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37.肩書きには責任が伴います

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「まさか、フェルセン魔法伯閣下?」
 そう問いかけられて、コンラットは一瞬躊躇した。自分は勝手にブラックドラゴン討伐で戦線を離脱して消息を絶っている。おそらく国王ニクラスは行方を追っているはずだ。
 どうにかしてコンラットを手元につなぎ止めようとしていたのだから。
 目の前にいるピエル・ヴィレムスは捨て駒同然にドラゴン討伐に就いていた。退役したと聞いていたが、今はどういう立場なのかわからない。
 だが、彼は元々オルヒデーエ伯爵の縁戚で十年前の王位継承争いに巻き込まれて左遷されていたはずだ。この街に戻ってきている可能性は十分あった。
「すまないが、あんたは何者なんだ? そいつらの仲間だっていうんなら、俺たちは何も話すつもりはない。まずそこからじゃないか?」
 ラルスがすかさず問いかけた。ピエルは小さく息を吐くと背後にいた者たちに振り返る。
「私が彼らから話を聞くから、ひとまず退いてくれ」
 そう言われた男たちは素直に剣をおさめて去って行った。宿の主人も一礼して立ち去る。
 それを確かめて扉を閉めると、ピエルは深く一礼した。
「大変失礼した。彼らはこの街の自警団なのです。外から来る者に神経質になっているあまり、肝心の確認を怠ってしまったようです。私はオルヒデーエ伯爵家に仕えているピエル・ヴィレムスと申します」
「俺はラルス。オルテガのA級冒険者だ」
 ラルスはチラリとコンラットに目を向ける。コンラットは被っていたフードと鬘を外してピエルに向き直った。ピエルの表情がぱっと明るくなった。
「ああ、やはり魔法伯閣下でしたか」
「……ヴィレムス卿、今の私は魔法伯ではなくただのコンラット・ルカスです。全ての地位を返上して来ました」
「ご無事でよかった。あの時、ドラゴンの近くに行くとおっしゃってから消息がわからなくなったので、まさかドラゴンに襲われたのかと……」
「元々あのドラゴン討伐が終わったら、私はこの国を出るつもりでした」
 コンラットがそう答えると、ピエルが驚愕の表情になった。
「そんな。あなた様は唯一のアドリアン陛下の御子様ではありませんか」
「だからこそ、この国にいないほうがいいんですよ」
 コンラットが先代国王の庶子だということはこの国の貴族には公然の秘密で、それ故に現国王から疎まれているのだと知られている。
「あなたもオルヒデーエ伯爵のお身内ならわかるでしょう? ニクラス王が自分に逆らった者や気に入らない者をどう扱うか」
「……それは……そうですが。この国を見捨てるおつもりなのですか。あなた様の立場でそのようなことが……」
 ピエルが食い下がるように言葉を続ける。
 言いたいことはわかる。仮にも王の子として生まれた身で国を捨てるのが許されるのか。
 ……まだ私にこの国に縛られろというのか。
「なあ、コンラット。お前王子様だったの? 俺初耳なんだけど」
 唐突にラルスが口をはさんだ。
「正確には先代国王の庶子だ。そういえば話してなかったかな」
 ラルスはそれを聞いて興味なさげに腕組みをする。
「聞いてねーよ。レネは聞いてたのか?」
 ラルスの背後にいたレネがひょこっと顔を出す。
「知ってます。でも、だからと言ってどうして国を出るのがダメなんですか?」
 レネの問いにピエルが答えた。
「この方にはこの国での役割があります。責任を果たしていただかなくては……」
「……どんな責任があるんですか? コンラットさんは今までこの国に魔法で貢献してきたと聞いています。それでもまだ足りないんですか? それは誰が決めるんですか?」
 レネは真っ直ぐにピエルに目を向ける。幼子にも見える容姿のレネに問われてピエルは困惑したように咳払いをする。
「君には難しい話かもしれないが、役職や肩書きには責任が伴うものなんだ」
「あなたが言ってるのってコンラットさんが王家の血を引いていることでしょう? 自分の中の血を捨てられませんよね? その人にどうにもできないことで責任を押しつけるのっておかしいんじゃないですか?」
 コンラットにはこの国を出ると決めたとき、何もかも無責任に放り出して逃げ出すような負い目があった。
 自分が先代国王の庶子である事実は変えられない。だから好きなように生きたいと思っても理解されるはずもないと諦めていた。
「少なくとも、あなたがコンラットさんに『この国を出るのは許されない』なんて言うのはおかしいです。たとえコンラットさんの選択が間違っていても、それをあなたに認めてもらう必要はないんじゃないですか?」
 レネのいた世界は考え方が違うのだろうか。出自で縛られるのはおかしいと思ってくれるのだろうか。
 ……ああ、そうじゃない。彼が言いたいのはきっと、間違っていても正しくても私の人生は私が決めていいと……そういうことか。
 コンラットの心の中に残った最後の枷が壊れた音が聞こえた気がした。
「……それは、確かにその通りだ」
 レネの言葉にピエルはコンラットに向き直ると深く一礼した。
「差し出がましいことを申し上げてしまいました」
 ラルスがコンラットに目を向ける。
「っていうか、あんたはコンラットを巻き込みたい政治的な思惑があるわけだ」
 ピエルはその言葉に困ったように眉を下げた。
「……思惑がないとは言えません。けれど、今のこの国の有様を伯爵閣下は憂えていらっしゃるのです。もし王都に未練がないならフェルセン殿が伯爵閣下のお力になってくださればと……」
 オルヒデーエ伯爵家は先の王位継承争いで反ニクラスの立場にあった。そのため当主を交替させられ、後押ししていたフーベルト王子は幽閉中。王子の妻子も別の場所で幽閉されているはずだ。
「だったら最初からそう言えばいい。コンラットがこの国を出たい事情だってあんたは知ってるんじゃないのか?」
 ピエルは小さく息を吐いて頷いた。
「……ニクラス王はご自分の地位を脅かす存在を許しませんから」
 コンラットはレネに目を向けた。心配げな表情をしているのに気づいて小さく頷きで返した。
 ……君は本当に天使だよ。君の言葉が私を自由にしてくれる。
「私はフーベルト殿下のお力にはなれません。私は偉大な父を持ちながらニクラス王に逆らうこともできなかった。この身がいまさらこの国の役に立つとは思いません。オルヒデーエ伯爵がこの国の行く末を正したいとお考えなら、私の名など必要ないでしょう」
 もしかしたらドラゴン討伐の時に話しかけてきたのは、コンラットの人となりを探る目的もあったんだろうか。
 王宮で悪し様に言われているずる賢い小悪党のように振る舞った方が良かったのか。
 そもそも、父の弟たちにはほとんど面識はない。フーベルト王子がニクラス王よりも優れているという評判も聞いたことがない。
 コンラットは王子として公の場に出されたことはないし、普段は魔法使いとして軍の遠征に同行していた。だから他の王族とは接点がなかった。
 ピエルはコンラットの気持ちが変わらないと納得したのか、真剣な表情でこちらを見つめてきた。少し声音を落として告げたのは予想外の言葉だった。
「それならば今日のうちにこの街を離れてください」
「それは……」
「私の立場で言えることはそれだけです。あなた様には討伐の時、兵士たちに情けをかけていただいたご恩がありますから。……道行きのご無事をお祈りいたします」
 それだけを言うとピエルは部屋を出て行った。
 今日のうちに? まさか。
 コンラットはさっき降ろしたばかりの荷物を手に取った。
「すぐに出るんだ。マズいことになった」
 そう言って顔を上げると、ラルスもファースもレネまでもしっかりと自分の荷物を抱えているのが見えて、コンラットはうっかり吹き出しそうになった。

「おそらく近いうちに伯爵は近隣の領主と組んで兵を挙げるつもりだ」
 慌ただしく宿を引き払って馬で南へ向かいながら、コンラットは事態を説明した。
 南部の領主は十年前の王位継承争いでフーベルト王子を推していた者が多い。
 そのため他の地方よりも冷遇されていて、ニクラス王に対して不満が強い。中央からの兵士とのもめ事も何度かあった。コンラットも魔物討伐や国境警備で何度か訪ねたが、幼い子供までが冷たい目で睨んでくるのには辟易した。
 ……いつか叛乱が起きるかもしれないとは思っていた。
「けど、南部で支持されていた王子は牢の中だろう? ニクラス王の手の中だ。下手なことはできないんじゃないか?」
 ラルスがこの街で一泊することを決めたのも、コンラットやレネへの追っ手がいたとしても、この街の民なら協力しないだろうと思ってのことだ。それが裏目に出るとは。
「たしか、フーベルト王子には今年十八歳になる息子がいる。先日のブラックドラゴン討伐に参加していた。負傷して離脱したあと母方の実家に戻された。オルヒデーエ伯爵領の近くのはずだ」
「……まさか、それって……」
「ピエル・ヴィレムスはドラゴン討伐軍の指揮を取っていた。それは討伐軍から王子の息子を逃がすのが目的だったのかもしれない。あの討伐はニクラス王に逆らった者たちをドラゴンの餌食にするために利用されていた。他にも王位継承権者の身内がいても不思議じゃない」
 そして、その身内を負傷したと偽って前線から下げていたとしたら? 他の王位継承権所有者たちもその見返りにオルヒデーエ伯爵を支持するだろう。今まで監視され分断されていたニクラス王に逆らう者たちがそうやって繋がっていたのなら。
 ピエルは自分が万一ドラゴンに殺されてもその目的が果たせれば、と思っていたのかもしれない。
 結局討伐軍は少ない被害で帰還することができた。そのほとんどが帰還後退役している。
 ……そう考えれば、反国王派の団結が叶った今こそ、兵を挙げる機会だ。
「待て待て。それじゃこの伯爵領だけじゃなく、あちこちで呼応して兵を挙げるということじゃないのか? 滅茶苦茶ヤバいんじゃないか」
「だからマズいと言っているんだ。この先も反国王派の領地が続くんだ。似たような疑いをかけられるだろうし、街道を封鎖されたら身動きできない」
 最悪馬を捨てて街道から外れた道を通るしかなくなる。
「あー……だから警戒されたのか。挙兵前に胡散臭い連中が宿に入ったから捕まえとこうと思ったわけだ」
「そういうことだ。冒険者を装った密偵とか疑われたんだろう」
 コンラットは頷いた。
「……僕、余計な事言っちゃいましたか? コンラットさんが伯爵に協力したほうがよかったんでしょうか?」
 レネがぽつりと問いかけてきた。
「いや、会ったところで意味はないよ。私の立場は微妙だからね」
「でも本当に微妙だったら、味方に引き込みたいと思わないんじゃないかと。もちろん魔法を当てにしているのかもしれませんけど。もしかしたら、コンラットさんが思っている以上に、先代国王の子という立場は重いのかもしれません」
 たしかにそうかもしれない。ニクラス王にしても気に入らないなら難癖をつけて母とともにコンラットをどこかに幽閉しておけば良かったのだ。なのに、母を人質に取ってでもコンラットを一臣下として手元に置いていた。
 十年前の継承権争いの時、いくつかの家からコンラットに援助を申し出る話があった。それが全て父の弟たちに繋がる家だと気づいたから全て断った。王位継承権を持たないただの庶子に対して、援助する理由がわからなかった。
 ……私の魔法は魔獣狩りならともかく、周りを全部灰にするような代物だ。内乱で使えばこの国の民を殺してしまう。使い道はない。だったら私の利用価値とは何だ?
 ……他に何か意味があるんだろうか。
「……たとえそうだとしても、私が選んだことだ。ついてきてくれるんだろう? レネは」
「はい。でも、コンラットさんが我慢して嫌々することだったら、ついて行きませんから」
 レネははっきりとそう言うと、手綱を握るコンラットの手に自分の手を添えた。


 
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