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32.勝負の行方は逃げるが勝ち④
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目の前には巨大なブラックドラゴン。そして、レネの防御魔法圏内にいるセブリアン王子とラルスとファース。背後には場違いにやってきてすっかり腰を抜かしているヘーラルト。従者たちも来ていたようだが彼らはくるりと向きを変えて逃げ出した。
……せめてそのお荷物な主人を持って帰ってくれ。この状況で一体何をどうしろというんだ。
コンラットは軽い頭痛を感じた。優先順位はもちろんドラゴンだが、魔法を使っても相手を怯ませるくらいしかできないというのに、近くにヘーラルトがいる限りコンラットが範囲魔法を使えば巻き込んでしまう。
いっそ巻き込んでもいいんだが、この場合オルテガ側に責任が問われてしまうだろう。
とはいえ、レネはヘーラルトには近づきたくもないだろう。
突然ドラゴンが大きく頭を擡げて咆哮した。そして、その目が向いているのはヘーラルトの方だった。ヘーラルトは腰を抜かしたまま器用に後ずさりしている。
「うわああ。こっちに来るな」
それを見ていたセブリアンは肩を竦める。
「なるほど、立派な勇者殿だ」
……武器を持っている相手を無視してあっちに興味を持っている……ということはヘーラルトを覚えている? もしかして、このドラゴンは……。
コンラットがそう思った瞬間、レネが隣に駆け寄ってきた。問いかけるように目を向けると小さく頷く。帽子を脱ぐとドラゴンに向き直った。
「違うんだ。君を呼んだのはあの人じゃないんだ。あの人は今日は遊んでくれないからね?」
そう言いながらドラゴンに向かって歩いて行く。
「おい。危ないぞ、近づくんじゃない」
ラルスたちが声を上げて止めようとしているのが聞こえたが、コンラットはそれを遮った。レネは世間知らずで無防備な一面はあるが、自分から動くということはある程度確証があってのことだろう。
レネに気づいた瞬間、ドラゴンは頭を下げてレネの差し出した手に鼻先を押しつけてきた。レネはドラゴンを撫でてやりながら何か話しかけている。
「おい、何をしているんだ。さっさとドラゴンを追い払え」
ヘーラルトはすでに側近たちが逃げ出したのに気づいていないのか背後に振り返って、驚いていた。
レネはドラゴンから離れて、今度はセブリアンの側に歩み寄って小声で話しかけた。セブリアンが頷く。
「委細承知した」
それを確かめてからレネがドラゴンに顔を向ける。同時にセブリアンが剣を振りかざした。
「ドラゴンよ、この場から大人しく立ち去れ。さもなくば俺の剣で葬り去ってくれよう」
芝居がかった口調でそう言うと大きく剣を振りかぶった。ドラゴンの前肢に剣が当たるが、その程度でドラゴンが傷つくはずもないが、何故かドラゴンは苦悶に似た声を上げて後ずさりした。
そうしてそのまま空に舞い上がった。
……え? 何だ今の茶番劇。
コンラットは呆然としてドラゴンが飛び去っていくのを見守るしかなかった。
「……よし、面倒なことになる前にこの場は撤収だ」
セブリアンが全員に声をかける。コンラットも異論はなかったので、レネの手を掴んで歩き出した。
「おい、その小娘はドラゴンと話せるのか。お前が追い払ったのか? いや、お前はあの時もドラゴンの側にいた……」
あ。ドラゴンより面倒な存在がいた。
全員がそんな表情でやっと立ち直ってよろよろと立ちあがろうとしているヘーラルトに目を向けた。ドラゴンが去ったのを見てか、いまさら駆けつけた様相で彼の側近たちも現れる。
「……よし、ドラゴンを手懐けたお前の功績を認めて、オレの妃にしてやろう。勇者の妻にふさわしいではないか」
まだ膝が震えている様子なのに、しっかり馬鹿なことを口にできるのだから元気そうだとコンラットは思いながらも、レネを渡すつもりはないのでいつでも瞬間移動の魔法を発動できるように身構えた。
隣に居たセブリアン王子が珍しい生きものを見るかのようにヘーラルトを見ている。
レネは自分がドレスを着ているのを確認するように目をやってからきっぱりと答えた。
「妃などお断りです。そんな戯言をおっしゃるのなら、またドラゴンを呼びますよ? あのドラゴンはあなたが追いかけっこして遊んでくれる親切な人間だと気に入っているようですから喜んで来てくれるでしょう」
ヘーラルトの顎がかくんと落ちた。顔は真っ青だ。まあ、無理もない。ブラックドラゴン討伐のとき、散々追い回されていたのはドラゴンにとって追いかけっこの遊びだったと言われてしまったのだから。
唖然としている彼とその側近を放って、一同は大会会場から逃げ出した。
外に出たところでさっきのヘーラルトの顔を思い出して、全員大爆笑したのは言うまでもない。
セブリアン王子の側近たちは彼の気性を十分理解しているらしい。おそらく目的を達してもそうでなくても、大会が終わったらさっさとこの国を後にすると言い出すだろうと、すっかり移動準備を整えて会場の外で待っていた。
「それでは、俺はこのまま出発する。ラルスたちはここに残るのだったな。それから……これを渡しておく」
セブリアンは馬車に乗り込む前にレネに手招きして招竜石をぽんと渡してきた。
「いや、単なる脅しのつもりだったし、本当にドラゴンが来るなんて思わなかったからな。なかなか面白い体験をした。大事に至らなかったことには感謝するぞ。せめて名前を教えてくれないか?」
「レネです」
「もし、婚約者殿を見限ったら俺の妃になってくれ」
「嫌です」
レネがあっさりと答えるとセブリアンは大笑いした。
「二人ともオルテガに来ると聞いている。また会おう」
そう言って彼は颯爽と馬車に乗って去って行った。
色々と問題の多い王子だけれど、人柄は悪くない。もしかしたら招竜石も眉唾だと思っていたのかもしれない。彼としてはヘーラルトがドラゴンを討伐した勇者を名乗っているのが気に入らないから正したかっただけなのだろうが……。
この後始末をさせられる両国の外交担当者には同情するしかない。
そこでコンラットは背後からの視線に気づいた。
「……色々訊きたいんだけど……まずは場所変えようか」
怒りの籠もったファースの声にコンラットはまだまだやることが残っていたのだと思い出した。
ラルスたちはレネのスキルを全く知らないのだ。コンラットが溜め息をつくと、レネが不思議そうにこちらを振り返って小首を傾げていた。
その仕草が可愛らしくてコンラットはほんの少し和んだ。この子があの巨大なブラックドラゴンに平気で話しかけるとは誰も思わないだろう。
……せめてそのお荷物な主人を持って帰ってくれ。この状況で一体何をどうしろというんだ。
コンラットは軽い頭痛を感じた。優先順位はもちろんドラゴンだが、魔法を使っても相手を怯ませるくらいしかできないというのに、近くにヘーラルトがいる限りコンラットが範囲魔法を使えば巻き込んでしまう。
いっそ巻き込んでもいいんだが、この場合オルテガ側に責任が問われてしまうだろう。
とはいえ、レネはヘーラルトには近づきたくもないだろう。
突然ドラゴンが大きく頭を擡げて咆哮した。そして、その目が向いているのはヘーラルトの方だった。ヘーラルトは腰を抜かしたまま器用に後ずさりしている。
「うわああ。こっちに来るな」
それを見ていたセブリアンは肩を竦める。
「なるほど、立派な勇者殿だ」
……武器を持っている相手を無視してあっちに興味を持っている……ということはヘーラルトを覚えている? もしかして、このドラゴンは……。
コンラットがそう思った瞬間、レネが隣に駆け寄ってきた。問いかけるように目を向けると小さく頷く。帽子を脱ぐとドラゴンに向き直った。
「違うんだ。君を呼んだのはあの人じゃないんだ。あの人は今日は遊んでくれないからね?」
そう言いながらドラゴンに向かって歩いて行く。
「おい。危ないぞ、近づくんじゃない」
ラルスたちが声を上げて止めようとしているのが聞こえたが、コンラットはそれを遮った。レネは世間知らずで無防備な一面はあるが、自分から動くということはある程度確証があってのことだろう。
レネに気づいた瞬間、ドラゴンは頭を下げてレネの差し出した手に鼻先を押しつけてきた。レネはドラゴンを撫でてやりながら何か話しかけている。
「おい、何をしているんだ。さっさとドラゴンを追い払え」
ヘーラルトはすでに側近たちが逃げ出したのに気づいていないのか背後に振り返って、驚いていた。
レネはドラゴンから離れて、今度はセブリアンの側に歩み寄って小声で話しかけた。セブリアンが頷く。
「委細承知した」
それを確かめてからレネがドラゴンに顔を向ける。同時にセブリアンが剣を振りかざした。
「ドラゴンよ、この場から大人しく立ち去れ。さもなくば俺の剣で葬り去ってくれよう」
芝居がかった口調でそう言うと大きく剣を振りかぶった。ドラゴンの前肢に剣が当たるが、その程度でドラゴンが傷つくはずもないが、何故かドラゴンは苦悶に似た声を上げて後ずさりした。
そうしてそのまま空に舞い上がった。
……え? 何だ今の茶番劇。
コンラットは呆然としてドラゴンが飛び去っていくのを見守るしかなかった。
「……よし、面倒なことになる前にこの場は撤収だ」
セブリアンが全員に声をかける。コンラットも異論はなかったので、レネの手を掴んで歩き出した。
「おい、その小娘はドラゴンと話せるのか。お前が追い払ったのか? いや、お前はあの時もドラゴンの側にいた……」
あ。ドラゴンより面倒な存在がいた。
全員がそんな表情でやっと立ち直ってよろよろと立ちあがろうとしているヘーラルトに目を向けた。ドラゴンが去ったのを見てか、いまさら駆けつけた様相で彼の側近たちも現れる。
「……よし、ドラゴンを手懐けたお前の功績を認めて、オレの妃にしてやろう。勇者の妻にふさわしいではないか」
まだ膝が震えている様子なのに、しっかり馬鹿なことを口にできるのだから元気そうだとコンラットは思いながらも、レネを渡すつもりはないのでいつでも瞬間移動の魔法を発動できるように身構えた。
隣に居たセブリアン王子が珍しい生きものを見るかのようにヘーラルトを見ている。
レネは自分がドレスを着ているのを確認するように目をやってからきっぱりと答えた。
「妃などお断りです。そんな戯言をおっしゃるのなら、またドラゴンを呼びますよ? あのドラゴンはあなたが追いかけっこして遊んでくれる親切な人間だと気に入っているようですから喜んで来てくれるでしょう」
ヘーラルトの顎がかくんと落ちた。顔は真っ青だ。まあ、無理もない。ブラックドラゴン討伐のとき、散々追い回されていたのはドラゴンにとって追いかけっこの遊びだったと言われてしまったのだから。
唖然としている彼とその側近を放って、一同は大会会場から逃げ出した。
外に出たところでさっきのヘーラルトの顔を思い出して、全員大爆笑したのは言うまでもない。
セブリアン王子の側近たちは彼の気性を十分理解しているらしい。おそらく目的を達してもそうでなくても、大会が終わったらさっさとこの国を後にすると言い出すだろうと、すっかり移動準備を整えて会場の外で待っていた。
「それでは、俺はこのまま出発する。ラルスたちはここに残るのだったな。それから……これを渡しておく」
セブリアンは馬車に乗り込む前にレネに手招きして招竜石をぽんと渡してきた。
「いや、単なる脅しのつもりだったし、本当にドラゴンが来るなんて思わなかったからな。なかなか面白い体験をした。大事に至らなかったことには感謝するぞ。せめて名前を教えてくれないか?」
「レネです」
「もし、婚約者殿を見限ったら俺の妃になってくれ」
「嫌です」
レネがあっさりと答えるとセブリアンは大笑いした。
「二人ともオルテガに来ると聞いている。また会おう」
そう言って彼は颯爽と馬車に乗って去って行った。
色々と問題の多い王子だけれど、人柄は悪くない。もしかしたら招竜石も眉唾だと思っていたのかもしれない。彼としてはヘーラルトがドラゴンを討伐した勇者を名乗っているのが気に入らないから正したかっただけなのだろうが……。
この後始末をさせられる両国の外交担当者には同情するしかない。
そこでコンラットは背後からの視線に気づいた。
「……色々訊きたいんだけど……まずは場所変えようか」
怒りの籠もったファースの声にコンラットはまだまだやることが残っていたのだと思い出した。
ラルスたちはレネのスキルを全く知らないのだ。コンラットが溜め息をつくと、レネが不思議そうにこちらを振り返って小首を傾げていた。
その仕草が可愛らしくてコンラットはほんの少し和んだ。この子があの巨大なブラックドラゴンに平気で話しかけるとは誰も思わないだろう。
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