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クロロホルムの利用 その壱
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八島大学理学部第五研究室教授・高柳真朔(たかやなぎしんさく)は寝ながら八年前の出来事を思い出していた。
八年前。高柳が教授になった年だ。それから、研究室を与えられた。
「ふあぁ!」
彼は起き上がると、床を見た。本棚から本が落ちて、床に散らばっているのだ。腰を押さえながら立ち上がると、本を本棚に並べ始めた。それから少しすると、研究室の扉が開いた。そして、誰かが入って来るのがわかった。
教授、と叫びながら小走りで入ってきたのは高柳の助手をしている八島大学准教授の新島真(にいじままこと)だ。何かと研究室に問題を持ってくるトラブルメーカーとして有名である。だが、大学では白衣を着ているので、ちゃんと准教授に見える。といっても、白衣の皺(しわ)が目立って仕方が無いわけだ。
「どうしたんだ、新島」
「それがですね、ちょっと実家で問題があったそうなんです!」
やっぱりか。高柳教授はため息をつきながら近くにあった椅子に座った。
「話してみたまえ」
「わかりました」
新島は自分の左手を見ながら話し始めた。
「私には弟がいるんですが、先月実家に泊まりに来ていたんです。弟はいわゆるニートで、親に養ってもらっていた時期があったんです。ですが、最近自立しました。で、その祝いで実家に招かれていたんですがお金が盗まれました」
「マジか」
「それで、盗まれた時に弟だけが家にいたんです」
「弟が捕まったのか?」
「それが、弟はうまく隠したようで......。親は弟を可愛がりすぎていて疑わないんです。兄の面影を感じるみたいです。兄はすでに故人ですが......。
そのあと、警察を呼んだんですが、結局弟は捕まらず、親にあてがわれた家に帰りました」
「その弟を捕まえたいのか?」
「警察には出しませんが、あいつの自宅に盗んだお金があったら親に返したいんです。そして、親に弟の真実を話します。親は嫌いなんですが、今回の件を解決したら資金援助をしてくれるそうなので、いやいや承諾しました」
「なるほど......。仕方ないから依頼されよう」
新島は八坂中学校で文芸部に入っていたのだが、そのお陰か本が好きになって教授を目指しているようだ。だが、文芸部での話しはあまりしたがらない。
以前、その文芸部のことを聞いてみた。
「新島。文芸部では、どんな活動をしていたんだ?」
「あ、いや......。稲穂祭に文集を売ってるくらいですよ」
「そうか? まあ、いい」
という歯切れの悪い感じだった。
「その盗まれたお金、記番号は控えていたのか?」
「一応、母はノートに記していたらしいです」
「なるほど。で、そのノートは今あるのか?」
「そう言われると思って、持ってきています」新島はどこからかノートを取り出して、こちらに渡してきた。
「で、君の依頼内容を確認する。つまり、君は弟の家に忍びこんでお金を見つけたい。だが、ニートだから自宅からは離れないはずだ。だから、弟を薬品で眠らせて家を捜索する、ということだね?」
「薬品で眠らせる?」
「ああ。クロロホルムでやろうと思う」
「クロロホルムって、三十分くらいは嗅がせないと眠らないんじゃないですか? それに、液体じゃくて気化していないと駄目なんじゃ?」
「よく知っているじゃないか。そう、推理小説なんて嘘っぱちが大体だ。液体のクロロホルムをハンカチにかけるくらいの面積の量しかないんなら眠らない。だから、注射針で体に直接入れる」
「あの、弟にはそんな手荒な真似はしないでください。といっても、養子ですから血は繫がっていないんですが」
「そうなのか?」
「ええ。それに、父とも血は繫がっていません。父は母と再婚したんです」
「ほぉー」
「あの家は居心地が悪い......」
「なにやら、気まずいことを聞いてしまったようだな」
「いえ、大丈夫です」
「だが、注射針が使えないとしたら方法はあと一つだ」
「あと一つ?」
「後で方法は説明するとして、明日には君の弟の家に行く」
「弟には伝えますか?」
「いや、伝えなくていいよ」
「わかりました」
新島は深くお辞儀をした後で研究室を出て行った。新島はその後、夜になると研究を切り上げて旧友と会う約束をした居酒屋に向かった。
「あの、予約していた新島です」
「新島様ですね? 高田様がお待ちです」
店員は新島を個室の席に案内した。その個室に入ると、灰色のスーツを着た丸眼鏡でやや高身長の男が座っていた。彼が新島と今夜杯を交わす相手の高田弘(たかだひろし)だ。高田は新島と同い年で、八坂中学校文芸部部員だった人物だ。今は八坂中学校の理科の教員として働いている。
「久しぶりだな、高田」
「お前もな。だが、まさか新島が八島大学の准教授になれるとはな」
「高田だって、八島大学で働いたら客員教授にはなれるんじゃないかな?」
「ハハ。面白いお世辞だな」
そう言った高田の顔はすでに紅に染まっていた。新島が来たときには完全に出来上がっていた。新島も座布団に座って、テーブルに並んでいたチューハイ缶のプルタブを手前に引いた。そして、それを口に運んだ。
八年前。高柳が教授になった年だ。それから、研究室を与えられた。
「ふあぁ!」
彼は起き上がると、床を見た。本棚から本が落ちて、床に散らばっているのだ。腰を押さえながら立ち上がると、本を本棚に並べ始めた。それから少しすると、研究室の扉が開いた。そして、誰かが入って来るのがわかった。
教授、と叫びながら小走りで入ってきたのは高柳の助手をしている八島大学准教授の新島真(にいじままこと)だ。何かと研究室に問題を持ってくるトラブルメーカーとして有名である。だが、大学では白衣を着ているので、ちゃんと准教授に見える。といっても、白衣の皺(しわ)が目立って仕方が無いわけだ。
「どうしたんだ、新島」
「それがですね、ちょっと実家で問題があったそうなんです!」
やっぱりか。高柳教授はため息をつきながら近くにあった椅子に座った。
「話してみたまえ」
「わかりました」
新島は自分の左手を見ながら話し始めた。
「私には弟がいるんですが、先月実家に泊まりに来ていたんです。弟はいわゆるニートで、親に養ってもらっていた時期があったんです。ですが、最近自立しました。で、その祝いで実家に招かれていたんですがお金が盗まれました」
「マジか」
「それで、盗まれた時に弟だけが家にいたんです」
「弟が捕まったのか?」
「それが、弟はうまく隠したようで......。親は弟を可愛がりすぎていて疑わないんです。兄の面影を感じるみたいです。兄はすでに故人ですが......。
そのあと、警察を呼んだんですが、結局弟は捕まらず、親にあてがわれた家に帰りました」
「その弟を捕まえたいのか?」
「警察には出しませんが、あいつの自宅に盗んだお金があったら親に返したいんです。そして、親に弟の真実を話します。親は嫌いなんですが、今回の件を解決したら資金援助をしてくれるそうなので、いやいや承諾しました」
「なるほど......。仕方ないから依頼されよう」
新島は八坂中学校で文芸部に入っていたのだが、そのお陰か本が好きになって教授を目指しているようだ。だが、文芸部での話しはあまりしたがらない。
以前、その文芸部のことを聞いてみた。
「新島。文芸部では、どんな活動をしていたんだ?」
「あ、いや......。稲穂祭に文集を売ってるくらいですよ」
「そうか? まあ、いい」
という歯切れの悪い感じだった。
「その盗まれたお金、記番号は控えていたのか?」
「一応、母はノートに記していたらしいです」
「なるほど。で、そのノートは今あるのか?」
「そう言われると思って、持ってきています」新島はどこからかノートを取り出して、こちらに渡してきた。
「で、君の依頼内容を確認する。つまり、君は弟の家に忍びこんでお金を見つけたい。だが、ニートだから自宅からは離れないはずだ。だから、弟を薬品で眠らせて家を捜索する、ということだね?」
「薬品で眠らせる?」
「ああ。クロロホルムでやろうと思う」
「クロロホルムって、三十分くらいは嗅がせないと眠らないんじゃないですか? それに、液体じゃくて気化していないと駄目なんじゃ?」
「よく知っているじゃないか。そう、推理小説なんて嘘っぱちが大体だ。液体のクロロホルムをハンカチにかけるくらいの面積の量しかないんなら眠らない。だから、注射針で体に直接入れる」
「あの、弟にはそんな手荒な真似はしないでください。といっても、養子ですから血は繫がっていないんですが」
「そうなのか?」
「ええ。それに、父とも血は繫がっていません。父は母と再婚したんです」
「ほぉー」
「あの家は居心地が悪い......」
「なにやら、気まずいことを聞いてしまったようだな」
「いえ、大丈夫です」
「だが、注射針が使えないとしたら方法はあと一つだ」
「あと一つ?」
「後で方法は説明するとして、明日には君の弟の家に行く」
「弟には伝えますか?」
「いや、伝えなくていいよ」
「わかりました」
新島は深くお辞儀をした後で研究室を出て行った。新島はその後、夜になると研究を切り上げて旧友と会う約束をした居酒屋に向かった。
「あの、予約していた新島です」
「新島様ですね? 高田様がお待ちです」
店員は新島を個室の席に案内した。その個室に入ると、灰色のスーツを着た丸眼鏡でやや高身長の男が座っていた。彼が新島と今夜杯を交わす相手の高田弘(たかだひろし)だ。高田は新島と同い年で、八坂中学校文芸部部員だった人物だ。今は八坂中学校の理科の教員として働いている。
「久しぶりだな、高田」
「お前もな。だが、まさか新島が八島大学の准教授になれるとはな」
「高田だって、八島大学で働いたら客員教授にはなれるんじゃないかな?」
「ハハ。面白いお世辞だな」
そう言った高田の顔はすでに紅に染まっていた。新島が来たときには完全に出来上がっていた。新島も座布団に座って、テーブルに並んでいたチューハイ缶のプルタブを手前に引いた。そして、それを口に運んだ。
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