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翌朝、サシャとジュールは昨日の礼拝堂まで瞬間移動で戻ってきた。
王宮内部に幻術の仕掛けを施すために。
王宮の一角にある礼拝堂からは中央宮殿はさほど遠くない。王族が行事のたびに礼拝に訪れるためだ。
「王宮の中にも小さい礼拝堂がある。毎日の礼拝はそっちでやってるから、頻繁じゃないけどね」
幻術で姿が見えないようにしてから、堂々と王宮の中を歩いてはいるものの、声までは消せないので会話は周囲を見ながらの小声だった
庭を横切りながらジュールは溜め息をついた。美しく線対称に整えられた庭園は、見る影もない。明らかに色がちぐはぐな花が適当に植えられて、枯れたまま放置されている木もある。掃除も行き届いていない。
朝食の時、宿の主人から聞いた話だと、王宮の使用人や官僚は大公の強引な政策や身内びいきの横槍に疲れていて、優秀な者から次々と辞めてしまっているらしい。
幽霊が出るという噂と前後して、もうじきティエリー王子が王都に攻め込んでくるという話もある。戦場になるかもしれない場所にはいられないと、王宮を去る者が後を絶たないという。
本来なら使用人が忙しく朝の準備をしている時間だというのに、王宮は静まり返っている。
「もしかして姿を消さなくてもよかったかも」
思わずジュールがそう口にするほどあっさりと二人は王族の住居区画に入ることができた。王の寝室の扉を前にして、サシャが問いかけてくる。
「中にいるようですよ? 来たついでに一発殴ってきますか?」
「嫌だね。美しくないものをぶん殴ったら手が汚れる」
ジュールはそう返して幻術を仕掛けていく。大公をぶん殴るのは自分ではなくこの先この国を担うティエリーたちの役目だ。
術者によってやり方は違うのかもしれないが、ジュールの場合幻術を覚え込ませた媒体を置いて、発動条件を設定する。
短時間の幻術なら小石でいいが、長期間や繰り返しともなると金属を使う。幸い王宮内は金属でできた燭台や金箔をあしらった調度などに事欠かない。
仕掛けを終えてさあ帰ろうかと思った途端に、中からベルの音がした。
どうやら大公が使用人を呼んでいるらしい。本来なら部屋の隅か隣の間に控えているはずなのに、しつこく音がしているところを見ると誰も現れていないようだ。
怒鳴り声が聞こえてくるが、誰も側にいないことに気づいたらしく、何かを放り投げるような音が響いた。
聞き取れたのは朝食はまだか、という言葉だった。
久しぶりに聞いた叔父の声がそんな内容では、まったく感動はなかった。
「やれやれ。かんしゃくを起こして物に当たってるようですね」
「息子が人質に取られているわりには食欲があるようだね」
大公からすれば、軍を率いて反大公派の逆賊を捕らえるくらい誰でもできる簡単な仕事だと思っていたのだろう。だから息子に手柄を与えようとスーリに派遣したのだ。
それで大々的に反逆者を捕らえて自分の権力を誇示しようと思っていたのに、馬鹿息子は街に火をかけて街全体の反感を呼んでしまった。さらには周辺の領主たちもスーリの事態を見て大公への不信が高まっている。
それに、スーリから追われて王都に戻された国軍の兵士たちから事情を聞いて、国軍の士気も下がっているはずだ。誰だって罪のない人々の家に火をつけろと命じられたくはない。
無能な自分の取り巻きに内政を任せたのだから政策もことごとく上手くいってない。
大公が苛立っているのは間違いない。
いや、苛立っているのではない。怯えているんだ。
ジュールはそう思った。
元々大公は小心者で、あれこれ不満を口にしても絶対勝てる相手にしか喧嘩を売らない人だった。
「できれば内乱には持ち込みたくないんだけどな」
同国人同士で戦うことになれば、国としての損害や人的被害も大きい。しかも戦わされるのは命じられれば逆らえない末端の兵士たちだ。
ジュールはそう呟いて、ふと目の前を横切った人物に気づいた。
「……今の、アンベールだ」
「え?」
行方をくらましていた元宰相アンベール・バタイユ。彼は王宮近くにいると思っていた。
王宮の中も人が入れ替わっているとはいえ、彼が堂々とお仕着せを着て使用人に混ざっているとは。
……王宮の警備、穴だらけじゃないか。
「アンベール。こんな所にいたのか」
声をかけると、相手はびくりと顔を上げて周囲を見回した。ああそうか、幻術をかけたままだからこちらが見えないんだ、と気づいた。
「このまま真っ直ぐ歩いて、人のいないところで話そう」
そう告げると、彼は目線をどこにやっていいのか困っている様子で歩き出した。
建物の陰になる場所でジュールが幻術を解くと、二人を見たアンベールは驚いたように目を瞠った。
「あなたがた……どうやってここに。ああ、そうか魔法使いでしたね。あなた方も幻術を使うんだ」
「ここで何をするつもりなのか、教えてもらえないかな? ギャスパルは近いうちに名乗りを上げる。あなたの企みが彼の未来を妨げるものではないのならいいのだけれど」
他の元臣下たちと違うのはアンベールは大公を倒すことだけが目的だ。その後誰が王座に就こうが関係ないと考えている節がある。
……つまりは仇討ちがしたいだけ。手段を選ばなくなったら、大公と同じじゃないか。
「……私はただあの方のために大公を倒したいだけです。できることならあの男にも火刑の苦しみを思い知らせたい。もしくは死んだ方がマシなくらいの屈辱を」
アンベールは少し疲れたようにそう呟いた。
「あなた方はそれができる力がありながら、殿下に仕える訳ではないと言った。なのにどうしてこんな所にいるんですか。私にもしあなた方のような力があれば……」
その続きは聞かなくてもわかったのだろう。サシャが穏やかに告げた。
「大公を殺すのに魔法を使えば簡単かもしれませんけど、それでは新しい王は魔法頼りで何もできないと思われてしまうのではありませんか? 人々から見たら魔法も禁呪も似たようなものです。ジュールは王子殿下にそのような悪い印象を与えたくなかったのですよ」
アンベールは平民上がりの官僚から、フェルナンが宰相に抜擢した。セブランのように貴族の後ろ盾もなければ、ラザール将軍のように彼自身が何かの力を持っている訳ではない。その不甲斐なさからティエリーたちと距離を取っていたのかもしれない。
それでも仲間を集めてスーリに国軍をおびき出した手腕は彼の本領だ。その才能を復讐だけで使い潰して欲しくないとジュールは思った。
そもそも、僕は火刑って言ってもほとんど覚えてないから気にしなくていいのに。
「……アンベール。僕たちは王子殿下に仕えることはしないけど、味方はするつもりだ。ただ、前面に出ることは避けたい。だから協力してもらえないかな?」
他の元臣下には打ち明けたけれど、アンベールはまだジュールがフェルナンだということを知らない。
「協力ですか?」
「そう。僕たちは『レオナールの小部屋』を調べに行く。大公を追い落とすための情報が手に入ったら、裏付けを頼みたい」
サシャがその言葉に戸惑ったのがわかった。アンベールも顔色を変える。
それもそのはず、『レオナールの小部屋』というのはこの王宮のどこかにある隠し部屋の隠語だ。まことしやかに存在は噂されていても、誰もその部屋の場所を知らない。
それは王冠が伝える秘密の一つであり、国王にしか知らされないのだ。
代々国王が日記や私的なものを保管している場所であり、表沙汰にできない内容の文書も置かれている。
「……あなた方は何者なのですか。賢者とはいえあの部屋を調べられるはずがない」
ジュールはそれを聞いてふっと微笑んだ。
「あいかわらず君は頭が堅い。砂漠の石頭トカゲといい勝負だ」
はっきりとアンベールが表情を変えた。驚きのあまり何も言えない様子でジュールを凝視する。
それからよろよろと膝をついてジュールの顔を見上げる。その目に崇拝するような熱を感じてジュールは後ずさりしたくなった。
そうだった。アンベールは『フェルナン王大好き四天王』の一人だった。
「……まさか。あなた様は……」
「長話はできないから、詳しいことは後で話そう。若駒亭という宿屋に泊まっているから」
久しぶりに見た熱烈崇拝気味のアンベールの目線に耐えかねて、ジュールはそう言ってサシャに宿へ瞬間移動するように目配せした。
アンベールに石頭トカゲというあだ名をつけたのはフェルナン王だった。図鑑で砂漠地方で騎獣として使われるというオオトカゲが頭でっかちで堅そうだったのを見て、時々頑なになるアンベールを揶揄してそう呼んだ。
けれど、本人は意味が通じているのかいないのか、嬉しそうにこう言った。
『陛下直々にいただいた名前ですから、大事にしたいと思います』
皮肉のつもりだったフェルナンは拍子抜けして、以来アンベールに新たなあだ名をくれてやるのをやめた。叱ってもからかっても何をやっても相手の喜悦になってしまうのではこちらの方が疲れる。
「……聞きしに勝る崇拝ぶりですね。あなたが最後まで打ち明けなかった理由がわかった気がします」
宿の部屋に戻ると、サシャは困惑した様子でそう言った。とりあえず、アンベールが訪ねてくることを宿の主人には伝えておいた。
「それで、『レオナールの小部屋』というのは何なのですか?」
「端的に言うと、王が一人になりたいときの部屋。五代前の王がこっそり作ったとか。誰にも邪魔されたくない時間が欲しかったらしい」
「……はあ」
サシャと暢気に二人で暮らしているうちに、王族として育ったフェルナンの今までの暮らしは普通ではなかったことに気づかされた。
王宮では絶えず誰かが側にいた。使用人や侍従、侍女や護衛兵。着替えや入浴ですらそうだった。息苦しく思うことがあってもそれを気にしていたら生活できないだろう。
フェルナンから数えて五代前の国王レオナールは王子時代に軍で名をはせた奔放な人物だった。王宮の暮らしに馴染めなかった。それでお籠もりしたい国王のための部屋を作った。
その存在は噂になっていても、誰も見つけ出すことはできない。王がその部屋に入るところを見た人もいない。
「あなたは入ったことがあるんですか?」
「あるよ」
「……処刑されるまえにそこに逃げ込めばよかったのでは?」
「いや、流石に籠城できるような設備はないよ。長期間籠もって仕事をさぼらないようにするためか、長居はできない仕掛けになってた」
それに大公も王族なのだから部屋の存在はいくらか知っている。だからあの時はあの部屋を選択肢には入れなかった。
「……その部屋には何があるんです?」
「卑猥な裸婦画の蒐集から、王の女性遍歴武勇伝、あげくには王妃や周りに対する愚痴記録……国王も人間だって確信できる品揃えだよ。初めて入ったのは即位直後の十八歳かそこらのころだったから、いろいろ衝撃的だった。ティエリーにはもうちょっと大人になってから入るのを薦めたいね」
「まったく。教育上よろしくありませんね」
「ただ、そこにお祖父様の日記があったんだ。全部読んだわけではないけど、お祖父様は几帳面な人で、毎日日記をつけていた。女性とのあれこれも。大公の過去の言動もおそらく残っているはずだから、いいネタはありそうな気がする」
先々代国王だったフェルナンの祖父。書き物をするのが好きだったらしく、執務の片手間で辞書を自ら編纂するような人だった。
日記も内容がとても細かくて、当時のフェルナンはすぐに飽きてしまった。
今になってそれが必要になるとは思いもせず。
「祖父の末の妹がエリア王国に嫁いでいた。僕が生まれた頃にはすでに亡くなったとは聞いていたけれど、子供を一人残している。それがエリア国王となって、子供が三人いたはずだ。末の王子の名前がたしか、ユリアーン……だったような気がする。それを確かめたい」
「まさか……この身体はあなたの親族だったのですか?」
「そうでなかったら、あの地下通路の扉が簡単に開くはずがないんだ」
王族の血に反応する魔法装置が仕掛けられている扉。ジュールはサシャの魔法で壊してもらおうと目論んでいた。なのに、触れたらあっさりと開いてしまった。
エリア王国は何度も政略結婚が行われていたから、傍系王族に近い存在だった。
おそらくユリアーンは国から逃げる途中で従者とも離れてしまったのだろう。たった一人移民団に混ざってこの国を目指して来たのに、病で亡くなってしまった。
その遺体がまさか、通りがかったサシャの手に渡るとはどういう巡り合わせなのか。
「だから、ちゃんと確かめてから、いつかエリア王国も訪ねてみたい」
今は他国の版図になってしまったユリアーンの祖国。
「そうですね。お礼を伝えるためにも行きましょう」
サシャはそう言ってジュールの額に口づけをくれた。
王宮内部に幻術の仕掛けを施すために。
王宮の一角にある礼拝堂からは中央宮殿はさほど遠くない。王族が行事のたびに礼拝に訪れるためだ。
「王宮の中にも小さい礼拝堂がある。毎日の礼拝はそっちでやってるから、頻繁じゃないけどね」
幻術で姿が見えないようにしてから、堂々と王宮の中を歩いてはいるものの、声までは消せないので会話は周囲を見ながらの小声だった
庭を横切りながらジュールは溜め息をついた。美しく線対称に整えられた庭園は、見る影もない。明らかに色がちぐはぐな花が適当に植えられて、枯れたまま放置されている木もある。掃除も行き届いていない。
朝食の時、宿の主人から聞いた話だと、王宮の使用人や官僚は大公の強引な政策や身内びいきの横槍に疲れていて、優秀な者から次々と辞めてしまっているらしい。
幽霊が出るという噂と前後して、もうじきティエリー王子が王都に攻め込んでくるという話もある。戦場になるかもしれない場所にはいられないと、王宮を去る者が後を絶たないという。
本来なら使用人が忙しく朝の準備をしている時間だというのに、王宮は静まり返っている。
「もしかして姿を消さなくてもよかったかも」
思わずジュールがそう口にするほどあっさりと二人は王族の住居区画に入ることができた。王の寝室の扉を前にして、サシャが問いかけてくる。
「中にいるようですよ? 来たついでに一発殴ってきますか?」
「嫌だね。美しくないものをぶん殴ったら手が汚れる」
ジュールはそう返して幻術を仕掛けていく。大公をぶん殴るのは自分ではなくこの先この国を担うティエリーたちの役目だ。
術者によってやり方は違うのかもしれないが、ジュールの場合幻術を覚え込ませた媒体を置いて、発動条件を設定する。
短時間の幻術なら小石でいいが、長期間や繰り返しともなると金属を使う。幸い王宮内は金属でできた燭台や金箔をあしらった調度などに事欠かない。
仕掛けを終えてさあ帰ろうかと思った途端に、中からベルの音がした。
どうやら大公が使用人を呼んでいるらしい。本来なら部屋の隅か隣の間に控えているはずなのに、しつこく音がしているところを見ると誰も現れていないようだ。
怒鳴り声が聞こえてくるが、誰も側にいないことに気づいたらしく、何かを放り投げるような音が響いた。
聞き取れたのは朝食はまだか、という言葉だった。
久しぶりに聞いた叔父の声がそんな内容では、まったく感動はなかった。
「やれやれ。かんしゃくを起こして物に当たってるようですね」
「息子が人質に取られているわりには食欲があるようだね」
大公からすれば、軍を率いて反大公派の逆賊を捕らえるくらい誰でもできる簡単な仕事だと思っていたのだろう。だから息子に手柄を与えようとスーリに派遣したのだ。
それで大々的に反逆者を捕らえて自分の権力を誇示しようと思っていたのに、馬鹿息子は街に火をかけて街全体の反感を呼んでしまった。さらには周辺の領主たちもスーリの事態を見て大公への不信が高まっている。
それに、スーリから追われて王都に戻された国軍の兵士たちから事情を聞いて、国軍の士気も下がっているはずだ。誰だって罪のない人々の家に火をつけろと命じられたくはない。
無能な自分の取り巻きに内政を任せたのだから政策もことごとく上手くいってない。
大公が苛立っているのは間違いない。
いや、苛立っているのではない。怯えているんだ。
ジュールはそう思った。
元々大公は小心者で、あれこれ不満を口にしても絶対勝てる相手にしか喧嘩を売らない人だった。
「できれば内乱には持ち込みたくないんだけどな」
同国人同士で戦うことになれば、国としての損害や人的被害も大きい。しかも戦わされるのは命じられれば逆らえない末端の兵士たちだ。
ジュールはそう呟いて、ふと目の前を横切った人物に気づいた。
「……今の、アンベールだ」
「え?」
行方をくらましていた元宰相アンベール・バタイユ。彼は王宮近くにいると思っていた。
王宮の中も人が入れ替わっているとはいえ、彼が堂々とお仕着せを着て使用人に混ざっているとは。
……王宮の警備、穴だらけじゃないか。
「アンベール。こんな所にいたのか」
声をかけると、相手はびくりと顔を上げて周囲を見回した。ああそうか、幻術をかけたままだからこちらが見えないんだ、と気づいた。
「このまま真っ直ぐ歩いて、人のいないところで話そう」
そう告げると、彼は目線をどこにやっていいのか困っている様子で歩き出した。
建物の陰になる場所でジュールが幻術を解くと、二人を見たアンベールは驚いたように目を瞠った。
「あなたがた……どうやってここに。ああ、そうか魔法使いでしたね。あなた方も幻術を使うんだ」
「ここで何をするつもりなのか、教えてもらえないかな? ギャスパルは近いうちに名乗りを上げる。あなたの企みが彼の未来を妨げるものではないのならいいのだけれど」
他の元臣下たちと違うのはアンベールは大公を倒すことだけが目的だ。その後誰が王座に就こうが関係ないと考えている節がある。
……つまりは仇討ちがしたいだけ。手段を選ばなくなったら、大公と同じじゃないか。
「……私はただあの方のために大公を倒したいだけです。できることならあの男にも火刑の苦しみを思い知らせたい。もしくは死んだ方がマシなくらいの屈辱を」
アンベールは少し疲れたようにそう呟いた。
「あなた方はそれができる力がありながら、殿下に仕える訳ではないと言った。なのにどうしてこんな所にいるんですか。私にもしあなた方のような力があれば……」
その続きは聞かなくてもわかったのだろう。サシャが穏やかに告げた。
「大公を殺すのに魔法を使えば簡単かもしれませんけど、それでは新しい王は魔法頼りで何もできないと思われてしまうのではありませんか? 人々から見たら魔法も禁呪も似たようなものです。ジュールは王子殿下にそのような悪い印象を与えたくなかったのですよ」
アンベールは平民上がりの官僚から、フェルナンが宰相に抜擢した。セブランのように貴族の後ろ盾もなければ、ラザール将軍のように彼自身が何かの力を持っている訳ではない。その不甲斐なさからティエリーたちと距離を取っていたのかもしれない。
それでも仲間を集めてスーリに国軍をおびき出した手腕は彼の本領だ。その才能を復讐だけで使い潰して欲しくないとジュールは思った。
そもそも、僕は火刑って言ってもほとんど覚えてないから気にしなくていいのに。
「……アンベール。僕たちは王子殿下に仕えることはしないけど、味方はするつもりだ。ただ、前面に出ることは避けたい。だから協力してもらえないかな?」
他の元臣下には打ち明けたけれど、アンベールはまだジュールがフェルナンだということを知らない。
「協力ですか?」
「そう。僕たちは『レオナールの小部屋』を調べに行く。大公を追い落とすための情報が手に入ったら、裏付けを頼みたい」
サシャがその言葉に戸惑ったのがわかった。アンベールも顔色を変える。
それもそのはず、『レオナールの小部屋』というのはこの王宮のどこかにある隠し部屋の隠語だ。まことしやかに存在は噂されていても、誰もその部屋の場所を知らない。
それは王冠が伝える秘密の一つであり、国王にしか知らされないのだ。
代々国王が日記や私的なものを保管している場所であり、表沙汰にできない内容の文書も置かれている。
「……あなた方は何者なのですか。賢者とはいえあの部屋を調べられるはずがない」
ジュールはそれを聞いてふっと微笑んだ。
「あいかわらず君は頭が堅い。砂漠の石頭トカゲといい勝負だ」
はっきりとアンベールが表情を変えた。驚きのあまり何も言えない様子でジュールを凝視する。
それからよろよろと膝をついてジュールの顔を見上げる。その目に崇拝するような熱を感じてジュールは後ずさりしたくなった。
そうだった。アンベールは『フェルナン王大好き四天王』の一人だった。
「……まさか。あなた様は……」
「長話はできないから、詳しいことは後で話そう。若駒亭という宿屋に泊まっているから」
久しぶりに見た熱烈崇拝気味のアンベールの目線に耐えかねて、ジュールはそう言ってサシャに宿へ瞬間移動するように目配せした。
アンベールに石頭トカゲというあだ名をつけたのはフェルナン王だった。図鑑で砂漠地方で騎獣として使われるというオオトカゲが頭でっかちで堅そうだったのを見て、時々頑なになるアンベールを揶揄してそう呼んだ。
けれど、本人は意味が通じているのかいないのか、嬉しそうにこう言った。
『陛下直々にいただいた名前ですから、大事にしたいと思います』
皮肉のつもりだったフェルナンは拍子抜けして、以来アンベールに新たなあだ名をくれてやるのをやめた。叱ってもからかっても何をやっても相手の喜悦になってしまうのではこちらの方が疲れる。
「……聞きしに勝る崇拝ぶりですね。あなたが最後まで打ち明けなかった理由がわかった気がします」
宿の部屋に戻ると、サシャは困惑した様子でそう言った。とりあえず、アンベールが訪ねてくることを宿の主人には伝えておいた。
「それで、『レオナールの小部屋』というのは何なのですか?」
「端的に言うと、王が一人になりたいときの部屋。五代前の王がこっそり作ったとか。誰にも邪魔されたくない時間が欲しかったらしい」
「……はあ」
サシャと暢気に二人で暮らしているうちに、王族として育ったフェルナンの今までの暮らしは普通ではなかったことに気づかされた。
王宮では絶えず誰かが側にいた。使用人や侍従、侍女や護衛兵。着替えや入浴ですらそうだった。息苦しく思うことがあってもそれを気にしていたら生活できないだろう。
フェルナンから数えて五代前の国王レオナールは王子時代に軍で名をはせた奔放な人物だった。王宮の暮らしに馴染めなかった。それでお籠もりしたい国王のための部屋を作った。
その存在は噂になっていても、誰も見つけ出すことはできない。王がその部屋に入るところを見た人もいない。
「あなたは入ったことがあるんですか?」
「あるよ」
「……処刑されるまえにそこに逃げ込めばよかったのでは?」
「いや、流石に籠城できるような設備はないよ。長期間籠もって仕事をさぼらないようにするためか、長居はできない仕掛けになってた」
それに大公も王族なのだから部屋の存在はいくらか知っている。だからあの時はあの部屋を選択肢には入れなかった。
「……その部屋には何があるんです?」
「卑猥な裸婦画の蒐集から、王の女性遍歴武勇伝、あげくには王妃や周りに対する愚痴記録……国王も人間だって確信できる品揃えだよ。初めて入ったのは即位直後の十八歳かそこらのころだったから、いろいろ衝撃的だった。ティエリーにはもうちょっと大人になってから入るのを薦めたいね」
「まったく。教育上よろしくありませんね」
「ただ、そこにお祖父様の日記があったんだ。全部読んだわけではないけど、お祖父様は几帳面な人で、毎日日記をつけていた。女性とのあれこれも。大公の過去の言動もおそらく残っているはずだから、いいネタはありそうな気がする」
先々代国王だったフェルナンの祖父。書き物をするのが好きだったらしく、執務の片手間で辞書を自ら編纂するような人だった。
日記も内容がとても細かくて、当時のフェルナンはすぐに飽きてしまった。
今になってそれが必要になるとは思いもせず。
「祖父の末の妹がエリア王国に嫁いでいた。僕が生まれた頃にはすでに亡くなったとは聞いていたけれど、子供を一人残している。それがエリア国王となって、子供が三人いたはずだ。末の王子の名前がたしか、ユリアーン……だったような気がする。それを確かめたい」
「まさか……この身体はあなたの親族だったのですか?」
「そうでなかったら、あの地下通路の扉が簡単に開くはずがないんだ」
王族の血に反応する魔法装置が仕掛けられている扉。ジュールはサシャの魔法で壊してもらおうと目論んでいた。なのに、触れたらあっさりと開いてしまった。
エリア王国は何度も政略結婚が行われていたから、傍系王族に近い存在だった。
おそらくユリアーンは国から逃げる途中で従者とも離れてしまったのだろう。たった一人移民団に混ざってこの国を目指して来たのに、病で亡くなってしまった。
その遺体がまさか、通りがかったサシャの手に渡るとはどういう巡り合わせなのか。
「だから、ちゃんと確かめてから、いつかエリア王国も訪ねてみたい」
今は他国の版図になってしまったユリアーンの祖国。
「そうですね。お礼を伝えるためにも行きましょう」
サシャはそう言ってジュールの額に口づけをくれた。
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