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第一部
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アレクが鳥の姿に変わって窓から飛び立ってしまうと、バルバラはカミーユに問いかけた。
「……カミーユ様はどうして婆を置いて逃げなかったのですか。一度転送魔法で外に出たのでしょう? あのときそのまま逃げても良かったのですよ。婆さえ一人残っていれば、カミーユ様が不在であっても誤魔化すことはできるのですから」
一日一回小窓から入れられた書類にサインするだけ。それがカミーユとバルバラの生存確認だ。確かにバルバラが残って時間稼ぎをしてくれれば、追っ手の届かない場所まで逃げられたかもしれない。
カミーユは首を横に振った。
「そんなこと思いもしなかった。アレクもそのつもりはなかっただろうし。わたしはもしこの塔から出る時が来ても、バルバラと一緒でなくては嫌だ。わたしにはバルバラしかいないのだから」
母の実家はマルク王に疎まれて取り潰されてしまったらしい。離散してその後の消息もわからないという。
どこかで生きていると思っていた異母姉たちはすでに処刑されていた。
……家族というものがどんなものなのかわたしはよくわかっていない。血縁者と呼べるのは父や兄を殺した叔父上だし。母方の家は没落して今は領地でひっそりと暮らしていると聞いた。
バルバラがいなかったら、わたしはどんな人間になっていただろうか。そう思うとゾッとする。
「あまり訊いたことがなかったけれど、バルバラには家族がいるの?」
というより、今まで尋ねてもずっとはぐらかされてきた。夫は亡くなったとは知っていたけれど。
「夫と息子夫婦は亡くなりましたが、孫息子が一人おります。実はこの砦で働いていて、外の情報などを時折流してくれていました。ですが、さすがに此度の件に孫息子の立場ではどうにもならないらしく……」
「それはだめだ。お孫さんを巻き込んではいけない」
バルバラの身内がこの砦にいるとはカミーユは全く知らなかった。国境警備軍の軍人だろうか。もしかしたらカミーユが知らないだけでその孫息子が色々と援助してくれていたのかもしれない。
「……カミーユ様ならそうおっしゃると思いました。だから婆は何も話さなかったのです。とりあえず王都からの使者が来たら教えてくれる手筈にはなっています」
「アレクが魔法障壁を何とかしてくれるまで、間に合えばいいけれど」
バルバラはそれを聞いて複雑そうな顔をした。
「……魔法障壁はおそらく高位魔法使い数人が作ったものでしょうから、そもそも一度解除したのを見ていなければ私も信じられなかったのです。ただし、国外への転送魔法は一番強い障壁がかかっているはずですから、かなり難しいでしょう」
「……たしかに、密入国を防ぐ障壁だからね」
以前アレクが連れ出したのは砦近くの町で、国境を越えたわけではない。もしかしたら相当難しいことをやろうとしているのではないだろうか。
……そもそも、一魔法使いが国境警備の障壁を破れるなら、戦争だって容易になってしまう。アレクは軍人ではなく冒険者だと言ったけれど、あの才能なら国が抱え込んで利用することだってあるのではないだろうか。
元々人族の多いこの国は魔法が盛んだ。隣国や周辺国は身体能力の高い亜人が多数を占めているので、武力では勝てない。そのための方策だったのだろう。
実際近隣国にはこの国の高位魔法使いに匹敵する者は現れていないし、亜人はあまり魔法を重んじていない。それで安心しているところがある。けれど、その有用性に亜人が気づけば、その優位はあっさり崩れる。
アレクは膂力がないことで軽んじられているようだけれど、彼は自分の身を守るために魔法を使わなかったのだろうか。
何て言ってたっけ? 試合になったら間合いが近いから魔法では勝てない?
けど、彼なら魔法の発動をもっと早くすればいいと考えつきそうなのに。というよりそもそも魔法使いがどうして武術の試合に出ることになるのか理解できない。
……わたしは彼の事情を全く知らない。わたしの事情に巻き込んでしまったのに。
そうして三日後の朝、砦はにわかに騒がしくなった。塔にいるカミーユたちが感じ取るくらいに。
「……王都からの使者が来たんだろうか? 早すぎる気がするけれど……」
今朝の搬入物資を受け取ってきたバルバラに問いかけると、戸惑ったような口調で答えた。
「いいえ。ダイモス連合王国の王族の馬車がこの砦に来ているそうです。サミュエル王子が婚約者を迎えに来たのだと」
「……え?」
サミュエル王子? 婚約?
いや、だって婚約は王都からの使者とわたしが面談してから決まるのでは? おそらく叔父上は縁談を断る口実を作るために使者を寄越してきたはずだ。
あの手紙の内容からすると、私を即妃にするのが目的のような気がしたから。
「私はサミュエル王子を存じ上げませんが、父君のエドガー王ならいくらか評判を聞いています。熊の亜人で非常に優秀な武人でもあると。実はあの国では王族であろうと妃は自ら選ぶのが普通なのです。そうなるとサミュエル王子は自分の妃を自分で確かめに来たということかもしれません。いっそ自分が検分してやるとでも言って」
「……あー……さぞかしガッカリするだろうね。たおやかな姫を期待してるんだろうし」
バルバラは少し目を細めて、難しい顔をする。
「……カミーユ様は亜人をよくご存じではないのでしょう。逆です。ほとんどの亜人には大柄でがっしりした体格の方が好まれるのです。おそらくカミーユ様が本物の姫であれば王子は攫ってでも連れて行くはずですよ」
「?」
「その証拠にあのアレクという男はカミーユ様にぞっこんでしたでしょう?」
カミーユは頬が熱くなった。たしかに、アレクは塔の囚人になっている姫に興味があったとは言っていたけれど、噂とは全然違うカミーユを見ても足繁く通ってきた。
カミーユはお守り代わりに身につけている木彫りのブローチを見た。
……ぞっこん、だなんて。そうなら嬉しいけれど……。
「とにかく、動向を探ってまいります。使者が来る前に王子がこの塔に入ってきてはことがややこしくなります。時間を稼がねばなりません」
確かに。王子がこの塔に入ってきて、カミーユが男だとばれてしまうのは問題だ。
バルバラが階下に降りて行くのを見送ってから、カミーユはいつもアレクが入ってきていた小さな窓に目を向けた。
王子からすれば世継ぎを望める相手が欲しいはずなのだから縁談は消えるだろう。そして、多くの人々を欺してきた罪に問われる。
「……アレク。もう時間がない……どうしたら……」
突然大きな振動が塔を襲った。まるで砲撃を受けたかのような衝撃。
下で何か言い争う声がする。バルバラの声も聞こえる。
一体何が起きているのか。カミーユが確かめようと足を踏み出した瞬間、背後から腕を掴まれた。
「……あなたがカミーユ王女か」
「……カミーユ様はどうして婆を置いて逃げなかったのですか。一度転送魔法で外に出たのでしょう? あのときそのまま逃げても良かったのですよ。婆さえ一人残っていれば、カミーユ様が不在であっても誤魔化すことはできるのですから」
一日一回小窓から入れられた書類にサインするだけ。それがカミーユとバルバラの生存確認だ。確かにバルバラが残って時間稼ぎをしてくれれば、追っ手の届かない場所まで逃げられたかもしれない。
カミーユは首を横に振った。
「そんなこと思いもしなかった。アレクもそのつもりはなかっただろうし。わたしはもしこの塔から出る時が来ても、バルバラと一緒でなくては嫌だ。わたしにはバルバラしかいないのだから」
母の実家はマルク王に疎まれて取り潰されてしまったらしい。離散してその後の消息もわからないという。
どこかで生きていると思っていた異母姉たちはすでに処刑されていた。
……家族というものがどんなものなのかわたしはよくわかっていない。血縁者と呼べるのは父や兄を殺した叔父上だし。母方の家は没落して今は領地でひっそりと暮らしていると聞いた。
バルバラがいなかったら、わたしはどんな人間になっていただろうか。そう思うとゾッとする。
「あまり訊いたことがなかったけれど、バルバラには家族がいるの?」
というより、今まで尋ねてもずっとはぐらかされてきた。夫は亡くなったとは知っていたけれど。
「夫と息子夫婦は亡くなりましたが、孫息子が一人おります。実はこの砦で働いていて、外の情報などを時折流してくれていました。ですが、さすがに此度の件に孫息子の立場ではどうにもならないらしく……」
「それはだめだ。お孫さんを巻き込んではいけない」
バルバラの身内がこの砦にいるとはカミーユは全く知らなかった。国境警備軍の軍人だろうか。もしかしたらカミーユが知らないだけでその孫息子が色々と援助してくれていたのかもしれない。
「……カミーユ様ならそうおっしゃると思いました。だから婆は何も話さなかったのです。とりあえず王都からの使者が来たら教えてくれる手筈にはなっています」
「アレクが魔法障壁を何とかしてくれるまで、間に合えばいいけれど」
バルバラはそれを聞いて複雑そうな顔をした。
「……魔法障壁はおそらく高位魔法使い数人が作ったものでしょうから、そもそも一度解除したのを見ていなければ私も信じられなかったのです。ただし、国外への転送魔法は一番強い障壁がかかっているはずですから、かなり難しいでしょう」
「……たしかに、密入国を防ぐ障壁だからね」
以前アレクが連れ出したのは砦近くの町で、国境を越えたわけではない。もしかしたら相当難しいことをやろうとしているのではないだろうか。
……そもそも、一魔法使いが国境警備の障壁を破れるなら、戦争だって容易になってしまう。アレクは軍人ではなく冒険者だと言ったけれど、あの才能なら国が抱え込んで利用することだってあるのではないだろうか。
元々人族の多いこの国は魔法が盛んだ。隣国や周辺国は身体能力の高い亜人が多数を占めているので、武力では勝てない。そのための方策だったのだろう。
実際近隣国にはこの国の高位魔法使いに匹敵する者は現れていないし、亜人はあまり魔法を重んじていない。それで安心しているところがある。けれど、その有用性に亜人が気づけば、その優位はあっさり崩れる。
アレクは膂力がないことで軽んじられているようだけれど、彼は自分の身を守るために魔法を使わなかったのだろうか。
何て言ってたっけ? 試合になったら間合いが近いから魔法では勝てない?
けど、彼なら魔法の発動をもっと早くすればいいと考えつきそうなのに。というよりそもそも魔法使いがどうして武術の試合に出ることになるのか理解できない。
……わたしは彼の事情を全く知らない。わたしの事情に巻き込んでしまったのに。
そうして三日後の朝、砦はにわかに騒がしくなった。塔にいるカミーユたちが感じ取るくらいに。
「……王都からの使者が来たんだろうか? 早すぎる気がするけれど……」
今朝の搬入物資を受け取ってきたバルバラに問いかけると、戸惑ったような口調で答えた。
「いいえ。ダイモス連合王国の王族の馬車がこの砦に来ているそうです。サミュエル王子が婚約者を迎えに来たのだと」
「……え?」
サミュエル王子? 婚約?
いや、だって婚約は王都からの使者とわたしが面談してから決まるのでは? おそらく叔父上は縁談を断る口実を作るために使者を寄越してきたはずだ。
あの手紙の内容からすると、私を即妃にするのが目的のような気がしたから。
「私はサミュエル王子を存じ上げませんが、父君のエドガー王ならいくらか評判を聞いています。熊の亜人で非常に優秀な武人でもあると。実はあの国では王族であろうと妃は自ら選ぶのが普通なのです。そうなるとサミュエル王子は自分の妃を自分で確かめに来たということかもしれません。いっそ自分が検分してやるとでも言って」
「……あー……さぞかしガッカリするだろうね。たおやかな姫を期待してるんだろうし」
バルバラは少し目を細めて、難しい顔をする。
「……カミーユ様は亜人をよくご存じではないのでしょう。逆です。ほとんどの亜人には大柄でがっしりした体格の方が好まれるのです。おそらくカミーユ様が本物の姫であれば王子は攫ってでも連れて行くはずですよ」
「?」
「その証拠にあのアレクという男はカミーユ様にぞっこんでしたでしょう?」
カミーユは頬が熱くなった。たしかに、アレクは塔の囚人になっている姫に興味があったとは言っていたけれど、噂とは全然違うカミーユを見ても足繁く通ってきた。
カミーユはお守り代わりに身につけている木彫りのブローチを見た。
……ぞっこん、だなんて。そうなら嬉しいけれど……。
「とにかく、動向を探ってまいります。使者が来る前に王子がこの塔に入ってきてはことがややこしくなります。時間を稼がねばなりません」
確かに。王子がこの塔に入ってきて、カミーユが男だとばれてしまうのは問題だ。
バルバラが階下に降りて行くのを見送ってから、カミーユはいつもアレクが入ってきていた小さな窓に目を向けた。
王子からすれば世継ぎを望める相手が欲しいはずなのだから縁談は消えるだろう。そして、多くの人々を欺してきた罪に問われる。
「……アレク。もう時間がない……どうしたら……」
突然大きな振動が塔を襲った。まるで砲撃を受けたかのような衝撃。
下で何か言い争う声がする。バルバラの声も聞こえる。
一体何が起きているのか。カミーユが確かめようと足を踏み出した瞬間、背後から腕を掴まれた。
「……あなたがカミーユ王女か」
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