつの間にかそばまで来ていた要一に話しかけた。
腕を組んで睨むようにアリーナを見下ろしていた要一は、ふんと鼻を鳴らす。
「会長が勝つに決まっているだろう」
玲子は、世にも珍しい藍色をした火の術式を自在に操る。ただ珍しいだけでなく、術を操る技術の高さとその威力は一介の降魔士をも凌駕するレベルである。
『藍焔の名華』――学生の身でありながらそんな異名を持つほどに、玲子の実力はすでに降魔士界に知れ渡っているのだ。
元々彼女の基礎能力は高かったが、それに驕ることなく血の滲むような研鑽を積んでいることを要一は知っている。その上での玲子の実力だ。だから、その玲子がやられるだなんて微塵も思っていない。
きっぱりと断言するような返答には、厚い信頼が込められている。楓も、それ自体に異論はない。玲子の勝利を疑ってはいなかった。
だが。
「おぬし、忘れてはおらぬか。あの者が牛鬼を倒し、白澤を従えているということを」
「…………」
要一は黙りこくる。
牛鬼はその辺の妖異とは比べ物にならないほど、脅威の差が格段に上だ。自分たちAクラスの生徒ならともかく、Bクラス以下の生徒ではまず太刀打ちできないだろう。
だというのに、昨日の夕方に牛鬼と遭遇しただけでなくこれを調伏し、そして今日平然と登校してきている。
それだけでも充分に驚くべき事実だというのに、あろうことか神獣とされる白澤を式神としているという。
如月響は明らかに常軌を逸した、得体のしれない人物だった。
「……だとしても、会長が負けるなどということはありえない」
頑なな副会長に楓は苦笑をこぼすと、視線をアリーナに戻した。
今のところ、玲子の攻撃に対して響は翻弄されっぱなしだ。しかし、これで終わりではあるまい。響には、まだ何かあるはずだ。
玲子もあの一年生に何かを感じ取ったからこそ、自分が不利になるような条件をわざわざつけ足したのだろう。自分が半端な術を出すことなく、全力で倒しに行くために。
楓はふっと口端を吊り上げた。この戦い、面白いものになりそうだ。
一方、逃げたり護符で防いだりして、追尾してくる火の粉をどうにかこうにか躱しきることができた響だったが、すでに肩で息をするほど消耗していた。
けれど、驚くべきことにこれはまだ一撃目。玲子の攻撃はあと四回残っているのだ。
と、再び玲子が術を発動する。
「藍火――灼渦」
玲子の周りに炎の柱が立ち上る。渦巻いて蠢くその様は、まるで炎の竜巻だ。しかも、それが三つもある。あれを響に叩き込もうとしているのだ。
「……っ」
響の本能が感じ取る。あれはダメだ。どう足掻いても逃げきれないし、壁を張って防ぐこともできない、と。
守備に徹しようと思っていたが、どうやらそれもここで限界のようだ。嘉神学園降魔科一の実力者相手に、さすがに考えが甘すぎた。
もうこれは、こちらからも仕掛けていくしかない。攻撃こそ最大の防御、という言葉もある。面倒だが致し方ない。
玲子がばっと腕を薙ぎ払う。それを合図に、藍い炎の渦が三つ同時に響に向かって押し寄せる。
響は精神を研ぎ澄ませ、手刀を作った。
「バン・ウン・タラク・キリク・アク」
唱えながらすばやく手刀を動かし、宙に図を描くように切っていく。
それが形作ったものは、五芒星。
「――ウン!」
そして最後に裂帛の気合もろとも、描いた五芒星の中央に点を打つように切り込む。
すると、五芒星から勢いよく霊力が放たれた。
そのとき、ここにきて初めて玲子の顔色が変わった。彼女が何か言いかける前に、その波動が炎の渦と激突する。
術同士のぶつかった音が場内に響き渡った。衝撃波が風となって、周囲に吹き荒れる。
藍炎の渦と、白光の奔流。拮抗していた勢いは、やがて双方の力を相殺し、ぱっと弾け散った。
風がやみ、場内が静寂を取り戻す。
玲子の表情は愕然としていた。響の術が想像以上の威力を持っていたから、という理由ではない。
「今の……は……」
立ち尽くしたまま、発した声がかすれる。動揺が隠せない。
「あなた、どこでそれを……!」
答えない響に、玲子は声を荒げた。
「答えて! その術は――」
「会長! 呆けている時間はないぞ!」
玲子が詰め寄りかけたが、要一の言葉がそれを遮る。
はたと我に返った玲子は頭を振り、深呼吸をして己を落ち着かせると、すっと表情を引き締めた。
「……いいわ、これが終わってからじっくり聞くことにしましょう」
響はちっと小さく舌打ちをした。あのまま呆然とさせておけば時間を稼げたのに余計なことを。
小癪なことを考えていた響をよそに、玲子が術を仕掛けようとする動きを見せる。その瞬間を逃さず、響は素早く真言を唱えた。
「ノウマク・サマンダ・バザラダン・カン!」
「……っ」
玲子の動きが止まる。金縛りの術をかけられ、身体が動かせなくなったのだ。
この状態のまま、時間切れまで持っていければ一番楽なのだが。
しかし、響の思惑に反し、そうは問屋が卸さなかった。
「……甘いわね。この程度の術、口さえ動けばどうとでもなるわ」
瞬間、身動きが取れない体勢のままの玲子から強い霊力が湧き起こる。響は固唾を呑んだ。
「炎蛇召喚!」
言下に玲子の身体から、藍い炎が噴出する。
玲子を囲むようにして長く伸びたそれは、やがて巨大な蛇を形作った。
「行きなさい!」
玲子の命に従い、藍炎の蛇がうねりながら響へと襲いかかる。
「うわっ」
目を剥き、慌てて全力で横に飛び退く。その瞬間に、響の集中が途切れてしまった。術が解かれ、玲子の身体が自由を取り戻す。
「……やっぱだめかー」
響自身、これで勝てるとは思っていなかった。あわよくばと試しにやってみただけで、結果は案の定。
旋回した炎蛇が再び響へと迫る。
ならば。
「ノウマク・サマンダ・ボダナン・ハラチビエイ・ソワカ!」
響が詠唱すると、地面がわずかに揺れる。そして、ゴゴゴゴゴッ! と音を立てながら、地面から土の壁がいくつも出現した。
「これが、古式降魔術というものなのか……」
ギャラリーで一連を見ていた要一が唸るようにこぼす。楓も硬い面持ちのまま同意を示した。
「初めて目にしたが、これほどまでの威力とはの……」
楓はそっと自身の右腕の二の腕辺りに手をやった。指先に冷たく硬いものが触れる。校章だ。
普通科生の校章がブレザーの左胸に刺繍ワッペンがついているのに対し、降魔科生は右腕の二の腕辺りに、銀色で厚みがある金属製の校章が取りつけられている。
この降魔科生の校章は『適霊機』と呼ばれるもので、術者の霊力を術者自身に最適化させ、術へと迅速的に置換してくれる補助具としての機能を持っているのであった。
自分たちが操る降魔術には、この適霊機が必要不可欠だ。これと、場合によっては盤などの術具を用いて術を発動させている。
しかし、響は適霊機を装着していないのにも関わらず、降魔術を駆使している。
要一は半ば呆然と響を見た。先ほどの霊力の波動といい、土の壁といい。あれほどの術を術具すら用いることなく、なにやら呪文のようなものを唱えて発動させたのだ。
そして、一切手を抜いていない玲子とほぼ互角に渡り合っている。
一体何者なのだ、あの如月響という普通科生は。
そんなギャラリーの様子など知りもしない響は、出現させた土の壁を利用して襲い来る炎蛇を避けながら玲子へ符を放つ。刃のように鋭いそれを、玲子は容易く躱した。
土の壁に身を隠して炎蛇を撹乱し、隙を見て玲子へと符を放って攻撃を仕かけ、それを玲子が躱す。それが何度か繰り返された。
「……はっ……はぁ……!」
場内全体を縦横無尽に駆け回っていた響だが、さすがに呼吸が苦しくなってきた。身体もへとへとで、動かす足が重い。
走りながら上空を見る。攻撃カウントの火の玉は残り二つ。時間もあと一分ほどとなっている。
余裕とは言えないまでも、なんとかこのまま時間切れまで防ぎきれれば。
そこへ炎蛇が迫る。動きが鈍って身を隠す動作が一歩遅れた。
「……!」
炎蛇が激突し、響はなすすべなく吹き飛ばされる。
「うわぁ……っ!」
響は地面にごろごろと転がった。炎蛇が衝突したが、場内の結界で術の効果がかなり弱められているせいか、響が燃えるということはない。怪我など、せいぜい転んだ拍子にできた打撲や擦り傷ぐらいのものだろう。
「ってぇ……」
うめきながら、響は地に手をついてゆっくりと身を起こしていく。
それを見ていた玲子は眉根を寄せた。立ち上がった響の表情に、笑みが微かに浮かんでいるように見えたのだ。
なんだ、あの笑みは。
脳が警鐘を鳴らす。なんだか嫌な予感がする。
「炎蛇――」
宙を旋回していた炎蛇に指示を出そうとした刹那、玲子の足元がふいに輝きだした。
「これは……!」
視線を下げた玲子の表情が驚愕に染まる。彼女を囲むように、地面に五芒星が浮き上がっていたのだ。
五芒星の五つの穂先に符が突き刺さっている。響が放ち、玲子が避けた符だ。
そこで悟る。響はただ闇雲に符を投げていたわけではなかった。本当の狙いはこれだったのだ。
響は口元に刀印を当て、真言を紡ぐ。
「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン!」
五芒星の陣がひと際強い光を帯びる。そして刀印を組んだ腕を思い切り天へ振り上げ、響は思い切り叫んだ。
「慈愛深き光明よ、導となりて我が道を切り拓け! 急々如律令――――!」
瞬間、五芒星の陣から天井へ向かって光が放たれた。光を浴びた藍炎の大蛇が瞬時に掻き消され、周囲を白く染め上げる。
響は膝に手をつき、ぜいぜいと息を荒げていた。汗が顎を伝って地にしたたり落ちる。
術は正常に発動し、手ごたえもあった。霊力抑制装置の効果で術の威力はがくんと落ちているものの、さすがにもう動けまい。
「……今のは見事だったわ」
耳に届いた声に、響はひゅっと息を呑んで顔を上げた。
「な……っ」
視線の先に、地に片膝をついた玲子の姿があった。そんな彼女の周囲を光の膜が覆っていた。玲子はすんでのところで結界を張ってことなきを得たのだ。
「でも、私を倒すには足りない」
玲子はゆっくりと立ち上がる。一瞬ふらつきかけたが、そうとは見せないよう足を踏ん張って耐える。
さすがにノーダメージとまではいかないが、まだまだ戦える状態だった。
しかし、時間がない。それに、今の結界でこちらの使用可能な術が残り一回のみとなってしまった。これで決着をつけなければ。
玲子が神経を研ぎ澄ませ、最後の術を仕掛けようとした、そのとき。
「え……」
玲子は動きを止め、目を瞠った。
響の身体がふらり揺れ、そのまま床に倒れ伏したのだ。
「あー……も、むり……」
響は身体に力をこめようとしたが、もう動けなかった。完全に体力が尽きてしまったのだ。
「そこまで!」
響の戦闘続行不可の状態を見て、審判の声が場内に響き渡る。
「勝者、幸徳井玲子!」
宣言と同時に止められたタイマーは、残り八秒を表示していた。
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