37 / 60
第三部
5
しおりを挟む
バルバラ以外の侍女や乳母は通いだったから事情を知らなかった。だからわたしのことを見捨てられた子だと同情して憐れんでいたのだ。
王妃は当時王宮を我が物のように牛耳っていた宰相の娘だった。側妃の産んだ子が王子だったと知れれば何をされるかわからない。だからマルク王はカミーユを王女として育てることに同意していたのだという。いずれなんとかして市井で暮らせるようにしてやりたいと。
そのころ、王宮を囲む状況は悪化していた。次々に起きる災害、貴族による亜人への迫害、重税に対する民の反感、暴動、治安の悪化。
若くして即位したマルク王は宰相たちに相談しながら自分で政治を行うつもりだったが、気づいたら重臣たちによって重要な場から遠ざけられ、王は世継ぎを設けるのが仕事だと、政治に関わることができなくなった。
もともとは詩歌や読書を好む穏やかな気質だったマルク王は、それでも何とか民のために手を尽くそうと努力しては挫折を繰り返していた。彼にはあまりに味方が少なく、そして若さゆえに侮られていた。
民が穏やかに暮らせる国を作りたいのに、貴族たちは民からその余裕さえ奪い取るように搾取して、自分たちだけが贅を尽くしている。いずれこの国は滅びるだろうと言っていた。
暴動が各地で激化して、王都に押し寄せてくるようになると、貴族たちは王宮から逃げ出して屋敷や領地にこもってしまった。王は使用人たちには民に紛れて逃げるように命じて、わずかな部下たちになんとか暴徒の説得を試みさせた。それも空しく、王宮に暴徒がなだれ込んだ。
「……当時の事件には全てドミニク三世を即位させたい反国王派の貴族たちが関わっていました。噂によって民を扇動し、王は偽物だと騒ぎ立てていたのです。マルク王は王家の瞳を持たぬ、神を欺いた偽王だから処罰されねばならないと……」
バルバラは俯いた。
「私はシーニュの民ではないし、マルク王の臣下でもありません。私から見たらマルク王はごく普通の真面目な若者でした。不器用で繊細でそして争いを好まなかった。亜人を見下しているという噂もありましたが、私はそうは思いません。初めてお会いした時に、『ダイモスの王からお国の詩集を送っていただいたことがある。亜人の表現というのは実にのびのびして逞しく、羨ましいと思った』とおっしゃっていました。ディマンシュの事件もあの方が命じたとは思えません……けれど、当時はそれを口にすることはできなかった」
もしバルバラが喋っていたら、彼女はドミニク三世に対する叛意ありと処刑されていただろう。そうなったらカミーユの側には誰もいなくなる。
母の実家も目をつけられていたから近づくことを禁じられ、カミーユの助命を訴えるくらいしかできなかった。
人々はドミニク三世の即位を喜び、熱狂していた。誰も味方はいなかったのだ。
だからバルバラは一人で全てを抱え込んで、カミーユをマルク王の子にふさわしい者に育てようとしていたのだ。いつか、マルク王の名誉が回復されると願って。
「……今までそれを教えてくれなかったのは、わたしが幼かったから?」
「子供というのは良くも悪くも正直です。あなた様がうっかりとドミニク三世の悪口など口にすれば何をされるかわからない。マルク王も真実など教えなくてもいいと仰せでした」
教えてくれても良かったのに。塔の中ならいくらでもその時間はあったのに。
いや、教えてもらっても、あの頃のわたしだったら何もできない自分を嘆いて絶望したかもしれない。
「バルバラは……わたしの父上に最後に会ったのはいつだったの?」
「暴徒が王宮に押し寄せていたころでした。何かあれば使用人に紛れて逃げろと……ダイモスでもどこでもいいから……。おそらくもう手遅れだとご存じだったのでしょう」
夜遅く訪ねてきたマルク王はバルバラにそう命じた。
『民の怒りは当然だろう。私は無能な王だった。力が足りなかった。せめて怒りの矛先になるのが私の役目だ。ドミニクは私の立場を羨んでいたが、この場に立てば王など楽なものではないと知るだろう。愚かなことだ』
知られていたマルク王は相次ぐ暴動の対応に疲れ、バルバラの目から見てもわかるほど痩せ衰えていた。それすらも放蕩していたからだと叩かれていた。
「逃げ出すことはかないませんでした。ドミニクは離宮の場所を知っていて、一番にカミーユ様の身柄を押さえたのです。おそらくは彼は得られなかった【祝福】にまだ固執していたのでしょう」
カミーユは思わず身を震わせた。
王女が殺されなかった理由。そしてカミーユだけが王都から離れた地で幽閉された理由。
……叔父上がわたしを側妃にしたいと言ってきたのはそれが理由なのか。世間から遠ざけて育てて、叔父上の言いなりになるようにしてから手元に呼び寄せるつもりだったのか。
ダイモス王国からの縁談がなければ、本当にそうなっていた。
「……バルバラ。もし、わたしが本当に王女であの人の側妃にされたら、【祝福】を与えることになったんだろうか?」
王妃は当時王宮を我が物のように牛耳っていた宰相の娘だった。側妃の産んだ子が王子だったと知れれば何をされるかわからない。だからマルク王はカミーユを王女として育てることに同意していたのだという。いずれなんとかして市井で暮らせるようにしてやりたいと。
そのころ、王宮を囲む状況は悪化していた。次々に起きる災害、貴族による亜人への迫害、重税に対する民の反感、暴動、治安の悪化。
若くして即位したマルク王は宰相たちに相談しながら自分で政治を行うつもりだったが、気づいたら重臣たちによって重要な場から遠ざけられ、王は世継ぎを設けるのが仕事だと、政治に関わることができなくなった。
もともとは詩歌や読書を好む穏やかな気質だったマルク王は、それでも何とか民のために手を尽くそうと努力しては挫折を繰り返していた。彼にはあまりに味方が少なく、そして若さゆえに侮られていた。
民が穏やかに暮らせる国を作りたいのに、貴族たちは民からその余裕さえ奪い取るように搾取して、自分たちだけが贅を尽くしている。いずれこの国は滅びるだろうと言っていた。
暴動が各地で激化して、王都に押し寄せてくるようになると、貴族たちは王宮から逃げ出して屋敷や領地にこもってしまった。王は使用人たちには民に紛れて逃げるように命じて、わずかな部下たちになんとか暴徒の説得を試みさせた。それも空しく、王宮に暴徒がなだれ込んだ。
「……当時の事件には全てドミニク三世を即位させたい反国王派の貴族たちが関わっていました。噂によって民を扇動し、王は偽物だと騒ぎ立てていたのです。マルク王は王家の瞳を持たぬ、神を欺いた偽王だから処罰されねばならないと……」
バルバラは俯いた。
「私はシーニュの民ではないし、マルク王の臣下でもありません。私から見たらマルク王はごく普通の真面目な若者でした。不器用で繊細でそして争いを好まなかった。亜人を見下しているという噂もありましたが、私はそうは思いません。初めてお会いした時に、『ダイモスの王からお国の詩集を送っていただいたことがある。亜人の表現というのは実にのびのびして逞しく、羨ましいと思った』とおっしゃっていました。ディマンシュの事件もあの方が命じたとは思えません……けれど、当時はそれを口にすることはできなかった」
もしバルバラが喋っていたら、彼女はドミニク三世に対する叛意ありと処刑されていただろう。そうなったらカミーユの側には誰もいなくなる。
母の実家も目をつけられていたから近づくことを禁じられ、カミーユの助命を訴えるくらいしかできなかった。
人々はドミニク三世の即位を喜び、熱狂していた。誰も味方はいなかったのだ。
だからバルバラは一人で全てを抱え込んで、カミーユをマルク王の子にふさわしい者に育てようとしていたのだ。いつか、マルク王の名誉が回復されると願って。
「……今までそれを教えてくれなかったのは、わたしが幼かったから?」
「子供というのは良くも悪くも正直です。あなた様がうっかりとドミニク三世の悪口など口にすれば何をされるかわからない。マルク王も真実など教えなくてもいいと仰せでした」
教えてくれても良かったのに。塔の中ならいくらでもその時間はあったのに。
いや、教えてもらっても、あの頃のわたしだったら何もできない自分を嘆いて絶望したかもしれない。
「バルバラは……わたしの父上に最後に会ったのはいつだったの?」
「暴徒が王宮に押し寄せていたころでした。何かあれば使用人に紛れて逃げろと……ダイモスでもどこでもいいから……。おそらくもう手遅れだとご存じだったのでしょう」
夜遅く訪ねてきたマルク王はバルバラにそう命じた。
『民の怒りは当然だろう。私は無能な王だった。力が足りなかった。せめて怒りの矛先になるのが私の役目だ。ドミニクは私の立場を羨んでいたが、この場に立てば王など楽なものではないと知るだろう。愚かなことだ』
知られていたマルク王は相次ぐ暴動の対応に疲れ、バルバラの目から見てもわかるほど痩せ衰えていた。それすらも放蕩していたからだと叩かれていた。
「逃げ出すことはかないませんでした。ドミニクは離宮の場所を知っていて、一番にカミーユ様の身柄を押さえたのです。おそらくは彼は得られなかった【祝福】にまだ固執していたのでしょう」
カミーユは思わず身を震わせた。
王女が殺されなかった理由。そしてカミーユだけが王都から離れた地で幽閉された理由。
……叔父上がわたしを側妃にしたいと言ってきたのはそれが理由なのか。世間から遠ざけて育てて、叔父上の言いなりになるようにしてから手元に呼び寄せるつもりだったのか。
ダイモス王国からの縁談がなければ、本当にそうなっていた。
「……バルバラ。もし、わたしが本当に王女であの人の側妃にされたら、【祝福】を与えることになったんだろうか?」
20
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説

美形×平凡の子供の話
めちゅう
BL
美形公爵アーノルドとその妻で平凡顔のエーリンの間に生まれた双子はエリック、エラと名付けられた。エリックはアーノルドに似た美形、エラはエーリンに似た平凡顔。平凡なエラに幸せはあるのか?
──────────────────
お読みくださりありがとうございます。
お楽しみいただけましたら幸いです。

異世界転移してΩになった俺(アラフォーリーマン)、庇護欲高めα騎士に身も心も溶かされる
ヨドミ
BL
もし生まれ変わったら、俺は思う存分甘やかされたい――。
アラフォーリーマン(社畜)である福沢裕介は、通勤途中、事故により異世界へ転移してしまう。
異世界ローリア王国皇太子の花嫁として召喚されたが、転移して早々、【災厄のΩ】と告げられ殺されそうになる。
【災厄のΩ】、それは複数のαを番にすることができるΩのことだった――。
αがハーレムを築くのが常識とされる異世界では、【災厄のΩ】は忌むべき存在。
負の烙印を押された裕介は、間一髪、銀髪のα騎士ジェイドに助けられ、彼の庇護のもと、騎士団施設で居候することに。
「αがΩを守るのは当然だ」とジェイドは裕介の世話を焼くようになって――。
庇護欲高め騎士(α)と甘やかされたいけどプライドが邪魔をして素直になれない中年リーマン(Ω)のすれ違いラブファンタジー。
※Rシーンには♡マークをつけます。

顔も知らない番のアルファよ、オメガの前に跪け!
小池 月
BL
男性オメガの「本田ルカ」は中学三年のときにアルファにうなじを噛まれた。性的暴行はされていなかったが、通り魔的犯行により知らない相手と番になってしまった。
それからルカは、孤独な発情期を耐えて過ごすことになる。
ルカは十九歳でオメガモデルにスカウトされる。順調にモデルとして活動する中、仕事で出会った俳優の男性アルファ「神宮寺蓮」がルカの番相手と判明する。
ルカは蓮が許せないがオメガの本能は蓮を欲する。そんな相反する思いに悩むルカ。そのルカの苦しみを理解してくれていた周囲の裏切りが発覚し、ルカは誰を信じていいのか混乱してーー。
★バース性に苦しみながら前を向くルカと、ルカに惹かれることで変わっていく蓮のオメガバースBL★
性描写のある話には※印をつけます。第12回BL大賞に参加作品です。読んでいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします(^^♪
11月27日完結しました✨✨
ありがとうございました☆

生まれ変わったら知ってるモブだった
マロン
BL
僕はとある田舎に小さな領地を持つ貧乏男爵の3男として生まれた。
貧乏だけど一応貴族で本来なら王都の学園へ進学するんだけど、とある理由で進学していない。
毎日領民のお仕事のお手伝いをして平民の困り事を聞いて回るのが僕のしごとだ。
この日も牧場のお手伝いに向かっていたんだ。
その時そばに立っていた大きな樹に雷が落ちた。ビックリして転んで頭を打った。
その瞬間に思い出したんだ。
僕の前世のことを・・・この世界は僕の奥さんが描いてたBL漫画の世界でモーブル・テスカはその中に出てきたモブだったということを。

うちの前に落ちてたかわいい男の子を拾ってみました。 【完結】
まつも☆きらら
BL
ある日、弟の海斗とマンションの前にダンボールに入れられ放置されていた傷だらけの美少年『瑞希』を拾った優斗。『1ヵ月だけ置いて』と言われ一緒に暮らし始めるが、どこか危うい雰囲気を漂わせた瑞希に翻弄される海斗と優斗。自分のことは何も聞かないでと言われるが、瑞希のことが気になって仕方ない2人は休みの日に瑞希の後を尾けることに。そこで見たのは、中年の男から金を受け取る瑞希の姿だった・・・・。

義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!
ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。
「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」
なんだか義兄の様子がおかしいのですが…?
このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ!
ファンタジーラブコメBLです。
平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります♡
【登場人物】
攻→ヴィルヘルム
完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが…
受→レイナード
和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。
ブラッドフォード卿のお気に召すままに~~腹黒宰相は異世界転移のモブを溺愛する~~
ゆうきぼし/優輝星
BL
異世界転移BL。浄化のため召喚された異世界人は二人だった。腹黒宰相と呼ばれるブラッドフォード卿は、モブ扱いのイブキを手元に置く。それは自分の手駒の一つとして利用するためだった。だが、イブキの可愛さと優しさに触れ溺愛していく。しかもイブキには何やら不思議なチカラがあるようで……。
*マークはR回。(後半になります)
・ご都合主義のなーろっぱです。
・攻めは頭の回転が速い魔力強の超人ですがちょっぴりダメンズなところあり。そんな彼の癒しとなるのが受けです。癖のありそうな脇役あり。どうぞよろしくお願いします。
腹黒宰相×獣医の卵(モフモフ癒やし手)
・イラストは青城硝子先生です。

異世界でエルフに転生したら狙われている件
紅音
BL
とある男子校の生徒会副会長である立華 白蓮(タチバナ ハクレン)は、異世界でアルフレイドという名のエルフとして精霊たちと共にのどかに暮らしていた。
ある日、夜の森の中に入ったアルフレイドは、人食い魔獣に襲われている人を助けようとするのだが…………。
クールでイケメンな半獣勇者と美人でちょっと天然なエルフの青年がおりなす、優しくて深い愛と感動がぎゅーっと詰まった異世界ファンタジーBLです。
※第一部は完結いたしました。ただいま第二部絶賛更新中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる