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32.魔法使いは自重しない

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 朝の光が差し込んでくる室内で、セシルはアンドレアスから出された宿題に向かっていた。寝不足気味で身体は怠いのに頭はスッキリしていた。

 っていうか、今日人に会いに行くと決めた当人はまだ寝てるんだけど。

 しかも面白い事が起きるとか言っといて……。

 ……でも王都の人間に会うのはちょっと怖いんだよな。今まで初対面の相手にも嫌われていたからな。



『公爵家の坊ちゃんはいいよな、失敗しても家に守ってもらえて』

『どうせ文官なんてすぐに辞めるんだろ?』

『この間の書類紛失、あいつがやったんだって?』

 ……行く先々で自分の悪口を耳にしていた。

 時にはわざとぶつかってくる奴もいたし。小学生のイジメかと思った。

 やってないことまでセシルのせいになっているのは呆れてしまう。一番酷いときは全く関わりのない部署の問題までセシルの責任にされた。

 ……けどまあ、書類が杜撰だったよなあ。計算合わないやつとか山のようにあったから。あれじゃ横領し放題じゃないかな。それも僕のせいになってたりして。

 っていうか、明らかに僕の在任期間じゃないのもしれっと僕のせいになってたよな。

 ああダメだ。当時のことを思い出すと人見知りになりそうだ。本当は弟にも会いたくなかったし、夜会なんて今でも嫌だと思っている。

 ……それでも決着はつけたい。



「とはいえ、そろそろ起きてきてもらわないと、出かけられないよな。ミント?」

 セシルは側にいた愛犬に声をかける。ぴょこんと耳を立てて立ちあがった白い犬は楽しそうに問いかけてきた。

『アンドレアスを起こす? 起こす?』

「起こしてきて。まあ喧嘩にならない程度にね」

 セシルが行けばあれこれ言い訳をつけてベッドに引っ張り込まれそうになるので、最近はミントに起こし役を依頼していた。ミントは喜々として寝室に走って行く。

 しばらくするとミントと口論しながらアンドレアスが寝室から出てきた。全裸で。

 ……まあいいけど、やっぱり家の中では服を着るつもりはないらしい。



「トレイシー・モーガンズ?」

「……この家の元主だ。この家はその男の愛人宅だった。まあ、表向きはな。今日はそいつに会いに行く」

 朝食を口に運びながらアンドレアスはそう説明した。

 トレイシー・モーガンズは現シェパーズ侯爵の弟だ。

 優秀な学者で技術者だったが兄との当主争いに負けた。以来ずっと日陰者扱いだったらしい。荒れた生活のあげく痴情のもつれで愛人に正妻を殺される事件に発展した。

 今は侯爵家で幽閉されている。そのくらいしかセシルは知らない。

 あれは一年前の出来事だ。侯爵家の家中の醜聞として騒ぎにはなったが、すぐに厳しい措置を取ったことからすぐに忘れ去られた。

「……会えるんですか?」

 行けば会えるような状態ではないだろう。しかもあの事件で正気を失っているという噂もあった。けれどアンドレアスは平然と食事を続けている。

「ああ。そのために仕掛けはしておいたからな」

「……今日、何か面白いことが起きるって言ってませんでしたか?」

「ああ。……そろそろだな」

「え?」

「食べたら出かけるぞ。支度をしておけ」

 いや、すでに身支度を終えている僕より、全裸でご飯食べてるそっちの方が……。

 そう思ったセシルだったけれど、非常識なくらいの魔法使いには何を言っても無駄かもしれない、とそれ以上は質問しなかった。

 

 外に出ると、すでに何やら騒がしかった。元々この家は貴族街の外れにあるので周囲は貴族の邸宅ばかり。普段は静かなのに何故か人が慌ただしく走り回っている。

 下町の方に抜けるとやはり人々があちこちで集まって噂話をしている。

 工場、仕事、そんな言葉が聞き取れてセシルは首を傾げた。

「あの……何かあったんですか?」

 セシルが問いかけると、彼らはその話を誰かに振りたくて仕方なかったらしく熱心に説明してくれた。

「知らないのかい、兄ちゃん。今日は朝から工場の機械が全部動かなくなったり、貴族の邸宅で道具が使えなくなったりして大騒ぎなんだよ。まあ俺らには関係ない話だけどな」

 工場の機械……その動力は魔結晶だ。貴族の邸宅にも魔結晶を動力とする道具がたくさん使われている。さっきの貴族街での騒ぎはそれか。

 貴族の家では魔結晶を利用して便利で楽な生活をしている。それがいきなり失われたのだから慌てただろう。

 庶民には高価な魔結晶を使った道具や機械は手に入らない。だから魔結晶に関する事件があったとしても庶民にはほとんど他人事だ。

 それでも彼らが働いている工場では大型機械に魔結晶が使われている。

「そうですね。機械が止まったら仕事しなくていいですし」

 セシルはそう答えるとアンドレアスの顔を見上げた。

 誰がやったのかは大体推察できた。目の前に犯人がいる。



「まあ、元々オレが作ったモノだから、仕組みもある程度わかっている。だからお前の呪いを書き換えるついでに魔結晶を無効化する術式も混ぜておいた」

 セシルに対する呪いはあちこちに術式の仕掛けを埋めてその付近に影響を及ぼすようになっていた。仕掛けられた場所はほとんどが王宮周辺と貴族街。人の集まる場所。

 アンドレアスはそれを無効化する作業のついでにトラップも仕掛けたらしい。

 呪いの周辺にある魔結晶を無力化するというはた迷惑な代物だ。しかも時限式。

「バレたところで疑われるのは呪いをかけた奴だからな。ただ、列車は止めていないぞ。あれは庶民も使うものだろうからな」

「なるほど……」

 セシルはそう思いながらあちこちで噂話が広がっていく様子に目をやった。

「これでシェパーズ侯爵家は苦情対応に追われることになる。幽閉された男に会うにはいい機会ではないか?」

 魔結晶の技術は大半シェパーズ侯爵家が持っている。その利権は王家が八割方所有している。実際はそれを使った機械などの特許権的なものを侯爵家が保有しているので、そちらからも収入があるらしい。国内の貴族の中では一番の資産家だ。

 魔結晶に問題が出たからといって王家に訴え出るのは難しい。つまり魔結晶に関する問い合わせは侯爵家に集中する。今回のトラブル対応に追われることになるだろう。

「……けど、魔結晶使えなかったら夜会は大変だな……」

 王侯貴族の館は夜も明るく照らされている。魔結晶を使った灯りを使って。

 それが無効化してしまったら、蝋燭とか使うんだろうか。

「大丈夫だろう。この仕掛けは一日限定だ。侯爵家の内部に入り込むためにな。行くぞ」

 アンドレアスはそう言いながら足早に進む。

 たしかに侯爵家について調べたいとは思っていたけれど。こうまで大騒ぎを引き起こしてしまって、申し訳ない気分になった。



 セシルの実家アッシャー公爵家の本邸が第二の王宮を思わせる優美さを持っているのに対して、シェパーズ侯爵家の本邸は装飾華美の極みというべきだろうか。

 ……いわゆる成金、っていう感じだ。とはいえ、侯爵家が派手になったのは魔結晶生産装置を王家に献上した百年ほど前かららしいんだけど。

「……百年前というのは、このシャノン王国が旧ファーデンの版図を併合した頃だろう。後にその版図はホールズワース家の領地に下げ渡されたが、十年ほどは王領だったらしい。つまりシェパーズ侯爵家の者はオレがグスタフに預けた人工魔石装置をその頃あの地下室から持ち出したんだ。ファーデンの滅亡は突然で、当時は持ち出せなかったんだ」

 アンドレアスはそう言うと腕組みをして立派な柵を見上げる。

「……調べたんですか」

「まあ、少しだけな。三百年前、ファーデンが他国に攻め入られて滅んだ時、地下にいた彼らは慌ててあの研究室を放棄して逃げ出さなくてはならなかったんだろう。そして百年前シャノン王国がその地を手に入れた時、あらかた金になりそうなものを持ち出した。その後は事情を知らない辺境伯に管理を押しつけた……というあたりか。おそらくあの地に何かの宝がある、みたいな噂が残ったのもそうした研究室にいた魔法使いたちが言い残したからだろうな。……そうして人工魔石装置を修理して名前を変えて自分たちの発明品だと発表した」

 セシルは沈黙するしかなかった。あの画期的な発明品だと言われた魔結晶技術が実は最凶最悪の魔法使いアンドレアスが作ったものだったとは、誰も思いもしないだろう。

 しかもアンドレアスは魔力持ちだけが魔石を維持するために力を搾取されることを無くそうと考えて作ったものだったのに。

 皮肉なことに彼の意図も何もかも曲解されて伝わっていた。

「さて。では瞬間移動の実技練習だ。この柵くらいなら楽勝だろう?」

 アンドレアスはそう言ってセシルの頭に手を置いた。

 正門の方では何台も馬車が乗り付けてきて大騒ぎになっている。おそらく貴族や工場主から苦情が殺到しているんだろう。

 まあ、ここで魔法使っても誰もわかんないよな……。

 そう思ったセシルは意識を集中した。



 アンドレアスは事前にからくり鳥を使って周辺を探らせていたらしい。広大な邸宅の隅に物置かとみまがうような質素な石壁の小屋があった。

 その小屋の前に椅子が置いてあって男がぼんやりと座っていた。三十歳代くらいだろうか。痩せて髭も髪も伸ばしっぱなしで、着ている服もボロボロだ。見れば男の両足首には金属製の枷が填められていて、鎖が室内から伸びている。

 栗色の髪と少し面差しに見覚えがある。ピーターと似ている。

「話しかけてみるといい」

 アンドレアスが促すのでセシルは男に歩み寄った。

 男の表情は生気がなく、どこを見つめているのかわからない虚ろな目をしている。

「トレイシーさん?」

 セシルが呼びかけるとゆっくりと顔をこちらに向けた。それからそのぼんやりとした目が焦点を合わせてきた。

「……やあ。君はアッシャー家のセシルくんだね」

「僕のことを知っているんですか?」

 トレイシー・モーガンズは伸びっぱなしの髪をかきあげると微笑んだ。そうしていると正気を失っているという様子には見えなかった。

「ご謙遜だね。深緑色の髪と左右色の違う瞳。そして稚いけれど人を惹きつける容姿と優秀な頭脳の持ち主だと以前から評判だった。そして、私の甥は君のことを酷く嫌っていた」

「それは十分知っています」

 呪いに関係なく以前からセシルを嫌い抜いていたのはピーターと弟のブライアンだけだ。ピーターも最初は努力していた時期もあったけれど、やがて粗暴になり問題ばかり起こすようになった。

「君は私のことをどう思う? 家督争いに負けてヤケを起こしてあげくに醜聞騒ぎで正気をなくした負け犬だと?」

「……僕が耳にした噂はそうでした」

 けれど、優秀な技術者だった弟を家督争いに負けたからと冷遇するだろうか。それに魔結晶の技術者は秘密を守るために身内に限っていると聞いたことがある。今の当主は商売には熱心だが技術者上がりではない。

 アンドレアスは何も言わないが、おそらく彼は『言葉がわからない異国出身の従者』という設定を守っているのだろう。

「三年ほど前だ。ちょうど先代の当主が病に倒れ、後継者を指名すると言い出した。その矢先、私の周りの人間関係がおかしくなった。私は魔結晶生産装置の改良を研究していたのだが、もめ事が続いて協力者も次々と去ってしまった。そのせいで失望した父は兄に家督を譲ることにした。私の研究は取り上げられ遠縁の者に継がせることになった。私はただの役立たずの次男に成り下がった」

「それは……」

 セシルにも身に覚えがある状況だ。もしかしたら……。
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