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33.勝負の行方は逃げるが勝ち⑤

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 王都のあちこちでブラックドラゴンを目撃しただのどこかに飛び去っただのと言い交わす人々を尻目に、コンラットたちは隠れ家まで戻ってきた。
 レネはすぐに普段の服装に着替えて、ラルスとファースにお茶を入れたりと忙しく立ち働いていたが、すぐにラルスに呼び止められる。
「……君、レネだっけ? 先に説明してくれ。さっきは一体何をしたんだ?」
 レネは戸惑った顔で一瞬コンラットに目を向けたが、すぐに説明し始めた。人外の存在と会話ができることはもう隠しきれないと思ったのだろう。
「あのブラックドラゴン、前に会ったことがあったので敵意は感じなかったんです。ドラゴンは招竜石が人間の手にあるのを好まないそうです。同族の形見のようなものですから。それで、石を返してくれたら退いてもいいと言っていたので、じゃあ、後で石を届けるからやっつけられたふりをして人目につかない場所に隠れてもらうように頼みました。セブリアン殿下にそれをお願いしたら了承してくださったので先ほど石を預かった……という感じなんですけど」
 ファースが眉を寄せて口をはさんだ。
「ドラゴンがそう言っていた? 待って、ドラゴンと会話できる人なんて聞いたことないんだけど。どういうこと?」
「ええと……【翻訳】のスキルがあるからだと思うんですけど……」
「翻訳の範囲にドラゴンが含まれるってこと? 一体どういうことしたらそんなスキルが手に入るわけ?」
 ファースは珍しく明らかに動揺していた。コンラットにも目で問いかけてくる。
 いや、ドラゴンだけじゃなく魔狼とも話してたんだが……。もしかして彼はアレを翻訳という言葉で納得していたのか。大雑把過ぎないか?
 コンラットもそれ以上の説明ができる気がしない。
「コンラット。この子治癒師じゃなかったの? だから冒険者に誘ったんだと思ったのに」
 コンラットはレネに目配せした。レネはわずかに口元に笑みを浮かべた。しかたないですね、とでも言いたげだ。
 コンラットはそれで心を決めた。
「……二人には言っておく。この子は違う世界から来た『まろうど』と言われる存在だ。ドラゴン討伐のとき、この世界に落ちて来た。だから普通じゃないスキル持ちなんだ」
「何だって? だから天使だとか言っていたのか? 『まろうど』なんて伝説の中の存在じゃなかったのか?」
「僕の故郷でもいくつか言い伝えは残っているけど……うちの一族でも直接見た人間はいないと言われるほどの希少な存在だよ? 何でコンラットが独り占めしてんの?」
 レネはラルスたちに一斉に注目されて戸惑ったようだった。
「でも、僕は普通の人間ですから。天使とかじゃないですよ?」
「いや、ある意味天使より希少だよ。ラルス。この子今すぐうちのパーティに入れよう。コンラットよりこの子欲しい」
 ファースが突然そう言い出した。ラルス以外には塩対応のファースがそんなことを言い出すとは。と、レネ以外の二人は表情が固まってしまった。
「だって治癒師だってだけでも貴重だし、特殊スキル持ちとかそうそういないよ。コンラットみたいな攻撃バカよりこの子のほうがいい」
 ファースは長命種族なので大概のことには倦んでいて冷淡な対応だが、その分興味を引く存在には貪欲になる。それを思い出したのかラルスは苦笑いを浮かべていた。
「その前に冒険者登録しないと無理だよ。登録もオルテガ国内じゃないとまずい。それにコンラットを仲間はずれにしちゃ可哀想じゃないか。そうだろう? レネ」
 ラルスがやんわりと尋ねる。レネはふわりと微笑んだ。
「はい。僕はコンラットさんとご一緒できればどこでも構いません。コンラットさんはあなた方と組んでいるんですよね?」
「依頼によっては組んだりもするけど、正式なパーティじゃないんだ。今までコンラットはこの国の魔法伯だから何かと多忙だったからね。でも、今後は正式に組んでくれるんだろう?」
 ラルスは今度はコンラットに問いかけてきた。
「まあ、仕事は全部投げてきたし、一応ブラックドラゴン討伐で消息不明になってるはずだ。母の遺骨も取り戻したし、さっさとオルテガに逃亡するつもりだよ」
 それを聞いたファースが冷淡な目をこちらに向ける。
「けど、あちこちに人相書きとか回ってるんなら見捨てるよ? ただでさえその無駄にお綺麗な顔が目立って面倒くさいんだから」
「酷いな……けど、市井の民にまで顔は知られてないから大丈夫だよ」
「それじゃあ君たちもすぐにでも出発できる? 急いだ方がいいだろう。コンラットだけでも目立つのに、あのヘーラルト王子の様子ではレネも目をつけられている。お触れ書きでも回される前にまずは王都を出たほうがいい」
 ラルスがそう言うと、窓の外に目を向けた。まだ王都はブラックドラゴンの飛来で大騒ぎになっている。
 ここまで戻る道中、聞き耳を立てていたら、剣術大会の会場にセブリアン王子の持っていた石によってブラックドラゴンが現れたが、何もせずに飛び去って行った。どうやらセブリアン王子が追い払ったらしい。そんな噂になっているようだった。
 あの茶番をどこかで見ていた者が言い触らしたのだろう。
 国王もヘーラルト王子もまだ事態の全容を把握しきれていないだろう。オルテガ側に問いただそうにもセブリアン王子一行はもう王都から出てしまっているはずだ。
「そうだな。すぐに出発しよう。あの馬鹿王子にはもう構いたくないからな。逃げるなら今のうちだ」
 コンラットがそう答えると、レネも頷いた。
「三十六計逃げるにしかず、って言いますからね」
 意味を説明してもらったコンラットたちはなるほど確かにその通りだ、と頷き合った。

 ラルスが馬を用意してくれたので、コンラットとレネは二人乗りで出発することになった。二人乗り用の鞍までちゃっかり用意してくれていたのは、レネが馬に乗ったことがないからだ。
 今まではコンラットの魔法と徒歩で移動していたが、この先目立たないためにも魔法は極力使わないほうがいいとラルスが忠告してくれたのでそれに従う形になった。
 手を貸して先に馬に乗せると、レネは顔が少し強ばっていた。
 どうやらレネのいた場所では馬に騎乗するのは限られた人間だけらしくて、騎馬での移動に困惑していた。
 彼のいた世界がどんな場所なのか、コンラットは詳しくは知らない。馬車のような乗り物はあると言っていたが、馬がいなくても走行すると聞いてどういう魔法なんだと理解が追いつかなかった。
 レネがいろんなことに戸惑う姿を見ると、彼も異世界の話に困惑する自分と同じなのだと微笑ましく思える。
「大丈夫? 私が支えているから落ちることはないよ」
 ゆっくりと馬を進めながらそう問いかけるとレネは頷いた。やっと馬の高さに慣れてきたのか表情も落ち着いてきた。ちゃんとコンラットの前で周囲を眺める余裕も出てきている。
「絶叫マシンに比べたら全然怖くないですから」
「……ゼッキョウ? そんなに怖い乗り物があるのかい?」
「何というか……縦回転で振り回されたり、揺さぶられたりととにかく怖いです。乗り物というより一種の試練みたいな感じです。セブリアン王子ならお好きかもしれません」
「それはまた危険そうだな。なんでそんなものに乗ったんだい?」
「姉さんが好きだったんです。ドキドキハラハラしたら気持ちが上がって生きてるーって気がするんだとか。恋に落ちたような気分になれる……とか言ってました。僕はちょっと怖くてもう死ぬんじゃないかと思いましたけど」
「……なかなかに危険な恋がしたかったんだね、君のお姉さんは」
 そう答えると、レネは小さく吹きだした。
 彼の姉はもうこの世にいない。彼は時々家族の話をしてくれるが、今は表情に暗さが見えなかった。こうやって話すことで少しずつでも辛さが紛れているのなら、とコンラットは微笑んだ。
 王都の門を抜けたところで、コンラットは少し馬の速度を緩めた。先を行く二人の馬と自然に距離が空いた。
「レネ。一つ言っておかなきゃならない事があるんだけど……」
「あ、もしかして賭けのことですか?」
 レネが顔をこちらに向けてきた。ああ、そういえば。
 朝彼に強引に持ちかけた勝負があったんだった。色々あって忘れかけていた。
「それなら、私の不戦敗でいいよ。今日は君のおかげでドラゴンをなだめることができたんだから。次の街に着くまでに何かしてほしいことを考えておいて」
「いいんですか? あ、それじゃ他に何か……」
「そう。実はね、この先の南部地方の領主には反国王派の領主が多い。国王派の貴族たちとのいざこざも絶えない。それに表沙汰にはしていないが王都を追われた王位継承権所有者が滞在している地もある。今のところははっきりとした動きはないけれど、そういう緊張感があるところだから、一人で行動しないでほしい」
 十年前、コンラットの父、先代国王が亡くなった後、この国では王位を巡って内戦状態になった。葬儀直後、父が後継者に指名していた同腹の弟が急死したのだ。その死因が怪しかったこともあって、継承権を持つ者同士が疑心を抱き分断される。
 その混乱の中で大貴族の後ろ盾を得て王位についたのが、今の王ニクラスだ。
 今でもニクラスが継承者を殺した、いや、それ以前に先代国王も暗殺したのではないかと考えている者は多い。一度は分断された王位継承者たちは密かに手を結んでニクラスに反旗を翻そうとしているという話も聞く。
 もっとも王の子とは名ばかりのコンラットにはそうした話が来るはずもないので、詳しい動きは知るよしもない。
 だから南部では王都から来た人間を見る目が厳しい。国王側も密偵を配置して監視している。今まで以上に目立つことは避けたい。
「これは子供扱いしているからじゃないからね」
「……はい。危険なんですね」
 レネは素直に頷いた。
「だったらコンラットさんも一人じゃだめですよ?」
「そうだね」
 そう答えながら、少しだけコンラットは胸の奥が温かく感じられた。
 今まで一人で気負ってきたせいか、この子の言葉の一つ一つが身に染みる。
 この先、南部の辺境は魔物の多い樹海が広がっている。その遙か先にコンラットの母の故郷オルテガがある。
 王都を出て真っ直ぐに南に馬を進めながら、コンラットはやっと自分の両手両脚にかけられていた枷が消え去ったような感慨を覚えていた。

 もう自分は一人で戦わなくてもいい。それが嬉しかった。

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