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34 将軍閣下は精霊に戸惑う

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「……何故私たちはここにいるのでしょうか」
 プロテア王国宰相、カーティス・レミントンは目の前にある石造りの砦を見上げてそう呟いていた。
 少し離れたところでドレスを纏ったハルは彼らの背中を見ながら同情を寄せていた。
 まあそうだよね。普通たった一日で王都から国境のカナリア砦まで到着するとは思わないよね。

 プロテア女王の国葬に参加する使者にほぼごり押しの形で王立医学研究所の所員と文官などが加わることになった。
 けれど、パーシヴァルは彼らと同行せず、ストケシアに滞在中だった宰相一行を連れてさっさと王都を出発した。
 ハルたちは途中バーニーと合流してアルテア領を経由でプロテア入りするつもりだった。王都郊外からアルテアまでは精霊が空から運んでくれることになっていた。
 ラークスパー公爵家の従者たちは馬車が空を飛ぶのを経験している。けれど、プロテア人たちに精霊の力を見られるのはまずいからと、バーニーは馬と供に彼らを眠らせた。
 だから何が起きたのかわからないうちに国境にたどり着いたプロテア人たちはしばらく自分の眼を疑っていた。
「今夜は当家の領館ででお休みください。明日にはプロテア入りします」
 パーシヴァルがそう告げると、プロテア人一行がぽかんとした顔のまま振り返る。
「……あの……」
 さらりと言われたことに納得が行かなかったのだろう。宰相が問いかけてきた。
「私どもは何か魔法にかけられたのでしょうか。いくらなんでももう国境だなど……」
 魔法と呼ばれる力はおとぎ話にでてくる存在だ。
 時折人にはない不思議な能力を使う者はいるが、そうした者たちの力は系統立って実証されていないため、この国では神が与えた才能という言葉で片付けられている。
 精霊を信仰するアルテアやプロテアでは奇跡を起こすのは精霊であって人ではない。だから魔法への考え方もこの国とさほど変わらない。
 パーシヴァルはハルにちらりと目を向けてから穏やかに応じた。
「うちの馬車にはいい馬を使っていますから、早く感じられただけでしょう」
 その背後でバーニーの肩が震えていたので、きっと布袋の中で笑いを堪えているに違いないとハルは思った。

 宰相はすっかり体調も良くなって、多少顔に湿疹の色素がのこっているくらいしか病の影響はない。彼の護衛たちも同様だ。
 砦近くの領館に案内すると、宰相はホールの正面に飾られた肖像画を目にして呟いた。
「あれは……ユリシーズ王陛下ですか」
「そう聞いています」
 パーシヴァルが頷く傍らでハルは黙って控えていた。
 ハルは今回「ハリエット」として同行している。ハルの事情を知っているのは公爵家の者たちだけで、アルテア領の人たちにとってはハリエットは初対面になるので、あまり慣れた空気を出さない方がいい。
「懐かしい。若い頃お目にかかったことがあります」
 宰相は感慨深げにその絵を見た後で、ちらりとハルの方に目を向けてきた。
 彼はハルがアルテア最後の国王ユリシーズの孫だと知っているはずだ。初めてハルの顔を見たときも驚いていた。
 女王が自分の息子を使ってハリエットを攫おうとした理由も気づいているはずだ。
「……もっとも私はこの方を死においやった国の人間ですから、偉そうに語る資格はありませんな」
 全てのプロテア人がアルテアを滅ぼそうと考えていたはずがない。アルテアはプロテアと同じ精霊信仰で隣国同士だった。親しみを持っていたり、心苦しく思っている人もいるかもしれない。
 アルテア王に面識があるこの人もその一人なのだろうか。
「アルテアはまさしく精霊の恩恵を受けた地でした。私の国もそうあるべきだった」
 ハルはアルテアがどんな国だったのか目にしたわけではない。そう言われると母の祖国はきっとよい国だったのだろうと嬉しくなった。

「明日はプロテア入りですが、その前に説明しておくことがあります」
 夕食のあと、ハルとパーシヴァルは宰相と打ち合わせをすることにした。
 どうして精霊の力を使って急いで旅をすることにしたのか。それには理由があったから。
「こちらに入っている情報によると、プロテア国内の錆化病流行は地方に広がりつつあります。そのため、王都に向かう道中で予防薬や治療薬をできる限り配布したいと考えています」
 パーシヴァルの言葉にレミントン宰相は驚いたように椅子から腰を浮かせた。
「まさか……あなた方はそのために……」
 そう。このためにおまけでついてこようとした王立医学研究所の人間たちを振り切って出発したのだ。薬のことに口出しされると面倒なのと、ハルに敵意を向けてくる某令嬢を避けるために。
 宰相も滞在中にどうやら彼らとハルの関係が良くないことを察していたらしい。
「配布に関しては国王アーティボルト陛下のお許しもいただいています。薬の手配はハロルドが行い、薬の代金は陛下が出して下さいました」
 ハルが国王アーティボルトへ「おねだり」した報酬はこれだった。錆化病の薬をプロテアで配布するための許可と資金協力。
 アーティボルトはそれを聞いて大爆笑した上で、そんな報酬をおねだりされたのは初めてだと言っていた。居合わせたパーシヴァルは複雑そうな顔をしていたが、配布作戦については賛成してくれた。
 何とか出発までに増産した薬は馬車に積み込んできた。新薬についても材料が調達できたので、できる限りの数を用意している。
 錆化病の診療をしている施設を訪問しつつ王都を目指す予定だ。
「問題は、いきなり異国の者が配布しても信用されないことです。なので、診療所や神殿への交渉を宰相閣下にお願いしたいのです。せっかくの薬を無駄にされても困りますから」
「そのくらいのことはお安いご用です」
「……そして、薬の配布に尽力したのは王太子殿下だと宣伝なさることを、こちらはお止めしません」
 宰相はしばらく黙っていたが、大きく溜め息をついた。
「……全てご存じだったのですね」
 プロテアでは王太子と第二王子の間で王位争いが燻っている。
 優秀で今までも女王の補佐を務めてきた実績のある王太子と、自分たちの利権を守りたい貴族たちに支持されている第二王子。第二王子派はなんとかして王太子を引きずり降ろそうと画策してきた。
 おそらく宰相自らストケシア王国に来たのも、両国の関係を改善して王太子の立場を少しでも良くしようと思ってのことだったのだろう。
「それで、あなた方に利はあるのですか?」
 ハルはただ、作った薬を配布して少しでも病の流行を抑えたいだけだ。
 薬の効果を身を以て知る彼らが神殿に働きかけてくれれば配布もしやすいし、彼らにとっては王太子の名声が上がるのだからいいことずくめだろう。
 王太子の名声が上がれば、ついでに王配が支持する第二王子の評判は下がるのだ。それでいい。
 ハルは微笑んで宰相に答えた。
「利はあります。私が王配殿下にささやかな仕返しをしたいのです」
「……仕返し、ですか?」
 戸惑っていたレミントン宰相はハルに問いかけてきた。
「一つ、お聞きしたいのですが……ハリエット様は精霊の巫女なのでは?」
 こんな手の込んだことをしなくても、巫女だったら精霊が力を貸すだろうと言いたいのだろうか。
 ハルは首を横に振った。
「私は巫女ではありません。巫女だったとしても、精霊に仕返しをお願いするなんて無粋ではありませんか? 自分でやらなくては意味がありません」
 ハルは微笑んでそう答えた。

 母に強引に迫って平穏な生活を奪ったこと。さらにはハティを捕らえようとして死においやったこと。
 何よりも、「ハリエット」の存在を知って、ハティを死なせておいて都合良く生きていたのだと解釈した厚顔無恥ぶりは許せない。全く反省していない。
   ハルが望めばおそらく師匠や精霊たちはクリスティアンに仕返ししてくれるだろう。精霊たちは巫女の敵にはそれはもう容赦ないのだから。
 ……けれど、それではこの国の人たちに何が起きたのか伝わらない。
 この国の王族や王配たちが自分たちの欲のためにアルテアや精霊に、そしてハルの家族に何をしたのか。それを全て明らかにして決着をつけなければ、またこの先も同じ事が起きてしまう。
 精霊の力をなるべく借りずに王配クリスティアンの野望を妨害する。
 その第一歩がこの治療薬配布作戦だ。
 五年前の疫病騒ぎの時も、ハルたちが作った薬を未認可の薬だと馬鹿にしておいて、効果があると知ればこっそり買いにくる貴族たちがいた。
 誰だって命が惜しいのだから、薬の存在を知れば一気に心は動くはずだ。

「まずは薬を配布して疫病の流行を止めましょう。そうすれば、民のために尽力して隣国の協力をとりつけてきた優秀な方が王位に就くのが望ましい。……人はそう思うでしょう?」
 間違ってもあの王配や利権だけを求める貴族たちに権力を与えてはいけない。言外にそう含ませてハルは問いかけた。
 ハルの言葉に宰相は頷いた。
「……つまり、それがあなたの『仕返し』なのですね」
「そうです。私は王太子殿下にお手柄を差し上げて、王配殿下をとことん困らせたいのです。……けっこう腹黒でしょう?」
 ハルの言葉に宰相はぷっと吹き出した。それから深く頭を下げた。
「将軍閣下。奥方様。薬の配布、ありがたく協力させていただきます。王太子殿下に代わり感謝申し上げます」

*   *   *

「ハルはもう寝ちゃった?」
 窓の外から声が聞こえてきて、パーシヴァルは溜め息をつきながら窓を開けた。
「ええ。疲れていたようです。……どうかなさいましたか」
 ハルの師匠バーニーはこうして窓から入って来るのが常だ。三階だろうとどこだろうと。どうやって入って来るのかについてはもう言わないことにしている。
 久しぶりに長時間ドレスとコルセットで窮屈な思いをしたせいか、ハルは着替えると寝落ちてしまった。パーシヴァルは少しだけ資料を読んでおこうと、こっそり寝室の隣の部屋に移動したところだった。
「精霊たちからあのくるくる髪の令嬢一行のことを聞いてきたから、教えてあげようと思って」
「……とくに興味はありませんが」
「閣下はハルにしか興味ないものね。……じゃなくて、彼らは君たちに追いつこうと無茶苦茶急いで自滅したっぽい。馬が潰れちゃってむしろ遅れが出てる」
 どうやら別行動をした国葬の使節たちも王都を出発したらしい。どのみち彼らはミランダ領を通る街道で移動している。道が違うのでプロテア王都に着くまで会うことはない。
「まあ、招待されたのは我々なので、彼らが間に合うかどうかは問題ではありません」
 パーシヴァルはキャビネットからグラスを取り出した。酒を注ぎ分けると、バーニーが布袋を脱ぎ捨てて、きらきらと目を輝かせる。
「お。うまそうだ。いい酒だね」
「ええ。先ほど領民から届けられたので、よろしければ」
「そりゃありがたい」
 パーシヴァルはアルテアで作られていた蒸留酒の技術を復活させる事業に出資していた。熟成第一号が完成したからと、わざわざ持って来てくれたらしい。
 領地の特産品になれば彼らもより豊かな生活ができるだろう。綺麗な琥珀色の酒を口にしながらパーシヴァルがそんなことを考えていると、
「……ところで将軍閣下。子供欲しい?」
 突然の問いに、思わずむせ込んでしまった。
「どういう意味ですか? 私に愛人を持てと?」
 パーシヴァルは咳が治まってからバーニーに問いかけた。ハルを伴侶にしたいと望んだのは自分の意思だし、その時点で子供という言葉は自分の頭の中から排除した。
 それに跡取りなら兄の子であるロビンがいる。幸い傲慢で暴力的だった兄には微塵も似ていない可愛らしい息子だ。
 それで満足している。なのにどうしてそんな質問をされるのかわからない。よりによってハルの師匠から。
「そうじゃない。僕も含めて精霊たちってお節介だから。しかも大概のことができちゃうから。放っておくと何するかわからないんだよね。しかも、彼らはお節介な親戚みたいに君たちの間に子供がいたらとか考えたりしてる」
「何をするんですか?」
 この師匠にわからないとか、恐ろしいことを言わないでもらいたい。
 パーシヴァルが困惑したのを見て、バーニーは首を傾げた。
「そうだねえ。ハルの身体を子供ができるようにこっそり作り替えちゃうとか」
「やめてください。あんな細い身体で出産ができるとは思えない。そんなことをするなら私の身体にしてください」
「え? 閣下が産みたいの?」
 バーニーが目を丸くしている。
 パーシヴァルは思わず自分が口走ってしまったことに自分でも戸惑った。自分が子供を産むなど想像もできない。けれどそれはハルだって同じだろう。
「産みたいわけではありません。ハルの負担を増やさないでもらいたいだけです。女性にだって出産は命がけでしょう。そんなことをハルにさせるくらいなら……」
 無論経験がないので出産がどういうことなのかわかっていないが、パーシヴァルはそう断言した。自分は頑丈さなら自信がある。ハルよりも遙かに頑丈だ。
 ……いや、そういう問題じゃない。そもそもそんなことを勝手にしないでくれればいいだけじゃないのか。
 自分が突拍子もないことを考えてしまっている事に気づいて、パーシヴァルは落ち着こうと大きく息を吐く。
「それに正直、私は自分の子を持つのが怖いのです。母は私を産んだ後体調を崩してそのまま亡くなりました。この歳まで結婚に積極的でなかったのも、それがあったのかもしれません」
 母のことを聞かされていたから、パーシヴァルは出産が恐ろしいことのように思えていた。自分が経験できないから余計に。
 それを精霊の力で可能になると言われて、動揺したのもそのせいだ。
「……閣下は本当に繊細で綺麗な人だねえ……。そういうことなら、とりあえず全力で彼らを止めておくから。ハルにも迂闊に子供のことを口に出さないように言わないとね……冗談通じないからね、彼らには」
「そのようにお願いします」
 自分が望むのはハルの幸せだけだ。できればそっとしておいて欲しい。
 パーシヴァルは心の底からそう思った。
 今までも精霊は自分の周りにいたのだろう。彼らもまた巫女でもなんでもない人間には興味がなかったから関わりがなかっただけで。
 ハルはなんという恐ろしい存在に気に入られてしまっているのか。
 パーシヴァルはそう思いながら気持ちを落ち着けようとグラスを傾けた。
 
  
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