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40.邪悪と最凶最悪

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 シェパーズ侯爵の評価は商人としてはやり手、だが強引過ぎるために反感も買っている。

 先代と彼の代で魔結晶を利用した道具や機械で荒稼ぎして、侯爵家の資産はかなり潤ったと言われている。

 とはいえ、セシルは今まであまり接点はなかった。社交の場で会うと大概アッシャー家のことを田舎領主で農業しか取り柄がないと馬鹿にしていた。

 いや、あんたの食べてる食事の原料、四分の一はうちの領地で作ってるぞ? と言ってやりたくもなった。

 ……うちの領地で作った分食わなければこんな感じにはならないよな。

 セシルを見つけて馬車からよたよたと従者の手を借りて降りてきた男は縦より横幅の方が広いんじゃないかと思えた。金ぴかの刺繍の入った上着や、ぶよぶよの指にはまった派手な指輪。

 ……ガマガエルに似ていると言ったら、ガマガエルに失礼だな。ガマガエルはまだ自分で自分のことくらいできるだろうから偉い。

 セシルはそう思いながら冷静に侯爵を観察した。



 一応門の外で待たせると面倒なことになるだろうと、邸宅の敷地に馬車を入れて周囲を警備兵が取り囲んでいた。

 そう、ここは今日を以てカトライア公国の国主ロイの邸宅となったのだ。前世で言えば大使館のような感じだろうか。

 セシルが少し距離を置いて馬車に歩み寄る。傍らにミント。少し離れた所にロイとアンドレアスが立っている。

 声は届くけれど一気に襲いかかるのには難しい距離でセシルは足を止めた。

 すると侯爵が芝居がかった様子で頭を下げてきた。

「セシル殿、どうかうちの息子を助けてくれ。呪いをかけたのは悪かった。あれはセシル殿の才能を妬んで、あのような子供じみた真似をしたのだ」

 セシルは首を傾げたくなった。

 ピーターが今捕らえられているのはたった一台しかない魔結晶生産装置を酔った勢いでぶっ壊したからだ。呪いなんて関係ないはずだ。

 ……もしかしたら捕らえられる時にピーターたちが何か口走ったんだろうか。

「呪い? そんなものあるわけないでしょう。そんなおとぎ話のような事を僕に言われても困ります」

「だが……あなたがあの最凶最悪の魔法使いを甦らせたと……あの夜会にはピーターに復讐するために来ていたのだと……」

 えーと、その魔法使いは僕の後ろにいるんですが。何か笑いを堪えてるような。

 セシルはそう思いながら曖昧に微笑みかけた。

「復讐だなんて。そもそも僕が王宮を追われたのは僕の落ち度です。夜会には兄が家督を継ぐと聞いて、一言お祝いを申し上げたかっただけですから。それに、僕の方はピーターに含むところはありませんし、まして、魔法使いを甦らせる方法なんて一介の文官だった僕には思いつきません」

 侯爵はだんだん興奮してきたのか、語調を荒げてきた。

「いや、そんなはずはない。おかしな事が起きるようになったのは貴様が王都に戻ってきてからだ。魔結晶を使った装置がことごとく動かなくなったり、今までこちらの言いなりで上手く行っていた取引が失敗したり、夜会での騒ぎも。それにトレイシーがいた小屋に設置してあった監視装置が数日前に解除されていた。あれはうちに代々伝わる秘術だというのに」

 まあ、大体合ってるな。やったのは僕じゃないんだけど。

 セシルはゆっくりとアンドレアスが歩み寄ってきた気配を感じながらにこやかに答える。

「僕にそんなことができるわけありませんよ」

 セシルは首を傾げた。監視装置。あの小屋にそんなものあったのか。

 でもトレイシーに会いに行ったとき、アンドレアスはあまり会話に加わらずに何か色々やっていた気もする。

 代々伝わる秘術って多分、アンドレアスが残した魔法具か何かかな。そもそも秘術ってバラしていいんだろうか。

「貴様がしらばっくれるなら、こちらも考えがあるぞ」

 侯爵は馬車に駆け戻ってなにやらキューブ状のものを抱えてきた。

 セシルの背後に来ていたアンドレアスが呻いた。

「マズい。あんなヤバいものまで残っていたのか」

「え?」

 セシルがアンドレアスに振り向こうとした瞬間、侯爵が言い放った。

「これは我が家に伝わる秘術の一つ。邪悪な悪魔を呼び出す装置だ。起動したら最後、その場で悪魔を生み出し続けるという……」

 え? 悪魔? これってアンドレアスが作った装置……だよな? まさかそんな。

 セシルが戸惑っていると、アンドレアスが眉を寄せて侯爵の手元を睨んでいた。

「もう侯爵家は破滅だ。貴様らも道連れにしてやる」

 そう言いながら侯爵が装置に手をかけた。

 周囲の警備兵たちが武器を構える。



 ポン。



 何やら悪魔とは無縁の軽い音がした。そこに転がっていたのは一本の人参。

 侯爵が顎が外れそうな勢いでぽかんとして、その場に尻餅をついた。

 そして何度も軽やかな音を立てて、装置は人参を吐き出した。

 ロイが後ろで腹を抱えて笑っている。警備兵たちもどういう顔をして良いのか戸惑っている。何が起きているのかわからないが、とりあえず悪魔は出てこない。

 セシルは悟った。

 間違いなくあれはアンドレアスが作った機械だ。つまり誰かさんにとっての邪悪な悪魔……ってことか?

「セシル、頼む。止めてくれ。あの機械の上部に触れれば停止できる」

 アンドレアスは近づきたくないらしくセシルにそう言う。

 仕方なくセシルは山盛りの人参に埋もれそうになっている装置に近づいて、上部にあるスイッチっぽい部分に触れる。

 ロイが笑いを引きずりながら周囲の警備兵たちに侯爵を捕らえて王宮につき出すように命じた。



「……なんということだ。最も怖ろしい装置がまだ生きていたとは……」

 アンドレアスは装置が止まったら即座に魔法で分解してしまった。人参には触りたくないらしく近づこうとはしない。

「いや、なんでこんなもの作ったのか逆に知りたいんですけど」

 自分の嫌いなものを生み出す機械とか、被虐趣味でもないと作りたいと思わないだろう。

「ロルフに修行時代に嫌いなものも生成できるようになれと言われて作った代物だ。グスタフに会う前だから動作期限がついていなかったな。気がついて良かった。あんな怖ろしい機械が末代まで残るなど……」

 アンドレアスはそう言いながらセシルを背中から抱きしめてきた。どうやら人参を大量に見たのでダメージを受けているらしい。

「僕としては食材が手に入ってありがたいですけどね」

「……」

 アンドレアスはふてくされたようにセシルの首元に顔を埋めてきた。

 ……今まで彼の食事に潰した人参とか入れてたの、気がついてないのかな。

 アンドレアスはみじん切りや細切れくらいだったら綺麗に残していたが、対抗心を燃やしたセシルは調味料で誤魔化して何度かアンドレアスの食事に人参を混ぜていたのだ。

 まあ、言わないほうがいいか。

 セシルはそう思ってアンドレアスの頭を撫でた。

『あー。アンドレアスだけずるい。僕も撫でて』

 愛犬がそう言って飛びついてくる。

 セシルはやっと力が抜けて、心の底から笑みを浮かべることができた。



 その日のうちにセシルとアンドレアスは王都を去る支度を調えた。ロイの邸宅ごと領地に直接移動させる。転送先はセシルたちが暮らしていた遺跡の近くの森にした。

「あのシェパーズ侯爵をうちに送り込んだ裏に、王家の意向もあるんじゃないかな? あの悪魔を呼び出す機械とやらでセシルもろとも目障りなオレたちもやっつけさせようとか……悪魔……」

 まだ笑いを堪えながらもロイはそう言っていた。侯爵が失敗したとなれば次は軍勢で取り囲んでくるかもしれない。王都においての手勢は王家の方が遙かに上なのだから、独立宣言を撤回させようと脅してくるかもしれない。



 同様にシャノン王国からの独立を宣言したアッシャー家も狙われる可能性がある。それでついでにアッシャー家の本邸も建物ごと移動させることにした。

 転送先の位置を決めるために向かったアッシャー邸でセシルは思わぬ人と引き合わされた。

「え? ジョザイア様……?」

 フランシスに寄り添うように立っている男性は今まで司祭の服装を纏った姿しか見たことのなかった。濃い灰色の髪の穏やかな風貌のその人は、大神殿の司祭長を務めていたジョザイアその人だった。

 今日はごく普通の貴族という出で立ちだったので、一瞬戸惑った。

「……ジョザイア様をダメ元で新モルセラ公国の司祭長になっていただけないかお誘いしたんだ。すでに領地にある神殿はシャノン王国とは分離して独立した存在になっている。この際だから教義を見直して同性婚を全面的に認めるのはどうかとか色々考えてるんだ。だから二人が結婚するまでにはなんとかするからね」

 フランシスはニコニコと上機嫌で説明してくれた。

 神殿の偉い人をスカウトしちゃったんだ。でも、よく応じてくださったな……。

 と思いながら司祭長の顔をみると、わずかに顔が赤い気がした。同性婚という言葉に反応したかのように。

 あれ? もしかして、兄上の片思いって……叶うのかも?

 セシルはそう思ったけれど、口には出さなかった。

 それから兄の養子たち、その母親という女性に紹介されて、最後に父に会うことになった。

 父はアンドレアスに一礼した。

「このたびは息子に手を貸していただいて感謝している」

「……父上」

「三百年前の人間だと聞いた時はフランシスとお前の正気を疑ったが、こうして目の前にすると常人とは違う気がする」

「最凶最悪の魔法使いだと聞いて、警戒しないのか?」

 アンドレアスは穏やかに問いかけた。

「息子を助けてくださったのなら、最凶だろうが最悪だろうが頭を下げるのが当然ではないだろうか」

「そうか。悪いが息子は返してやらないぞ? オレの弟子として連れて行く」

 父はそれを聞いてセシルに目を向ける。

「……セシルにはアッシャー公爵家は窮屈だったのかもしれません。小さい頃から不思議な発想をしたり、柔軟な考え方をするところがありました。だから魔法使い殿と暮らすのが望みなら。……ですが、たまに手紙でも何でも構わないので、連絡をいただければありがたい」

 アンドレアスは頷くと、懐から小さなからくりの鳥を取りだした。

「これは小さな魔石で動く。人の姿や声を覚えて指定した相手のところに飛ぶ仕掛けだ」

 取り扱い方法を説明するアンドレアスに、父が感嘆したような眼差しを向けているのを見て、セシルは少し安心した。

 アンドレアスが開発していた撮影機能を持つからくり鳥の小型改良版。長距離移動を可能にして伝書鳩の代わりに使えるタイプ。どうやらセシルの実家を訪ねるために完成させてくれたらしい。

 頑固な父が魔法使いなどという存在を受け入れてくれるかどうか、心配だったのだけれど、アンドレアスの話を熱心に聞いてくれる様子に笑みが浮かんできた。



 その日の夕方、国軍が王都の旧ホールズワース辺境伯邸と旧アッシャー公爵邸を包囲するために出動したが、そこには何もない更地が残っていただけだった。

 まるで魔法のようだ。とそれを見た軍人たちは呟いたという。

 さらに二つの家が独立したことを知った貴族たちに動揺が広がって、責め立てられた国王は急病を理由に退位し、王太子が即位することになった。

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