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29.勝負の行方は逃げるが勝ち①

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 剣術大会の会場は騎士団の訓練場だ。王侯貴族はそれぞれが特等席を設けていて、一般庶民は立ち見をする。
 周囲は露店も並び、ちょっとしたお祭りの様相だが、要人も多く参加することから警備のために騎士団や衛兵が駆り出されている。
 レネは俯きがちにコンラットの隣を歩いているが、賑やかな様子に気を取られているように見える。はぐれないようにと手を繋いではいるけれど、ぼうっとしていて転んでは大変だとコンラットは思ってから、その馬鹿馬鹿しさに気づく。
 ……いや、たとえ転んでも彼は傷一つ追わないんだろう。わかってはいるんだが、どうしても彼に対して過保護になってしまう。
 彼を十八歳の男性として扱うなら、もっと自由にさせても構わないはずなのに。
「まだ少し時間がある。何か気になる店があれば寄ってもいいんだよ」
 そう告げるとレネは首を横に振った。
「いえ……子供の頃に家族で行ったお祭りもこんな感じだったなって……懐かしくて」
「そうか」
 レネの家族はもうこの世にはいない。事故に遭って彼だけが助かったのだそうだ。
 出会ってからしばらくは時折魘されていたけれど、この頃は落ち着いてきたのでコンラットは安心しかけていた。
 傷が薄れていても忘れているわけじゃない。何かの拍子に思い出してしまうのだろう。
 そして、レネの目が飴がけをした果物を売っている露店に向いていたのをコンラットは見逃していなかった。
「じゃあ、何か買ってみるかい? あの飴なんてどうだろう。彩りが良くて美味しそうだ」
 そう言って手を引っぱるとレネがさっと顔を赤らめた。
 きっと子供じみたものだから強請らなかったのだろう。彼は子供扱いを嫌がるから。彼の故郷にも似たような食べ物があって、気になっていたのかもしれない。
 赤い飴がけの林檎を買うと、彼は口元を綻ばせた。
「林檎飴っていう食べ物があったんです。ああいう露店でよく売られていて。小さい頃よくねだって買ってもらってました」
「こちらでは天国の林檎、などと呼ばれているよ。私も食べるのは初めてだ」
 コンラットは幼少時代を王宮で過ごしたので、そうした記憶はない。
「だったら切って食べる方がいいかもしれません。帰ってからいただきましょうか」
 レネはそう言って包みを大事そうに抱えていた。
 ……少しは機嫌が治まっただろうか。
 コンラットは出がけのちょっとしたやりとりを思い出して何とか笑みを返した。

 コンラットは貴族たちの間では卑怯な手を使って出世しただの、男女問わず手玉に取って弄んでいるだのと悪い噂には事欠かない。初対面の相手に警戒されたことも数知れない。
 その噂の出所が国王なのだから事実だと皆思っているのだろう。市井にも流れている評判はほぼ似たりよったりだ。
 面倒だったのでそれを否定して回ったことはない。
 レネはどうやらコンラットはとても派手な交際をしていて、浮名を流していると思い込んでいるようだった。
 よくイケメンと言われたのは、容姿を褒めているだけではなかったのか? そういう恋多き男のことなのか?
 けれど、レネは王宮の噂など知るはずもないので、もしかしたら彼の周りにそうした誰彼構わず言い寄るような優男がいて、それと混同されているのかもしれないと思い当たった。
 ……それとも彼がそうした輩に言い寄られて弄ばれそうになったとか? それも腹が立つ。
 確かに初対面から距離を詰めようとしたし、実際レネに興味はあるし、手放したくないので自分から離れられないように世話を焼いて束縛している自覚はある。
 でも、それなら私がレネに好意を持っている。さらにはもっと深い関係を望んでいるとわかってくれそうなものじゃないのか。
 それが誰でも声をかけると誤解されるのは納得いかなかった。
 いや、むしろ私の外見から相手に不自由していなさそうな男が自分に本気になるわけがない、と思っているのが理由なのではないだろうか。
 コンラットはそれで思い出す。玲音は自分のことを取り柄のない人より劣った人間だと思っている。
 話を聞いた限り彼の家族は彼を愛していたのだろう。けれど、それ以外の他人との関係が希薄だったのだろうか。恋愛経験すらないのだろうか。
 ……そうでなければ自分を口説いている男と同じベッドで熟睡できるわけがない。
 コンラットはそれで彼に賭けを提案した。
 今日一日の間に、レネの方からコンラットにキスできるかどうか、と。
 そうは言ったものの、彼が少しでも自分の事を意識してくれればそれでいい、くらいの気持ちだった。勝っても負けてもおかしな真似をするつもりはない。
 ただ、レネのほうは混乱した様子で、それでも強くやめて欲しいとは言い出さなかった。
 態度が多少ぎこちなくなったけれど、今日は剣術大会の観戦に行かなくてはならないと気持ちを切り替えたのだろう。賭けのことを口には出さなかった。

 会場に着くとラルスたちが待ち構えていた。彼らはセブリアン王子の随員だから特別席を与えられているらしい。冒険者というよりは少し小綺麗な身なりをしているのはそのせいだろう。
 ファースは赤一色の裾が広がったワンピースドレスを着ている。おそらくスカートの中に武器を隠し持っているのだろうと想像がついた。
「どうなっている?」
「殿下は順調に勝ち進んでいらっしゃるよ。困ったことに。この国には強い剣士はあとどのくらいいるんだい?」
 ラルスが問いかけてきた。
「正直なところ、あの王子を打ち負かせるのはいないかもしれない」
 ここ十年で騎士や軍人の世代交代が進んだ。先代国王のときは多くの優秀な剣士がいたが、ほとんどが王宮を去っている。そうした脆弱さをセブリアン王子が暴いてしまうのは外交上どうなのかと思ったが、そのくらいやらないと危機感を持たないかもしれない。
 今の国王ニクラスは文官を重んじて軍人を遠ざけている。それもあって剣術大会もここ数年は貴族の子弟たちによる茶番のようなレベルになっていた。
 だから去年私でも優勝できたんだ。
「やれやれ。そういえば君たち殿下と出くわしたんだったね。あの時は知らせてくれて助かったよ」
「それはいいんだが、殿下はやはりヘーラルト王子に執着しているのか?」
 コンラットが問いかけると、ラルスは薄く苦笑いを浮かべた。
「……なんでもヘーラルト王子は昨日のうちに公務で王都を離れたそうだ。事実関係はこちらも調査中だが、セブリアン殿下は『逃げるとは何事だ』とキレていらした」
「まあ逃げたんだろうな。だったらあのヤバそうな石も使わないでくれるだろうか」
 招竜石。竜を呼び寄せる危険な代物だ。
「だったらいいんだが。とりあえず殿下が懐から何かを出そうとしたら、魔法で拘束してくれ。剣で止められる相手じゃない」
「あとで問題にならないか?」
「いやいや、他国の王都に竜を呼びつけたほうが大問題だよ」
「そうか」
 頷いてはみたものの、問題がある。コンラットは繊細な魔法は得意ではないし、あれほどの屈強そうな男を捕らえるなら低レベルの魔法では歯が立たない。
「あの……だったら」
 コンラットの背後にいたレネがおずおずと口を開いた。ラルスには聞かれたくないらしくちらちらと目を向けているのを見て、コンラットは身を屈めて耳を近づけた。
 
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