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Prologue 将軍閣下の立派なご子息(意味深)
しおりを挟むハルは困惑していた。
目の前にいる大の大人がさながら乙女のように頬を染めてこちらを見つめている。
「……他の者にはこのようなこと相談できないのだ。助けてくれ」
助けてと言われましても、どうしろと。
うっかりと目にしてしまったそこには、ハルにとっても理解しがたい存在がこちらを向いていた。何だかそれと目が合ったような気分になる。
……たのむからお前はこっち見んな。
ハルは貴族の館で不定期で下働きをしている。
ラークスパー公爵家は先代当主が先代国王の弟という傍系王族。そんな高位貴族だが、絶えず人手不足が発生しているのだという。
原因は現当主パーシヴァル・フォレットが周囲から恐れられているから。
若き将軍。戦争の英雄。……そして、呪われた公爵家の当主。血も涙もない情け容赦もない『氷壁将軍』……などと肩書きが多い。
元々この家で働くからにはそれなりの身元を要求される上に、募集しても人が来ない。
ハルの父ショーンはこの公爵家で筆頭執事をしている。時々会いに来ていたけれど、だんだん顔色が悪くなるのを見かねて、自分の仕事が無いときに人手が足りないところの補助なら、と下働きに入ることにした。
庭師の手伝いから、台所の補佐、神出鬼没であちこちを手伝っているうちに、使用人たちはハルのことを「モグラちゃん」と呼ぶようになった。普段は地面から顔を出さないので姿を見ることが珍しいから、という意味らしい。
十八歳にしては小柄な身体に動きやすいように古着のシャツとズボンを縫いまとめて繋いだ自作の作業着、髪はまとめて帽子につっこんで、愛用の眼鏡とホコリよけマスクにも使える布を首回りに巻いている。一見異様な不審者だが、ハルとしてはどんな仕事もこなせるのでこの格好が気に入っている。
当主パーシヴァルを遠目に見かけたことがある。国王陛下から信頼されている救国の英雄と聞いてはいたが、家にいる時はそんな威圧感を感じない。
明るい金髪と凍てついた湖面のような淡い青の瞳。長身の偉丈夫で整った顔立ち。落ち着いて貫禄がある姿は確かに格好いい。
地位も名誉も容姿も持ってるのに、どうしてあんなに悪評ばかりなんだろう。
ハルは不思議に思っていた。
そんなある日、パーシヴァルが部下らしき人と庭を歩いていた。
『あれじゃあダメですよ、閣下。もうちょっとウブな乙女に愛を囁くようにやんわりと……』
『わかりにくい喩えを使うな。そもそもそんな破廉恥なことはしたことがない』
『閣下。女性を目の前にして口説かないなんてマナー違反ですよ』
『知るか。それはお前のマナーだろうが』
というやりとりを耳にして、吹き出すのを堪えるのが大変だった。
……将軍閣下は思ったより不器用な人なのかもしれない。可愛らしいと言うと失礼だけど。何で世間の人たちはあの人を怖がってるのかなあ……。
屋敷の中ではパーシヴァルを恐れる人はいない。彼は横暴な主人ではないし、給金だってたっぷり払ってくれるのに。
「……ぎっくり腰? エリカさんが?」
ハルが朝早く屋敷を訪れると、父ショーンはがっくりと首をうなだれていた。メイド長を務めていた古参の女性が、不運にも腰を痛めてしまったらしい。
「それは大変だね。僕もこっちの手伝いになるべく来るようにするよ」
ハルがそう言うと、ショーンは少しだけ顔色が良くなったように見えた。
「何か心配事があるの?」
「それが……パーシヴァル様の身の回りのお世話は彼女がほとんどやっていたんだ。それで、自分の代わりにはできれば男の使用人を入れるように言われたんだ」
理由がわからない。動けない病人ならまだしも、身の回りの世話はそんなに力仕事はない。そもそも年配女性がやっていた仕事なんだし。
男の使用人は主に女性ではできない力仕事をやっているから持ち場を変えられない。
……それなら、持ち場が決まっていない使用人が、いるじゃないか。ここに。
「エリカさんが復帰するまででいいんなら、僕が引き受けるよ」
「すまないな。二週間ほど住み込みで頼めるか?」
「いいよ。一つだけ仕事が残ってるけど、何とかなるよ」
そんな事情で、ハルはパーシヴァルの世話係に任命されたのだった。
さすがにいつもの作業着で主人の私室に出入りするわけにも行かないので、執事見習いが身につけるお仕着せに着替えて、帽子も外して黒髪を整える。
そして眼鏡をかけてから大きく頷いた。
最初の仕事はパーシヴァルを起こすこと。
まず、静かに部屋に入ってカーテンを全て開けて、光を入れる。それからしばらくして朝食のワゴンを届けて、その際に改めて一声かける。
それだけ? 楽勝なんだけど。どうして男じゃないとダメなんだ?
「くれぐれも不用意にパーシヴァル様の寝台に近づかないように。カーテンを開けたらすぐに退出すること……とのことだ」
父からは念押しされた。
ベッドに近づくなって、若い女性使用人がダメって……そんなヤバい人には思えないんだけどな。
ハルは館の中にはあまり入ったことがない。歴史を感じさせる美しい調度品が並ぶ様子は如何にも貴族という雰囲気だった。
高そうだなー。ってくらいしか価値がわかんないんだけど。
パーシヴァルの部屋は三階の庭が一望できる場所にある。音を立てないように室内に入って、カーテンを一つずつ開いた。徐々に部屋が明るくなる。
室内はほとんど飾りはなく、椅子とテーブル、そして書き物机。そしてその奥の寝室には大きなベッドがあるだけ。チラリと目をやったけれど、まだ目を覚ましていないようで、ベッドの上の毛布の塊はピクリとも動かない。
とにかくカーテンを全部……っと。
寝室のカーテンを開け放った瞬間、低い声がした。
「……誰だ? エリカではないな」
こちらに背を向けたままだ。どうやら足音で気づいたらしい。
「エリカさんは腰を痛めましたので、本日より閣下のお世話をいたします。ハル……いえ、ハロルド・ブラッドバーンと申します」
「……ああ。たしかショーンの息子だったな。……つっ」
急に呻き声が聞こえたので、ハルは慌ててベッドに近づこうとした。
この人までぎっくり腰になったんじゃないかと思って。
「どうかなさったの……え?」
身を起こしたパーシヴァル様は全裸だった。逞しい胸板と引き締まった腹筋。そして、その脚の間にものすごくものすごく自己主張している存在が……。
「ご……ご立派な息子さんですね……」
ハルはうっかりそう口走ってしまった。
そう、偉大なる閣下はそれもまた偉大だった。驚きすぎてまともな反応ができなかったのだ。
……どうやらパーシヴァル様は非常に禁欲的というか潔癖な人らしい。
彼はその状態のご子息を人に見られたことにショックを受けたのか毛布を被って団子状態になっていた。
「大丈夫です。僕だって男ですから言い触らしたりしませんよ」
そんなの朝の生理現象じゃないか、気にしなくていいのに。まあ、大きさ的には驚いたけど……うん。かなりすごかった。
エリカは先代当主からの熟練した使用人だから気づかないフリで受け流してくれたらしいが、流石に若い女性にそれは目の毒だと思ったんだろう。だから男を指定してきたらしい。
「神の前で誓った伴侶もいないのに、毎朝このような状態になるのは、はしたないことではないのか?」
「いやいやいや。そんなことありません。閣下だって新しい剣とか手に入れたら実戦で使うまえに練習するでしょ? 朝のそれは未来のお相手のための練習みたいなものですから、神様も怒りませんよ」
誰もこの人にまともな閨の知識を与えなかったのか。それに、軍にいたのなら下ネタでそういう知識がついてるはずだろ。そこらの悪ガキでも知ってるぞこんなこと。
ハルは頭の中で猛ツッコミしたが、顔には出さなかった。
「そうなのか?」
毛布から顔だけ覗かせて問いかけてくる。そんなに恥じらわれたらこっちが恥ずかしくなりそうでハルは大きく頷いた。
「そうです。世の男性には逆にこうならなくて困ってる人もいるんですからね」
ハルの言葉に少し落ち着いてきたのか、パーシヴァルはもそもそと身を起こした。
「では、……これは気にしなくていいのだな?」
「ええ。普通ですよ。恥ずかしいことではありませんよ」
そう言ったらパーシヴァルはほっとしたように表情を緩めた。その様子が可愛らしくて、ハルは不覚にもちょっとときめいてしまった。
三十歳には見えないよこの人。こんなウブな三十歳いないよ普通。
「……頼みがある」
「はい?」
「さすがにこうしたことはなかなか人に相談できないのだ。しばらく側にいてくれるというのなら、これからも相談に乗ってもらえないだろうか」
ハルは一瞬頭が真っ白になりかけた。
なんで僕が偉大なる将軍閣下の下半身相談を……。
「僕でなくても他にも……その……副官さんとか……世慣れた方を……」
「あいつに言ったら大笑いされるに決まっている。一応、体面というものがあるんだ」
あーたしかに。軍では将軍として威厳を保たなきゃならなくて、家では当主として振る舞わなきゃならなくて……。確かに相談できる人がいなさそう。
だけど、ハル自身、経験豊富とはほど遠い。大半の知識は周りから見聞きしただけの耳年増なのだ。さすがに公爵様にご教授できるほどではない。
けれど……断ったら何となくお気の毒な気がするんだよなあ……。
そうして、ハルが最終的に押し切られてしまったのは言うまでもなかった。
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