塔の上のカミーユ~幽囚の王子は亜人の国で愛される~

蕾白

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第一部

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 しばらく町を散策した後で、夕食の時間になる前にアレクはカミーユを塔まで送ってくれた。
「今日はありがとう。楽しかったよ」
 アレクは少し表情を曇らせた。
「……本当に? 楽しかった?」
 もしかしたら虜囚に気まぐれに希望を見せて、傷つけてしまったと思ったのだろうか。
「嘘じゃないよ」
 カミーユはそう言いながらアレクの顔を正面から見つめた。
「僕に力があれば、このまま君を攫って幸せにする、って言えるんだけど。僕はそんなことを言えるような強い男じゃないんだ。それなのに、君にちょっとだけ外を見せて……残酷なことをしてしまったような気がして」
 カミーユは首を横に振った。アレクにそんな危険なことはさせられない。それに侍女を置いて逃げることはできない。もし連れて逃げたとしてもすぐにわかってしまう。
 塔の一階にある物資運搬用の窓に毎日食事や日用品が届けられる。その都度書類に受領のサインをして返すことになっている。それが止まったら囚人が亡くなったものとして兵士たちが検分に来ることになっている。塔の中に二人分の遺体がなければ王都に報告が行く。
 ……きっと叔父上はわたしを一番憎んでいらっしゃるだろうから、遺体を見るまでは気を緩めはしない。
「アレクはわたしのために魔法を使ってくれたんだろう? その気持ちがとても嬉しい。街をこの目で見たのは初めてだから、とても興味深かった。そんな顔しないで。アレクにはいつものように笑っていてほしい。アレクの笑顔がわたしは好きだ」
 わたしのせいでアレクの表情が曇るのは嫌だ。わたしは生まれたときから王宮の一角で生きてきたから、不自由な暮らしに慣れている。大丈夫だ。
 同情なんてしなくていい。わたしは囚人なのだから。
 カミーユはそう自分に言い聞かせて笑みを浮かべた。
「カミーユ……」
 アレクは緑の瞳を軽く瞠るとさっと頬を赤らめた。それから咳払いを一つ。
「あの、念のために聞いていい? 好きなのは、笑顔だけ?」
 そう言いながら顔を近づけてくる。
 え? どういう意味?
 綺麗な顔が目の前に来ると、それだけで心臓が落ち着かない。侍女以外の人とこんなに近くに顔を合わせたことなんてないし。
「笑顔がくっついてる本体のほうは?」
 カミーユの手を両手で包むように握る。こちらを見つめる瞳に熱を感じて、カミーユは戸惑った。
 アレクを好き……? わたしが?
「ごめん、困らせちゃったね。僕の取り柄は魔法だけだから、君に好かれたくていいとこ見せたかったんだ。でも今日、何の変哲も無い空を見て驚いている姿に、僕は君のことわかってなかったんだと思って……。やっちゃったなーって反省してたんだ。僕には君を助ける力がないって言っておいて、君の気持ちが知りたいなんて……一体どの口が言ってるんだって思うよね」
 アレクにはアレクの事情がある。カミーユはこの塔から出て自由になりたいとは望んでいないし、助けて欲しいわけじゃない。
 わたしはあまりに人とのつながりが薄くて、好きになって欲しいと言われてもその「好き」が自分の思うものと同じなのかわからない。
 彼が話してくれる外の世界は楽しくてめまぐるしくて、うっかり笑ってしまうようなことや、興味深いことであふれていた。だから彼が来てくれるのが嬉しかった。会えなかったら次はいつ来てくれるだろうと頭の隅でずっと気になっていた。
 それは「好き」という感情ではないだろうか。
 カミーユは自分の感情の認識が間違っているかもしれないと不安になった。
「僕は初めて会った時から、カミーユのこと可愛いと思ってたんだ」
「可愛い?」
 自分に向けられるとは思えない言葉にカミーユは混乱した。
 アレクより一回り逞しい腕、筋肉の付いた身体にまとった簡素なディドレス。可愛いというのはもっと可憐な、アレクが摘んできてくれる野花のようなものではないのだろうか。
「可愛いよ。刺繍や作法の勉強にも手を抜かない頑張り屋さんだし、自分をこてんぱんにうち負かすような侍女のことを思いやっているし、鴉に追われたボロボロのひ弱な小鳥にも優しい声をかけてくれる。……可愛い君のことを思うと胸が熱くなって、ひとときも頭を離れないんだ。君には僕のような弱々な男なんてふさわしくないのはわかってるんだけど、好きになってもいいかな」
 カミーユはだんだん頬が熱くなってきた。何だか本で読んだ物語で女性にそのような言葉を告げる場面があったような気がする。自分に向けられるととても気恥ずかしい。
 アレクは整った美しい顔をわずかに上気させて、鮮やかな緑の瞳に熱を宿らせている。
「……もしかして、アレクは、わたしを恋愛対象にしているのか?」
 そう問いかけると、アレクはそれが正解だと言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。
 同性に恋情を抱く人もいるとは聞いていた。特に亜人は惹かれる相手には同性も異性も関係はないらしい。
 けれど自分が、とは思いもしなかった。
「……っ」
 カミーユは熱を帯びる頬を両手で押さえた。
 鏡を見なくてもわかる。きっと顔が赤くなってしまっている。胸の鼓動もうるさいくらい大きくなっている。
 わたしも気づいてしまった。「好き」の形に。
 ……けれど、わたしはアレクを幸せにはできない。ここから出ることもできないし、何も差し出すものがない。彼に何もできない。その「好き」には……。
 戸惑いと喜びが入り混じった感情を、理性で押さえつけようとしながら、カミーユは首を横に振り続けた。
「それはだめだ。友としてならともかく……」
 恋愛の「好き」には応えられない。そう言いたいのに言葉が続かない。
 ふわりとアレクの両腕がカミーユを抱きしめた。驚いて固まっていると顔が近づいてきた。
「……カミーユ。僕は君のことを諦めない。今はダメダメだけど、強くなって君を幸せにできるように頑張るから」
 唇が重なる。ほんの一瞬の温もりが唇に触れて、すぐに離れる。次の瞬間、アレクは鳥の姿になって窓から飛び去って行った。
 ……諦めるのは早い? わたしはわたし自身のことを諦めなくてもいいんだろうか。

「今日は裁縫の課題、ちっとも進んでいませんね。カミーユ様」
 夕食後、カミーユの課題を見ていたバルバラがそう指摘した。それはそうだろう。今日はアレクに外に連れ出されていたのだから。
 それに戻ってからはアレクに口づけされたことで頭が働かなくて裁縫に手がつけられなかった。ほんのちょっと唇が触れただけの行為にどうしてここまで心が乱されてしまうのか。
「少しうとうとしてしまって」
「お怪我のせいで熱が出たのではありませんか? 少しお顔も赤いようですし。今日はもうお休みになったほうがよろしいのでは?」
 午前中の剣術の稽古でつけられた傷はアレクが治癒魔法をかけてくれたから全く傷みもない。けれどそれを知らないバルバラは心配してくれていたらしい。
「……そうさせてもらうよ。少し疲れが溜まっているのかもしれない」
 カミーユは少し罪悪感を抱きながらそう答えた。
 バルバラは食事を下げながら珍しく少し躊躇った様子でこちらに振り向いた。
「お加減が悪いときに申し上げにくいことですが、カミーユ様。こちらが先ほど届きました」
 バルバラはトレイに乗せた書状を差し出した。王家の紋章が施された赤い封蝋。
 カミーユはそれを見て、一気に背筋が寒くなった。
「国王陛下からです」
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