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【陥穽篇】1.陰陽師の弟子
陰陽師の弟子 ☆弐
しおりを挟む学生寮の食堂。その隅で響は夕飯をかき込んでいた。
遅い時間に入ったため、今や食堂には響しかいないが、カウンターの向こうから微かに話し声が聞こえる。寮の調理担当者たちが厨房で洗い物や後片付け、明日の朝食の仕込みなどをしているのだろう。
もっとも、まだ食べ終えていない学生がいる限り、洗い物は完全に片付かない。それを申し訳なく思いながら、響は半ば流すように食べているのだった。
「汝よ、そう急くと喉を詰まらせるぞ」
氷輪の忠告に、響は食べる手を止めないままちらと辺りを窺った。カウンター外の食堂内には誰もいない。それに食堂備え付けのテレビも垂れ流しになっている。音もそれなりに大きいため、誰かに聞かれることはまずないだろうが、響はもぐもぐと咀嚼しながら限りなく小さな声で氷輪に応じた。
「らってしょーははいひゃん……」
「食すか話すか、どちらかにせよ」
行儀の悪い主に、氷輪が眉をひそめて苦言を呈する。じゃあ食事優先にしようと、響はせっせと食事を口へ運ぶ。
まぁ急いでいる気持ちがあるのは事実だが、とにかく腹が減っているのだ。
降魔術を使うと気力と体力をがっつり消耗するため、異様に食欲が増す。腹が減っているときはなにもかもが美味しく感じる。いや、元々普通に美味しいのだが、妖異と戦ったあとは三割増しで美味い。それがさらに響の箸の動きを早くしている。空腹は最高のソースとはまさにこのことを言うのだろう。
「ふぅ~食べた食べた」
やがて完食し、満足そうに息を吐いた響がお茶を一口含んだ時だ。
『よ、妖異だ……!!』
突如飛び込んできた声に、響たちはそれまで関心がなかったテレビへ視線を向けた。
それまでやっていた番組が終わったらしく、次の番組に移ったようだった。画面の右隅に〈密着! 降魔士の勇姿〉という安っぽいテロップがのっている。
画面には、どこだかはわからないが夜の街で妖異が暴れている様子が映し出されている。人々がその凶悪な姿を目にし、恐怖で逃げ惑っていた。
妖異には、可視と不可視の二種類が存在している。
可視は、なんの力も持たない一般人の目にも映る妖異だ。これは妖力がだだ洩れているせいで自身の姿を隠すことができないか、逆に隠し切れない強大な妖力によって顕現してしまうか。あるいは、あえて姿を晒すことで人間を罠に嵌めようとするものも中にはいる。こういった理由で衆目に姿を晒すのが、可視の妖異。
そして、もうひとつの不可視の妖異は、自身の妖力がコントロールできるほど非常に強く、常人の目には映らないものがほとんどである。
この不可視の妖異を見るためには、『見鬼の才』という霊視能力が必要になる。
この見鬼における『鬼』とは、妖異全般を指す。大昔は悪しき人外の化け物はみな鬼と称されていたことに由来していたりする。
そして、この見鬼の才は不可視の妖異を見るだけでなく、霊力や妖力を視認、あるいは察知できる力でもある。
前身の陰陽師時代からの名残であり、幽霊関係を取り扱う霊能力者と区別する意味も込めて、業界用語として現在まで使い続けられている言葉だ。
映像では、人々が悲鳴を上げながら妖異から逃げるべく三々五々と散っていく。そんな中、ふいにひとりの若い女性が転倒した。妖異はそれを目ざとく見つけると、その女性に向けて跳躍した。
くわりと開かれた巨大なあぎとが、動けない女性へと迫る。女性が襲われる直前、その妖異に向かって何かが飛来し、あわやのところでその巨体を弾き飛ばした。
女性の眼前に、人影が背を向けて立ちはだかる。その人間の服装は珍しく、闇に溶け込むような色の羽織をまとっていた。下はその羽織と同じ暗色のパンツ。和服と洋服のセットアップで一見ちぐはぐなようだが、これが不思議と違和感がない。
そんな変わった恰好をしている役職はひとつしかない。
妖異退治の専門家、降魔士だ。
複数人で駆けつけた降魔士たちは女性を安全な所へ逃がすと、妖異と対峙した。
妖異は忌々しげに咆哮し、地を蹴る。猛烈な勢いで突っ込んでくる妖異を、降魔士は術で壁を作って吹き飛ばした。その一瞬の隙を逃さずひとりが拘束の術をかけ、動けなくなった妖異を残りの降魔士が包囲する。
そして四方から一斉に術を放った。妖異が断末魔の絶叫を上げながらその身を散らす。
見事な連携で、降魔士たちは妖異を調伏せしめた。
画面が途切れ、現場のリポーターが降魔士へインタビューを行う場面へと切り替わる。
『いやぁ、見事な活躍っぷりですね! あんな化け物と戦っていて怖くはないんですか?』
リポーターの間の抜けた質問に、降魔士の男が淡々と答える。
『我々降魔士の仕事は妖異を祓うこと。自分たちの持つ力が自分の愛する人、誰かの愛する人を凶悪な存在から守れていること、それが何よりの誇りです。あんな化け物に屈しなどしません』
力強いコメントである。随分と生真面目な降魔士のようだ。
氷輪がふんと鼻を鳴らす。
「実に模範的な解答だな」
「ねー、ああいう人らがいるんだから、世の中安泰だー」
言葉とは裏腹に、響の声音からは感情がまったくこもっていない。それへの関心が微塵も感じ取れないぐらいだった。
『降魔士は日夜暗躍し、悪逆非道な化け物から人々の安寧を守っている。我々は彼らのおかげで安眠ができているといっても過言ではない』
そんなナレーションが流れたところで響はお茶を飲み切り、両手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
行儀よく挨拶をしてからよいしょと席を立ち、空の食器が載ったトレーを持ってカウンターに向かう。その肩へ氷輪が飛び乗った。
食堂へ遅くなった詫びを一言いれつつ食器を片すと、響は食堂を後にする。
自分の愛する人、誰かの愛する人を守る、か。
先ほどのテレビの内容が響の脳裏によみがえる。
「…………」
自分には、無縁の話だな。
響はふっと息をついてひとつ頭を振ると、腕を上げて伸びをした。とにもかくにも今日は疲れた。シャワーを浴びてさっさと寝よう。
氷輪に先に自室へ行くように言い、響は浴場へ向かった。
▼ ▼
「ふわぁ……ねむ……」
「我が主ともあろうものがだらしのない」
「うーん……寝足りない。朝はどうも苦手だ」
響は再びくあっとあくびをする。
眠い目をこすりながら、響は登校のために通学路を歩いていた。左肩にかけた鞄の上のスペースに収まっている氷輪は、やれやれと息を吐く。
「そのようなことでは、万が一のとき、実力の半分も力が発揮できぬぞ」
「そだねー。神様仏様、どうかこのわたくしめの朝よわよわ体質をどうにかしてくださいっと」
「おいおい、他ならぬ汝が神頼みとは洒落にもならぬぞ」
氷輪は呆れるが、聞いているのかいないのか、響は適当に相槌を打って伸びをした。
周りには響の他にも同じ学校の制服を着た生徒が何人も歩いていた。常人に氷輪の姿は見えないが、響は術で自身の気配を消しているので、声のトーンをいくらか落としてはいるものの、平然と氷輪との会話ができている。
氷輪と他愛ない会話を交えつつ通学路を進んでいるうちに、視界の先にようやく目的地が映った。
ほぼ山の麓に建てられた教育施設。広大な敷地を誇り、建物の向こう側には青々と茂った木々が林立し、荘厳たる山がそびえていた。響がこの四月に入学したばかりの校舎は、伝統的な風格をまとった佇まいを見せている。
私立嘉神学園高等学校。
普通科と、降魔士を養成する特殊な科――『降魔科』を備えた、各地方に一校しかない降魔士育成機関のひとつ。
ここが、響がこの四月から通っている学び舎であった。
「てか、いつも思うけど、寮離れすぎじゃない……?」
学園と学生寮には、徒歩で三十分ほどの距離がある。しかも、立地が山の麓のため、行きは緩やかながらも上り坂となっているのだ。
「数年前、生徒増加に伴い新たに誂えられた寮であるからな。仕方あるまい」
「詳しいねぇ、さっすがー」
「当然のこと。我をなんと心得る」
「はいはい」
そうこうしているうちに、響たちは校門前まで辿り着く。
幅広い学園への出入り口の両サイドには豪奢な門柱を構え、そこから数メートルにも及ぶ高い柵が伸び、敷地をぐるりと取り囲んでいる。
――さらに、その数メートル手前。
気を凝らすと、うっすらとだが膜のようなものが見える。
一般人には見えないどころかその存在すら認識させず、見鬼の者でも意識して集中しなければ感知できない霊力の壁、結界だ。
嘉神学園の敷地は、ドーム状の広大な結界で覆われている。人間は難なく通れるが、妖力を持つ人外の異形は入ってこられない。
そのため嘉神学園は、妖異による災害が起こったときの緊急避難所の役割も担っていた。有事の際は、ここに周辺の人々が避難するようになっていた。
しかもこの結界、妖異を侵入を阻むのはもちろんだが、内にあるものの気配を遮断する効力もあったりする。
妖異はどんな人間でも襲うが、より強い力が得られる霊力の高い人間を最優先に狙う。となると、必然降魔科生が集まる学園は格好の的となってしまう。そうなることを防ぐ役割も、この結界にはあるのだった。
響たちの前にいた生徒たちが次々と結界を抜けていく。響と氷輪も同様に結界を通過し、正門を抜けた。
そしていつも通り昇降口に向かいながら、響が己にかけていた隠形の術を解こうとした、その時。
「……ん?」
「何やら騒がしいな」
正門を抜けて真正面にある昇降口付近に、人だかりができていた。ざっと三十人はいるだろうか。校舎に出入りする場所が、黒色のブレザーを着た生徒たちで完全に塞がれているのだ。
「これって……」
「ああ、一体何事――」
「なんだよこれ……。これじゃ、中に入れないじゃんか」
「…………。そこか、そこなのか。我とてどうでもよいのだが、まずは何があったのかと疑問に思うのではないか? 普通」
「いやだって興味ないし、どうでもいいし、ほんとに邪魔だし」
基本的に何事にも無関心な響は、いざこざならどこか他の場所でやってほしいとしか思わない。
しかし、響の思いに反し、生徒たちは一向に動く気配がなかった。依然としてざわざわとひしめき合っている。
ふと視線を巡らせれば、その集団から少し離れたところで灰色のブレザーを着た生徒が数名、おろおろと立ち往生しているのが見えた。響と同様、あの集団のせいで校舎に入れずにいるのだろう。
「あーもう……」
響は嘆息し、一歩踏み出した。
「どうするのだ?」
「仕方ないから、ちょっと見てみるかーって」
肩をすくめ、響は昇降口を塞いでいる生徒の群れに混ざ――らず、右斜め前の方へ足を向けた。
氷輪は怪訝そうに響を仰ぎ見た。
「見に行くのではないのか?」
「行くよ。見晴らしのいいとこに」
そう言って響が向かったのは、校舎に隣接した石でできた階段だった。十ほどある石段の一番上まで行くと、人だかりの向こう側が見通せるようになった。
「ほう、考えたな」
鞄の上から響の頭上にひょいと飛び移った氷輪が感心する。響は肩をすくめた。
「ここのほうがよく見えるし、……何よりあの中に混ざりたくない」
そうして、響と氷輪は視線を人だかりの向こうへと移す。
生徒の群れが作る円の中央に、周囲と同様の黒いブレザーを着た二人の男子生徒が対峙している。どうやらそれが、この騒ぎの原因のようだ。
男子二人は、互いに睨み合いながら構えを取っている。とはいっても、それは拳を構えたいわゆるファイティングポーズではない。彼らの戦闘態勢はそんな普遍的なものではなく、もっと特殊な形のものだった。
と、その時、男子のひとりが動きを見せた。
「水弾!」
腕を前に突き出して叫んだ男子Aの手のひらから、突然水の球が生まれた。
生み出されたその水が放たれ、相手に向かって一直線に飛んでいく。
それに対し、もう一方の男子Bは持っていたカードのようなものを放った。
「障壁展開!」
カードはカッと発光すると、男子Bの目前に浮いて薄い膜のようなものを形成した。術者を覆うように作られた見えない壁に、男子Aが放った水球がぶつかり四散する。
彼らは降魔科生だった。周りに群がっている生徒らも含め、降魔士になるためにこの学園に入った術者の卵たちである。
降魔科生二人の戦いは止まる気配を見せない。使っている降魔術はどれも初級の低威力のものばかりだが、それは妖異相手に限ってのこと。人間同士での術の戦闘は、一歩間違えれば大怪我に繋がる危険な行為だ。
それを知ってか知らずか、当人たちはもちろん、周りの野次馬たちもやめさせようともしない。むしろやんややんやと囃し立てている。
「……くっだんねー」
それらを見て、響が辛辣に口からこぼした、その時。
「――何を、しているのですか」
凛とした声が響き渡った。
途端に、騒いでいた生徒たちが水を打ったように一瞬で静まりかえった。戦っていた当人たちも、顔を青ざめさせて固まっている。
と、昇降口側にいた生徒たちがまるで示し合わせたかのように、ざっと左右に分かれた。意思とは関係なく、反射あるいは本能で身体が勝手に動いたのだ。
その割れ目から出てきたのは、数人の生徒。しかし、周りの生徒たちとは一風変わっている。醸し出している雰囲気からして別格だった。
その違いがはっきりとわかるのは、彼らの恰好。
彼らが身にまとう制服は、周りの生徒と一線を画すほどに異色。
共通の制服の着用を義務付けられている嘉神学園において、彼らにはそれが適用されない。
なぜ、そんなことを許されているのか。
それは、彼らが特別な存在だからにほかならない。
嘉神学園降魔科の『統括会』だから、だ。
「『授業および特別許可以外での人間に対する降魔術の行使、これを禁ずる』。まさか、この校則を忘れたわけではありませんよね」
先ほどと同じ凛とした声が通る。それは、数人いる統括会の中心にいる生徒から発せられた。
一歩前に進み出たのは女子生徒で、動きに合わせて濡れるような長く美しい黒髪がなびく。
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着こなすその制服は皺ひとつなく、デザインも相まって威厳が溢れ出ている。
端整な顔立ちで、スレンダーな体型。そして、頭脳明晰、スポーツ万能で文武両道。男女関係なく、全校生徒が憧れる才媛。
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「それを知っての所業ならば――」
そこで一息空け、二の句を放つ。
「覚悟はできていますね」
瞬間、当事者たちはびくりと肩を動かし硬直した。
「あやつら、呑まれおったな」
平然と呟く氷輪に、響も無言で同意した。
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神妙な面持ちでその男を見つめる響に、氷輪が頷いた。
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「へー、そうなんだ」
「…………」
氷輪はしばし沈黙し、恐る恐るといった風に訊ねる。
「……知っていたのではないのか?」
「ううん、全然。誰?」
思わず響の頭上からずり落ちそうになった氷輪だ。
「……たしか、三番手、統括会会計の名倉満瑠という名であったと記憶しておるが」
「へー。さすが氷輪。なんでも知ってんねー」
汝が他人に興味がなさすぎるだけなのではないか?
素直に感心している主を見て、式神は呆れた表情でそう思った。
ちなみに、氷輪がそんなことを知っていたのは、先日行われた全校集会で彼らの顔と名前を見聞きしたからである。
氷輪は、一度見聞きしたものはずっと覚えていられる能力を持つ。そんな式神の主である響は覚えられなかった、もとい最初から覚える気がなかったようだが。そもそも半分寝ていたような気さえする。
ふいに満瑠が動き、無許可対人戦闘を行っていた男子生徒たちにてくてくと歩み寄っていった。
「ダメじゃないか~キミたちぃ。校則をやぶっちゃあさ~あ?」
相変わらずのにこにこ笑顔にふざけ口調で、彼は二人の目前まで来た。
「ちゃあんと守ってくれないと~」
言いながら、満瑠はガクガク震えている男子のひとりに肩を回して、すっと閉じているような目を少し開き、今までとは違う凄惨な笑みを浮かべた。
「お仕置き、しちゃうよ?」
相手を委縮させるような響きの声に、当人たちはもちろん周囲の生徒たちも凍りついた。
「……うわ、これはさすがにちょっとキた」
遠目で見ていた響は、表情には出さなかったがわずかに肩を震わせた。
それをもろに食らった当人は、ついに白目を剥いてその場にくずおれた。どうやら失神してしまったようだ。
「あーらら、倒れちゃった。冗談だったのになあ」
満瑠は倒れた男の顔を覗き込むと、肩をすくめた。
氷輪がほうと目をすがめる。
「あの言霊の威力。その辺の有象無象どもとは比べ物にならぬな」
言霊とは、言葉に宿る霊的な力のことだ。声に出した言葉は、現実の事象に影響を与え、発した言葉の良し悪しによって吉事や凶事が起こる。
たとえば、褒め言葉などの『善い言葉』は幸福をもたらし、悪口などの『悪い言葉』は不幸をもたらすといった具合だ。
言霊は誰の言葉にでも宿るものだが、その言霊を駆使し妖異と渡り合う降魔士は特に強力だ。使い方次第では、言葉だけで恐ろしい武器になり得るのである。
今男子が倒れたのは、満瑠が言葉に強い言霊を乗せ、男子の恐怖心を極限までかき立てたからだった。
「会計、生徒を無暗に脅迫するような言動は慎みなさい」
玲子の一喝に、満瑠は振り返った。
「やだなぁ、会長。脅迫なんてしてないよ~。オレはただ、ダメだよ? って注意しただけ」
心外そうに、しかしどこか面白がるようにそう言った会計に、会長はふっと嘆息した。
「……もういいわ。さがりなさい」
「はいはーい」
素直に返事をして、満瑠は元の位置に戻っていった。
玲子はそれを確認すると、残った男子生徒をまっすぐに見据える。
「何か弁解はありますか?」
その言葉に、男子生徒はぶんぶんと力いっぱい首を横に振った。
「では、統括会で審議の上、然るべき処遇を講じます」
そこで、玲子は上着に手をやった。
「――人式鬼、起動」
ポケットの中から何かを取り出したらしく、それを目の前に投げながら玲子が声を発すると、その投げた小さな物体がカッと光り、人の姿を形成した。
大きさは二メートルほど。顔のパーツはなく、全身真っ白のその様はまるでマネキン。あれは人型の『式鬼』であった。
「連れて行きなさい」
下された命令に従い、式鬼は失神している男子生徒を担ぐと、残った男子生徒と共に校舎内へと連行していった。
玲子はすっと背後を顧みて、他のメンバーにも指示を出す。
「あなたたちも、先に行っていて」
「はーい。んじゃ、みんなバイバーイ」
統括会の生徒たちが校内に消えると、玲子だけがその場に残った。
彼女がぐるりと辺りを見回す。その視線の先にいた大勢の野次馬たちは、途端にぴしりと背筋を伸ばして固唾を呑んだ。
「校則に反した行為が行われているのを目の当たりにしたにもかかわらず、止めるどころか傍観、あるいは彼らを煽り立てるような行為をしていた降魔科のあなた方にも相応の処罰を受けていただきます。よって、反省文を原稿用紙五枚分書いて今日中に統括会に提出すること。よろしいですね」
凛と響き渡った有無を言わせぬその言葉に、その場の降魔科生一同ががくがくと揃って頷いた。
響はほっと胸を撫で下ろす。
よかった、自分が普通科生で。
響は自身が着ている灰色のブレザーに目をやった。もし自分が降魔科生だったら、傍観していた自分も当然処罰対象に含まれるわけで。危うく同じ刑に処されていたところだった。
普通科生は特殊な術が使えない一般人。ゆえに、降魔科生を止めるすべがないため、処罰の対象外なのである。
心の底から安堵の息を吐いている作文系統が大の苦手な響をよそに、判決を言い渡した統括会長が優雅に身を翻して去っていく。
玲子の姿が消えると、彼女の脇に控えていた生徒たちが原稿用紙を配り出した。そんな状態なので、昇降口が空くのにまだまだ時間がかかりそうだった。
いやそんなとこでやるなよ、結局通れないままじゃないかと内心イライラしながらそれを見ていた響は、ふと横を見やってあっと声を上げた。
「……入り口、あんじゃん」
すぐそばに校舎内へ続く入口があったのだ。それはそうだ、ここを通るための石段なのだ。
生徒の利用不可といったことも特になく、あまり人通りはないが基本自由に出入りできるところなのだから、ここから入って下駄箱に回ればよかった。もっと早くに気づいていれば、こんなに時間を食わずに済んだのに。
「なんだ、気づいておらなんだのか」
その言葉に、響は氷輪をじろっと睨みつけた。
「気づいてたんならさっさと教えてよ」
氷輪は瞬きをした。実は、氷輪は教えようとはした。しかし、結局それをしなかったのは、響が先ほどまでの光景をわりと真剣に見ていたからだった。本人は気づいていないようだが。
いつもだったら、早々に興味を失くして自分でさっさと入り口を見つけるぐらいはするはずなのに。
しかし、氷輪は何も言わず肩をすくめるに留める。
響は無駄な時間を食ったと嘆息しながら、外履きを脱いで校舎に入ったのだった。
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