上 下
32 / 59

32.勝負の行方は逃げるが勝ち④

しおりを挟む
 目の前には巨大なブラックドラゴン。そして、レネの防御魔法圏内にいるセブリアン王子とラルスとファース。背後には場違いにやってきてすっかり腰を抜かしているヘーラルト。従者たちも来ていたようだが彼らはくるりと向きを変えて逃げ出した。
 ……せめてそのお荷物な主人を持って帰ってくれ。この状況で一体何をどうしろというんだ。
 コンラットは軽い頭痛を感じた。優先順位はもちろんドラゴンだが、魔法を使っても相手を怯ませるくらいしかできないというのに、近くにヘーラルトがいる限りコンラットが範囲魔法を使えば巻き込んでしまう。
 いっそ巻き込んでもいいんだが、この場合オルテガ側に責任が問われてしまうだろう。
 とはいえ、レネはヘーラルトには近づきたくもないだろう。

 突然ドラゴンが大きく頭を擡げて咆哮した。そして、その目が向いているのはヘーラルトの方だった。ヘーラルトは腰を抜かしたまま器用に後ずさりしている。
「うわああ。こっちに来るな」
 それを見ていたセブリアンは肩を竦める。
「なるほど、立派な勇者殿だ」
 ……武器を持っている相手を無視してあっちに興味を持っている……ということはヘーラルトを覚えている? もしかして、このドラゴンは……。
 コンラットがそう思った瞬間、レネが隣に駆け寄ってきた。問いかけるように目を向けると小さく頷く。帽子を脱ぐとドラゴンに向き直った。
「違うんだ。君を呼んだのはあの人じゃないんだ。あの人は今日は遊んでくれないからね?」
 そう言いながらドラゴンに向かって歩いて行く。
「おい。危ないぞ、近づくんじゃない」
 ラルスたちが声を上げて止めようとしているのが聞こえたが、コンラットはそれを遮った。レネは世間知らずで無防備な一面はあるが、自分から動くということはある程度確証があってのことだろう。
 レネに気づいた瞬間、ドラゴンは頭を下げてレネの差し出した手に鼻先を押しつけてきた。レネはドラゴンを撫でてやりながら何か話しかけている。
「おい、何をしているんだ。さっさとドラゴンを追い払え」
 ヘーラルトはすでに側近たちが逃げ出したのに気づいていないのか背後に振り返って、驚いていた。
 レネはドラゴンから離れて、今度はセブリアンの側に歩み寄って小声で話しかけた。セブリアンが頷く。
「委細承知した」
 それを確かめてからレネがドラゴンに顔を向ける。同時にセブリアンが剣を振りかざした。
「ドラゴンよ、この場から大人しく立ち去れ。さもなくば俺の剣で葬り去ってくれよう」
 芝居がかった口調でそう言うと大きく剣を振りかぶった。ドラゴンの前肢に剣が当たるが、その程度でドラゴンが傷つくはずもないが、何故かドラゴンは苦悶に似た声を上げて後ずさりした。
 そうしてそのまま空に舞い上がった。
 ……え? 何だ今の茶番劇。
 コンラットは呆然としてドラゴンが飛び去っていくのを見守るしかなかった。
「……よし、面倒なことになる前にこの場は撤収だ」
 セブリアンが全員に声をかける。コンラットも異論はなかったので、レネの手を掴んで歩き出した。
「おい、その小娘はドラゴンと話せるのか。お前が追い払ったのか? いや、お前はあの時もドラゴンの側にいた……」
 あ。ドラゴンより面倒な存在がいた。
 全員がそんな表情でやっと立ち直ってよろよろと立ちあがろうとしているヘーラルトに目を向けた。ドラゴンが去ったのを見てか、いまさら駆けつけた様相で彼の側近たちも現れる。
「……よし、ドラゴンを手懐けたお前の功績を認めて、オレの妃にしてやろう。勇者の妻にふさわしいではないか」
 まだ膝が震えている様子なのに、しっかり馬鹿なことを口にできるのだから元気そうだとコンラットは思いながらも、レネを渡すつもりはないのでいつでも瞬間移動の魔法を発動できるように身構えた。
 隣に居たセブリアン王子が珍しい生きものを見るかのようにヘーラルトを見ている。
 レネは自分がドレスを着ているのを確認するように目をやってからきっぱりと答えた。
「妃などお断りです。そんな戯言をおっしゃるのなら、またドラゴンを呼びますよ? あのドラゴンはあなたが追いかけっこして遊んでくれる親切な人間だと気に入っているようですから喜んで来てくれるでしょう」
 ヘーラルトの顎がかくんと落ちた。顔は真っ青だ。まあ、無理もない。ブラックドラゴン討伐のとき、散々追い回されていたのはドラゴンにとって追いかけっこの遊びだったと言われてしまったのだから。
 唖然としている彼とその側近を放って、一同は大会会場から逃げ出した。
 外に出たところでさっきのヘーラルトの顔を思い出して、全員大爆笑したのは言うまでもない。

 セブリアン王子の側近たちは彼の気性を十分理解しているらしい。おそらく目的を達してもそうでなくても、大会が終わったらさっさとこの国を後にすると言い出すだろうと、すっかり移動準備を整えて会場の外で待っていた。
「それでは、俺はこのまま出発する。ラルスたちはここに残るのだったな。それから……これを渡しておく」
 セブリアンは馬車に乗り込む前にレネに手招きして招竜石をぽんと渡してきた。
「いや、単なる脅しのつもりだったし、本当にドラゴンが来るなんて思わなかったからな。なかなか面白い体験をした。大事に至らなかったことには感謝するぞ。せめて名前を教えてくれないか?」
「レネです」
「もし、婚約者殿を見限ったら俺の妃になってくれ」
「嫌です」
 レネがあっさりと答えるとセブリアンは大笑いした。
「二人ともオルテガに来ると聞いている。また会おう」
 そう言って彼は颯爽と馬車に乗って去って行った。
 色々と問題の多い王子だけれど、人柄は悪くない。もしかしたら招竜石も眉唾だと思っていたのかもしれない。彼としてはヘーラルトがドラゴンを討伐した勇者を名乗っているのが気に入らないから正したかっただけなのだろうが……。
 この後始末をさせられる両国の外交担当者には同情するしかない。

 そこでコンラットは背後からの視線に気づいた。
「……色々訊きたいんだけど……まずは場所変えようか」
 怒りの籠もったファースの声にコンラットはまだまだやることが残っていたのだと思い出した。
 ラルスたちはレネのスキルを全く知らないのだ。コンラットが溜め息をつくと、レネが不思議そうにこちらを振り返って小首を傾げていた。
 その仕草が可愛らしくてコンラットはほんの少し和んだ。この子があの巨大なブラックドラゴンに平気で話しかけるとは誰も思わないだろう。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

落第騎士の拾い物

深山恐竜
BL
「オメガでございます」  ひと月前、セレガは医者から第三の性別を告知された。将来は勇猛な騎士になることを夢見ていたセレガは、この診断に絶望した。  セレガは絶望の末に”ドラゴンの巣”へ向かう。そこで彼は騎士見習いとして最期の戦いをするつもりであった。しかし、巣にはドラゴンに育てられたという男がいた。男は純粋で、無垢で、彼と交流するうちに、セレガは未来への希望を取り戻す。  ところがある日、発情したセレガは男と関係を持ってしまって……? オメガバースの設定をお借りしています。 ムーンライトノベルズにも掲載中

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる

クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

宰相閣下の絢爛たる日常

猫宮乾
BL
 クロックストーン王国の若き宰相フェルは、眉目秀麗で卓越した頭脳を持っている――と評判だったが、それは全て努力の結果だった! 完璧主義である僕は、魔術の腕も超一流。ということでそれなりに平穏だったはずが、王道勇者が召喚されたことで、大変な事態に……というファンタジーで、宰相総受け方向です。

【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼第2章2025年1月18日より投稿予定 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。

処理中です...