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第二部

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 カーネル領に滞在中に神殿で婚約式を終えてから、王位継承者決定の儀式のため王都に向かう準備にかかることになった。
 出発まで自由にしていていいよ、とは言われたけれど。わたしは塔の中しか知らないから自由に、というのは何をすればいいのかわからない。
 自由というのは一体何なのだろう。
 塔の中にいたころに比べたら、館のあちこちを散策したりと行動範囲は広がった。庭師の手で整えられた花壇には刺繍の図案でしか見たことのなかった花が咲いていて、毎日いろんな発見がある。
 ……でも、わたしはこれでいいのだろうか。
 カミーユは客人のように丁重に扱われてはいたけれど、忙しそうにしているアレクに何もできなくて焦りを感じ始めていた。
 執務を手伝おうにも実務経験がないから却って迷惑になるし、気を遣わせてしまう。
 だったら何もしない……というのも落ち着かない。
 アレクの書斎から魔法に関する書物を借りて片っ端から読んでみても、気持ちが空回りする。
 そんなことをうっかりバルバラに打ち明けたら、彼女はにこりと笑って訓練用の模造剣を持ち出してきた。
「ではまずは身体を動かしましょうか。鍛錬を怠るわけにはまいりませんし」
 そう言って剣の稽古を再開されてしまった。
 アレクが動きやすい服を用意してくれたおかげか、以前ほどバルバラに一方的に打ちのめされることがなくなってカミーユは驚いた。
「何だろう、塔から出てから身体が軽くなったような気がする」
 そう言ったらバルバラは一瞬ぽかんとした顔をして、それから小さく微笑んだ。
「それはそれは。外に出たことでカミーユ様に体力がついたということでしょう。婆もうかうかしておれませぬ」
 カミーユはバルバラ以外と手合わせしたことがない。自分がどのくらい通用するのかわからなくて、カーネル領の軍指揮官に稽古を依頼したら、丁重の断られた。
「主人の奥方様に剣を向けるなど、できませんからな」
 そう言われては何も言えない。
 ……もし、儀式以外でアレクに喧嘩を売ってくるような者がいたら、わたしが倒せればいいのだけれど。儀式以外なら決闘に代理人を立てられると聞いたから。でも、バルバラでさえあれだけ強いのだから、わたしの腕では難しいだろうか。
 決闘のことを思い出すとカミーユの胸の奥にモヤモヤと重苦しい渦が起きる。
 決闘は相手を殺すのが目的ではない。それはわかっているけれど。彼の異母兄弟たちは稽古の名目で人を痛めつけるような連中だ。そうなると決闘を口実に命を奪おうとするかもしれない。
 カミーユはまだ会ったことのない王子たちに漠然とした嫌悪を抱いていた。

 王都への出発前日、慣れたことをやって気持ちを落ち着けようと刺繍をしていたカミーユのもとにアレクがふらりと訪れた。執務の合間に立ち寄ってくれたらしい。
「もう無理。カミーユを補充したい」
 そう言って抱きしめようとしてくるので、慌てて刺繍道具を片付けた。
 彼が冒険者としてあちこちに行っていた間にも執務が溜まっていて、それを王都に行くまでに片付けなくてはならないらしい。
「毎日慌ただしくてごめんね。今日は何をしていたの?」
「剣術の稽古と……あとはアレクのお守りになればと思って、ハンカチに刺繍を……」
 カミーユがほぼ完成していた刺繍を見せるとアレクはぱっと明るい表情になった。
「え? 僕に? すごいな。熊と狼って……この国の紋章が題材?」
「バルバラに教わったんだけど、強いものの意匠を身につける風習があるんだって? 今日中に完成させるから、楽しみにしてて」
 カミーユは自分が自信を持ってアレクに贈れそうなものは他に思いつかなかった。刺繍はバルバラにも褒められたくらい得意だったから。
「ありがとう。滅茶苦茶力が湧きそうだ。完成がたのしみだよ」
 アレクはそう言ってから小さく溜め息をついた。
「本当はまだこの国に不慣れな君をここに残したかったんだけど、そうもいかないんだ。王都に行ったら僕の異母弟たちが君にも無礼なことを言うかもしれない。亜人特有の考え方も君はまだ知らないだろうし。とても心配だよ」
 アレクはカミーユの肩を抱いて長椅子の隣に座る。カミーユは首を横に振った。
「わたしはアレクが大事な儀式に向かうのに、ここで待っているわけにはいかない。ただ、国王陛下にお会いするのは少し不安だけど。わたしをご覧になったらお怒りにならないだろうか」
 ……わたしが男だとは国王陛下はご存じない。ヴェールごしでも明らかにアレクより大柄で普通の人族の女性には見えないだろう。
 息子の妃に認めてもらえるはずもないし、わたしが男だと祖国に伝えられたら……。
「大丈夫だよ。それにヴェールは父上の前でも取らなくていい。君の身についた礼儀作法なら充分お姫さまで通用するよ。そもそも体型だけでは男だとはわからない。亜人の女性は皆強くて逞しいからね。君より筋骨逞しい女性がわんさかいるんだ。それに動きやすいからと男性の衣装で過ごしてる女性も多いから、むしろ男装でも大丈夫だよ?」
「……それじゃどうやって性別がわかるんだ? 髭とか?」
 カミーユはそう問いかけてから目の前にいるアレクが髭を生やしていないのを見て首を傾げた。
「匂いだよ。亜人は人族より嗅覚が鋭い。だから個人の識別を匂いですることが多い。パートナーには自分の匂いをつけるから、番持ちもわかる。ただ、人族は匂いが薄いから性差がわかりにくいんだよ」
 それならカミーユの体格でも女性に見られても不思議ではない……ということなのか。
「それから、僕の父は熊の亜人としては変わり者で、すっごい夢想家で突拍子もない行動に出るから真意はよくわからない。常識が通用しないから、今からあれこれ考えても無駄だよ。どーんと大きく構えてたほうがいい」
「……突拍子がないって……アレクより?」
「いやいや、僕なんて父上に比べたら変人としての修行が足りないよ」
「……修行……?」
 鳥に変身して国境越えようと考えるアレクにそう言われる人とは一体。
 別の意味で不安になってきたけれど、あまり考えても仕方ないのかもしれない。
 アレクはふわりと笑みを浮かべる。
「父上のことは気にしなくていい。……君のことを知っているのは僕だけでいい。他の奴の目に君が映るのも嫌だ。だから外に出る時はずっとヴェールを被ったままでいて。ね?」
「……アレク……」
「それよりもいきなり君を社交の場に出すことの方が僕は心配だよ。君のような可憐な人をがさつな亜人が囲んで苛めたりしないかと……」
 そう言ってカミーユを抱き寄せようとしたところで、控えていたバルバラが咳払いをする。
「殿下。仲良しは結構ですが、先ほどから部下の方が廊下でお待ちです」
「……ああ、時間切れか……。カミーユともっといちゃいちゃしたいのに……」
 カミーユの頬に軽い口づけをしてから決意したように立ちあがる。
「じゃあ、僕は仕事に戻るから。バルバラ、カミーユの支度は任せるよ。どこからどう見ても立派な王女様に仕立ててくれるかな?」
「もちろんでございます」
 バルバラはそう言って頭を下げた。
 カミーユは頬が赤くなっているのを自覚して、手のひらを当てて冷まそうとした。
 さっき頬に口づけをくれたとき、アレクがこそっと囁いたのだ。
『今夜、会いに行くからね』
 でも、きっとバルバラは耳がいいから聞こえていたのではないかとカミーユが目を向けると、彼女はそのまま黙ってティーセットを下げていた。
 聞こえないふりをしてくれているのだろうか。
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