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「警備兵。大公閣下はご乱心のようです。ひとまず取り押さえなさい」

 ロラン司祭長が告げると、警備兵たちが大公を取り囲む。

「どういうことだ、今日は私の戴冠式だぞ。なのになぜ部屋に閉じこめたのだ」

 それを聞いて貴族たちの中からざわめきが起きた。

 古い貴族なら戴冠式の前に王が案内される潔斎の間の意味を知っているだろう。

 あの扉から出られなかった、ということは、王家の血を引いていないという意味なのだと。

「閉じこめたりなどしておりません。あの扉からおいで下さいと申し上げました。王家の血を引く正統なるお方ならばあの扉を開けられるはずですから」

「……何を馬鹿な。そんなはずはない。私の父は……」

 大公が顔をまっ赤にして怒鳴り散らした。

 そして王冠を被ったティエリーに目を向ける。

「その小僧が本物のティエリーだという証拠はどこにある」

 それを聞いて、アンベールが立ちあがった。

「それはもちろん、王冠を被ることができたからです。その王冠には正しい王家の血を引いた者でなければ被ることができない仕掛けがなされています。先ほどおっしゃった扉を開けられなかったということは、その資格がないということ」

「貴様。アンベール・バタイユか」

「はい。左様です。閣下がスーリの街を焼きつくしてでも捕らえようとなさっていたアンベール・バタイユです」

 それからアンベールは調査結果をつらつらと述べた。



 フェルナンの祖父に当たる先々代国王は、大公が自分の子ではないと疑っていた。彼は子供が作れない病にかかっていて、本人もそれを知っていた。だから大公が物心つく前に例の扉、王族でないと開けられない扉に触らせたのだ。

 その結果大公はすぐに臣下に降りることになった。生きるに困らない程度の所領も与えられた。そして、フェルナンの父は『何があっても奴を王位継承者にしてはならない』と言い含められていたという。元側近などの証言や大公と身体的特徴が似た騎士が彼の母の側にいたことなど細かな調査結果に、礼拝堂内にいた貴族たちは呆然としていた。

 それからセブランが悪魔崇拝者の動向について説明した。悪魔崇拝者たちは今もこっそりと集まって悪魔召喚を行っている。しかもその集会場所になっている貴族の館は現在大公の所有で、愛人の住まいだと届け出られていた。

 彼らは儀式の生贄にするために近隣から女子供を攫ったり、移民や流民を言葉巧みに連れてきては殺害していた。彼らはフェルナン王が行った移民政策を利用していたのだ。

 さらに彼らは捕らえられてから大公が五年前フェルナン王を陥れると豪語していたことや、地下室に魔法陣を描かせるという手口までぺらぺら喋っていたのを白状してしまった。

 あの謀叛には正義など全くなかったのだ。



「それに、何よりもフェルナン陛下が無実だった証拠があります。公表なさっていなかったけれど、あの方は光魔法の使い手でした。私の兄の呪いを解いて下さったのも陛下です。光魔法では悪魔召喚はできないのです。なのに大公とそのお仲間方はまともな裁判すら行わずにあの方を火刑にかけたのです。そしてこともあろうに、資格もないのに戴冠式を行おうとした。……これらのどこに正義があるというのですか」

 セブランの言葉に貴族たちは大公へ冷ややかな目を向けた。

「というわけで、大公閣下。新たなる国王、ティエリー陛下の御前を騒がせたこと、更なる罪状に加えてよろしいでしょうか」

 アンベールがさらりと告げると、大公はやっと自分が逃げられない罠にはまったことに気づいたのだろう。

 口を開きかけて何を言うべきか混乱している様子で固まっている。



『ジュール。聞こえますか?』

 唐突にサシャの声が頭に響いてきた。

『こちらはほぼ完了しました。そちらの首尾は?』

「上々だ。あとはラザールに任せていい」

『わかりました。……それから、くれぐれも無茶はしないで下さい』

 サシャは少し声を落とした。ジュールがこれから何をするのか彼は知っている。

 ジュールが書類を手渡して目配せすると、ティエリーは大きく頷いた。貴族たちに向き直って堂々と告げる。

「本日までに大公が新王と名乗って発した勅令は全て無効である。玉璽は五年前からずっと我が手にある。ゆえに人事、財政に及ぶまで全て調査の上見直しを行う。宰相をアンベール・バタイユに任じる。この調査の全権を指揮せよ」

 ティエリーが差し出した辞令を受け取って、アンベールがきっちりと一礼する。

「御心のままに」

「そして、五年前の謀叛について、再審判を行う。叔父上の死が不当であったというのなら、関わった者たちは一人残らずその報いをうけるだろう。セブラン・バタイユを法務長官に任ずる。すべての罪を明らかにせよ」

「拝命いたします」

 セブランも頭を下げる。

 ジュールはティエリーが堂々とふるまう姿に胸が熱くなった。この光景を見られただけでも、サシャに感謝しなくては。

 敬愛する兄の即位を見ることは叶わなかった。だから、ティエリーが王位に就くことがフェルナンの夢だった。その夢がやっと現実のものとなったのだ。



 大公は警備兵に連行され、セブランの調査で名前が挙がっていた貴族たちも捕らえられた。悪魔崇拝が絡んでいるとなると教会の領分でもあるからと、全員教会内の牢獄に入れられた。

 あとはティエリーをラザールたちの所へ送り届けるだけだが。

 そう思った瞬間に教会の扉が大きく開かれた。

 兵士を引き連れて甲冑姿のままのラザールが驚く貴族たちには目もくれず、真っ直ぐに祭壇に向かって歩いてくる。

 壇上に立つティエリーに跪いた。

「お迎えに上がりました。陛下。王宮にて皆が陛下のお帰りをおまちしております」

 どうやら王宮はスーリ連合軍が掌握したらしい。その足でラザールはこちらに現れたのだ。ティエリーの手勢がすでに王都にいることを示すために。

 彼は非力な若者なのではなく、軍勢を率いて王宮を取り戻したのだ。

 貴族たちもそれに気づいたのだろう。拍手でそれを讃える。大公の謀叛から五年、やっと若き国王がここに誕生したのだ。

 ……ああ、これで彼らに僕ができることは全て終わった。

 ジュールはそのまま踵を返すと、こっそりと大聖堂を出た。



 大聖堂での騒ぎからは取り残されたようにそこは静まり返っていた。

 フェルナンの棺が収められている礼拝堂。ロラン司祭長は後生大事にフェルナンの遺体をここに置いているが、そんなことをする意味などないのに、とジュールは思う。

 もう終わったことなど、彼らが気にする必要はない。

 これからこの国はティエリーが治めていく。過去の亡霊など復活したところで何になるのか。

 ……だから、最後まで悪あがきはさせてもらおう。悪魔だろうが何だろうが、意のままにさせるわけにいかない。

 礼拝堂の扉の前には黒衣の男が立っていた。サシャとよく似た顔を持っているが、まるで仮面のようにその表情は冷淡で人間味がない。

「自ら足を運ぶとは殊勝なことだ」

「あなたに褒められても嬉しくはない」

 ジュールはそう言うと、扉を開けて礼拝堂に足を踏み入れる。男は入って来る気配がない。

 硝子の棺に歩み寄ると、そっと中を覗き込んだ。

 自分の姿を外側から見るのは奇妙な感覚だが、ジュールはそこで用意した魔法陣を展開させた。

「何をする気だ? 今さら私の術式を止めようと? 人の力でできるわけがない」

 男のせせら笑いが聞こえてきた。ジュールは魔法陣にあるだけの魔力をつぎ込んだ。

「我に逆らう力を全て消し去れ。時はあるがままに流れ、止めること能わず。【中和】」

 男がジュールの魂をもう一度移し替える術式を組んでいるのなら、それを止めるには膨大な魔力が必要だし、人間にはまず無理だ。サシャにも難しい。

 ……だけど、その対象が消滅すれば、術式は完成しない。

 ジュールの言葉と同時に周囲をまばゆい光が取り囲む。棺の中にあったフェルナンの肉体があっという間に黒く染まり、さらさらと灰に変わる。

「……一体何をした」

「魂を移す術式と、この肉体を維持する術は別物でしょう。こちらだけなら僕でも何とか消し去ることができた。……条件が整わなければ術式が発動しないでしょう?」

 ジュールはこちらに歩いてくる男に向き直った。どす黒い怒りを纏って男の身体が膨れ上がったように見えた。

「焼け残ったのは何の奇跡でもない。この肉体には時間遡行と状態維持の術がかけられていた。本当なら僕はただの灰になっていたのを、あなたが時間を遡らせて元の状態に戻しただけだ。ちょっと時間を戻しすぎたね。僕は投獄されたとき、長かった髪を短く切られた。ここにあった肉体は処刑されたときの姿とは違っていた」

 それに気づいたから、自分の身体が残ったのは神の思し召しなどではないと確信した。

 昨夜サシャから闇魔法を強制解除する魔法陣を教えてもらって、早朝ここに仕掛けておいたのだ。

 状態維持解除だけでもこれだけ魔力を持って行かれたんだから、魂を移す術式はどれほど消耗するのか。サシャも五年前は苦労したはずだ。

「おのれ、小賢しい。せっかく穏便にすませてやろうと思ったのに。ならばその魂だけでも魔界に持ち帰って砕いてやろう。これ以上アレの側にいてもらう訳にはいかない」

 男の身体はすでに天井に届きそうなくらいになって、真っ黒い獣のような半身。そして鋭い爪の生えた手がこちらに伸ばされる。

 男とジュールの間の床に魔法陣が浮かび上がった。

 ふわりと現れたサシャは男の手を払いのけると冷淡に言い放つ。

「……何を勝手なことを言っているのですか。私の伴侶に触れないでいただきたい」

 サシャはジュールを庇うように引き寄せた。伸びてきた男の爪がサシャの背中に振り下ろされる。それを見た途端に、ジュールは魔力を大きく拡散させた。



 硬いものが衝突したような音が響いた。悪魔の鋭い爪が折れている。サシャとジュールの周りに淡い光を放つ壁がぐるりと取り巻いている。 

「……なんだと。これほどの強度の【光の盾】を作れる人間がいるのか」

 男はそう言いながらサシャに庇われているジュールに目を向けた。

 男の手は爪が折れただけではなく、指先が淡い光に包まれて酷く苦しげにしている。

「あなたが彼に触れなかったのは本能的な忌避だったのではありませんか? 彼の魔力は光に強く偏っていて、他の魔法は得意ではありません。そうした力の持ち主の多くが何と呼ばれていたか知らないあなたではないでしょう?」

「くそ……っ。聖者の資格を持つ魂か。……道理で……」

 聖者? 聞き慣れない言葉にジュールは思わずサシャの顔を見上げた。

「もう諦めて下さい。そしてあなたの部下にもこの国から手を引くよう命じて下さい。いい加減に私のことは放って置いて下さい。他にもたくさん子供がいるのですから、そっちを構えばいいではないですか」

「……何という愚かな……身を滅ぼすぞ」

「望むところです。私は伴侶とともにいたいだけですから」

「……そうか、血は争えぬな」

 そう言いながら悪魔はふっと姿を消した。



 ……終わったのか?

 唐突にどす黒い気配が消えた礼拝堂の中を見回して、ジュールはほっと息を吐いた。

「ジュール。無茶をして……」

 サシャの声が何故か遠くで聞こえる。抱きしめてくれているはずなのに。

「ジュール?」

 身体が地面に引っぱられる。鉛を背負っているようだ。サシャが自分を呼ぶ声だけが聞こえて……ジュールは闇に沈むようにそのまま意識を手放した。

 

 
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