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 森の家を片付けてジュールとサシャがスーリの隠れ家に戻ったのは二日後だった。

 早速領主の館を訪れようと街に出た二人は大分片付けが進み、瓦礫が撤去された様子に驚いた。

 何よりもすれ違う人々の表情が明るい。

 歩いていると前方から数人の兵士をつれたラザールが駆け寄ってきた。

「お二人さん、戻ってきてたのか。家の片付けは終わったのか?」

 彼らには森の家をそのままにしてきたから戻ってくるとしか告げていない。いつ戻ってくるかさえ言わなかった。

 ……本当は戻らないままにしようかとすら思ったのに。

 本来ジュールもサシャもただの平民でしかない。大公と戦おうとする彼らとは立場が違う。だから反大公派として団結しようとするなら、自分たちはいないほうがいい。

 それがわかっていても、心は定まらなかった。

 サシャと彼らを引き離さないと巻き込まれてしまうとわかっている。

 いくら元国王だったとはいえ今は何の役にも立たない子供だというのに、まだ彼らのことを考えてしまう。

 迷っていたら、サシャが答えをくれた。

 彼らを気が済むまで見守ろうと。だからできることをやろうと決めた。



「ギャスパルはどうしている?」

「領主館で支持者と会っています」

「そう。大公の動きは……」

 そう問いかけながら、ジュールはラザールが何故か真剣な眼差しで指を凝視してきているのに気づいた。

「……それ、まさか。誓いの指輪ですか?」

 ジュールの指に施された黒い文様。それが何なのかラザールは言い当てた。

 ラザールの親族がアラムにいることを思い出した。どうやらアラムの婚姻の風習を知っていたらしい。

「ちゃんと同意はいただきましたから」

 サシャはしれっと答えている。

「うわー。まさかあのちびすけにあなたを奪われるとは……」

 ラザールは頭を抱えてしゃがみ込むと、やばい、セブランが聞いたら何言い出すか……と呟いていた。

 ジュールはどうしてサシャと結婚したことで自分の元臣下がどんより落ち込むのか理解できない。自分はもうフェルナンではないのだから、別に誰と結婚しようと構わないじゃないか。

 それよりも。

 ジュールはラザールの腕を掴んで強引に立たせる。

「あのね、ラザール? まず言うことはないの?」

 ジュールは腕組みをしてラザールを見上げた。ラザールはやっと気づいたようにぴしりと背筋を伸ばすと一礼した。

「失礼致しました。ご結婚おめでとうございます」

「ありがとう。でも、どうしてセブランが気にするの? 今の姿には興味ないから気にしないと思うけど」

 セブランはフェルナンの顔や姿を褒めてくれていたから、外見が好きだったのだろうとジュールは思っていた。

 だから外見が変わった自分には皆はそこまで興味はないはずだ。魂が好きだとかいう変態魔法使いは別として。

「……もしかして、皆があなたの外見だけが好きだったとか思っていませんよね?」

 ラザールが疑わしそうな眼差しを向けてくる。

「……思ってた」

 彼らが自分への褒め言葉にするのが外見のことばかりだったから、もし、どこかで転んで顔に大きな傷とか作ったらどういう反応をされるのかと、想像したりしていた。

 元々第二王子であまり褒められ慣れていなかったし、褒められても外見だったから。

 ラザールはぽかんとした顔をして、サシャに問いかけた。

「この人はもしかして、ものすごく鈍いのか?」

「五年間毎日愛していると言っても本気にしてもらえなかった私にそれを問いますか?」

「……そうか。お前もつらかったんだな、ちびすけ」

 何か目の前の男二人が頷き合っているのを見ると、ジュールは納得が行かなかった。

「だって、外見しか褒められたことがなかったから、他には興味ないって思うだろう?」

 ラザールが大きく溜め息をついた。

「いや、だって王というのは神に認められた存在なんですよ? それわかってますか? 臣下があなたの行いがどうとか考え方がどうとか語るのは不遜ってものでしょう? だから皆あなたの前では外見しか褒め称えなかったんですよ。あなたがいないところでこっそり語り合っていたんです」

「……そんなの知らないし」

 ジュールはじわじわと恥ずかしくなってきた。自分はそこまで王として慕われていたわけじゃないと、あの処刑の瞬間に思った。

 下らない冤罪を皆が信じて、火刑にしろと声を上げているのを見て、自分が努力したことなど、結局その程度だったのだと思ってしまった。

 そうじゃなかったんだろうか。

「あなたが外見だけの人間なら、とっくに民も皆もあなたのことを忘れているでしょう。五年も経っているんです。でも、この街の人たちは忘れていませんよ。あなたは民から愛されていたんですよ。あなたの行いを皆ちゃんと見ていたんです。もちろん、我々臣下もあなたのことが大好きだったんですよ」

 確かにこの街の人たちはフェルナンが行った治水工事のことを今でも覚えてくれていた。橋を架け替えるように命じたことも、小さな花を贈られた時のことも。

 頬が熱くなる。自分は一体何を見ていたんだろう。目の前の職務に手一杯で、自分に向けられる他人の感情まで理解できてなかった。

 理解できてなかったから、愛とか恋とか人が語る言葉がわからなかった。

 ラザールはその様子を見て小さく笑みを浮かべた。

「当の本人がまったく気づかなかったなんて思いもしませんでしたが。まあ、今後はちびすけにしっかり教えてもらうとよろしいかと」

 いや、サシャに好かれているのはもう嫌と言うほどわかっている。そう言いそうになったけれど、もっと冷やかされかねないと思ってジュールは頷くだけにした。



 反大公派であることを宣言したスーリは近隣諸侯からの物資や使者がひっきりなしで、今や反大公派の拠点のようになってきているらしい。

 領主ラカン子爵はすでにいち早くスーリで起きた事態を各地に喧伝し、本来民を守るための国軍を使って無辜の民を傷つけ街を破壊させた行為を批難した。その指揮を取ったのが大公の息子だったことも。

 大公の息子とその側近たちはまだ領主館で幽閉されているが、彼らが連れてきた国軍のうちスーリの復興に協力しない者たちは王都に送り返したので、そろそろ大公が動きだすだろう。

 ティグル伯爵家のオーレリアンに頼んで占術で見てもらったところ、大公は周辺の領主たちに兵を出す要求をして自分への忠誠を試している。兵が集まったらスーリに一斉に進軍してくる。包囲戦になれば補給が出来ないスーリの街は不利。

 ……おそらく余裕は十日もない。

 だから、ラカン子爵たちは、正当な国王となるティエリーの帰国を公表して反大公派の集結を訴えることにしている。すでに近隣の領主たちとティエリーとの会談が持たれて、 王都を囲むように味方がじわじわと増えている。



「王都に? お二人だけで?」

 ジュールたちが領主館を訪れると、ギャスパルことティエリー王子が自ら出迎えた。シモンとラザールだけを残して人払いをさせる。

 サシャと一緒に王都に向かうことを告げると、彼はその目的に気づいたらしい。

「叔父上。もしかして、王冠を……?」

「そのつもりだよ。ついでにアンベールも捕まえられればいいけど、そこまでの無理はしない。こっちでティエリーの帰国を派手に公表すれば大公の目がスーリに向くだろうし」

「王宮は危険ではありませんか? お二人の顔は知られていないとはいえ……」

「いや、こっそり王宮に入り込むのに、僕以上の適任はいないと思うよ。何しろ元住人だから、家のことは一番良く知っている」

 大公は今、新王を名乗って王宮で暮らしているらしいが、彼は王宮のことをまったく知らないはずだ。王家にはいくつもの秘密があるが、その中には王になる者しか知らされないものがある。

 王宮の隠し扉や万一の際の脱走通路、そして王家の秘密にまつわる書類を保管した倉庫。

 大公はフェルナンの父の弟だが、王太子だった父が早婚で二人の王子がいたことから王位継承者としての教育をほとんど受けていない。王家の秘密を知らされてはいないのだ。

 いくつかの隠し通路は知らされているだろうが、全てではない。

 不安そうにしていたティエリーだが、それを聞いて頷いた。

「……わかりました。護衛はお付けしなくてよろしいですか?」

「サシャがいればいい」

 そう答えると、ティエリーはわずかに頬を赤らめた。

「あの……叔父上。先ほどラザールから聞きました。正式にご結婚なさったのですね」

「……ティエリー?」

「叔父上が結婚もしない、子供もいらない、とおっしゃっていたのは、私のせいだと思って……だから、良かったです。おめでとうございます」

 フェルナン王はティエリーへ王位を譲るための存在だと思っていたから、妃を薦めてくる者たちを追い払うためにそう言い続けていた。もしかして、それはティエリーからすれば自分を犠牲にしているように見えたのだろうか。

「……どうかご無事でお帰りください」

 健気に笑みを見せる甥の手を、ジュールは包むように握った。



 スーリの隠れ家の青い扉に触れながら、サシャはジュールに問いかけてきた。

「王都の外れに作った門があります。そこが一番王都に近いでしょうから、一気に跳べると思います。それでいいでしょうか?」

「……そこってまさか……」

 王都の外れ。小高い丘のある森の中。そこはかつて、サシャがフェルナンの魂を火刑から救い出す術を使った場所だ。

「……ええ。私にとっては始まりの場所です」

 サシャは翡翠色の瞳をわずかに曇らせた。

「術を組むのに半日かかったと言っていたけど」

「ええ。おそらく普通の魔法使いでは無理です。条件付けが難しく、そして本人の持ち物が必要なんです。私は運がよかった。あなたにもらった翡翠の指輪がありましたから」

 幼かったサシャにフェルナンが渡した指輪。あれが自分の命を繋いだとは知らなかった。

「そうだったんだ」

「……では、行きましょうか。王都へ」

 サシャが差し出した手に、ジュールは自分の手を重ねた。

 ……フェルナンが処刑された後、初めて戻る王都へ。
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