上 下
24 / 57

23 将軍閣下と新婚旅行

しおりを挟む
 旅行といっても、公爵夫妻の移動となれば護衛や侍女、それに荷物など含めると結構な大所帯になる。馬車二台と荷馬車、それを囲むように馬に乗った護衛が配置される。
 軍生活が長かったパーシヴァルも、平民として育ったハルもこれには戸惑ってしまった。
「ハル一人連れて行くなら私の馬に乗せればそれでいいかと思っていたのだが」
 パーシヴァルがそう言ったので、ハルの父ショーンがこれでもかというほど顔を顰めた。
「これでも閣下のお立場からすれば質素そのものです。少数精鋭を目指した結果です。領地を訪れるのですから体裁を整えていただきたい」
「過去の領地視察はどのようになさっていたのですか?」
 パーシヴァルはショーンに一瞬目をやってから答えた。
「馬で移動した。護衛はちゃんと連れて行ったぞ」
「あー……なるほど」
 ……領主様が騎馬でふらっと現れたら領地の人たちも驚いただろうな。それもパーシヴァル様らしいんだけど。
 領民の気持ちを考えたらある程度威厳とか華やかさは必要なのかもしれない。
 派手すぎはだめだろうけれど、上の立場にある人があまりに余裕がなさげだったり質素だったら、自分たちの生活に不安を抱くかもしれない。
 ハルがそう説明したら、パーシヴァルは納得した様子で頷いた。
「そうか。出迎えの手間を減らそうと思ったのだが、それならある程度目立ったほうがいいのだな」
「その通りです。では納得いただけましたか?」
 ショーンが念押しするように問いかけると、パーシヴァルは不承不承という表情で頷いた。……そんないきさつを経て無事パーシヴァルとハルは王都を出発したのだった。

 今回の領地視察には第一夫人ハロルドが同行することになっている。形式的にはハリエットは留守番ということになる。万一プロテアがまた何か企んだときのために、ハルと背格好が近い侍女にハリエットの部屋を日に何回か出入りさせるように頼んでいる。
 プロテアの王配が拘束されている今、プロテアと国境を接している公爵領アルテアにパーシヴァルが視察に向かうのは、かの国へのけん制の意味もある。国境警備軍の兵士たちにとってパーシヴァルは英雄の中の英雄なのだ。
 ……国王陛下があっさり新婚旅行を認めてくれたのもそのへんが狙いなのかもしれない。
 ハルはぼんやりと馬車の外を眺めながらそう思った。
 王都を出発して二日後、一行は予定通り公爵領に入っていた。今日中には領都にある屋敷に到着するらしい。その後視察を終えて、国境に近い飛び地アルテア領に向かう予定だ。
 ハルの隣に座っているパーシヴァルは馬車の外から護衛たちの騎馬を時々眺めていた。聞いてみたら馬車移動は退屈で好まないのだとか。
「今回はハルがいるからいいのだが、大概一人だったからな。そういえば、ハルは馬には乗らないのか」
「……乗ったことがないんです」
 それを聞いてパーシヴァルは目を瞠った。
「ならば、領地に着いたら少しずつでも練習するか。そうしたら移動中も一緒に馬を並べて走れるぞ」
「それはいいですね」
 ハルが思わず頷いたら、ハルの正面に座っている執事見習いのルディがぽつりと呟いた。
「ご夫妻が馬に二人で乗って、私どもがこのご立派な馬車の中というのはいかがなものかと」
 その隣に座っていた侍女のエマも大きく頷く。
 確かにハルまで馬に乗ってしまったら、馬車には彼らだけが残ることになる。その状況でハルとパーシヴァルが馬に乗っていたら、いたたまれない気持ちになりそうだ。
「……じゃあ練習だけにするから」
「それならハルの馬も必要になるな。おそらく今年もいい馬が育っているはずだ」
「え……」
 乗馬経験のない自分にはさすがにそれはと思ったら、パーシヴァルは平然としている。
「私の領地は馬の産地だ。ロビンやハルにも馬を贈るつもりだった」
 ラークスパー公爵領は王都から南に広がる広大な平野だ。農業と馬の飼育が盛んで国王に献上される名馬のほとんどがラークスパー公爵領で育っている。
「ロビンなら馬も大喜びしそうですね。あの子犬も大層お気に入りのようでしたし」
 ハルはふと口元に笑みが浮かんだ。パーシヴァルもそうだな、と頷いてくれた。
 パーシヴァルにとってロビンはただ一人の近親者で後継者だ。忙しい中もロビンと一緒に過ごす時間を取ったり、欲しいものを調べて買い与えているのは微笑ましいと思う。
 ロビンは今頃どうしているだろうか。あの子犬と元気に駆け回っているだろうか。

 今回は王都で留守番しているロビンは、パーシヴァルが贈った子犬に大喜びしていた。
 そしてロビンは出発の前に犬を連れて二人に挨拶に来た。
『この子の名前を考えたんですけど、ジョーイはどうでしょう?』
 パーシヴァルは一瞬戸惑った顔をしたが穏やかに頷いた。
『そうか。いい名前だと思うぞ。元気すぎるくらいに図太く丈夫に育ちそうだ』
 ハルは思わず吹き出しそうになった。ジョーイはジョセフの愛称だ。おそらくパーシヴァルは彼の顔が頭をよぎったのだろう。
『人任せにせず、面倒を見てやりなさい。きちんと世話をすれば良い相棒になってくれるだろう』
 パーシヴァルは口元をわずかに綻ばせてロビンの頭を撫でた。
『明日からしばらく家を空けるが、ジョーイと仲良く待っていてくれるか?』
『はい。お二人も沢山仲良くしてきて下さいね』
 ロビンは元気にそう言って去って行った。
 彼には含むところはないと思う。けれど、パーシヴァルは別のことを想像してしまったのだろう。ちょっとだけ頬が赤くなっていたのをハルは見てしまった。
 それを見ているとハルも顔が熱くなった。

 ……ああ、余計な事まで思いだしてしまった。
 ハルが誤魔化そうと外に顔を向けると、パーシヴァルが問いかけてきた。
「どうした? 顔が赤いが……暑いのか?」
「あ……いえ……」
 どうしてそんなことにすかさず気づいてくれるのだろう。そんなに僕のことを見ているんだろうか……。
 ハルが焦っていると、急に伸びてきた手に肩を掴まれた。そのまま引き寄せられてしまう。
「馬車も悪くはないな。手を伸ばせばハルを捕まえられる」
「パーシヴァル様……?」
 腕の中にすっぽりハルを捕まえて、パーシヴァルは事もなげに答えた 
「さっきの話で思い出した。ロビンにはハルと沢山仲良くすると約束したからな」
「あ……」
 どうやら同じ事を思っていたらしい。いやあれは別に義務とかではないと思うのですが……っていうか、この馬車の中で何をどう仲良くしようと……? と焦っていると、控えめな声が聞こえてきた。
「あのー……我々お邪魔でしたら、次の休憩で後ろの馬車に移動しますが」
 向かいの席に座っていた二人が居心地悪そうに頬を染めていた。
 そうだよね。屋敷と違って狭い密室では目のやり場がないよね……。
 そう思っていると、何やら外で慌ただしい気配がした。パーシヴァルが馬車を停めるように指示して外に呼びかける。
「何があった?」
 馬車に駆け寄ってきたエラリーが一礼すると書状を差し出した。
「王宮からの早馬です。火急とのことで、すぐにお返事をいただきたいと」
 パーシヴァルは書状に目を通すとルディに顔を向ける。
「書状の返事を書く。エマとルディは全員に今のうちに休憩しておくように伝えてくれ。周辺への警戒は怠らないように」
「かしこまりました」
 ルディたちが馬車から飛び出して行く。パーシヴァルが手紙の返事を書きながら、ハルに告げた。
「……すまないが、予定が変わった。プロテアがアルテア領に近い国境に兵を進めてきた。王配を始めとする特使たちを即時帰国させろと要求してきたそうだ。王宮側は引き渡しに応じる予定だからこのまま戦争になる可能性は低いが、この状況でハルを連れていくのは危険すぎる」
 ハルは思わず腰を浮かしていた。確かにプロテアが欲しがっているのはアルテア王家の血を引いた自分と旧アルテア王国の領土だろう。プロテア軍が近づいている場所にハルを連れて行けないのは理解できる。
「そんな。それではパーシヴァル様は……」
「このままアルテア領所属の国境警備軍の指揮に向かう。王宮からはすぐにハルを王都に戻すようにとの内容だったが……」
 王都で? 自分にも関わりがあることなのに、王都でじっと待っているしかできないんだろうか。また自分の力が足りないから、無力感で苦しい思いをしなくてはならないんだろうか。
 ハルは首を横に振った。
「僕もアルテアにつれて行ってください。剣は使えませんが、薬の扱いはわかっていますから衛生兵のお手伝いはできます。パーシヴァル様に何かあれば一番に駆けつけられる場所にいたいです」
「ハル……」
 パーシヴァルのペンを握った手が止まった。
「あなたの側から離されるのはいやです。足手まといにならないようにしますから……」
 パーシヴァルは大きな手をハルの頬に伸ばしてきて、愛おしげに撫でる。
「……私は夫失格だな。こういうときは何があろうと私が守ると言わねばならないところだった。ハルは足手まといなどではない。私はハルとこの国を守るために戦うのだから」
 パーシヴァルの鋭く冴え冴えとした淡青の瞳がハルを見据える。
「このまま旅程を前倒ししてアルテアに向かう。ついてきてくれるか?」
 そう言うと手紙の返事を書き始めた。
「……はい」
「陛下には、新婚旅行中だからハルを帰す気はないと書いた。……プロテア軍をさっさと撤退させて、旅行の続きをするぞ」
 パーシヴァルはそう言ってハルを抱きしめた。
 使者が王都に向かったのを確認してから、パーシヴァルはこのまま領都には向かわずアルテアへ向かうことを宣言した。
「厳しい旅程になるが、体力的に自信がない者はここで引き返すか領都で待機していてくれ。とにかく急いでアルテア領に向かう」
 パーシヴァルの言葉が終わるかどうかと言うあたりで、急に周囲の空気に何か違う気配が混じった気がして、ハルは空を見上げた。

 ……何かいる?

 そう思った瞬間、空から布を被った男が軽やかに降りてきた。
「やあやあ。お急ぎかな? 将軍閣下」
「お師匠か。確かに急いでアルテアに行こうとしていた」
 パーシヴァルはバーニーに淡々と答える。空から降りてきたことにはまったく動じていない様子だ。他の者たちは、言葉も出ない様子なのに。
 そして、ハルは周囲におびただしい気配を感じて戸惑っていた。見えるわけでもないし、声がきこえるわけでもないのに、何かがいる。
 そして、ハルをじっと見つめているように思えた。目があるのかどうかわからないけれど、視線のようなものを感じるのだ。
「……師匠……?」
「いやー。アルテアの精霊たちがハルのこと話したらめっちゃ盛り上がって。出迎えに行くというから、連れてきちゃった。ちょうどいい。急ぐならご一行アルテアまで運んでいこうか?」
 ハルは布袋の下のバーニーがとても楽しげに笑っているに違いないと思った。
 一体どれだけの精霊たちを引き連れてきたのか、彼らの期待の眼差しが強すぎて、ハルは頭に手をやった。
  
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

キンモクセイは夏の記憶とともに

BL / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:57

傷心オメガ、憧れのアルファを誘惑

BL / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:374

娼館で働く托卵の子の弟を義兄は鳥籠に囲いたい

BL / 連載中 24h.ポイント:1,215pt お気に入り:141

黒豹拾いました

BL / 完結 24h.ポイント:449pt お気に入り:1,201

侯爵令嬢(♂)はフットマンがお好き!?

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:20

あなたに愛や恋は求めません

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:96,554pt お気に入り:9,056

ピュアなカエルの恋物語

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:38

皇城から脱走しようとする皇帝のペット

BL / 完結 24h.ポイント:191pt お気に入り:263

処理中です...