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14 R18ではなくなった
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『……この世界を描いたゲームの題名を聞いて、まるであなたのためにあるような物語だと思いました』
以前、記憶の話をした後でふと思い出したように告げられたグイドの言葉。
グイドが言うにはこの世界の人たちが左手に持つ紋章の形には、ある程度法則性があるのだという。あまりおおっぴらには言い触らしたりはしないけれど、貴族の間では公然の秘密らしい。
『クレド王族の多くは薔薇の紋章を持つと聞いています。あなたが言うゲームの関係者には薔薇の紋章を持つ人はおそらく他にいないでしょう。そしてあなたの髪色は闇のような漆黒。まさしく闇の薔薇ではありませんか』
クレド王家は薔薇の紋章。そしてグイドの百合の紋章は剣の象徴で武門の家系に多く現れる。リージェル侯爵家もその一つ。
確かゲームの設定にもそれぞれのキャラの紋章が書いてあった気がする。手を繋いで違いの紋章を見せ合うスチルとかもあったし、モチーフにしたキャラグッズも出ていたような。……確かに薔薇はいなかった。ちなみにアルトの紋章はゲーム内では描かれてなかった。
『闇薔薇』の正式タイトルは『囚われの薔薇~闇落ちの輪舞曲』だ。考えてみれば人質として囚われているのだから、このタイトルもアルトのイメージに近くないだろうか。
『いっそこの物語をあなたのものにしてしまえばいい。エミリオが世界の中心にいるなど、私には受け入れがたいです』
グイドはことあるごとにエミリオを主人公だと言う僕を励ますつもりだったのかもしれない。
けど、エミリオはまったく薔薇と関係がないんだろうか。
『……そういえば、グイドは他の人の紋章を見たことがあるの? エミリオとか』
僕以外に薔薇の紋章を持つ人がいないと言っていた。
『本当はあまり話してはいけないのですが、護衛をしていると儀式の際などに見えてしまうことがあるのです。エミリオはヒナゲシでした』
『あれ? パンジーじゃないんだ』
エミリオの紋章はペンシエーロ侯爵家の名前にちなんでパンジーだったはず。
記憶間違いだっただろうか? その時はそれ以上気にはしなかった。
ふわりと浮き上がる感じで目が覚めた。そんなに長い時間は経っていないはずだ。
室内……だけど、僕がいた寮の部屋じゃない。見覚えのない調度と壁紙の色。趣味の悪いゴテゴテした装飾。貴族の邸宅だろう。
如何にもな天蓋付きのベッド。そして両手はその天蓋の支柱に細い紐で結ばれていた。 これじゃ寝返りも打てないじゃないか。そもそも拉致監禁犯に待遇改善を要求するのは間違ってるけど。
衣服は身につけたままだ。乱れた様子もない。襲撃前に自分とグイドに光魔法の防御をかけたおかげだろう。
物理防御にもなるし、闇魔法にかかっている者やその使い手には触れただけで強い反発が起きる。ここに運ぶのさえ大変だったはずだ。
けれど、何とか見回せる範囲にグイドはいない。それどころか燭台の灯りは点いているのに誰も人がいない。
……ここはどこなんだろう? 外がまだ暗いし、窓から差し込む月の光が陰を作っている。まだ月が高いから時間的には一、二時間しか経っていないはずだ。
アンジェロ王子がルーベン王子とエミリオに追っ手を差し向けているから僕とグイドまで連れて王都から出ることは難しいだろう。……ということは王都の貴族屋敷のどれか。
学院や王宮からもさほど遠くないエリアのはず。
……だけど、有翔もアルトも王都の土地勘については絶望的なんだよな……。いや。
僕は頭をぐるりと動かして、壁にかけられた大きな絵に目を向けた。
……何かゲームの設定に出てこなかった事実がここにあるかもしれない。
それは二人の人物が描かれた肖像画だった。一人は長い銀髪を腰まで伸ばした美しい青年。その面差しがエミリオによく似ていた。
そうしてもう一人、赤い髪の厳つい顔立ちの青年。その顔にも見覚えがある。彼が着ている上着の襟の装飾がヒナゲシの花だった。
……ヒナゲシ? もしかして、この二人って。
そう思っていたら、足音が近づいてきて、扉が開いた。入ってきたのは数人の兵士を従えたエミリオともう一人。赤い髪をした四十代くらいのその人物は、肖像画の青年とそっくりだった。
「……宰相閣下。やっぱりあなたでしたか」
宰相パパベーロ侯爵。先代国王から仕える重臣で、戦争を繰り返し疲弊するこの国の内政を支えてきた辣腕を認められ、今の国王陛下も彼を蔑ろにできないくらいの政治的な権力を持つ人物。その彼がエミリオとルーベン王子の逃亡に手を貸していた。
「エミリオはあなたの孫だったんですね」
僕の言葉に宰相は眉を軽く吊り上げた。
「……あなたはどうやらただの木偶人形ではなかったようだ。どこでそれを?」
「その肖像画の人、銀髪の人はエミリオにそっくりだ。そしてその隣の人があなたに似ているのでそう思っただけです」
肖像画の二人の青年、それはペンシエーロ侯爵令息とその伴侶だ。つまりエミリオの実の両親。エミリオの生母についてはゲームでは触れられていなかったけれど、グイドはエミリオの持つ紋章がヒナゲシだと言っていた。
……ゲームの補正なのか、それともこのルートのヒントなのかしらないけど、その差違こそがこの事件にはエミリオの母方の血筋が絡んでいる証拠だ。
ゲームでもエミリオが単独で動くにしてはご都合主義的な展開があった。それはつまり貴族の中に彼の味方がいたということになる。
「……僕をどうするつもりですか? 事と次第によっては国際的な問題になりますよ」
人質だからといって勝手に殺したりすれば問題になる。それを知らないわけがない。
「まあ、手を下したのが誰かにもよるでしょう。もし、あなたが今どこかで殺されていたとすると、疑われるのは誰なのかわかりますか?」
「……まさか、アンジェロ殿下に……」
どうやら彼らは今日の朝アンジェロ王子が僕を訪ねたことを知っているらしい。その後僕たちは寮室から一歩も出ていない。
寮の学生や職員たちはエミリオの魅了の支配下にある。
「もともとあの方はアルト殿下によこしまな感情を抱いて、度々接触していた。ルーベン殿下の立場がお悪くなって、それにつけ込んであなたを我が物にしようとしたが、拒まれたので殺してしまった……という筋書きです」
それによってアンジェロ王子を咎めて、ルーベン王子の罪を相殺させるつもりか。いや、それよりも悪い。国際問題が絡むとなればアンジェロ王子を処断せざるを得なくなる。
「哀れな人質の王子を手にかけたとなれば、アンジェロ殿下への非難は大きくなるでしょう。そうなれば……」
「ルーベン殿下が元の地位に返り咲きして、エミリオを配偶者にしていずれ国王にというのが宰相閣下のお考えですか?」
「その通り。なかなかご明察だ。では、後のことは任せたよ、エミリオ。手筈はわかっているね?」
「はい。お祖父様」
エミリオが満面の笑みで応じると、宰相は部屋を出て行った。
エミリオは背後にいる兵士に何か命じた。引きずるように連れてこられたのはグイドだった。気を失ったままのようで、あちこちに血が滲んでいる。
僕が口を開く前にエミリオがつんと顔を逸らした。
「誤解しないでよね。薬で眠らせただけ。その怪我は彼が自分で暴れたせいだから。僕らは何もしてないよ」
そう言いながらグイドをベッド脇の椅子に縛り付けるように指示する。
「……何をするつもり?」
「特等席で見せてあげるんだよ。これから君が大勢に嬲られるところを。最初は媚薬でおかしくしちゃおうかと思ったけど、君が正気のまま泣き叫ぶ方がグイドには効きそうだから。お綺麗な王子様が酷い目に遭うのを見たら、僕の言うことを聞いてくれるかもね」
うわー。ゲス野郎だ……。エミリオは下町育ちだとは知っていたけど、そういう悪いことも一通り知っていたということか。
っていうか、ここに来てR18BLゲームの本領発揮しなくてもいいだろう。
大勢に襲われて死ぬとかまっぴらごめんなんだけど。それをグイドに見られるとかどういう拷問なんだ。
「……僕の言いなりになったその後で、君を殺して捨ててきてもらうんだ。アンジェロ殿下の私邸にね。可哀想なグイドは僕がちゃんと慰めてあげるから心配しないで」
グイドに僕を殺させるというのか。闇魔法で支配して。
僕はまだグイドに殺される分岐を知っているから、まだいい。だけどグイドは? やっと記憶を取り戻して、僕を見つけてくれたのに。
自分の半身を手にかけてしまったと、いつか知ってしまったら?
グイドが傷つくのは嫌だ。アルトの心が軋むように痛む。苦しい。
「そんなことさせられるか。グイドのことが気に入ってるんじゃなかったのか」
「気に入ってるけど、どういうわけか彼には僕の力が効かないんだ。しかも頑固に君を守るのが自分の使命だと言うから。だったら君がいなくなれば諦めがつくでしょう?」
エミリオは無邪気に見える笑みを浮かべてそう言うと、水差しを手に取るとグイドの頭から水を浴びせた。
グイドの身体が大きく揺れて、顔をこちらに向ける。ベッドに縛られた僕を見て、大きく目を瞠る。
「アルト……」
グイドは自分が身動きできないほど縛られているのに気づいて、怒気を含んだ声でエミリオに問いかける。
「どういうことだ。こんな真似をしたところで何になる。この方を傷つけるなど……」
「もう必要ないんだって。だから死ぬ前にいい思いさせてあげるんだ。僕って優しいから。どうせ、あちこちで遊んでたんでしょ?」
エミリオがそう言うと、十人ほどの男が入ってきた。ギラギラした目で僕の周りに歩み寄ってくる。
「彼らは僕がお金で雇っただけで、魅了は使ってない。その意味がわかる?」
ああそうか。僕がかけた光魔法の防御は彼らには効かない。一人が僕の服に手をかけてきた。蹴飛ばそうとしたら足首を掴まれてしまう。
「顔だけは傷つけないでね。あとは好きにしていいから」
エミリオがそう言うと、男たちはにやりと笑って僕に向き直った。
服の上から身体を撫で回す手に、不快感で背筋がぞわぞわする。こんな奴らの好きにされるなんてゴメンだし、グイドに助けを求める真似なんかしたくない。声を上げまいと口を引き結んだ。
「やめろ。私を言いなりにしたいだけなら、彼に手を出すな」
グイドが自分の拘束を解こうと暴れている。それだけで僕は胸が痛くなった。
「やっぱりね。ただの護衛にしては親しげだと思ってたんだ。ルーベンに命令されてたよね? 本気になっちゃったの?」
エミリオはますます楽しそうに笑う。無邪気に見えるだけにこの場には不似合いで、気持ちが悪い。
男たちは僕が着ている服が複雑で手間がかかると思ったのかナイフのような小刀を出してきてシャツを一気に切り裂いた。肌にも刃が触れたのだろう。ぴりっと鋭い痛みが走った。肌に直接手が触れてくる。
身体を弄る手の感触は不快で、男たちの息の匂いは吐き気を催しそうだった。この時僕は頭と感覚を切り離したように冷静に周囲を見ていた。
どこで雇ったのかしらないけど、揃って盛りのついた獣みたいだ。けれど、さほど強そうには見えない。彼らがじりじりとベッドの上に乗って近づいてくる。
僕が使える魔法には攻撃手段は少ない。
けれど。
僕は紙片を握りしめていた手に魔力を集中させた。
「……来たれ【雷光】」
周囲が光に包まれた。轟音とともに屋敷全体が大きく縦に揺れる。
イーヴォが出発間際にくれた手紙には、卒業式会場の仕掛けリストと、いくつかの名刺サイズのカードが入っていた。魔法陣にも似た模様が描かれていて、それぞれ何やら『強』とか『弱』とか『ちょっと強い』とか雑に書いてある。
『光魔法の攻撃手段について古文書を参考に術式を構築してみたので、ぜひぜひ使って結果を教えて欲しいな。ご協力よろしくお願いします』
ご協力って言われても誰かを攻撃する機会ってそんなにないだろ。何を期待されてるんだ。その時はそう思った。
けど、イーヴォはわざわざ卒業式の会場の点検までしてくれたんだし、モニターくらいするべきか。とはいえなんか危険っぽい匂いがする。
それでお守り代わりにずっと持ち歩いていたんだけど……。
襲撃があるかもと言われてうっかり手にしていたのが『すごく強い』というカードだったのは知ってる。事前に発動させて魔力をチャージして使う、と書いてあったので連れ去られる前に発動させた。
けど、これ効果ありすぎじゃないか。やばすぎないか。
そう思ったのは室内に特大の雷が炸裂したと気づいた瞬間だった。目を灼くような閃光と火花、強烈な電撃が周囲に走った。窓枠や扉が吹き飛んで、室内は滅茶苦茶になった。
僕を囲んでいた奴らも全員倒れて、エミリオも気絶していた。
無事だったのは僕が防御をかけていたグイドと僕だけ。
何とか悪戦苦闘して自分の拘束を解いて、それからグイドに駆け寄った。
「……一体何をしたんですか」
グイドは唖然とした様子で僕に問いかけてきた。
「詳しくはイーヴォに訊いて欲しいな……」
僕はせいぜいピカッと光って、有翔の世界にあったスタンガンみたいに近くの相手を気絶させる程度だと思ってたんだ。注意書きにはそう書いてあったし。グイドにもこのカードのことは話してあったけど……。
男たちの誰かが持っていたのか短剣が落ちていたので、なんとかグイドを開放できた。
「どのくらいの攻撃なのかわからないから、彼らをなるべく近くにひきつけたかったんだ。ごめんなさい。痛かったでしょ?」
グイドは暴れたせいであちこち鬱血して血が滲んでいた。顔を見上げるとグイドは何度も頭を横に振る。
「この程度、大したことはありません。……あなたが薄汚い者たちに触れられただけで怒りに頭が煮えてしまいそうでした」
「あんなのノーカウントだから」
「……ノーカウント?」
「えーとね、つまり、あんなの虫刺され以下だから。気にしてないからってこと」
僕が慌てて補足すると、グイドは泣き笑いのような表情になった。
「……あなたという人は……」
言いながら強く抱きしめてくる。本当に煮えくり返る前で良かった。
僕だってグイド以外に触られるのなんて嫌だった。僕を守れなかったと、グイドが傷つくから。グイドに何一つ傷を負わせたくなかった。
……だってこの人は僕の半身なんだから。
「とにかく逃げないと。誰か来るかも……。動ける?」
「はい」
グイドが立ちあがった瞬間に数人の足音が近づいてきた。
「エミリオ? 貴様ら、エミリオに何をした」
そこにいたのはアルトの婚約者ルーベン王子だった。赤みがかった金髪のイケメンだが、僕からすれば顔が良くても他の難点でマイナスに振り切ってる感が強い。
今頃来たのかよ。何かされそうになったのはこっちなんだけど。
「殿下、それよりも何故あなたがここにいるのですか。王宮で謹慎なさっているのではなかったのですか」
「うるさい。お前の小言など……。お前、アルト王子か?」
ルーベンの目がこちらに向いた。疑問符つけなきゃならないあたりが情けない。
とはいえ、今の僕は人形のようだった最初のアルトからは大分変わって見えたらしい。
「お久しぶりです、殿下。……エミリオと宰相閣下は僕に死んでほしいそうです。殿下がここにいらっしゃるのなら、同じお考えなのですね。残念です」
オブラートに包んだけれど、お前もエミリオと同じ穴の狢なんだろう、このクソ王子、と怒りは込めておいた。
「い……いや。違う。私はお前を呼び寄せるだけとしか聞いていない。それにお前がアンジェロの婚約者にされてしまったら……クレドとの政略結婚が……」
やっと僕との政略結婚の意味を理解したらしい。僕と婚姻を結んだこの国の王族がクレドを正当に支配する口実を持つ。その権利がアンジェロ王子に渡ったら彼の地位はさらに危うくなる。
失脚しそうになってからそれを思い出したのか。
けれど、それさえも宰相とエミリオに利用されたようだけど。
「ご自分のしたことは自分で責任を取って下さい。僕は巻き込まれたくありません」
「何だと? 貴様、人質の分際で……」
ルーベン王子が剣を抜いて斬りかかってきた。グイドが素早くその手を掴んでそのまま引き倒した。剣を奪い取ると他の兵士たちを鋭い目で一瞥する。
「私は王宮騎士団副団長グイド・ザーニだ。この名を聞いて刃向かうというならかかってこい」
兵士たちはじりじり後ずさりをする。ルーベンがまだ叫きちらしていたが、グイドが当て身をして黙らせた。
外が騒がしくなった。どうやら先ほどの閃光で外に異常が伝わったのだろう。すぐに大勢の兵士が駆け込んできた。
あっさりと全員捕縛され、僕たちは保護されることになった。
兵士を率いてきたのは背の高い三十代後半の逞しい大男だった。落ち着いた風貌のその人は僕を見るとニコニコしながら近づいてきた。
「お初にお目にかかる。アルト殿下。王宮騎士団団長アロンツォ・ペトレッラです」
「もしかして……サムエーレの?」
身体は大きいし分厚いけれど、顔は優しげなので柔らかい印象。この人がサムの婚約者だ。
「はい。良き友であると聞いております。ご無事でよかった」
「ありがとうございます。あの……良かったらサムには控えめに伝えてほしいんですけど」
さすがにエミリオと宰相に誘拐されて酷い目に遭うところだったとか聞かせたくないと思ったのに、団長は首を横に振る。
「お心遣いは感謝しますが、すでに事情は知っていますよ。あなたが攫われたと聞いて絶対助けて来て欲しいと言われましたので。今頃報告を待ち構えているでしょう」
とびきりの笑顔でそう言われて、僕は黙るしかなかった。
「それでは……卒業式で会うのを楽しみにしている、と伝えて下さい」
団長は大きく頷いて、お任せください、と言ってくれた。
後でわかったけれど、あの【雷光】の電撃はあの屋敷全体に伝わって、使用人に至るまで気絶させられていたらしい。ルーベン王子たちが無事だったのは、単に見目のいい使用人と庭でイチャイチャしていたからだったというオチまでついていた。
攻略対象のイケメン枠のはずなのに、残念すぎて乾いた笑いしか出てこなかった。
それにしても屋敷一つを一撃で掌握できるとか。あんな危険物をモニターさせたイーヴォに感謝すべきなのかどうか真剣に考え込んだ。
確かに助かったんだけど、複雑な気分だった。
グイドの怪我のほとんどは相手にやられたのではなく、抵抗して暴れたのが原因だった。幸い骨までは痛めてなかったので、簡単な手当を受けるだけで終わった。アンジェロ王子がとてもいい笑顔で迎えに来てくれて、僕たちを馬車に詰め込んだ。
「悪かったね。結局囮にしてしまった形になって」
エミリオは知らなかったんだろう。僕につけられた監視が他にもいることを。それともその監視がまだルーベン王子の指揮下だと思っていたのだろうか。
攫われた時も彼らがアンジェロ王子に報告してくれるだろうと思っていた。
それでも間に合わなかったら、という不安はあった。だからイーヴォの魔法陣を使った。電灯のないこの世界なら、真夜中に不自然な光が見えれば目立つと思って。
「それにしてもあの派手な爆発はなんだったの? あの辺のご近所一帯が大騒ぎだったよ」
アンジェロ王子もまたあの雷光を目撃していたらしい。グイドが複雑な顔で黙り込む。
「……イーヴォが護身用に持たせてくれたんですけど」
「へえ、イーヴォの発明品なのか。すごいね」
実際は光魔法専用の術式なのだけど、僕がやったと知ったら面倒なことになりそうなのでイーヴォのせいにしておこう。イーヴォも今後も光魔法を研究したかったら黙っていてくれるだろうし。
「とりあえずこれで宰相まで潰せそうだよ。君たちには感謝するよ」
「もしかして、宰相閣下が黒幕だと気づいていたんですか?」
「んー……というか、父上がそれを望んでいらしたのを知っていた、と言うべきかなー」
アンジェロ王子は首を傾げる仕草で言葉を濁した。
宰相は先代国王からの重臣。王からすれば頼りになることはあっても、扱いにくく面倒な存在だろう。それを更迭する絶好の機会と期待していたのかもしれない。
宰相は魅了持ちのエミリオを使って次代の国王を操ろうとしていた。それは国を乗っ取るに等しい行為だ。厳しい罰が待ち構えているだろう。
「君たちの部屋、かなり酷い状態だったけど、荷造りはできてたみたいだから、全部王宮に運ばせてある。荷ほどきは明日にして今日の所は二人ともゆっくり休んで」
「……ありがとうございます」
グイドも怪我をしているので早く休ませてあげたかった。ほっと息を吐いたところで、アンジェロ王子がいきなり爆弾発言をしてくれた。
「二人同じ部屋でいいんだよね? というか同じ部屋にしちゃったけど」
「「え?」」
僕とグイドが同時に声を上げたのを見て、アンジェロ王子は首を傾げた。
「あれ? 違うの? イーヴォが二人に香油を送るって言ってたからてっきり……。それに兄上との婚約はすでに解消が決まったから、もう問題無いよね」
いや、違わないけど。違わないけど、隠していたつもりなのにどこまで知られてるんだ。
グイドが何か言おうとしたのを僕は遮った。
「……はい。構いません」
「アルト様……それではあなたの評判が」
「僕の評判より、グイドの傷が気になるんだ。誰か側にいないと後で腫れて痛むかもしれないし、熱が出るかもしれない。それで僕が安心して眠れると思うの?」
だから一人にさせたくなかった。おつき合いがバレてるんなら、開き直って看病させてもらおうじゃないか。
傷のことはもちろんだけど、色々ありすぎて、一人でいたくないという気持ちもあった。
だからグイド相手でもここは譲らない。
「けれど……」
「グイド。そろそろ負けを認めないと格好悪いよ?」
アンジェロ王子がそう言ってグイドを黙らせた。
その夜は目が冴えてあまり眠れなかったけれど、大好きな人と身を寄せ合っていられるだけで幸せだった。
一つ大きな山場を越えられたような安堵感は、有翔の記憶を取り戻してから初めての感覚だったかもしれない。
以前、記憶の話をした後でふと思い出したように告げられたグイドの言葉。
グイドが言うにはこの世界の人たちが左手に持つ紋章の形には、ある程度法則性があるのだという。あまりおおっぴらには言い触らしたりはしないけれど、貴族の間では公然の秘密らしい。
『クレド王族の多くは薔薇の紋章を持つと聞いています。あなたが言うゲームの関係者には薔薇の紋章を持つ人はおそらく他にいないでしょう。そしてあなたの髪色は闇のような漆黒。まさしく闇の薔薇ではありませんか』
クレド王家は薔薇の紋章。そしてグイドの百合の紋章は剣の象徴で武門の家系に多く現れる。リージェル侯爵家もその一つ。
確かゲームの設定にもそれぞれのキャラの紋章が書いてあった気がする。手を繋いで違いの紋章を見せ合うスチルとかもあったし、モチーフにしたキャラグッズも出ていたような。……確かに薔薇はいなかった。ちなみにアルトの紋章はゲーム内では描かれてなかった。
『闇薔薇』の正式タイトルは『囚われの薔薇~闇落ちの輪舞曲』だ。考えてみれば人質として囚われているのだから、このタイトルもアルトのイメージに近くないだろうか。
『いっそこの物語をあなたのものにしてしまえばいい。エミリオが世界の中心にいるなど、私には受け入れがたいです』
グイドはことあるごとにエミリオを主人公だと言う僕を励ますつもりだったのかもしれない。
けど、エミリオはまったく薔薇と関係がないんだろうか。
『……そういえば、グイドは他の人の紋章を見たことがあるの? エミリオとか』
僕以外に薔薇の紋章を持つ人がいないと言っていた。
『本当はあまり話してはいけないのですが、護衛をしていると儀式の際などに見えてしまうことがあるのです。エミリオはヒナゲシでした』
『あれ? パンジーじゃないんだ』
エミリオの紋章はペンシエーロ侯爵家の名前にちなんでパンジーだったはず。
記憶間違いだっただろうか? その時はそれ以上気にはしなかった。
ふわりと浮き上がる感じで目が覚めた。そんなに長い時間は経っていないはずだ。
室内……だけど、僕がいた寮の部屋じゃない。見覚えのない調度と壁紙の色。趣味の悪いゴテゴテした装飾。貴族の邸宅だろう。
如何にもな天蓋付きのベッド。そして両手はその天蓋の支柱に細い紐で結ばれていた。 これじゃ寝返りも打てないじゃないか。そもそも拉致監禁犯に待遇改善を要求するのは間違ってるけど。
衣服は身につけたままだ。乱れた様子もない。襲撃前に自分とグイドに光魔法の防御をかけたおかげだろう。
物理防御にもなるし、闇魔法にかかっている者やその使い手には触れただけで強い反発が起きる。ここに運ぶのさえ大変だったはずだ。
けれど、何とか見回せる範囲にグイドはいない。それどころか燭台の灯りは点いているのに誰も人がいない。
……ここはどこなんだろう? 外がまだ暗いし、窓から差し込む月の光が陰を作っている。まだ月が高いから時間的には一、二時間しか経っていないはずだ。
アンジェロ王子がルーベン王子とエミリオに追っ手を差し向けているから僕とグイドまで連れて王都から出ることは難しいだろう。……ということは王都の貴族屋敷のどれか。
学院や王宮からもさほど遠くないエリアのはず。
……だけど、有翔もアルトも王都の土地勘については絶望的なんだよな……。いや。
僕は頭をぐるりと動かして、壁にかけられた大きな絵に目を向けた。
……何かゲームの設定に出てこなかった事実がここにあるかもしれない。
それは二人の人物が描かれた肖像画だった。一人は長い銀髪を腰まで伸ばした美しい青年。その面差しがエミリオによく似ていた。
そうしてもう一人、赤い髪の厳つい顔立ちの青年。その顔にも見覚えがある。彼が着ている上着の襟の装飾がヒナゲシの花だった。
……ヒナゲシ? もしかして、この二人って。
そう思っていたら、足音が近づいてきて、扉が開いた。入ってきたのは数人の兵士を従えたエミリオともう一人。赤い髪をした四十代くらいのその人物は、肖像画の青年とそっくりだった。
「……宰相閣下。やっぱりあなたでしたか」
宰相パパベーロ侯爵。先代国王から仕える重臣で、戦争を繰り返し疲弊するこの国の内政を支えてきた辣腕を認められ、今の国王陛下も彼を蔑ろにできないくらいの政治的な権力を持つ人物。その彼がエミリオとルーベン王子の逃亡に手を貸していた。
「エミリオはあなたの孫だったんですね」
僕の言葉に宰相は眉を軽く吊り上げた。
「……あなたはどうやらただの木偶人形ではなかったようだ。どこでそれを?」
「その肖像画の人、銀髪の人はエミリオにそっくりだ。そしてその隣の人があなたに似ているのでそう思っただけです」
肖像画の二人の青年、それはペンシエーロ侯爵令息とその伴侶だ。つまりエミリオの実の両親。エミリオの生母についてはゲームでは触れられていなかったけれど、グイドはエミリオの持つ紋章がヒナゲシだと言っていた。
……ゲームの補正なのか、それともこのルートのヒントなのかしらないけど、その差違こそがこの事件にはエミリオの母方の血筋が絡んでいる証拠だ。
ゲームでもエミリオが単独で動くにしてはご都合主義的な展開があった。それはつまり貴族の中に彼の味方がいたということになる。
「……僕をどうするつもりですか? 事と次第によっては国際的な問題になりますよ」
人質だからといって勝手に殺したりすれば問題になる。それを知らないわけがない。
「まあ、手を下したのが誰かにもよるでしょう。もし、あなたが今どこかで殺されていたとすると、疑われるのは誰なのかわかりますか?」
「……まさか、アンジェロ殿下に……」
どうやら彼らは今日の朝アンジェロ王子が僕を訪ねたことを知っているらしい。その後僕たちは寮室から一歩も出ていない。
寮の学生や職員たちはエミリオの魅了の支配下にある。
「もともとあの方はアルト殿下によこしまな感情を抱いて、度々接触していた。ルーベン殿下の立場がお悪くなって、それにつけ込んであなたを我が物にしようとしたが、拒まれたので殺してしまった……という筋書きです」
それによってアンジェロ王子を咎めて、ルーベン王子の罪を相殺させるつもりか。いや、それよりも悪い。国際問題が絡むとなればアンジェロ王子を処断せざるを得なくなる。
「哀れな人質の王子を手にかけたとなれば、アンジェロ殿下への非難は大きくなるでしょう。そうなれば……」
「ルーベン殿下が元の地位に返り咲きして、エミリオを配偶者にしていずれ国王にというのが宰相閣下のお考えですか?」
「その通り。なかなかご明察だ。では、後のことは任せたよ、エミリオ。手筈はわかっているね?」
「はい。お祖父様」
エミリオが満面の笑みで応じると、宰相は部屋を出て行った。
エミリオは背後にいる兵士に何か命じた。引きずるように連れてこられたのはグイドだった。気を失ったままのようで、あちこちに血が滲んでいる。
僕が口を開く前にエミリオがつんと顔を逸らした。
「誤解しないでよね。薬で眠らせただけ。その怪我は彼が自分で暴れたせいだから。僕らは何もしてないよ」
そう言いながらグイドをベッド脇の椅子に縛り付けるように指示する。
「……何をするつもり?」
「特等席で見せてあげるんだよ。これから君が大勢に嬲られるところを。最初は媚薬でおかしくしちゃおうかと思ったけど、君が正気のまま泣き叫ぶ方がグイドには効きそうだから。お綺麗な王子様が酷い目に遭うのを見たら、僕の言うことを聞いてくれるかもね」
うわー。ゲス野郎だ……。エミリオは下町育ちだとは知っていたけど、そういう悪いことも一通り知っていたということか。
っていうか、ここに来てR18BLゲームの本領発揮しなくてもいいだろう。
大勢に襲われて死ぬとかまっぴらごめんなんだけど。それをグイドに見られるとかどういう拷問なんだ。
「……僕の言いなりになったその後で、君を殺して捨ててきてもらうんだ。アンジェロ殿下の私邸にね。可哀想なグイドは僕がちゃんと慰めてあげるから心配しないで」
グイドに僕を殺させるというのか。闇魔法で支配して。
僕はまだグイドに殺される分岐を知っているから、まだいい。だけどグイドは? やっと記憶を取り戻して、僕を見つけてくれたのに。
自分の半身を手にかけてしまったと、いつか知ってしまったら?
グイドが傷つくのは嫌だ。アルトの心が軋むように痛む。苦しい。
「そんなことさせられるか。グイドのことが気に入ってるんじゃなかったのか」
「気に入ってるけど、どういうわけか彼には僕の力が効かないんだ。しかも頑固に君を守るのが自分の使命だと言うから。だったら君がいなくなれば諦めがつくでしょう?」
エミリオは無邪気に見える笑みを浮かべてそう言うと、水差しを手に取るとグイドの頭から水を浴びせた。
グイドの身体が大きく揺れて、顔をこちらに向ける。ベッドに縛られた僕を見て、大きく目を瞠る。
「アルト……」
グイドは自分が身動きできないほど縛られているのに気づいて、怒気を含んだ声でエミリオに問いかける。
「どういうことだ。こんな真似をしたところで何になる。この方を傷つけるなど……」
「もう必要ないんだって。だから死ぬ前にいい思いさせてあげるんだ。僕って優しいから。どうせ、あちこちで遊んでたんでしょ?」
エミリオがそう言うと、十人ほどの男が入ってきた。ギラギラした目で僕の周りに歩み寄ってくる。
「彼らは僕がお金で雇っただけで、魅了は使ってない。その意味がわかる?」
ああそうか。僕がかけた光魔法の防御は彼らには効かない。一人が僕の服に手をかけてきた。蹴飛ばそうとしたら足首を掴まれてしまう。
「顔だけは傷つけないでね。あとは好きにしていいから」
エミリオがそう言うと、男たちはにやりと笑って僕に向き直った。
服の上から身体を撫で回す手に、不快感で背筋がぞわぞわする。こんな奴らの好きにされるなんてゴメンだし、グイドに助けを求める真似なんかしたくない。声を上げまいと口を引き結んだ。
「やめろ。私を言いなりにしたいだけなら、彼に手を出すな」
グイドが自分の拘束を解こうと暴れている。それだけで僕は胸が痛くなった。
「やっぱりね。ただの護衛にしては親しげだと思ってたんだ。ルーベンに命令されてたよね? 本気になっちゃったの?」
エミリオはますます楽しそうに笑う。無邪気に見えるだけにこの場には不似合いで、気持ちが悪い。
男たちは僕が着ている服が複雑で手間がかかると思ったのかナイフのような小刀を出してきてシャツを一気に切り裂いた。肌にも刃が触れたのだろう。ぴりっと鋭い痛みが走った。肌に直接手が触れてくる。
身体を弄る手の感触は不快で、男たちの息の匂いは吐き気を催しそうだった。この時僕は頭と感覚を切り離したように冷静に周囲を見ていた。
どこで雇ったのかしらないけど、揃って盛りのついた獣みたいだ。けれど、さほど強そうには見えない。彼らがじりじりとベッドの上に乗って近づいてくる。
僕が使える魔法には攻撃手段は少ない。
けれど。
僕は紙片を握りしめていた手に魔力を集中させた。
「……来たれ【雷光】」
周囲が光に包まれた。轟音とともに屋敷全体が大きく縦に揺れる。
イーヴォが出発間際にくれた手紙には、卒業式会場の仕掛けリストと、いくつかの名刺サイズのカードが入っていた。魔法陣にも似た模様が描かれていて、それぞれ何やら『強』とか『弱』とか『ちょっと強い』とか雑に書いてある。
『光魔法の攻撃手段について古文書を参考に術式を構築してみたので、ぜひぜひ使って結果を教えて欲しいな。ご協力よろしくお願いします』
ご協力って言われても誰かを攻撃する機会ってそんなにないだろ。何を期待されてるんだ。その時はそう思った。
けど、イーヴォはわざわざ卒業式の会場の点検までしてくれたんだし、モニターくらいするべきか。とはいえなんか危険っぽい匂いがする。
それでお守り代わりにずっと持ち歩いていたんだけど……。
襲撃があるかもと言われてうっかり手にしていたのが『すごく強い』というカードだったのは知ってる。事前に発動させて魔力をチャージして使う、と書いてあったので連れ去られる前に発動させた。
けど、これ効果ありすぎじゃないか。やばすぎないか。
そう思ったのは室内に特大の雷が炸裂したと気づいた瞬間だった。目を灼くような閃光と火花、強烈な電撃が周囲に走った。窓枠や扉が吹き飛んで、室内は滅茶苦茶になった。
僕を囲んでいた奴らも全員倒れて、エミリオも気絶していた。
無事だったのは僕が防御をかけていたグイドと僕だけ。
何とか悪戦苦闘して自分の拘束を解いて、それからグイドに駆け寄った。
「……一体何をしたんですか」
グイドは唖然とした様子で僕に問いかけてきた。
「詳しくはイーヴォに訊いて欲しいな……」
僕はせいぜいピカッと光って、有翔の世界にあったスタンガンみたいに近くの相手を気絶させる程度だと思ってたんだ。注意書きにはそう書いてあったし。グイドにもこのカードのことは話してあったけど……。
男たちの誰かが持っていたのか短剣が落ちていたので、なんとかグイドを開放できた。
「どのくらいの攻撃なのかわからないから、彼らをなるべく近くにひきつけたかったんだ。ごめんなさい。痛かったでしょ?」
グイドは暴れたせいであちこち鬱血して血が滲んでいた。顔を見上げるとグイドは何度も頭を横に振る。
「この程度、大したことはありません。……あなたが薄汚い者たちに触れられただけで怒りに頭が煮えてしまいそうでした」
「あんなのノーカウントだから」
「……ノーカウント?」
「えーとね、つまり、あんなの虫刺され以下だから。気にしてないからってこと」
僕が慌てて補足すると、グイドは泣き笑いのような表情になった。
「……あなたという人は……」
言いながら強く抱きしめてくる。本当に煮えくり返る前で良かった。
僕だってグイド以外に触られるのなんて嫌だった。僕を守れなかったと、グイドが傷つくから。グイドに何一つ傷を負わせたくなかった。
……だってこの人は僕の半身なんだから。
「とにかく逃げないと。誰か来るかも……。動ける?」
「はい」
グイドが立ちあがった瞬間に数人の足音が近づいてきた。
「エミリオ? 貴様ら、エミリオに何をした」
そこにいたのはアルトの婚約者ルーベン王子だった。赤みがかった金髪のイケメンだが、僕からすれば顔が良くても他の難点でマイナスに振り切ってる感が強い。
今頃来たのかよ。何かされそうになったのはこっちなんだけど。
「殿下、それよりも何故あなたがここにいるのですか。王宮で謹慎なさっているのではなかったのですか」
「うるさい。お前の小言など……。お前、アルト王子か?」
ルーベンの目がこちらに向いた。疑問符つけなきゃならないあたりが情けない。
とはいえ、今の僕は人形のようだった最初のアルトからは大分変わって見えたらしい。
「お久しぶりです、殿下。……エミリオと宰相閣下は僕に死んでほしいそうです。殿下がここにいらっしゃるのなら、同じお考えなのですね。残念です」
オブラートに包んだけれど、お前もエミリオと同じ穴の狢なんだろう、このクソ王子、と怒りは込めておいた。
「い……いや。違う。私はお前を呼び寄せるだけとしか聞いていない。それにお前がアンジェロの婚約者にされてしまったら……クレドとの政略結婚が……」
やっと僕との政略結婚の意味を理解したらしい。僕と婚姻を結んだこの国の王族がクレドを正当に支配する口実を持つ。その権利がアンジェロ王子に渡ったら彼の地位はさらに危うくなる。
失脚しそうになってからそれを思い出したのか。
けれど、それさえも宰相とエミリオに利用されたようだけど。
「ご自分のしたことは自分で責任を取って下さい。僕は巻き込まれたくありません」
「何だと? 貴様、人質の分際で……」
ルーベン王子が剣を抜いて斬りかかってきた。グイドが素早くその手を掴んでそのまま引き倒した。剣を奪い取ると他の兵士たちを鋭い目で一瞥する。
「私は王宮騎士団副団長グイド・ザーニだ。この名を聞いて刃向かうというならかかってこい」
兵士たちはじりじり後ずさりをする。ルーベンがまだ叫きちらしていたが、グイドが当て身をして黙らせた。
外が騒がしくなった。どうやら先ほどの閃光で外に異常が伝わったのだろう。すぐに大勢の兵士が駆け込んできた。
あっさりと全員捕縛され、僕たちは保護されることになった。
兵士を率いてきたのは背の高い三十代後半の逞しい大男だった。落ち着いた風貌のその人は僕を見るとニコニコしながら近づいてきた。
「お初にお目にかかる。アルト殿下。王宮騎士団団長アロンツォ・ペトレッラです」
「もしかして……サムエーレの?」
身体は大きいし分厚いけれど、顔は優しげなので柔らかい印象。この人がサムの婚約者だ。
「はい。良き友であると聞いております。ご無事でよかった」
「ありがとうございます。あの……良かったらサムには控えめに伝えてほしいんですけど」
さすがにエミリオと宰相に誘拐されて酷い目に遭うところだったとか聞かせたくないと思ったのに、団長は首を横に振る。
「お心遣いは感謝しますが、すでに事情は知っていますよ。あなたが攫われたと聞いて絶対助けて来て欲しいと言われましたので。今頃報告を待ち構えているでしょう」
とびきりの笑顔でそう言われて、僕は黙るしかなかった。
「それでは……卒業式で会うのを楽しみにしている、と伝えて下さい」
団長は大きく頷いて、お任せください、と言ってくれた。
後でわかったけれど、あの【雷光】の電撃はあの屋敷全体に伝わって、使用人に至るまで気絶させられていたらしい。ルーベン王子たちが無事だったのは、単に見目のいい使用人と庭でイチャイチャしていたからだったというオチまでついていた。
攻略対象のイケメン枠のはずなのに、残念すぎて乾いた笑いしか出てこなかった。
それにしても屋敷一つを一撃で掌握できるとか。あんな危険物をモニターさせたイーヴォに感謝すべきなのかどうか真剣に考え込んだ。
確かに助かったんだけど、複雑な気分だった。
グイドの怪我のほとんどは相手にやられたのではなく、抵抗して暴れたのが原因だった。幸い骨までは痛めてなかったので、簡単な手当を受けるだけで終わった。アンジェロ王子がとてもいい笑顔で迎えに来てくれて、僕たちを馬車に詰め込んだ。
「悪かったね。結局囮にしてしまった形になって」
エミリオは知らなかったんだろう。僕につけられた監視が他にもいることを。それともその監視がまだルーベン王子の指揮下だと思っていたのだろうか。
攫われた時も彼らがアンジェロ王子に報告してくれるだろうと思っていた。
それでも間に合わなかったら、という不安はあった。だからイーヴォの魔法陣を使った。電灯のないこの世界なら、真夜中に不自然な光が見えれば目立つと思って。
「それにしてもあの派手な爆発はなんだったの? あの辺のご近所一帯が大騒ぎだったよ」
アンジェロ王子もまたあの雷光を目撃していたらしい。グイドが複雑な顔で黙り込む。
「……イーヴォが護身用に持たせてくれたんですけど」
「へえ、イーヴォの発明品なのか。すごいね」
実際は光魔法専用の術式なのだけど、僕がやったと知ったら面倒なことになりそうなのでイーヴォのせいにしておこう。イーヴォも今後も光魔法を研究したかったら黙っていてくれるだろうし。
「とりあえずこれで宰相まで潰せそうだよ。君たちには感謝するよ」
「もしかして、宰相閣下が黒幕だと気づいていたんですか?」
「んー……というか、父上がそれを望んでいらしたのを知っていた、と言うべきかなー」
アンジェロ王子は首を傾げる仕草で言葉を濁した。
宰相は先代国王からの重臣。王からすれば頼りになることはあっても、扱いにくく面倒な存在だろう。それを更迭する絶好の機会と期待していたのかもしれない。
宰相は魅了持ちのエミリオを使って次代の国王を操ろうとしていた。それは国を乗っ取るに等しい行為だ。厳しい罰が待ち構えているだろう。
「君たちの部屋、かなり酷い状態だったけど、荷造りはできてたみたいだから、全部王宮に運ばせてある。荷ほどきは明日にして今日の所は二人ともゆっくり休んで」
「……ありがとうございます」
グイドも怪我をしているので早く休ませてあげたかった。ほっと息を吐いたところで、アンジェロ王子がいきなり爆弾発言をしてくれた。
「二人同じ部屋でいいんだよね? というか同じ部屋にしちゃったけど」
「「え?」」
僕とグイドが同時に声を上げたのを見て、アンジェロ王子は首を傾げた。
「あれ? 違うの? イーヴォが二人に香油を送るって言ってたからてっきり……。それに兄上との婚約はすでに解消が決まったから、もう問題無いよね」
いや、違わないけど。違わないけど、隠していたつもりなのにどこまで知られてるんだ。
グイドが何か言おうとしたのを僕は遮った。
「……はい。構いません」
「アルト様……それではあなたの評判が」
「僕の評判より、グイドの傷が気になるんだ。誰か側にいないと後で腫れて痛むかもしれないし、熱が出るかもしれない。それで僕が安心して眠れると思うの?」
だから一人にさせたくなかった。おつき合いがバレてるんなら、開き直って看病させてもらおうじゃないか。
傷のことはもちろんだけど、色々ありすぎて、一人でいたくないという気持ちもあった。
だからグイド相手でもここは譲らない。
「けれど……」
「グイド。そろそろ負けを認めないと格好悪いよ?」
アンジェロ王子がそう言ってグイドを黙らせた。
その夜は目が冴えてあまり眠れなかったけれど、大好きな人と身を寄せ合っていられるだけで幸せだった。
一つ大きな山場を越えられたような安堵感は、有翔の記憶を取り戻してから初めての感覚だったかもしれない。
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