僕の前世はコオロギですから!【完結】

蕾白

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 父さんの手が僕の手首を掴んだ。この人が泣き落としに出ないのは、自分が優位だからに違いない。それに僕のことを大人しいと思い込んでいるからかも。

 外に出たら何とか車に乗せられる前に逃げないと。向こうの家に連れて行かれたらどんな強引な手を使われるかわからない。受験先も変えられてしまうかもしれない。

 冗談じゃない。僕は政治家になりたいわけじゃない。

 すぐに車のそばにいたボディガードみたいな人たちが入ってきた。

「さあ、家に帰ろうか? 裕唯」

 父さんがそう言ったけれど、僕の心の中は次第に冷めてきた。

 何が理想の息子だよ。

 わかってないじゃないか。僕は表情が顔に出ないだけで、父さんの愚痴や言い訳にはうんざりしてたし、何なら頭の中で数学の難問を解いていた。嫌な顔しないんじゃなくて僕は嫌な顔もいい顔もできないんだってば。

 ……肉親でもないアキラがわかってくれたのに。ちゃんとわかり合おうとしない肉親なんて他人よりたち悪いじゃないか。

「……僕は了承していません。付いていくつもりはありません。拒否します。これは立派な誘拐ですよ?」

 そりゃ父さんだってあの両親からあれこれ言われてきたかもしれないけど、本当にそれが正しいのかどうか、自分で考える機会はあったはずだ。例えば母さんと結婚したいと思ったときとか。

 母さんは今も朱皇アキラを推してるのを見て分かる通り、自分の「好き」を譲らないし、自分の考えを持っている人だ。それでも最初から政治家になりたいと話していれば、理解してくれたかもしれない。そこまでわからず屋じゃない。母さんともっと話をすればよかっただけなんだ。

 なのにやってるのは親のコネを使って僕を強制的に連れ戻そうと学校にまで踏み込んでくることだけ。自分が親に縛られていたように僕を縛り付けるために。話にならない。

 この人と真摯に話をする気になれない。聞いてくれないんだから。

 応接室から玄関に向かうとき事務室の前を通るけど、父さんがそこにいた校長先生に軽く挨拶するとあっさり通されてしまった。

 ちょっと待て。スルーするな。生徒が連れ去られようとしてるっていうのに。こんな時狼狽した顔すらできない自分が憎い。全力で助けを求めてる顔をしているつもりなのに。

 ……ダメだ。来賓用の駐車場は目と鼻の先だ。

 こうなったら後でどうなってもいい覚悟で騒いでやる。あっちの家が学校を通して圧力かけてきたらその時のことだ。そう思って息を大きく吸い込んだ。

 そのタイミングでボディガードが一人駆け出して怒鳴りだした。

「おい。何をしている。その車に触るな」

 黒い車の側に背の高い男がいて、スマホで車を撮影していた。ピンク色の髪をしていて、黒いまん丸のサングラスをかけている。猫背気味で如何にもチャラそうな風貌の男はこっちを見てゲラゲラ笑い出すとスマホのカメラを向けてくる。

「マジの誘拐犯っぽくね? すげー。誘拐事件中継って投稿していい? バズり確定っしょ」

 ……この声……?

 歩き方を変えてるけど、間違いない。でも、どうしてここに……。

「馬鹿なことを言うな。僕はこの子の父親だ。妙な言いがかりをつけるなら警察を呼ぶぞ」

「呼べよ」

 父さんが怒鳴ると相手の口調が変わった。ついと背筋を伸ばすと相手が思ったよりも大柄なことに気づいたらしい。ボディガードさんが父さんの前に立つ。

「つーか、警察呼ばれて困るのそっちだろ? 明らかにその子同意してねーだろ?」

 そう言いながらスマホをこちらに向けてきた。多分動画を撮っている。

「というわけで、『今日は誘拐の現行犯の皆さんに突撃してみた』ってことで。如何にもヤバそうな感じで高校生を連れ去ろうとしている皆さんです。ほらほら笑って笑って?」

 いきなり茶化すようなナレーションを入れながら撮影を始めた相手に、父さんが動揺した様子になる。

「撮影をするな。誘拐などしていない。この子はちゃんと同意して……」

「へえ? 同意してる?」

 僕は首を横に振った。できるだけ声を張り上げて叫んだ。

「同意なんてしてない。強引に連れて行かれそうなんだ。助けて」

 きっかけは母さんの再婚かもしれないけど、今までも何かにつけて向こうの家に連れて行こうとしていた。こういうことがいつか起きるとわかってたのに。

 学校の中まで来ると思わなかった。僕が甘かったんだ。

「裕唯?」

 僕の言葉に動揺したのか一瞬緩んだ父さんの手を何とか振り払った。そのまままっすぐに相手に向かって駆け出した。

「よくできました」

 スマホを持っていない方の長い手が伸びてきて、僕の身体を受け止めた。

「はい、被害者の言質とれました。誘拐確定です。どこの週刊誌に売ろうかなー? 朝木裕也さん? 今のご気分は?」

「な……貴様……」

 名前を知られていることで父さんは明らかに動揺した。下手に人前で騒ぎを起こせば次の選挙に影響する。っていうか、どうしてこの人僕の父さんのこと知ってるの?

 録画を止めてスマホを下ろすと、アキラは父さんに低い声で告げた。

「二度目はないからな。次にこの子に手を出したら即行で週刊誌にネタ渡すよ? この動画もネットに公開する。今は選挙前の大事な時期に親権放棄した息子を学校にまでおしかけて強引に連れて行こうとかいいネタじゃね?」

「脅しか……?」

「へえ。脅しだと思うってことは、悪いことしてる自覚はあるんだ? ……今後もつきまとうようなら警察に届け出ような? 立派な迷惑ストーカーだ」

 後半の言葉は僕に向けられたものだ。僕は素直に頷いた。今日みたいにコネを悪用して力尽くで来るならそれしかない。学校側にも改めて抗議したほうがいいかもしれないから母さんと弁護士さんに相談しよう。

 父さんの顔色がさあっと白くなった。マンガだったらバックに雷みたいな模様が描かれていそうな感じで。僕と違ってリアクションがわかりやすくはっきりしてるんだよな、この人。

「そんな……裕唯はそんなに僕のことを嫌いなのか?」

「そう思ってもらって結構です。二度と会う気はありません。今後の連絡は全て弁護士を通してください」

 好き嫌いじゃなく、僕に寄りかかってこないでほしいとは思ってた。執着されるのが気持ち悪かったから。

 僕がはっきり引導を渡したのが堪えたのか、父さんは力なく車に乗り込んでそのまま去って行った。

「よし。それじゃ帰ろうか。外で森マネが車停めて待ってるから」

 陽気にそういわれて、僕もそのまま歩き出した。でも、やっぱり訊きたい。

「……ところで、人気俳優の朱皇アキラさんはどうしてこちらに?」

「いや、ちょうど通りがかったから迎えにきたんだ。お前が気づくかドッキリ仕掛けようと思って校門のとこで待ってたんだ。そしたらなんか運転手つきの訳ありそうな高級車が停まってるから、ちょっと気になって……お前呼び出しされたって言ってただろ?」

 それで校内に入り込んだらしい。まあ下校時間だから校門はフルオープンだけど……。こんな頭ピンク色の不審者よく誰にも止められなかったな。

「僕の父のこと知ってたんですか?」

 アキラは目立つピンク頭にキャップ帽を被ると、口元に手をやって言いにくそうな口調で説明してくれた。

「んーまあ、少し前にマンションのご近所さんが裕唯のこと話してるのが耳に入って。離婚した父親と今でも面会をしている……とかいうのを。やたら父親がしつこい感じだったからパパ活かと一部の奥様方に誤解されてたみたいだぞ?」

「え?」

 うわあ。あの人「また会ってくれる?」とか、「何でも買ってあげるよ」とか言ってたからなあ。知らない人が見たらパパ活だよな。……酷い誤解だ。

 アキラは、そんな井戸端会議情報から僕の父親が今も再婚せず度々面会に来て露骨に機嫌を取っていると知って、母さんよりもむしろ僕を狙っているのではないかと思っていた。……というわけだ。

 まあ、ちょっと調べたらわかることだし、僕の住んでるマンションに長く住んでいる人は薄々事情を知ってるから、いずれは耳に入っただろう。
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