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 王都の北にあるティグル伯爵領の領都モーブ。手工芸が盛んで商業都市としても知られる。ティグル伯爵家は裕福で、いくら誘われてもどの派閥にも属さない。

 モーブにある領主邸は規模は王宮ほどではないが贅を尽くした造りで、知らない者が見たら王族の住まいかと思っただろう。

 このモーブにもサシャの隠れ家がある。ジュールはその家に備え付けられた門をくぐってここに来たのだが、外を見てうんざりした気分になった。

 ……国軍の制服を着た兵士がうろついている。ティグル伯爵家はどうやら大公の圧力に負けて反大公派の捜索を受け入れたらしい。

 ジュールは隠れ家に置いてあった変装用の栗毛の鬘を被ると古い教会の隣にある墓地に向かった。

 一番大きな石碑の裏側に回ると、小さな物置小屋があったはずの場所はすでに瓦礫の山になっていた。

 ……五年以上経っているから。無理もない。手遅れでなければいいけど。

 ジュールが溜め息をつきながら、後を振り向かずに問いかけた。

「何故僕をつけてるの?」

「……あら。気がついてたのね」

 声とともに石碑の陰から現れたのは長身で体格のいい金髪の男だった。筋骨隆々の逞しい男はレースやフリルをふんだんにあしらったシャツと赤い上着をまとっていた。顔にはうっすらと化粧も施している。

「こんな人気のない墓地に一人で入って来る子がいたら気になっちゃうでしょ? 悪い人に攫われちゃうわよ。それに君、このへんの子じゃないでしょ」

 いや、その一人で歩いている子供を追いかけてくる大人の方が、普通に見て怪しいだろう。それにその巨漢だ、普通の子供なら怖がって逃げるだろう。

「……ここは誰でも入っていい場所じゃないの?」

 彼の名はセブラン・ブロサール。フェルナン王の側近だった文官で、ティグル伯爵家の三男坊だ。言葉使いや仕草は女性的だが、この体格が示すとおり下手な武官よりも剣や体術でも勝っている。

 まさか実家の領地にいるとは思わなかった。勘当されたと聞いていたから。

「君、真っ直ぐその石碑に行ったわよね? けど、その石碑に用があるようには見えなかったし。その裏に何があると思ったの?」

 どうやらずいぶん前から見られていたらしい。

 この石碑の裏の小屋には魔法装置があった。そのことを知っている人はさほど多くないはずだ。

「知り合いに頼まれて来たんだけど、味方かどうかわからない人には絶対話しちゃだめだって言われてるんだ」

「あら、そうなの。困ったわね。私も味方かどうかわからない相手だとうっかり斬ってしまうかもしれないわ」

 セブランはそう言ってにこりと微笑む。言葉通り腰の剣に手をかけながら。

 どうするべきか。ティグル伯爵家は大公派ではないが、反大公派でもないだろう。セブランは少なくとも反大公派ではない。

「……その前に、オーレリアン・ブロサールはまだ生きている? それを確認したい」

 セブランが顔色を変えた。

「どういう意味? 兄のことを知っているの?」

「答えて。生きているの?」

 ジュールが問いかけるとセブランは剣から手を離した。

「ええ。生きているわ。だいぶ弱って、会話もままならないわ。だから会っても……」

 だからあの小屋を取り壊してしまったのか。あの魔法装置はオーレリアンが外の人と会話するためのものだったから。

 ジュールはセブランの顔を見上げた。 

「僕が光魔法の使い手だと聞いても?」

「え?」

 セブランがぽかんとした顔でこちらを見る。

 セブランの兄オーレリアンは生まれた時に呪詛を受けた。呪ったのはティグル伯爵に横恋慕した貴族令嬢だった。母子ともに殺すつもりだったが、オーレリアンが強い魔力持ちだったから完全には呪詛が成立しなかった。

 彼は呪詛を自分の身の内に封じ込めた。その影響で生まれつき身体が弱く、目もほとんど見えない。

 伯爵は伝手を頼って教会で呪詛を祓ってもらったが、改善されることはなかった。

 呪詛の治療には光属性の魔力が必要だったが、魔法や魔力を忌避している教会にはその使い手がいなかったのだ。

「本当に? もしそうなら会って欲しいわ。でも、あなたに依頼した人って……?」

「僕と同じ色の目をした人だよ。それしか言えない」

 セブランはサシャを助けたとき、事後処理のために村に残った。けれど、サシャを覚えているかどうかわからない。

 ジュールの瞳の色を見て、セブランは何かに気づいたように目を瞠った。

「……わかったわ。じゃあ連れて行ってあげる。君の名前は?」

「ジュールだよ」

「そう。ジュールね。私はセブランよ。ついてきて」

 そう言うとセブランは墓地の外へ歩き出した。



 豪奢なお城のような伯爵邸の敷地内に入ると、セブランは庭の隅にある離れに向かって歩き出した。

 オーレリアンはあの離れでひっそりと暮らしていた。

 フェルナン王はセブランから兄の話を聞いて、何度か会いに行った。呪詛を祓うために光属性の魔力を送り込むために。

 一度に祓うにはオーレリアンの体力が保ちそうになかったから、何度かに分けることにしたけれど、最後の治療の前にフェルナンは処刑されてしまった。

 すぐに命に関わることはなくても、緩やかに弱っていく可能性がある。

 本当はもっと早く訪れたかったけれど、ティグル伯爵に怪しまれずにオーレリアンに会う方法が思いつかなかった。セブランがこの街に戻っていたのは好都合だった。

「オーレリアンは私の二番目の兄よ。光魔法の治療を受けないと呪詛に蝕まれてしまう病にかかっている。ある人が内緒でずっと治療を施してくださったのだけれど、その人は五年前に亡くなってしまって」

 セブランは説明しながら表情を暗くした。

「……あなたの依頼主という人には心あたりがあるわ。十年以上前、一度会ったきりだけど、印象的な目をしていた。でも、どうして私の兄のことを知っていたのかしら」

「それは僕にはわからない」

 ジュールはそう言って誤魔化した。



 部屋の中はベッド以外にはほとんどものが置かれていない。薄いカーテンごしの淡い日差しが差し込む寝台の上に痩せた青年が横たわっていた。

「……病人に触れてもいい?」

 ジュールの問いにセブランは頷いた。

 おそらく医師も治療できなくてただ弱っていくのを見ていたのだろう。

「邪魔しないからここで見ていてもいいかしら?」

 セブランはドアにもたれかかって問いかけてきた。ジュールは黙って頷いた。

 ジュールはそっと枯れ枝のように細い手をとって、魔力を集中させる。

 フェルナンは魔法は独学だったが、ジュールはサシャから系統立てて学んだことであの頃よりさらに上達した。今なら負担もかけずに呪詛を祓えるだろう。

 五年前、あと少しで消しきれなかった靄のような呪詛を捕らえて、引き剥がす。

「オーレリ。目を覚まして」

 ジュールが顔を近づけて囁く。その声に力のなかった指先がジュールの手を握った。

「……フェルナンさま……? お迎えに……来て……くださった?」

 人を死に神扱いしないで欲しいんだけど。

 ジュールは両手でその手を握ってから宥めるように告げた。

「違うよ。君は生きてるんだからね。これからも生きるんだ」

 セブランがそれを聞いて歩み寄ってきた。

「終わったの? 大丈夫なの?」

「……もう呪詛は消したから大丈夫。水分や消化のいいものから食べさせてあげて」

 ジュールはそっと手を離すと、そう言ってセブランに振り返った。

「本当に……? ああ、兄さま」

 セブランが呼びかけると、オーレリアンは手を彷徨わせた。

「セブラン……? さっきフェルナンさまが……そこに」

「違うのよ、兄さま。今のは、呪詛を祓いに来てくれた子なのよ」

「違わない。……あの人の魔力とまったく同じなんてあり得ない。フェルナンさまは生きてたの? そこに……いるの?」

「魔力が……同じ?」

 セブランが困惑したように兄とジュールを見比べる。

 オーレリアンは視力を失った分、他の感覚が鍛えられたのかもしれない。彼はフェルナン王の魔力を覚えていたのか。

 ジュールが口元に指をあてて微笑むと、セブランが表情を強ばらせた。

「……まさか。本当に陛下なのですか?」

「静かにして。病人を興奮させちゃだめでしょ」

 そう言ってからベッドに歩み寄ると、オーレリアンに声をかけた。

「僕はジュール・ラルカンジュ。あなたの治療のために来た光魔法の使い手だよ。弟さんも心配しちゃうから、どうか落ち着いて。少し休んでからちゃんとお話しよう?」

「……そう……なのですか……」

 声も手の大きさもまったく別人のものだと確かめて、オーレリアンは少し落ち着いたようだった。

「ありがとうございます。助けに来て下さった方に……みっともないところを」

「気にしないで。……落ち着いたらあなたの占いの力を借りたいんだ」

 オーレリアンの能力は占術に特化していた。

 彼の占いは外れることはない。この力がティグル伯爵家を繁栄させていた。だからこそ伯爵は彼の治療のために手を尽くしていたのだ。

「……何を知りたいのですか?」

「大公の一番知られたくないものの隠し場所」

 それを聞いてセブランとオーレリアンがそろって問いかけた。

「……本当に陛下ではないのですか?」

「言ったよね? 僕はジュールだって」

 おそらく彼らはもううっすらと確信し始めている。ジュールが何らかの形でフェルナンと繋がっていることを。

 ……話してもいいんだけど、ややこしいことになりそうだからな。

 ジュールはそう思ってそれ以上の追及からは逃れることにした。



   
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