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1 他人事ではなくなった
しおりを挟む僕がバイトを終えて帰宅したら、妹がリビングでゲームをしていた。
「おかえりー。兄貴。ご飯冷蔵庫に買って来てるよー」
振り向きもせず無邪気に答える妹の向こうでは、画面いっぱいに三人の男がまあ……ベッドで致している真っ最中のシーンが大写しになっていた。
一応ヘッドフォンしているから音声は聞こえないのが幸いだ。
「……お前な。いくら親が居ないからって……」
「いいじゃん。兄貴ならわかってくれると信じてる」
「諦めてるだけなんだけどな……」
僕は溜め息をついてから冷蔵庫に入っていたコンビニ弁当をレンジに放り込む。父は現在大阪に単身赴任中。母は様子見ついでに大阪観光してくるわ、って二週間くらい向こうに滞在する予定だという。
で、それをいいことに妹はリビングを完全に占領している。
うちの妹はいわゆるBLゲームが好きだ。別に趣味趣向は人それぞれだが、リビングの65インチ大画面テレビでうふふなシーンを繰り広げるのはどうなのか。しかも奴がプレイしているのはR18のエロ満載のかなりきわどい内容のばかりだ。
父ちゃんが趣味で構築したホームシアターがそういう用途に使われていると知ったら泣くよな……単身赴任中で良かった。
そう思いながらもそもそと弁当を食べる。
画面ではまだ二人の男に同時に甘ったるい台詞で口説かれながらピンク色の髪の少年が喘いでいる映像が続いている。
あんな華奢な身体で二人も相手するとかすごいな。頑丈すぎないか。鋼鉄製の尻なのか。
この状況でそんなことを考えながら飯が食えるくらいには、僕も慣れてきたもんだと思う。
というかまあ、イケメンと美少年がイチャついていてもどうでもいい。友人がお勧めしてきたアダルトビデオでもあまりに内容が非現実だと興奮するより冷静にアラ探ししてしまうので、元々そういうフィクションに入り込むタイプではないんだろう。
ホラー映画で血みどろの殺人鬼が追っかけてきても自分が殺されるんじゃなかったら笑って見られるのと同じだ。自分には関わりがないんだから大丈夫という気持ちがどこかにある。だから他人事なら割と平然としていられる。
「んで? 隠しルートってのは見つかったのか?」
「うーん。攻略サイトにも確定条件が書いてないんだよね。ただの噂なのかなあ」
最近妹がハマっているR18BLゲーム「囚われの薔薇~闇落ちの輪舞曲」、通称「闇薔薇」。美少年と五人のイケメンの愛憎劇といううたい文句ではあるが、とにかくイチャイチャイチャイチャと……こいつらはいつパンツはいてるのかってくらいベッドシーンが多い。
舞台は西洋風王宮内で平民美少年主人公に王侯貴族の子弟たちイケメンが言い寄るって点では後宮とかハレムものっぽい。いや、むしろ遊郭とかの方が近いのか。
で、メインキャラ以外にもう一人美少年キャラがいて、その彼のルートがあるらしいのだが……。
「とにかく、目指せアルトたんルート。エロかわアルトたんを愛でるために頑張るよ」
「その『アルトたん』はやめろ」
問題はそのキャラの名前だ。僕の名前は境有翔、名前が被っている。チョサクケン(?)の侵害だ。断固抗議したい。
「ねえねえ。兄貴、明日は講義もバイトもないんでしょ?」
妹はいきなりこちらに期待の眼差しを向けてきた。
「……ないけど、レポートの仕上げしなきゃいけないから暇じゃない」
「あと二つバッドエンド回収したらコンプなの。お願い、一つでもいいから回収して」
「またかよ……」
以前も似たようなことを頼まれたっけ。推し以外のルートは興味ないけどスチル回収はしときたいからって。
しかもバッドエンド回収かよ……。鬱展開見せられるこっちの気持ちにもなってほしい。
安易に人を監禁すんな。病んでストーカーになるな。無理心中するな。と声を大にして言いたくなる。
「ストーリーは既読スキップで流せばいいし、好感度の要点とルート分岐のところはメモしてあるから。兄上様、お願い。明日は部活があるから早く帰れないんだよー」
結局のところ、僕は妹に甘いのかもしれない。仕方なく大学のレポートを仕上げる片手間でそのゲームのスチル回収を手伝うことになった。
舞台は西洋風の王政国家スプレンドレ王国。その世界には女性が存在しない……というかまったく出てこない。同性婚が当たり前で、子供は神殿でカップルが祈祷したら授かるというファンタジー設定。
平民の主人公エミリオが第一王子に見初められて王宮につれて行かれることから話が始まって、王子の寵愛を得て美しく磨かれた彼にいろんな男が群がって行くという展開。
一応はエミリオが王子に近づいたのは親の仇をとるためだというストーリーはあるけれど、大半が王宮の中での愛憎劇だ。
主人公は攻略キャラはもちろん、モブキャラとのベッドシーンもある。特殊嗜好や複数プレイも出てくる。っていうかやり過ぎじゃないのか。既読スキップで見ていても延々と裸の絡みの絵面が続いている。
だんだん自分の目がチベットスナギツネみたいになってきたような気がするぞ。
妹一推しのアルトたんは第一王子の婚約者。主人公に婚約者を奪われて嫉妬のあまり嫌がらせをして破滅する悲運なキャラだ。いわゆるライバル悪役ポジション?
綺麗な黒髪と悲しげなすみれ色の瞳をした、そっと手を差し伸べたくなるような華奢な少年で、非業の最期を遂げる度に見ていて胸が痛かった。
「……うわ、こいつらまだやんのか……。マジで尻の材質はどうなってんだ。形状記憶合金か? ファンタジーだからいいのか?」
妹の残したメモを片手にツッコミを入れまくって……やっと最後のバッドエンドのスチルが表示された。
「終わったー」
急速に眠気が襲ってきた。妹が帰ってくるまではまだ少しあるから仮眠でもとるか。
ソファーにごろりと横になって、ふと思い出す。
同じ名前のよしみだし、もしアルトたんルートがあるのなら、彼が幸せになれるといいなあ……。
僕の視界の端で、明るい音楽とともにゲーム画面が切り替わったような気がしたが、それを確かめることなく僕は眠りに落ちた。
『総プレイ百時間達成、スチルコンプリート、ステータス条件クリア。アルト・フレーゲのルートをプレイできるようになりました。おめでとうございます』
* * *
「アルト。アルト。ああ、良かった。目が覚めたんだ」
目を覚ますと見覚えのない天井。そしてぼんやりしていたら大柄な男が必死で僕の名前を呼んでいる。
心配してくれるのはありがたいが、お前誰?
明るい栗色の髪と青い瞳のプロレスラーのような筋肉質の体格をした男。人懐っこそうな幼さの残る顔立ちからしても、僕とそんなに歳格好は違わないだろう。
「……ここは?」
「医務室だよ。バカなことした奴らはちゃんと絞めといたからね」
「……バカなこと?」
「噂を真に受けたバカがわざと階段から突き落としたんだよ。グイドがいなかったら大怪我してたところなんだから」
そうだ、目の前にいるのは同級生のサムことサムエーレ。寮で同室の数少ない友人だ。一気に頭の中に大量の情報が流れ込んできて、額に手のひらをあててしばらく動けなかった。
僕はアルト・フレーゲ。十七歳。ここスプレンドレ王立貴族学院の最高学年に所属している。三ヶ月後の卒業を控えて毎日を忙しく過ごしていた。
今日の午後、授業を終えて校庭に続く石の階段を下りていると、いきなり背後から駆け寄ってきた誰かに突き飛ばされた。
『ざまあみろ。よそ者の淫売め』
宙に放り出されるように階段から落ちた時、そんな嘲りの言葉が耳を掠めたのを覚えている。
頭は少し混乱しているけど、あんな事になったのに身体には痛みがない。怪我はしていないようだ。
サムの手を借りてベッドから身を起こすと、その正面に腕組みをして黙って立っている長身の男に気づいた。
整った精悍な顔立ちの男は不機嫌を絵に描いたような表情をしている。威圧的な空気を纏っていて見た目が怖い。
黒づくめの軍服を着ていて、少し癖のあるブルネットの髪を首の後ろで無造作に束ねている。腰には使い込んだ長剣。
彼の名はグイド・ザーニ。二十七歳。元々は王宮騎士団に所属する武人で、十日ほど前から僕の護衛している。
階段から落ちたあの時、目の前に黒い影が横切ったように見えた。あの高さから落ちて怪我一つしていないのだから、サムの言う通り彼が助けてくれたのだろう。
彼は鋭い灰色の瞳でこちらをじっと睨んでいる。お礼くらいは言うべきだろうか。
「……ザーニ卿。お手を煩わせて申し訳ありませんでした」
そう口にすると、彼は腕を解いて首を横に振る。
「仕事ですから」
低くよく響く声でそれだけ告げると、そのまま部屋を出て行った。
「あいかわらず愛想のない奴だな」
サムが不満げに呟く。
「仕方ないよ。好きで僕の警護をしてるわけじゃないんだから」
王族や王宮関係者の警護を務める王宮騎士団は、騎士の中でもかなり優秀な人でないと入れない。そんな人がいくらルーベン王子殿下のご命令とはいえ、僕のような評判の悪い人間なんて守りたくはないだろう。
だって僕は……。
気持ちが沈んでしまいそうになったその時、不意に頭の中に明るい声が響いてきた。
『アルトたんはねー、エロかわいいっていうか。清純なのにエロいのよ。製作側もスチルめっちゃ力入れてるんだよ。これで破滅エンドの当て馬悪役ポジションってないよね』
「……悪役……? スチル?」
不意に頭の中に不思議な光景が次々と浮かんでくる。それらが繋がってくると自分の中に新たな過去が出来上がっていく。自分が知らなかった、そして見たこともない世界の記憶。けれどそれもまた、僕が経てきた人生だ。
僕は二つの人生を生きてきたかのようなその記憶を両方とも自分のものだと確信できた。
僕は境有翔という二十歳の大学生だった。
妹に頼まれてゲームを周回していて……バッドエンドも全てコンプリートした。あのあと何があったんだろう?
ベッドの脇に置かれていた姿見に映った自分の姿。それはゲームの中で散々見たキャラの容姿そのものだった。
肩を覆う長さのさらさらと真っ直ぐな黒髪。長いまつげに縁取られたすみれ色の瞳。色白で中性的な整った顔立ちに、薄紅色のふっくらとした唇が色香を感じさせる。
……『闇薔薇』のアルト? 僕が?
ゲームの中でとにかくどのエンディングでも婚約者の第一王子に裏切られて破滅するアルト・フレーゲ。
あっさり殺されるのなら良い方で、牢獄で囚人たちに暴行されて死ぬとか、娼館に売られて生涯を終えるとか、薬で洗脳されて廃人になるとか、魔法の実験台にされて使い潰されるとか……とにかく畳の上では死ねない。この世界には畳はないだろうけどそんな感じだ。
ゲームなら他人事で済むけど、どの死に方も嫌に決まってる。
ぎゅっと握り閉めたシーツの感触。支えてくれているサムの腕。窓から吹き込んでくる風。ゲームでは知り得なかったアルトの幼いときからの詳細な記憶もこの頭の中にある。間違いなく僕はアルト・フレーゲだ。
……無理。こんなの絶対無理。だれかドッキリ企画だと言ってくれ。
僕があまりにショックを受けて固まったのを見て、よほど具合が悪いのかと思い込んだサムが大騒ぎして校医を呼びに行こうとした。
いや待ってくれ。医者にどうにかできるようなことじゃないだろ、これ。
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