僕の前世はコオロギですから!【完結】

蕾白

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「……申し訳ありません。やりすぎました」

 僕が目を開けるとアキラがそう言ってベッドの上で正座して頭を下げた。ボクサーパンツとTシャツ姿で。

「あれ? 僕寝てた? ……っ」

 起きようとして身じろぎしたら身体のあちこちが痛かった。主に下半身が。

 多分アキラが着せてくれたんだろう、パンツだけ身につけている。

 間接照明が淡く照らした自分の肌に点々と残った小さな痣に気づいてぎょっとした。

 これ……何? キスマーク? うわ……当分体育とか人前で着替えられない。

「どうなったのか覚えてないんだけど……」 

 身体は怠いけれど頭はスッキリ冴えている。

 結局一度では終わらなかったのは覚えてる。あの後アキラが放してくれなくて体勢を変えて何度も……。

 多分僕は最中に気絶したか寝落ちしたんだろう。終盤の記憶がない。

「……さすがに五回は無茶だった。殴りたかったら殴ってくれ」

「五回??」

 絶倫ですか?? 思わず問い返して、アキラの鍛え上げた腹筋に目が行った。彼は普段からジム通いして身体を鍛えているらしい。何かのインタビューで見たことがある。

 うわーそりゃ体力あるわ……僕の体力が先に尽きても無理ない。

「……ええと、それじゃ、アキラも満足した……んだよね? それならいいよ」

「殴らないのか?」

「だって僕のへなちょこパンチが効くわけないし……」

 そう言いかけたらお腹がキュルキュルと鳴って食事を要求してきた。そう、僕たちは夕飯を食べることも忘れて寝室に籠もっていたわけで。

 アキラが堪えきれなくなったらしくて吹きだしていた。笑うな絶倫野郎。誰のせいだよ。

「お腹すいた」

「わかった、飯持ってくるから」

 アキラは僕の額にキスすると、寝室を出て行った。

 そこからはアキラの甲斐甲斐しいお世話攻勢が続いた。

 晩御飯は寝室に運んでくれて、箸の上げ下げまで手伝おうとするのでさすがに断った。

 その後もお風呂に入りたいと言ったら抱き上げて連れて行ってくれたあげくに、洗髪までしてくれた。身体も隅々まで洗われた。サービスが凄すぎる。

 アキラって俺様的な言動のくせに、滅茶苦茶尽くすタイプみたいな気がしてきた。



「……何か忘れてる気がするんだけど」

 お風呂の後でドライヤーで髪を乾かしてもらっている間、僕はふと呟いた。

「あ……そうだ。ドラマの最終回」

 時間を見たらすっかり終わってしまっていた。まあ録画予約してるから後でも見られるけど。リアタイできなかったのは、主演俳優として大丈夫なのか。

 というか、ホントに僕たち何時間ベッドにいたんだろう、と顔が熱くなった。

「録画してるから、大丈夫だぞ。ネタバレつきで見るか?」

「ネタバレは要らないってば……。何故そんなにネタバレしたいの」

 そんなに結末が気になって仕方ないってわけじゃない。アキラが出ているからだし。

「それとも寝る前に受験勉強するか? だったらいいものがある」

 そう言いながらリビングの隅にある布をかけられた一角に歩み寄るとジャーン、と言いながら布を取り去った。

「え?」

 そこにはシンプルなデスクが置いてあって、周囲をパーティションで区切れるようになっている。簡易個室みたいな。昨日来たときはなかったのに、いつの間に。

「……机があれば勉強に集中できるかと思って」

「僕のため? わざわざ? 充分すぎるくらいだよ」

「俺は応援くらいしかできないからな。勉強そんなに得意じゃないから教えたりできないし」

「ありがとう」

 昼間はあの人の騒ぎがあったし、その後はベッドで……って受験生らしいことできてない。と僕はちょっと不安になった。あんな事されたら今まで覚えてきたことが頭から吹っ飛んでるんじゃないかと。

 それでアキラが用意してくれた机で勉強させてもらうことにした。問題集を拡げているといつものルーティンに戻ってこられたようで少し気持ちが落ち着いてきた。

 最悪父さんの車に乗せられて、今頃朝木の家に閉じこめられてたかもしれないんだから。アキラのおかげだ。

 勉強の邪魔をしないためにか、アキラはソファーでヘッドホンをして動画を見ていた。時々体勢を変える時の小さな軋みや、なるべく足音を立てないようにトイレに行く気配がする。でも、誰かがいる気配が心地良く思えた。

 そうか。今まで一人でも大丈夫だし一人が楽だと思ってたけど、誰かがいるってこんなに安心できるんだ。アキラもそう思ってくれるだろうか。

 一緒にいたい。側にいてほしい。触れ合いたい。こんな欲が自分にあるとはアキラに会うまで知らなかった。彼と一緒にいたら僕はもっと変われるだろうか。

 そう思うと昼間の出来事はどこかに追いやられてしまって、心が穏やかになっていく。

 ……けれど、まだまださらに騒動が続くとは僕は思いもしなかった。



 翌朝、普通に起きて学校に行く支度をしている僕を見て、アキラは呆れたように呟いた。

「昨日の今日で学校大丈夫なのか? それに手首、まだ痛いのか? 病院行かなくていいのか?」

 そう言いながら腰に手を回してくる。僕が左手首をしきりに気にしているのにも気づいていたんだろう。

「行くよ。出席日数でマイナスつくの嫌だし。ついでに湿布も買ってくるから」

 そう答えたら朝食を全部作ってくれて、着替えていたら横からネクタイを差し出したりブレザーを羽織らせてくれたりと至れり尽くせりでお世話された。

「とりあえず、今日中に弁護士さんに連絡して、母さんにもメールだけしておかないといけないから……」

 そう言いかけたとたんにスマホが鳴り出した。電話の主は母さんだった。

『裕唯、今どこにいるの?』

「……どこって、これから学校に……」

『ああもう。人騒がせな。あの人がいきなり電話してきて、裕唯がおかしな男に連れて行かれたって言うから……。でもスマホの位置情報だとちゃんと家にいるし。昨日メッセージ送ったら返事くれたでしょ? どういうこと? しかもあの人誘拐されたに違いないとか騒ぎ立ててるんだけど、どっかで頭でも打ったのかしら?』

「はあ?」

 さすがの僕も一気に頭に血が上った。何言っているんだ。誘拐しようとしたのはあっちじゃないか。変な男ってアキラのことか? 冗談じゃない。

 母さんには昨日の出来事をまだ話していなかった。仕事の邪魔をしたくなかったから。けど、こうなっては最初から話すしかなかった。

『じゃあ、あの人が悪いんじゃないの? おかしな男って誰だったの? あの人とうとう妄想を見るようになったのかしら?』

「それは……」

 傍で聞いていたアキラはうっすら事情を察したのか、僕に手招きしてスマホの通話をスピーカーに切り替えた。

「すみません。はじめまして。五階上の住人の高松と申します。祖父ならご存じかもしれませんが」

『高松……ああ。高松のおじいさんの? 確かイケメンの孫がいるって自慢してた……』

「はい。そのイケメンの孫です。……実は……」

 母さんはどうやらアキラのお祖父さんを知っていたらしい。っていうか、自分でしれっとイケメンと言っちゃうのがすごいな。

 アキラは僕とは以前から何度かマンション内で会って話すことがあった、と適当なことを言っていた。

 そして、アキラからも説明を聞いて母さんが怒っているのが電話越しにも伝わってきた。僕のスマホから禍々しいどす黒い怒りのオーラがあふれてくるような気がした。怖い。

『わかったわ。とりあえず、裕唯。今日は学校を休んでいいから病院で手首をみてもらいなさい。学校と弁護士は母さんが連絡しておくわ。診断書を出してもらって。何かあったら杉浦さんか弁護士さんに相談して。すぐには戻れないけど、なるべく早く切り上げて帰るわ。それから、高松さんにはご迷惑をおかけしました。後日お礼に伺います』

 猛然とそれだけまくし立てると、通話は切れた。切れる寸前に『よーし、戦争だー』という声が聞こえたのは気のせいだと思いたい。

「病院に行くのはいいけど、それ以外はここにいろ。出歩くなよ?」

 アキラはそう言ってから小さく吹きだした。それから僕の手首に触れてくる。

「裕唯の母ちゃん、すげえわ。診断書があれば傷害の証拠になるからな」

「証拠?」

 え? ってことは警察沙汰にしちゃうってこと?

「あれはやる気満々だから、多分親父さんを訴えるだろうな」

 多分アキラにもあの最後の声が聞こえてたんだろう。母さんはやるときは焦土になるまで燃やし尽くすタイプなので、自業自得とはいえ、あの人終わったな、と僕は思った。

「こういうことは親や専門家に任せておけば大丈夫だろ。俺もなるべく早く帰るから」

 そう言ってアキラは僕を抱き寄せた。

「そういや、いずれお前の母ちゃんにちゃんと挨拶しないといけないよな」

「……え?」

「だってお前、俺がジジイになってくたばるまでみてくれるって言ったし、やることやったし。あとはもう結婚するしかない」

 整った顔がぐっと近づいてきた。

「……それに裕唯も俺のこと好きだろ?」

 耳元で囁かれる。身体がざわっと反応しかけたけど、僕はアキラの身体を押し返した。

「仕事行くんでしょ? もう森さんが迎えにくるんじゃないの?」

「愛してるよ、裕唯。……答えて?」

 そう言って頬にキスしてくる。ああもう、この人芝居の中で言い慣れてるかもしれないけど素人の学生にそんなこと言わせないで欲しい。

 僕がこんな言葉を口にする日が来るなんて。でも……。

「……僕も……好き。……愛してる」

 そう答えたらアキラが満足げに笑って唇にキスをくれた。

 ……アキラに会わせたら母さん卒倒するよなあ……でも……まいっか。

 アキラの腕の中にいるのが何だかとても居心地がよくて、僕はそれ以上考えないことにした。
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