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13 確定ではなくなった
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卒業式の三日前。寮室のドアを開けるとそこに何故かいるはずのない人が立っていた。
キラキラ王子こと第二王子アンジェロ殿下。
「……お忙しいのではないのですか?」
僕が思わずそう呟いたのは当然だと思う。
王宮では現在アネート伯爵を始めとする先代国王からの旧臣たちが次々に更迭されている。アネート伯爵は移民を大がかりに受け入れる政策の裏で、見目のいい者を高級奴隷としてあちこちに売りさばいていた事実が発覚した。
その告発を行ったのが目の前にいるアンジェロ王子だ。現在嬉々として悪事を働いていた貴族たちを処断して、王太子指名も近いのではないかという時の人になっているらしい。
外出禁止命令を受けて学生寮で引きこもっている僕ですら、下級生たちの噂話で知っているくらいに。
「確かに忙しいけど、休憩時間くらいはあるよ。学院に用事があったから、ついでに君たちの卒業式や引っ越し準備は進んでるかなと思ってひやかしに来たってところかな」
あいかわらず底の見えない嘘っぽい軽薄な笑みでそう説明する。
「……ひやかしですか」
ひやかしなら帰ってくれと言いたいけど、本当の用件は言葉通りではないだろう。
「せっかくだからお茶くらいごちそうしてくれないかな?」
「わかりました」
荷造りをしていたグイドに目を向けると、手を止めて諦めた様子で頷いていた。
従者を外に控えさせて入ってきたアンジェロ王子はぐるりと室内を見回した。
「荷造りはできている?」
「そうですね。外にでかけられないので、とても捗りました」
卒業式の翌日が退寮の期限だ。ほとんどの卒業予定者はもう家に帰っている。
僕も卒業後は王宮に移って婚礼準備に入る予定だった。今となってはどうなるのかわからないけれど、引っ越しはすることになるはずだ。
「とりあえず明日の朝にでも王宮に用意した部屋に入ってもらうことになったよ。兄上の王子宮じゃなく、どちらかと言えば父上のお住まいに近いかな」
「それは……僕の立場には過ぎたものでは……」
そろそろ王宮に移るように言われると思ってはいた。
てっきり引っ越し先は他の国からの人質が暮らしている王宮内の貴賓牢だろうと思っていた。ルーベン王子の処遇が決まらないと僕の扱いも決まらないからだろうか。
「そうとも言えない状況なんだよね。困ったことになってる」
アンジェロ王子は腕組みをして考え込む。
「今朝方、兄上とエミリオが王子宮から一緒に姿を消した。現在捜索中だ。そのまま愛の逃避行ならまだいいけど、何か企んでると困るんだよね。まだ兄上を支持する者は残っているから。予想ができない限り、念のため君も王宮にいてくれた方が助かる」
「……わかりました」
ルーベン王子とエミリオがいなくなった? 王宮内では闇魔法の効力は抑えられていたはずだから、王子の支持者が手を貸したんだろうか。
僕がアネート伯爵家の告発に手を貸したことは知られていないだろう。けれど、エミリオが僕に向けてきた敵意を思い出すと、このままで済むのかという不安はある。
「あと、グイド。君の忠誠がどこに向いてるのか聞いてもいいかな?」
アンジェロ王子が僕の背後に控えていたグイドに目を向ける。
「君はずっと兄上の護衛を務めていたけれど、君の後見はリージェル侯爵家だ。兄上の派閥ではなく、中立反戦派のお家柄だろう? 今、一体誰を支持しているのか知りたいね」
アンジェロ王子は今、残っている者たちが自分の味方になるかどうか見定めているのだろうか。
グイドは迷う様子もなく答えた。
「侯爵家のことはわかりません。私の剣は国王陛下に捧げました。ルーベン殿下ではありません」
アンジェロ王子は満足げに微笑んだ。
「そう。ならばグイド、王命により騎士団の任を離れてアルト殿下の警護に専念することを命じる。辞令は追って届けさせる。日付もちゃちゃっと弄っておくから安心してくれ」
「……ありがたく拝命いたします」
グイドは胸に手を宛てて一礼する。そうか。グイドが僕の側にいてくれるのはルーベン王子の命令があったからだ。本来ならグイドはルーベン王子の護衛だったのだ。
王子の口頭命令があったとはいえ、勝手に国王陛下から命令された本来の任務から離れていたことを責められる可能性もあった。
ルーベン王子が罪に問われている今、僕とグイドの関係はとても危うい場所に立っていたのだと改めて気づく。
そのためにアンジェロ王子はグイドがこれからも僕の側にいられる正当な理由を用意してくれたのだ。
これは、彼の捜査に協力した褒美なんだろう。
「それじゃ、明日王宮で会えるのを楽しみにしてるよ」
アンジェロ王子はそう言っていつも通りの軽薄な笑みを浮かべて帰って行った。
「……愛の逃避行だと思う?」
アンジェロ王子が帰った後、荷造りの続きをしながら僕はグイドに問いかけた。僕よりグイドの方がゲームではなく生身のルーベン王子やエミリオの人となりを知っている。
グイドは少し考えるように間を置いて、慎重に答えてくれた。
「ルーベン殿下は自分の負けを認めないご気性です。このまま引き下がって処分を待つようなことは考えにくいでしょう。エミリオは人に尽くされることを好んでいるようですから、この状況で何の利もなしにルーベン殿下に付き従うのは不自然です。アンジェロ殿下がわざわざ『一緒に』とおっしゃったからには二人は同行しているのでしょう。そうなると何事もなく二人で逃げ去るとは思えません」
確かに。ステータス画面でもエミリオの攻略キャラへの好感度は下がりっぱなしだ。唯一側にいなかったグイドだけがMAXをキープしている。
この状況でルーベン王子が何か企んでいても、それについていく理由はない。彼の仇だったアネート伯爵が告発された今、このまま平民に戻って静かに暮らした方が楽なはずだ。
……エミリオがこのままフェードアウトするだろうか。
「……どちらにしても、明日王宮に入れば大丈夫でしょう。私はあなたをお守りするだけです」
卒業式まで動きはないと思っていた。けれどそれは有翔の記憶にあるゲーム知識による先入観に過ぎない。もうエミリオの攻略対象への選択イベント、つまりはアルトの破滅エンド決定イベントとしての卒業式は存在しなくなる。
だったら……エミリオの狙いは何なのか。
贅沢がしたいとか権力がほしいとかそんな単純な理由なら、ルーベン王子をとっくに見限っただろう。彼の魅了の能力があればどこでも暮らしていけるはずだ。
仇討ちをするにもアネート伯爵は彼が手を下す前に告発されてしまったし、一番の仇である先代国王はすでにこの世にいない。
「……そういえば……」
ステータス画面でエミリオのアルトに対する好感度を開いてみることにした。以前見た時は面識がないのでプラスマイナスゼロの状態だった。
その画面にぞっとした。いつの間にかマイナスのどん底になっていた。何故そんなに嫌われたんだ。僕はエミリオを苛めたりちょっかい出したりしていないのに。
エミリオがグイドを気に入っているから、グイドが僕の護衛をしているのが気に入らない……ってそこまで嫌うだろうか?
それに元々噂で良くないイメージを持っていたのなら、前に見たときにマイナスになってるはずだし。
あれか? 有翔がバッドエンド回収のためにわざと酷い結末の選択肢選びまくったからその恨みなのか? いや、そんなものがゲームに反映されること自体おかしい。
よくわからないけどそこまで嫌われるって、気味悪いな。そう思っていたら、グイドがじっとこちらを見ていた。
「もしかして……嫉妬?」
「何のことですか?」
「グイドはエミリオを守るために誰かに剣を向けたりしたことがある?」
「いいえ。そもそも私の警護対象はルーベン殿下であってエミリオではありません」
うわ。真面目なグイドだからそうだろうと思った。グイドからすれば最優先はルーベン王子で、エミリオは二の次の扱いだったんだろう。
魅了のおかげで誰からもちやほやされてきたエミリオにはその態度が新鮮に見えたんじゃないだろうか。ほら、マンガとかでモテ男が自分になびかない女の子に「おもしれー女」とか興味を持つアレと一緒で。
エミリオはルーベン王子にグイドを自分専属の護衛にして欲しいとかおねだりしたんじゃないだろうか。けど、魅了にかかっていたとはいえ、ルーベン王子はさすがにその下心に気づいたんだろう。それで適当な言い訳をつけて気に食わない婚約者に送りつけた。
エミリオの周りには自分の言いなりになる者しか残らなくなった。そのせいで徐々に周りの人間に対する好感度が下がっていったんじゃないだろうか。
つまり、エミリオの本命はグイドなんだ。しかもグイドが真剣にアルトを守っている姿を見て、激しく嫉妬したんだ。だから僕を嫌っている。
ルーベン王子はエミリオに強く執着している。長期間の魅了の影響もあるのだろう。エミリオと結婚したい。だから邪魔な婚約者を排除したい。
意外にあの二人、目的は一つなんじゃないか。
そう説明したらグイドははっきりと嫌そうに眉を寄せた。
「どうしてあなたは……危ういのはご自分だとそんなに冷静に話せるんですか」
「いや……可能性の話だから……」
「なおさらです。可能性の一つでも警戒しなくてどうするのです」
怒られてしまった。そうだった。
グイドは有翔の記憶からこの世界の未来を見ていたことを知っている。迂闊なことを言うと、それを本気で起きることだと思うだろう。
しかもアルト破滅絶許勢だから……。
グイドは立ちあがると窓の外や部屋のあちこちをぐるりと見回してから、こちらに向き直る。厳しい表情でテキパキと指示を飛ばしてきた。
「昼間のうちに少しでも睡眠をとっておいて下さい。今夜は夜着ではなくちゃんと服を着て過ごして下さい。万一に備えて明日の朝まで警戒をするに越したことはないでしょう」
明日の朝には王宮からの迎えが来る。それまではこの学院の警備くらいしかあてにできない。一気に実戦モードに入ったグイドは自分の剣やら装備を確認し始める。
……いや、いくら何でも逃げ出して早々仕掛けてきたりは……。
という僕の認識はその夜あっさりと裏切られることになった。
外から薄く月明かりが差し込んできていた。
喩えるなら何かを弾いたような、そんな感覚があった。昼間グイドに強制的にベッドに寝かされて睡眠をとらされたので、眠りが浅かったのもあるんだろう。
何も言わず、かすかな音さえもなくグイドが動いた気配がした。
指示されていたのは何があっても僕は使用人部屋のベッド下に隠れていること。
けれど何かおかしい。
外から侵入してきた人間の気配がない? 足音がするけれど廊下側だ。
「どういうつもりなんだ。こんなことを……」
グイドの声がする。状況がわからなくてそっとベッドの下から這い出した。
足音と誰かが引き倒されたような気配。
そして大勢の人間の足音と、グイドの声が聞こえた。人が争っている足音と引き倒されるような派手な音。
しかもこちらの部屋のドアを叩いてくる。
「ここに隠れているの? アルト殿下?」
扉には鍵がかかっている。グイドなら先に声をかけてくるはずだ。
かすかな音と同時にドアが開いた。
そこには燭台を片手に持ったエミリオが立っていた。陽光のようなと表された笑顔を浮かべて。手には鍵の束を下げている。
その笑顔が場違いすぎて、背筋が寒くなった。
「なぜ……ここに」
「ルーベンがねえ。よくわからないけど、君をアンジェロに渡す訳にいかないって言うから迎えに来たんだ」
「やめろ。彼に手を出すな」
グイドの声がした。開け放たれた扉の向こうは異様な光景だった。
床に倒れている数人。そして、剣を構えたグイドの周りを取り囲む十人ほどの人影。
「……そろそろ潮時かな。捕まえて」
そう言ってエミリオが合図すると数人がこちらに近づいてきた。
顔に見覚えがある。うつろな目で僕を捕らえようとしているのは、この寮に住む学生たちだ。
魅了を使って彼らを操っていたのか。グイドがやりにくそうな様子なのは、学生に怪我をさせることを躊躇っているからだろう。
両側から腕を掴まれて、床に座らされる。エミリオは短剣を取り出すとそれを僕に向ける。
「グイド。剣を捨てて大人しくしてくれないかな? とりあえず君たちをルーベンのところに連れて行くだけだよ?」
「……なら剣を向ける必要はないだろう」
グイドはそう言いながら手にした剣を床に置いた。後から入ってきた兵士たちが彼を後ろ手に縛るのを見て、僕はエミリオを睨んだ。
「ルーベン殿下が呼んでいるのは僕だけなら、グイドを巻き込まないで」
そう言ったらエミリオは僕の襟首を掴んできた。
「僕に命令できる立場じゃないでしょ? ほんとに、どうして君たちは僕の思い通りにならないのかな。ここには気持ちの悪い仕掛けはないみたいなのに」
それで僕は自分の予想が甘かったことに気づいた。
エミリオが無自覚に魅了を振りまいて周囲を虜にしている、というのはゲームの設定だ。
けれど、もしエミリオが自分の魔法に気づいて意図的に使えるようになっていたら?
王宮にイーヴォが仕掛けた闇魔法を封じる装置に気づいて、外で仕切り直しを考えるだろう。魅了によって味方を増やすために。
垂れ流しであれだけ広範囲に人を引きつけていたのだから、彼の魔力量は低くはないだろう。それをコントロールされたらどうなるか。
この寮に残っていた職員や下級生を操ってグイドを囲ませる。グイドは彼らに剣を向けられない。おそらく倒れている生徒も気絶させただけだろう。
中に入り込まれたら外からの敵に警戒している警備員がいても気づくのは難しい。
それにこの寮を襲撃されるとは思わなかった。ここにはイーヴォの装置がないと見てこちらを標的にしたんだろう。
「あれ? 君は知ってたんだ? イーヴォが僕の邪魔をしていたこと。嫌だなあ。何の苦労もせずに育って、人質のくせにルーベンの婚約者だからって偉そうにグイドを顎でこき使って。少しは痛い思いをするべきだよね」
エミリオはそう言い捨てると僕の襟を離して後ろに突き飛ばした。
苦労してない? アルトが? 冗談はやめてくれ。人の苦しみを勝手に語るな。自分だけが被害者みたいに言うな。
そう言いたかったけれど背中を思い切り床にたたきつけられて痛みを堪えるのがやっとだった。
エミリオが布に液体を染みこませて僕の鼻先に突きつけてきた。
「よかったね。アルト殿下。久しぶりにルーベンに会えるからうれしいでしょう? きっとたっぷり可愛がってくれるよ」
うれしいわけないだろ。そう言いたかったけれど、何かの薬を嗅がされてそのまま意識が遠のいた。
グイドが僕を呼ぶ声が聞こえた気がする。
……大丈夫だよ。そんなに簡単に死ぬわけにはいかないんだから。何も準備していなかったわけじゃない。
そっと隠し持っていた紙を握りしめた。魔力を通すと小さく痺れるような痛みが走った。
その感覚に安心して、僕は意識を手放した。
僕は非力かもしれないけれど、無力ではないんだから。
『タイトルについてる闇落ちっていうのがね、誰のことなのかわからないんだよね。タイトル通りなら主人公が闇落ちする……ってのがあっても良くない? 復讐の鬼と化して攻略キャラ全員を屈服させて君臨する闇のエミリオとか見たいと思わない?』
真っ暗闇の中で有翔の妹の声が聞こえてきた。何故今ここでそんな話を思い出すんだ。
記憶の中でもこちらへの励ましなどかけらもないその明るい声が彼女らしくて、僕はふっと力が抜けた。
ただ、頼むからそんな妄想は薄い本の中だけにしてくれ……。
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